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再び世界へ

 いよいよ世界へと再び旅立つ時が来た。

 

 今、メンバーは広島駅にいる。無論報道陣による会見の席が設けられているのだが、今回単独での出場となるためだろうか、マン島出場のため日本選手団が結成された時と比べると少ない。

 というより、地元の新聞社が地元欄で小さく取り上げただけであった。それは、言い換えれば我々の活躍がそれだけ認知されているのだ、と、前向きに受け止めていた。


 それでも、これから世界へと向かうメンバーの表情は、心の整理はつけていたものの内心期待と不安の綯交ぜになった複雑な感情の中、使命感に燃えていた。それは、人々の励みになろうという使命感であった。

 それは、終戦で日本人が忘れた物だった。あの終戦によって、日本から使命感の焔は消えた、かに思えた。しかし、実際には消えることなく細い煙となって燻り続け、今また燃え盛ろうとしていた。

 尤も、その門出に乗り込む特別列車は侘しいものであったが。


 広島駅には、東京へと向かうC51形機関車が牽引するマロネ40形寝台車3両、ワキ1形貨車4両から成る特別列車が待機していた。これは、宍戸重工が国鉄に申請してチャーターしたものである。東京からは羽田まで日本通運が輸送を担当することになっていた。

 因みに、日本通運は後に世界的な企業の一つへと成長していくことになるが、仁八の依頼に対し、当時社長だった金丸冨夫が、これから世界へと羽ばたいていく一団の輸送に関わるのを、『我が社にとっては吉兆かもしれない』と自ら輸送を申し出たのだった。

 

 そして、一団を乗せた特別列車は汽笛も高らかに動輪を滑らせる。見送りに来た人々による、万歳三唱の声が駅構内に響き渡った。その中には愛友商店街の皆さんの姿もあった。

 その様子に、愛友から贈られた手拭を握りしめる翔馬。そしてポツリと呟く。

「もう、私たちだけの夢じゃないんだ……」

 その一言に、誰もが同調し、頷いた。


 山陽本線は当時まだ全線電化されてなかったため、蒸気機関車での牽引だったが、大阪駅ではEF57形電気機関車に付け替えるのだが、C51もEF57も優秀機であったものの、当時は既に二線級であり、そんな老兵がこれから世界へと羽ばたく一団を応援してくれているようで興味深い。

 道中頂くのはあなご飯。実は、宮島桟橋近くに店を構える老舗、『うえの』からの差し入れである。更に、広島銘菓の一つ、もみじ饅頭もあった。

 うえのは明治34年(1901年)創業。当時この辺りではあなご丼が現地料理として存在しており、それにヒントを得てあなご飯を販売、21世紀現在も創業当時からその出で立ちは変わっていない。

 一連の差し入れに、一行は景色を楽しみしばし世界へ向かう不安を忘れ満足げに舌鼓を打つ。暫くは味わえないだろうなとばかりに。


 途中大阪で一泊し、翌早朝出発、東京に到着したのは夕刻であった。更に東京駅で待機していた日本通運のトラックに乗せ換え、羽田まで約2時間。

 当時既に舗装され、まだ相対的にクルマの少なかった時代とはいえ、交通事情も良くなかった時代だ。現在のように首都高を通れば30分もあれば到着するのとは大違いだった。

 その上、輸送する機材はどれも超が付く程高価なものばかり。当然慎重にならざるをえず、それも2時間の内に含まれていた。

 

 羽田近くのホテルで一泊し、翌朝、空港では通関手続きや出国審査を行う中、梱包されたマシンや機材など約2トンがKLMオランダ航空のDC-6に積み込まれていく。

 当初搭載力の大きいDC-7の予定だったが、DC-4から受け継ぐ基本設計の古さや、更に採用したエンジンの騒音や振動の激しさが災いし、居住性の劣悪なことが知られていたこと、航空会社の話で2トンくらいなら問題ないと言われたのと、機材への影響を考慮してDC-6が選ばれたのだった。

 実際、DC-7よりDC-6の方が総合評価は高く、長命であった。

 

 因みに、プロペラ旅客機が主流だった最後の時代であり、空港にはダグラスDC-3からボーイング377までプロペラ時代の最後を彩る機体で犇めいていた。マニアにしてみれば堪らない光景だったことだろう。

 当時、超円安の時代だったので、日本航空利用でさえサンパウロに向かうのに、片道一人80万円を要した時代である。訊くだに恐ろしいものがあり、誰も口にしようとしなかった。

 が、当時宍戸重工にとってそのくらいの出費は大したことはなかった。


 朝、飛行機に乗り込む時、誰もが息を呑んだ。このタラップを上がれば、当面日本の地を踏むことはないと。その前でしっかり足を踏みしめ乗り込む。

 全員が乗り込んだのを確認すると、シートベルト着用を指示したスチュワーデス(当時はCAとは呼ばない)がやっとこさとドアを閉じ、プロペラが回り出すと共に機体に振動が伝わる中、滑走路へ向かう。

 滑走路の端に待機していた機体に管制塔から離陸許可が出ると、轟音を上げながら滑走し、フワリとした感触の刹那、窓を見ると、景色は既に海となっていた。

「ああ……これで当面故国とお別れか」

「何だか急に切なくなってきたわね」

「もう、後には退けないのよ。覚悟なさい」

 

 一行の様々な思いと、そして世界へ向けての志を乗せたKLM機は、オランダ目指して東の空へ消えて行く……

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