デビュー それはほろ苦きものなり その8
午前のグループSが終わり、昼食を挟んで午後、いよいよマン島TT最後のイベント、グループXのレースが始まる。
今回グループXにエントリーするのは34台。予選には45台がエントリーしたのだが、予選最速タイム107%ルールによって11台が通過できなかった。少なくとも去年は34台がエントリーし、予選落ちしたのは7台。通過率は79.4%であった。それが今年は75.6%まで落ちているのだ。
つまり、それだけトップクラスは速いということである。しかも、グループS及びXでは予選会場は高速サーキットであるシルバーストーンであるため、猶更マシンの差が出やすい。
戦後復興が進むに従い、世界情勢も経済的に余裕が生じたのに比例し、マシン開発にも余裕が出て来たのは明らかで、戦時中及び戦後の混乱で進歩が止まっていたのを取り戻すかのようでもあった。
確かに戦時中、レーシングカーの技術開発はストップした。だが、それを下支えする無数の技術は、寧ろ戦争という極限状況下に於いて急速な進歩を遂げていた。
戦争を肯定する訳ではないが、戦争による技術水準の急速な進歩が戦後のレーシングカーの性能向上に大きく貢献しているのも確かである。
「銀のフォルゴーレ遥かなり、か」
後方からフロントローを独占しているロメックスの三台を凝視していたのは翔馬だった。グループXではロメックスが最前列を銀色に染めていたのである。
「そうね。でも、遠くて近い目標でもあるわ」
翔馬の独白に、意味深に返答するのは久恵夫人。他にもチームメイトがいるにも関わらず、つい翔馬に声を掛けがちなのは、分かっていても止められないようで。無理もない。何しろ彼女にとっては姪なのだから。
無論、それ以外の依怙贔屓はしていない。そして、翔馬は叔母様の言わんとしていることが分かっていた。尤も、それが現実となるのはまだ二年後のことなのだが。
グループXに於いて翔馬は予選13位と健闘、更に僅か0.1秒差でエイミーが14位。一台挟んで雪代が16位。4列目からのスタートであり、この結果は当初チーム内でも意外であった。これは、グループX仕様の開発がグループS仕様と比べ比較的順調であったこと、そしてグループXに於いて実質主力なのはロメックス、ビュガティ、トライアンフ、MVアグスタ以外にいなかったため。Xではサテライトチームもロメックス以外はおらず、残るはプライベーターばかりだったのも予選で幸いする形となっていた。
それは、ある意味当時の二輪市場の姿を反映していたのも確かで、戦後の混乱を乗り越え経済的には大きく復興していたとはいえ、高価な大型車に乗るライダーは、まだまだ少なかったのだ。
それに、逆を言えばグループSと比べワークスとプライベートの格差が更に激しいことを意味している。それでも大健闘には違いなかった。
しかし、周囲のジャップという軽蔑の視線は相変わらずであったが。
「たく、あたしたちが英語を知らないと思って言いたい放題ね。ここにネイティブスピーカーもいるのに」
エイミーは、不愉快を押し殺そうともしない。ヘルメット越しからも不愉快だと言わんばかりなのが伝わってくる。同じ白人でありながらアイルランド人は差別の対象であり、特にイギリスとの対立は根深く、表向きダンロップとのコネでスリックタイヤを入手できるよう取り計らったりするなど個人的感情と秤に掛けるようなマネはさすがにしなかったが、何度も不愉快な視線に曝されている上、欧州の主要メーカーからもけんもほろろに扱われたことは根に持っていた。
今となっては信じられないかもしれないが、これが当時の差別の実態である。尤も、エイミーの場合、断られた理由はそれだけではなかった。何しろ当時若すぎた。現在でさえまだ15歳なのである。いくら発育が大人並といっても当時12、3で例え秘蔵っ子枠でもワークスに入れる筈もない。
無論頭脳明晰な当人もそれは分かっていただろう。だが、そう考えたくなる程に幼少期から様々な差別に晒されてきたことが窺える。
実際、戦後間もない日本に於いて、進駐軍の子供から悪意ある視線を向けられ、更に父が四国の大学で教授の職を得たのもあり、結局在日外国人の主な避難先であった軽井沢を去らざるを得なくなってもいる。因みにエイミーは1943年に軽井沢で生まれており、当人にとっては故郷に等しかった。
だからといって、その鬱屈した感情を負の方向に持っていくつもりはない。自分の活躍で、アイルランドのイメージアップに貢献したい。そのために戦うのだと決めていた。
それは、翔馬たちが、あの焼野原からの復興を遂げながら未だ戦争の傷に苦しむ日本及び日本人の励みになればとの思いを背負っていたのと同質の志と言えよう。
でもって、エイミーの独り言を聞いていた雪代も、
「気にすんなよ。こいつらが鳥肌立つようなレースで見返してやろうぜ」
と、檄を飛ばす。雪代も父の公職追放で散々負の側面に曝された過去を持ち、幼少期はそれ故の衝突も絶えなかった。だが、彼女でさえ最初は自分の目標であった筈が、自分の活躍が誰かの励みになればどんなに素晴らしいだろうか、そう考えるようになっていた。
「そうね」
と、エイミーもメット越しの笑顔で返す。
その頃、前年度マン島覇者にしてグループXチャンピオンに輝いたビアンカは、当然の如くポールポジションで、今年もまたマン島制覇及びグループXのタイトル争いの本命でもあり、去年のタイトル獲得が齎した余裕から腕を組み泰然自若としていた。因みにヘルメットのカラーリングは去年と比べ一層ハデさを増しており、ラテン系のノリをそのまま意匠化したようでもあった。
太陽と月を終生のテーマにしていたため、アシンメトリーなのもデザイン上の特徴である。
そんな彼女が、頻りに後ろを気にしている。彼女の視線が焦点を合わせていたのは、後方の赤いマシン。そう、SSDであった。
ふと、そんな様子をメカニックの一人が気に掛ける。
「ビアンカ、何か気になることでもあるのかい?」
「まあ、ね。赤いのって、思った以上に目立つから視界に入ると気になるのよね」
赤いマシンと言えば、SSDしかいない。それを見て笑うメカニック。無論油断でもなく相手をバカにしているのでもなく、ビアンカが不安そうにしているのを察してそれを払拭しようとしているのだ。余計な不安は時にレースでは命とりとなりかねない。
「気にすんなよ。連中がビアンカを脅かすことなんてないだろうさ。それより、ロメックスのエースとしての本分を果たすことだけを考えればいい」
「それもそうね」
メカニックの励ましを受け、ビアンカはバイザーを降ろした。この瞬間、ビアンカは頭のスイッチを切り替えレーサーモードに入っている。
やがて、スタート1分前。コース上にはライダーと観光大臣以外全員退去。ライダーはバイザー、もしくはゴーグルを降ろす。この頃、マシンは全車カウルを装着していたが、ヘルメットに関してはフルフェイスは普及途上であった。
時計がレース開始時刻を指した瞬間、観光大臣がマン島旗を振り下ろすと同時に爆音が轟きスタート!!先程の750㏄もだが、1000㏄も迫力は満点。それはまさに1000㏄交響曲。轟音のオーケストラの余韻をホームストレートに残しながらブレイヒルに突入していく。
午後2時。今年のマン島TT女子最後のレース、グループXの火蓋が切って落とされた……




