手応え
フリー走行は別に結果に響く訳ではない。だが、結果を占う上で重要であった。だからこそ気楽に、という訳にはいかない。ある程度流しながらも本分本気で走っている。
フリー走行は、ラリーで言うところのレッキ=下見を兼ねているし、何年も走っていても、二つとて同じ条件はない。その上、マン島のように普段公道として使用しているのを閉鎖した臨時コースである上に距離も長いとなれば、猶更入念な下見が必要となる。
コースに出た面々は、確かな手応えを感じていた。
「以前より操縦性も安定してるから、思い切ってコーナーへ攻めていける。それに、以前にも増してコミュニケーションが取れてる感じがするわ」
英梨花の指摘は、ある意味正しかった。実は、フレームとエンジンのマウントに秘密がある。それは、前端と後端を35度の角度で結ぶように結合した上で、中間点はその直線上の交点に来るようマウントを持ってきているのだが、この中間マウントにはダンパーを介在させている。
こうすることによって、エンジンの振動を前後に制御しているのだが、実はこれ、非常に重要で、これによってエンジンとのコミュニケーションが可能となり、異変を素早く感じ取ることができる。
実は、二輪に於いて最も恐ろしいのがエンジンブローであり、それは四輪でも同じだけど、二輪の場合、あっという間に制御不能に陥ることが多い。
その兆候を感じ取れるのは、ごく一部のライダーだけなのだが、重量級になると振動も大きくなるだけにいつでも感知できるとは限らない。
また、操縦ミスに由来するトラブルにしても、エンジンの僅かな異変が関係していることが意外と多いということも、SSDではトラブルで廃車となったマシンを地道に分析する中で掴んだ。
浅間などの国内編を覚えているだろうか。わざわざ廃車になったプライベーターのマシンを回収していたのを。廃車とて貴重なデータなのである。
これまで、ミッションブローの方が恐ろしいと思われていたのだが、そもそもその原因の一つになることもあるシンクロメッシュを組み込んでいない二輪では、まず起こり得ないことも分かっていた。
実のところ、ミッションブローよりもクラッチブローの方がリスクが大きいのだが、乾式でもそこまでトラブルは多くない。また、SSDではクラッチの耐久性には自信があった。
何しろ、クラッチは自動車関連のみならず、産業機械でも多用されており、戦時中、ギリギリの状況下で常に稼働率を高く保つという無理難題の中で、各部の耐久性に於いて貴重なデータをも手に入れていた。
それが皮肉にも耐久性への自信に繋がっている。
そして、二輪にとってエンジンブローをはじめとしたトラブルが最も恐ろしいのは、そもそも二輪の場合、エンジンが動作していないとバランスを維持出来ないからである。
なので、他のメーカーも考えは同じだが、SSDでは取り分けエンジンには注意を払っていた。あれ程までに複雑精緻なエンジンであるが、矛盾するけどイタズラに複雑にしないように心掛けていた。
そして、ライダーにとってはある種必須の振動にしても、その多くが実は異変を感じ取るコミュニケーションを妨げる原因になっていることを掴み、そして前後方向の振動が重要であることを発見した。
だからこそ、SSDでは不必要な振動を徹底排除することに注力した。それは、これまで振動を当たり前のように甘受していたライダーからすれば、違和感を覚えるものであったが、次第に慣れて来るに従い、必要な振動だけを残したフィーリングを支持するようになっていった。
実は、このことに最初に気付いたのが、紗代であった。
当初、前後方向にだけエンジン振動を残して欲しいという声に、技術者からも無理難題だという声が相次いだ。しかし、仁八の説得の他、振動問題は他の部門でも課題であったため、このために意図的に方向を制御できるテストベンチから開発し、紗代たちも協力する中で、手探りであったがここに来て漸く成果が実を結んだのである。
「すげえな、全然不安がねえ」
雪代も、これまで以上に思い切って攻めているのだが、振動制御の成功のみならず、インタークーラー装着も影響している。
これの装着によって、思わぬ副産物として、エンジンからノイズが除去されたのである。
というのも、これまでは圧縮された高温の空気をシリンダーに送り込む関係上、ノッキング防止のため圧縮比を下げざるをえなかったのだが、高温になった密度の低い空気が圧縮比の低い(=燃焼室が深い)シリンダーヘッドで長時間燃焼する結果、それがノイズを生み出していることが判明したのだが、これはエンジントラブルの原因の一つであったのみならず、ライダーから異変を感知するのを妨害していたことも分かった。
それを雪代はダイレクトに感じ取っていたのである。
そもそもスペースに余裕のない二輪に於いて、インタークーラーの装着位置を探すだけでも一苦労であったが、それに見合う以上の価値はあった。
いずれにせよ、スーパーチャージャーを装着していたSSDならではの悩みと言えよう。
「あの走り、あんなに攻めていけるなんて、恐ろしいわね」
エイミーをマークしていたビアンカも、その挙動から、明らかに脅威と見做していた。これは、間違いなく優勝争い絡んでくると。実際、彼女の予想通り、苦戦を強いられることになる。
ピットでも、フリー走行とはいえ、上々の様子が伝わっていたので久恵夫人以下、スタッフも確かん手応えを得て満足そうであった。それは、勝利への手応え。もしかしたら、今年にもマン島制覇か!?と。
「改良型の性能は、思った以上のようね」
「ええ、もちのろんよ」
と、久恵夫人の呟きに返答する声。それは翔馬であった。
「無線の効果も思った以上だわ」
そう、久恵夫人が言うように、SSDではこのマン島から無線を導入していた。尤も、これはSSDが最初ではなく、MVアグスタが元祖であった。その後、ロメックス、ビュガティと、トップチームを中心に普及が進んでいたのだが、当時日本製では外国製のようにコンパクトな仕様がなかなかなく、今年に入って漸く性能、大きさ共に満足いく国産品が登場し、採用されたのである。
無線機本体はリアカウル内にマウントされていた。
戦時中、日本軍の航空無線の低性能振りには誰もが大いに泣かされた記憶があった。そのため、宍戸重工の技術者の間でも無線通信に対して不信感も根強かったのだが、この先絶対必要になると久恵夫人が辛抱強く説き伏せ、そして国内メーカーとも協力の末、やっと導入に至った。
因みに、クリアな音声には、ある秘密が。それは、アルミテープを使うことだった。それも、前後端をギザギザにすることが肝要だったのだが、実は戦時中に発見されたものの、いつの間にか忘れられていた。
それがある日、偶然発見され、甦った。当初半信半疑であったものの、外国製よりもクリアな音声が得られたので研究が進められ、マシンに貼る位置などが慎重に検討された。これも、予定よりやや遅れてマン島にやっと間に合った理由であった。
また、思わぬ副産物として、試しにアルミテープへテスターの端子を当てて研究していた者がいたのだが、その過程で静電気が様々な問題を引き起こしていることを発見、あまり時間がなかった中、エアクリーナーボックスや冷却機器などの接続部に貼り付けると、冷却効果が高まることが分かった。
なので、研究の余地ありとして、継続中であり、その成果は来年実を結ぶことになる。
因みにこの過程での発明品として、ギザギザに切ることの出来る鋏を国内メーカーに要求、製作してもらった。
このアルミテープによってノイズが大幅に減少出来ることが分かったため、通信システムもワイヤレスタイプ且つ骨伝導タイプとなり、コードやアンテナといった、ライディングの邪魔になる物が排除された。
コツは、アンテナの根本に巻くことなのだが、その際両端のギザギザが見えるよう、3㎜程の隙間を残しておくのが肝要且つブレイクスルーとなった。
首に咽頭マイクと一緒に装着するのだが、実はこれ、戦時中に嘗てドイツ軍で使われていた物をアレンジして研究を重ねていたのだが、終戦と共に活躍の場を失った物を偶然見つけだし、その後も密かに改良を重ねていたのが漸く陽の目を見たのであった。
尚、咽頭マイクはネックガードも兼ねている。
四輪ではフェラーリなどが既に導入しているという。その影響が、二輪にも及び始めていたと言えよう。
ただ、当初はライダーの間でも装着には抵抗があり、長丁場のマン島でなら仕方ないということだったのだが、既に無線通信を用いる快適さをすっかり体感している。
重量の点ではやや不利だが、メリットはそれを補って余りある。久恵夫人は確信していた。
「ひゃほ~う、今日も絶好調なりって、え!?えっ!?ちょっと、やめなさいよ。まだフリーなのよっ!!」
「翔馬、どうしたのよっ!?」
この時、翔馬に、異変が発生していた……