閑話・リュシエンヌ前
すみません。明日から一章始めます。今日は閑話の前後編となります。
私が生まれたとき父は母に激怒したらしい。私の髪の色は白であったが、父は暗めの茶で、母は比較的明るい茶色をしていた。どちらの特徴も受け継いでいない白色の髪を持って生まれた私は、二人の間に出来た子どもとは考え難い。だから父は母が不義の子を産んだと勘違いして、私ともどもブラン家から放逐寸前であったという。幸いなことに今は亡き父の父、つまり祖父が誤解を解いてくれ、事なきを得たらしい。
そんなことがあったからか、私は家族たちとの関係はあまりよろしくない。父は私にあまり関わらなかった。ただ、虚弱さと外聞を気にしてか、外に出ることは許さない。母は父に追い出される寸前までいったことが余程堪えたのか、その原因となった私に対してあたるようになった。といっても、私を生まなければよかったという類の罵倒でしかなかったから、可愛いものだ。私が気にしなければ良いだけなのだから。兄弟姉妹は父に倣い不干渉を貫いていた。他人との繋がりを私が求めないのであれば、この家にいてもなんら不自由することがないので、彼らとの関係を苦痛と感じることはなかった。
だが、虚弱な体と言うものは貴族の令嬢としては致命的な欠陥と言うべきものだ。何しろ、私が政略結婚の駒足り得ないことを意味しているだから。
母は良くその事で私を詰ってきた。何とも思っていないのは事実だが、言われた言葉の意味くらいは考える。私は自分と言う人間が生きる意味について考えることも多くなっていた。もっと言えば、死んでも構わないとさえ思っていた。
そうして十になった頃、女神なんていう存在に目をつけられた。私の存在をどうやって知ったのかなんて分からないが、彼女はこれから降りる先の一つとして私の体を指定したらしい。女神の器として指名されるのは一般的に誉であるとされていたが、私自身としてはあまり喜べないことのように思えた。
だからと言ってこのまま生きていたとしても、何かすべきことがある訳でもなく、ただ無意味に生涯を終えることになるのは目に見えている。女神の器として早々に死んだほうが、自分という生き物の命にもなんだか価値を見出せるような気もして……そんなよく分からない感情が私の心にはうずまいていた。
巫女という存在は成人するまでの役割である。それまでに女神様が降りられることがなければ、巫女からは解任される。だが巫女の選定基準は謎で、女神のみぞ知るところだ。ただし、まことしやかに噂されるのは美しい者に降りられることが多いということだった。
私の場合、容姿だけは優れていたから直ぐにでもお役目が回ってくるかもしれない、そう思っていたが一応年齢の下限もあるらしい。あまりに若すぎると器として成長しきれておらず、女神様が入る前に壊れてしまうとのことだった。器を壊してしまうだけの結果となるために、降りる器としては成人の二年より前は選ばれた前例はないらしい。
どうやら私には猶予が与えられているらしい。そう分かって父と交渉をした。その間に、学園に通ってみたかったのだ。自分と同年代の人間がどのような勉強をするのか、どういった思考をしているのか、興味を持っていた。彼らを知ることで私に何か変化をもたらせると考えてのことだった。無論、巫女の役目が回ってくればすぐにでも死ぬ覚悟があることは伝えておいた。私が巫女となれば欠陥品の私でもブラン家の役に立てるのだから、学園に通うことくらい許可してほしいと伝えた。
実にあっけなく、父は私に許可を出した。義務を必ず果たすという私の言葉に一応の納得を示したのかもしれない。
だが、学園に入学したことで私の心に何か変化が訪れたかといえば、そんなことはなかった。私の虚弱さ故に周りの者達は係わることを敬遠したのだと思われる。学園に入学したところで私は一人だった。だからと言って落ち込むと言う事も無かったのだが。代わりと言っては何だが、私は図書館に入り浸るようになっていた。
必然と言うべきか、図書館で私は一人の女生徒の姿を目にすることとなった。とてもきれいな黒い髪の持ち主だった。噂は知っている、月の姫、ルナ・ノワール伯爵令嬢。王太子殿下の婚約者だ。私の知っている中で一番の美貌を持つ人だった。彼女もまた、図書館の常連だと知ったのはそれからだ。何度も通っていれば、彼女を目にする機会が増えるのは当然のこと。いつしか、私が図書館に通う理由は本を読むためと言うより、彼女を見るため、そんな理由に変わっていった。
いつしか、彼女に惹かれている自分が居ることを自覚した。父や母、兄弟にさえ何と言われようと、どう扱われようと心は波立たなかった私の心は、彼女の姿を目にするだけでかき乱される。ようやく自分という人間の輪郭を捉えられたような気がした。
しかし、そこから何か行動を起こすことは出来なかった。彼女と知り合いになるには二重の困難があったからだ。一つに、彼女は周囲の人間とあまり寄せ付けなかったこと。もう一つは彼女を目にすることで生じる心のざわつきに私自身が戸惑ってしまい、彼女から距離をとってしまったことだ。どちらにも対処のしようがなかった。同時に私の心の中では彼女と深く関わりあってはならないという警鐘が鳴っていた。それがいかなる理由かは分からなかったが、私はその直感に従い、彼女に近づくことをしなかった。
だが、それとは別に私には彼女と私が惹かれあう者同士なのだと言う、そんな妙で根拠のない確信を抱いてもいた……。そうして、その予感は見事と言うべきか、的中することになる。私は依然彼女に見つからないように距離を取っていたのだが、女神の像に注意を引かれていたことをきっかけとして彼女に見つかり、その後図書館で話しかけられたことをきっかけとして、親交を深めるようになったのだ。
ルナと知り合ってからの日々は実に心躍るものだった。私が今まで過ごしてきたそれと比べて、はるかに濃密で、時が過ぎ去るのはあっという間だった。
ある時ふと我に返って、自分が何であったのかを思い出した。私は器、女神の降りる器に過ぎない。それ以外の何者になることも許されてはいなかった。これまでなんとも思わなかった現実に強烈に反抗したくなる。だが、拒むことは出来ない。この学園に入れたのは、いつでも死ぬ覚悟が出来ているという条件を父に提示したからこそ了承されたものだったからだ。何より女神が決めたことを巫女程度に覆せるはずもない。女神が降りることなく、そのまま私が成人することを祈っても良いのだろうが、成人したからと言って、私はそれからどうすれば良いのか分からない。女神の器足り得ぬ私など、ただの欠陥品に過ぎないのだから。
仮に希望を述べても良いと言われたのなら、私はルナと共に生きたいと答えるだろう。だが私と同様、彼女にも彼女のしがらみがある。私達の道がこれから先交わることは無いと言う結論に至ってハッとした。これこそが私が彼女に近づくべきでないと、第六感が警鐘を鳴らした理由なのだと。ルナと知り合って、私の感情はそれまで想像もできなかったほど豊かになったが、反面以前よりも遥かに死ぬことを恐れるようになっていた。
ルナと仲良くなってから幾月が経ったある日、私は父の書斎にいた。
「次に女神様が降りる巫女はお前と決まった」
ついに私の死ぬ日が決まったらしい。内心ではどう思っていようと、私に断ることは出来る筈もなかった。
「かしこまりました」
それだけを述べた。ただ死ぬことどうあがいても避けられそうにないので、一つ二つ最後にわがままを言ってみることにした。最後という事もあって聞き入れられるだろうと言う目算くらいはある。
「お父様、許可をいただけるならば私、街へと遊びに出掛けてみとう存じます。宜しいでしょうか?」
「外か……」
どうやら悩んでいるらしい。いつもであれば間違いなく却下されるのだろうが、今回ばかりは私の願いを聞き入れるか悩んでいるらしい。これならばもう一押しと言ったところだろうか?
「最後の機会ですからね、ノワール家のルナ様と親しくさせていただいておりまして、ご一緒したいと考えているのですが……」
これ見よがしにルナの名前を使う。どれだけ効果を見込めるか分からないが、ルナは王太子の婚約者だ、出さないよりはマシと言えよう。
「王太子殿下の婚約者か。親しいとは聞いていたのだが……分かった、許可しよう」
「ありがとう存じます」
彼女の名を挙げたことが決め手となったのだろうか、父は許してくれたようだ。ルナと会う時間がもう無いと言うことを考えると憂鬱ではあったが、残された時間を大切にしたい。
この時の私は悩んでいた。ルナに私が巫女であることを伝えた方が良いのか否か。そうして、次に女神が降りる巫女が私であると言う事を。
しかし、当然のことに気が付いた。伝えようと伝えまいと私は死ぬし、それをルナが止めることは出来ない。ルナが前もって心の準備をできるかどうかの違いだけだ。最後に見る彼女の姿が湿っぽいのは私が嫌だった。だから伝えないことにした。そうしてルナを街へと誘ったのだ。