第八十七話 既視感と騎士団
津々と、雪が降っていた。鈍色の重々しい空から、羽のように軽い雪が吹雪いて、音もなく積もっていく。耳を澄ませばさざ波が後頭部に打ち寄せて、新雪に混じって海の香りがする。
我が踏む港の煉瓦は灰色で、既に多くの人間が付けていった足跡が見える。だがそれも、少しずつ新雪に埋もれて、段々と消えていった。
後ろには海と船。目の前には質素な検問所があって、遠くにアルベスタという国を守る石の防壁が見えていた。フナノリガラスは呑気に寒空を飛んで、時折雪を翼で砕いている。
そんな静けさと荘厳さの中、我らはアルベスタの港の上に立ち――そして、四方から武器の切っ先を突き付けられていた。我とリサを囲むのは、雪を被った衛兵と、見慣れぬ銀色の騎士達。衛兵もとい港の職員達は険しい表情で長槍を我に向け、表情の見えぬ騎士達は分厚い騎士剣を我に向けている。
騎士達の間には、鬼の形相をしたヴァストラも混じっていた。ヴァストラは他とは異なる形の――真っ白な十字架を模したような直剣を持っており、白い髪にまた一つ雪が落ちた。
「……答えろ」
ヴァストラが低い声で唸る。船の上で聞いた、あの子供っぽさは何処へ行ったのか、その声には確かな圧力があった。脅しという言葉では不足と言える、そんな力がある。
答えをしくじれば、即切り捨てられるだろう、と我は思った。ヴァストラや周囲の人間から放たれる怒気にリサは縮み上がり、我にしがみついていた。
ちらりと視線を傾ければ、バジルや乗組員、乗客が唖然と我らを見ている。
かちゃり、と音がした。視線を戻せば、ヴァストラが端正な顔を怒りで歪めていた。白い肌の淡い唇が、強く動いた。
「……お前は――何者だ」
その言葉と共に、我はどうしたものかとため息を吐いた。
事の始まりは今から数時間前に遡る。遡るといっても、大したことは起きていないが。
我らは無事にアルベスタを目の前に捉え、あとは上陸を待つのみであった。アルベスタに近づいた事もあってか、甲板には雪が降っており、バジルと共に甲板に居た我は、ぼうっとそれを眺めていた。他の人間も同じく雪に見惚れていたが、しばらくすると何かを思い出した顔になって、甲板から去っていく。一人、また一人と甲板から人が消えていき、我は不思議の感に打たれた。
隣のバジルにそれとなく聞くと、荷造りに忙しいのだろう、という返事が帰ってきた。続けて、「うちはもう済ませたけどな」と自慢気にバジルは言う。我はその言葉を受けて、そういえば、と思った。悔しいが、そこらの凡百と同じ反応をしてしまったのだ。
そういえば、荷物を纏めていない。数時間後にはアルベスタの地へと降りるというのに、部屋には服が置いてあるままだ。本や栞、解読に使った紙束も何一つ片付けていない。
渋い顔になった我に何かを察したのか、くすくすとバジルは笑った。何だかムカつくが、それに対して小言を漏らせば我の器が疑われる。我はため息を吐いて、荷造りをしてくる、とバジルに言った。続けて我は甲板を降り、実際に荷物を纏めたのだが……如何せん荷物自体が少ない。この三週間で増えた荷物は栞一枚と砂時計、十数枚の紙束だけである。元々の荷物が衣服程度しか無かったのも相まって、数十分で片付けが終わった。
我はしばらくこんなものでいいのか、という謎の焦燥に駆られ、ならば聞いてみる他無いだろうと二人の部屋を訪ねた。リサは我の予想通り忙しく荷物を纏めていたが、エリーズは違った。エリーズはやはりまた何かを書き記しており、我がそれを指差すと直ぐ様に隠してしまった。
隠すということは知られたくないのだろうと簡単に分かっていたので、我はエリーズの書き物については触れず、アルベスタに着いてからの話をした。
アルベスタは寒いから気をつけてだの、入国審査でバレたら自分がうまく説明するだのとエリーズは言った。話の内容や道理は理解できるが、どうにも納得がいかない。
それを話すエリーズの顔が、どこか物足りなそうだったのだ。……確かに、本当ならばリサを含め、三人で西を観光したり、甲板で時間を潰したりと、そういったことが出来たはずである。そうやって思い出を作り、アルベスタにて一旦の別れとなる。そんな筈だった。だが、結果としてエリーズは自分の部屋から出ることなく、本を読むなりリサに絡むなり、そうやって日々を過ごしていた。
さぞ退屈だっただろう。だが、それよりも思い出が何一つ作れなかったことが心に響いているに違いない。そしてその上、エリーズはこの別れが我らとの最後だと思っている。未だ、我に己は救えないと演算していたのだ。言葉で表さずとも、目で分かる。
我はそれが気に食わなかったが、一々食って掛かるほど神経質ではない。
これに関しては、もう行動で示すしかあるまい。実際、我自身も我の演算が確かなものなのかについては自信がない。上手くいくという確証が無いのである。だが、そんなことを言ってもいられない。我らは船に乗っていて、その船はもう目的地に着こうとしているのだ。
我はエリーズと別れて、再び甲板に戻った。甲板ではバジルがバーのカウンターに積もった雪をつんつんとつついており、見た目も相まって子供らしいと思った。バジルはしばらく雪をつついていたが、我の視線に気がついたのか振り返って、苦笑いになった。
前も二人の時に話してはいたが、バジルは大きな商談を成功させるために南へと向かい、しばらくアルベスタには帰ってきていなかったらしい。なので、久しぶりの雪が珍しくてしょうがないのだろう。当人は「砂漠から雪山とか、体壊さんか心配や」と笑っていた。我も同じようなものだが、人間とは体の作りが違う。そう簡単には体調を崩さない……崩さないはずである。
我が情けない病魔のことを思い出していると、ふとしてバジルが言った。
「……うちとあんたとの旅も、これで終わりかあ」
「我とお前との旅ではないが」
「分かっとる。あんたにはお仲間さんが居るんやろ? ……ズルいでほんま。商人と冒険者比べたら、どっちが暇無いのかなんて簡単に分かるやないか」
「……要するに、会える時間が少ない、ということか」
我が核心に踏み込むと、そうやー、と素直にバジルは言って、カウンターに頬杖を着いた。続けてちらりと顔を傾けて、我の顔を見る。
「かぁー……ほんま、ええ男や」
もう何度目かわからない言葉を受け取って、我は鼻を鳴らした。この言葉に何か返事を返すと、なんだか変な答えを送りそうな気がしているのだ。故に我は、いつも鼻を鳴らすのみで応えている。
聞きなれた問答を通り過ぎたバジルはしばらく黙って、口を開いた。
「……向こう着いて、オーガスタ商会の店に用があるんやったら、あんたの名前を名乗っときや。良い対応するように言っとくわ」
「……助かる」
うちにはこれしかでけへんけどなぁ、とバジルは拗ねるように言った。
「こんな金で釣るみたいなことせんで、どっか出掛けたりとかしてみたいんやけど……」
「……だが、暇がないのだろう? 我も生憎、あまり浮き足立ってはいられぬ事情がある」
「あぁぁ……うちが居ない内にアホやらかした奴全員ぶっ飛ばして終わりにできんかなぁ……まあ、無理やけど」
それからバジルはいつも通り話を始め――今日はどこか愚痴が多めであったが――そしてアルベスタまであと少し、といったところで話を切り上げた。我は自分の部屋に戻り、到着を待つ。船が到着したら、まず賓客から外へ呼ばれ、入国審査をする。それが通れば晴れて入国であり、悠々とアルベスタを堪能できるのだ。
生憎我にはアルベスタを堪能するつもりは無いし、堪能する余裕もない。何故なら、確実にここで引っ掛かるからである。エリーズが大まかな原因だが、二割は我である。手荷物検査はいいが、身体検査で確実に詰むのだ。
西に近い北はマシであるが、それでも魔族に対して厳しいことは変わりない。今の我には魔族の特徴である角や目、または翼を持っていないが……尻尾だけでも充分に引っ掛かる。
この黄金の尻尾は、間違いなく魔族の尻尾なのだ。形状から何まで、全てが竜種の魔族の尻尾である。誤魔化しようがない。
なので、この場はもうしょうがない。我はエリーズがバレた混乱に乗じ、上手く説明をしてもらって、さらーっと牢屋にぶちこまれればいいかと考えていた。そこからエリーズの説明で釈放され、この国の宿と冒険者組合のオズワル支店を見つけ、情報を収集する。
続けて欠片の位置や予想される相手、欠片を取り戻せる戦力の収集をし、欠片を取り戻す。そして、欠片の力を利用して――正面から城をぶち破り、エリーズを拐って、そのまま北東の国へと逃れる……というのが、我が考えた『最良』の道筋である。
実際は欠片ほどもそぐわぬことが多いだろう。とはいえ、具体的な目標を持っておくことは大切である。それさえあれば、多少ズレが生じてもどうにかなる――そんな事を考えて船を降り、そして入国審査でエリーズがバレた。
それはそれはもう……なんというか、エリーズを見た審査官の顔は、空が落ちてきたのを見たような顔であった。二人居た内の一人が衝撃に気絶し、その騒ぎに周囲の衛兵が集まってエリーズを見、何人かが気絶し、さらにその騒ぎに近くの騎士が集まってはエリーズを見て気絶しかけ、そうして我らに矛先が向いた。
なんとも素早い包囲であった。意識と予測をしていたとしても、確実に逃げられなかっただろう。まあ、逃げるつもりも無かったが。
衛兵や騎士が港を出たばかりの我とリサを取り囲み、エリーズは必死に説明をしようとした。だが、それより前に一つの影が翻ったのだ。それは白髪の騎士にして、騎士団の長――ヴァストラ・ジークレストその人である。
日頃の我への不満が爆発したのか、そもそも信用していなかったのかは知れぬが、奴の行動は速かった。どこからか持ち出した剣を我に突き付け、「やはり怪しいと思っていた」ときつく言い放ったのである。
バジル曰くヴァストラは犬のような奴であり、我からすれば子供っぽいと思っていた。周囲の人間や部下である騎士達も同じような印象を抱いていたのだろう。
我に対するヴァストラの態度に驚いて、続けて結束してしまった。これも、ヴァストラの人徳の為せる技である。騎士は我を絶対に逃がさんとばかりに包囲し、衛兵は目を光らせている。そのせいでエリーズの言葉が全く届かなかった。エリーズは二人の重装の騎士に護られており、我らからの声も届かないように思われる。
そうこうしているうちに事態は悪化し続け、バジルや他の乗客もびっくりな修羅場が生まれてしまった。我らは衛兵や騎士に囲まれて、足元の荷物を抱えることさえ出来なかった。
――そうやって、今に至る。そうして、修羅場がある。この時をもってして、周りの騎士や衛兵の緊張は最大限に高まり、ヴァストラの敵意は消えない。リサは我の左半身にくっついてぶるぶると青く震えている。
我はもう一度周りを見渡した。リサと同じかそれ以上に青く、ともすれば白い顔のエリーズ。状況が飲み込めないままのバジル。憤慨するヴァストラ。
……この状況は、間違いなく我の予想外である。予想外に、エリーズという存在はこの国にとって大きかったようだ。エリーズの言葉とは裏腹に、こうして我に向けられる敵意や威圧の大きさがそれを雄弁に物語っている。
エリーズは確かに捜されていた。待たれていた。そして彼らは再び現れたエリーズの姿に困惑し、歓喜し、続いて我ら二人に怒りを向けている。その結果、エリーズの弁明は届かず、我らの言い分も通らない。
彼らが聞き入れるのはただ一つ。質問の答えのみだ。お前は何者だ。その回答だけが、全てを左右する。
我は考えた。考えて、考えた。それは長考でともすれば一瞬の思考だった。我は予想外の出来事に遭遇したが……実際のところ、この質問が来ること自体は予想していたのだ。
だから我は、すぅ、と小さく息を吸って……堂々と答えた。
「我が名は、ヴァチェスタ。ヴァチェスタ・ディエ・コルベルト……金色の――魔王である!」
その言葉を紡いだ瞬間、我の視界が反転した。我は地面に叩きつけられ、同時に頬へ冷たさを感じた。刺すような、濡らすような冷たさだ。続けて我のうなじを何か堅いものが上から押さえてきて、片手が誰かに踏まれる。
我は小さく呻いたが、それ以外の行動が取れなかった。
クソが。ヴァストラめ。
我は腐っても魔王である。ヴァストラの動きは見えていた。最速でリサを押し退けて我を一人にし、我の襟を掴むと同時に足首を払い、体を拘束した。その動きはヌトにも迫る速さで、ともすれば単純な速度ではヌトを上回っているのではないかと思った。
我は抵抗を試みたが、当然無意味であった。我の体を続けて幾つもの槍が拘束し、ヴァストラが我を押さえつけながら言う。
「……化け物め」
その声には、どこか畏怖が混じっているように感じた。ああ、そうだろう。我の首は堅いだろう。ヌトしかりヴァストラしかり、きちんとした腕前の剣士が剣を通じて我に触れれば、一種の恐怖を覚える。
――斬れない。
確実にそう感じる。どれだけ我の動きが鈍重で、反応さえ出来ていないとしても、その堅さだけでヴァストラには畏怖が湧いていた。同時に我の言葉を信じる色もあった。
我としては早くその汚い足と槍を体から退けてほしいのだが、一向に押さえられたままだ。我の体に押し付けられた雪が溶けて、我の体から貴重な体温を奪っていく。
汚ならしい上屈辱的だ。だが、指一本でさえ動かせない。瞬きと目を動かすので精一杯である。我は心の中で、全力の罵声を放った。
そんな中、左側で何やらリサが暴れる声が聞こえた。どうやら我を押さえる騎士に体当たりだのなんだのをして、取り押さえられようとしているようだ。
……さて、どうなるか、と我は次の動きを待った。ヴァストラが何かを言う前にバジルの声が一瞬響いて、それを掻き消すようにエリーズが大きく叫んだ。初めて聞く、エリーズの全力の声だった。
「ちょい待ち――」
「――止めなさいっ!!」
だが、それらよりも一瞬早く、何かが我の口元に当てられる。白い布だが、嫌な予感がした。一瞬、甘い匂いがしたのだ。なんとか息を止めようと思ったが、体が押さえつけられていて、呼吸さえ自由に出来ない。結果、我はその布の匂いを存分に嗅いでしまう結果となった。
この匂いには覚えがある。暗殺者がこぞって扱う、睡眠薬の一種で……嗅いだ数秒後……には――
消えていく意識を呼び戻すような声が響いたが、足りない。我の意識は泥のように溶けて、驚くほど自然に瞼が落ちた。そのまま霞んでいく意識の中、我は最後に声を絞った。
「……いつまで我の手を……踏んでいるつもりだ。この……馬鹿野郎」
ぶちのめすぞ、と付け加えたかったが、無理だった。落ちていく感覚の中、出来る限りの抗議を声に出して、我の意識は闇に溶けた。




