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金塊の夢  作者: 平谷 望
第二章 大好きな貴方に
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第八十三話 魔王が一番嫌いな悪夢

 

「……眠い」


 我はぼそりと呟いた。返事は無いが、当然である。我は、自分の部屋のベッドに寝そべっていた。一人なのだから、返事はない。


 バジルと話すのは……まあ、悪くなかった。世界を見てきた商人の話である。元から口が上手いのもあるのだろうが、素直に話が面白いことが多かった。素直にバジルの口車に乗せられて、かなり長い間話した気がする。

 最終的に、バジルが我の眠気を早々に見抜いて、「付き合わせてすまんかったわ」と話を終わらせたので、変な我慢をする必要は無かった。その点に関しては、バジルに小さく感謝がある……のだが、その後に部屋に送るだなんだと言っていたのは相変わらずであった。


 女ならまだしも、と我が言うと、バジルが甘いなぁ、と反論し、結局部屋まで送られる羽目になった。そこから先に踏み込まれないかと我はひやひやしていたが、どうやら前回で学んでいたようである。素直に帰っていった。


 そんなこんなで、我はベッドに寝そべっている。一応風呂には入ったが、そのせいで更に眠くなった。活動に適した温度になると体が動きやすい筈なのだが、眠気がそれを阻害している。

 時刻は深夜一時。かなり長く話をしたものだ。時間にして三時間ほどか? 殆ど我が話を聞いていただけのような物だが……まあいい。


「……」


 段々と、(まぶた)が重くなってきた。久々の眠気は泥のように重く、ともすれば体に砂を詰められてしまったようである。我は少しばかりその重さに抵抗しようとして――ゆっくりと瞼を落とした。



 ――――――――――――――



 声が、聞こえる。我を呼ぶ声だ。声は優しく、穏やかで、どこか懐かしさがある。聞き覚えがあった。我は何だか頭がぼんやりとしており、どうにも難しいことを考えられない。ただひたすらに、呼び声に答えなければ、と思った。

 毛布にくるまれているような感覚の中で、我はゆっくりと瞼を開ける。瞼を開けると、そこにはテーブルがあった。



 我はどうしてか椅子に座っており、両手にはナイフとフォークがある。食事中……だったか。我は下がりきっていた顎を上げて、テーブルの上を見た。テーブルの上には、どうしてか豪華な食事が並んでいる。部屋はどうにも暖かくて、背後からぱちぱちと音が聞こえていた。振り返ると、暖炉で薪が燃えていた。

 それを見た我はテーブルの上の料理に視線を戻して、こう聞いた。


「どうして、今日はこんなに料理が豪華なんだ?」


 声はどこか若々しさを持っていた。我は一瞬それに違和感を覚えたが、それよりも先に返事があった。


「もしかして君、忘れたのか?」


 声は少しばかり怒っていて、だが我は何を忘れたかさえ思い出せない。おずおずと首を縦に振ると、声はため息を吐いて、続けて穏やかな声で言った。


「今日は……私と君が、初めて出会った日だよ」


 そこでようやく、我は顔を上げた。テーブルの向かい側を見た。テーブルの向かい側に居た女は、金色の髪をしていた。金色の瞳を持っていて、金色の角を持っていた。女は赤と黒の服を丁寧に着こなしていて、とてもきれいな顔をした――あぁ、アイン様だった。


 は少しだけ何かに驚いたが、また何に対して驚いたのかわからなかった。ただ、そうでしたね、と言って、小さく笑った。すると、アイン様は不思議そうな顔をする。


「懐かしいな、君が敬語を使うのは。苦手だからいいと前に言った筈だが……こうして聞くと新鮮だよ」


「いや、なんだか……ちょっと昔を思い出したのかな。気まぐれだよ」


 俺がそう言うと、アイン様は楽しそうに笑った。その笑顔に俺まで笑顔になって、さて食事をしようとフォークを構えた。……構えようとしたけど、手が動かない。どうしてだ、と思っていると、アイン様が目を丸くしていた。


「君――どうして泣いているんだ?」


「……え?」


 俺は……俺はどうしてか、泣いていた。理由は分からない。っていうか、俺自身が泣いていることを知らなかった。俺の体は普通そのもので、心も普通だ。なのに、どうしてか……涙が止まらなかった。俺はナイフとフォークを置いて、バカみたいに止まらない涙に指を当てた。涙は本当に止まらなくて、いくらでも溢れてきていた。


「あれ、え?なんで……」


 本当に不思議だった。俺は涙を両手で拭った。拭って、拭って……それでも涙が止まらなかった。俺はしまいにイライラしてきて、乱暴に涙を拭っていたけど――そんな俺の頭を、優しく誰かが抱き締めてくれた。暖かい。温かい。

 アイン様が、俺を優しく抱き締めてくれていた。泣いている赤ん坊をあやすみたいに、優しく。抱き締められた俺は驚いたけど、それ以上に涙が止まらなかった。


「大丈夫。落ち着いていいんだよ」


「すみません、なんでか涙が……すぐ止めますから」


「こら、また敬語に戻っているぞ?」


 全く、どうしたんだ。そんな事を言いながら、アイン様は俺の頭を優しく撫でてくれた。アイン様の手は本当に心地好くて、だというのに涙が止まらない。アイン様は穏やかな声で聞いた。


「どうしたんだ、ヴァチェスタ。何か、悲しいことがあったのか?」


「あ……えっと……」


「うん、大丈夫だ。ゆっくり、ゆっくりでいいよヴァチェスタ」


「俺、なんだか……嫌な夢を見てた気がして……」


「……うん」


「アイン様が死んでしまって、俺が人間を沢山殺して……」


「うん」


「とにかく、怖い夢だったんだ。怖くて辛い夢だった」


 アイン様はもう一度俺を抱き締めた。離さないと言うように、大丈夫だよ、と安心させるように。俺はアイン様の温もりが嬉しくて、止まらない涙を拭わず、くしゃりと微笑んだ。


「きっと、今日という日が特別だから、昔の事を思い出してしまったのかもしれないな」


「……」


「大丈夫。大丈夫だよ、ヴァチェスタ。私がついている。それはきっと……ああ、(ただ)の悪夢だよ。私と君は、ここに居る」


「……そう、だな。そうだった……」


 俺はすっかり安心していた。なんだかまた、寝てしまいそうで、それだとアイン様に迷惑を掛けてしまうから、ゆっくりと体を起こそうとした。けど、その前にアイン様がこう言った。


「君のお陰だよ、ヴァチェスタ。君が、私を助けてくれたから、私は君と一緒に居られるんだ」


「ああ……俺、()()()()()()()


 その言葉を俺が吐いた瞬間、何かが弾ける音が聞こえた。アイン様が、不思議そうな顔をする。


「どうした? まるで他人事みたいじゃないか」


「確かに、変かもな」


 俺は笑った。けど、涙は止まらなかった。止まらない。止まらないんだ。俺は今、たまらなく幸せで――なのにどうしてか……悔しくてしょうがなかった。訳が分からなかった。けど、確かにそうだったんだ。

 そんな違和感が俺の中で膨らんでいって、そうして、アイン様の言葉があった。その言葉が、俺の違和感を風船みたいに爆発させた。


「本当にありがとう、ヴァチェスタ。君には、感謝してもしたりないな」


「……それは本当、ですか?」


「……え?」


「俺は……えっと、俺が……あれ?」


 すみません、なんか俺……まだ寝惚けてるんですかね? と俺は言った。違和感はもう、確信に近づいていた。けど、俺は認められなかった。()()()()()信じられなかった。だから、俺はお願いをしたんだ。魔王様に、一生分の勇気を込めて、一生分の敬愛を込めて……そうして、俺の馬鹿みたいな確信を壊してくれる、そんな言葉をお願いした。


「アイン様……すみません。一つ、お願いがあるんです」


「言ってみるといい、ヴァチェスタ」


 魔王様の顔は見えなかった。けれど、俺はそれがきっと笑顔だろうと思った。温かい体温に目を細めながら、俺は言った。


「すみません。お願いです。――俺に、愛してるって……言ってみてください」


「……」


 魔王様はしばらく黙っていた。俺は恥ずかしくて、なんだか馬鹿みたいな気分になってきた。すぐに言葉を撤回しようとして、そして魔王様が言った。こう言ったんだ。


「ああ、ヴァチェスタ――私は君を、愛しているよ」


 そうか、と俺は思った。同時に目を瞑った。悔しかった。悲しかった。嗚呼、知っているよ。思い出した。魔王様のその言葉で、全部が醒めてしまった。

 そんな言葉、魔王様が言うわけが無いんだ。絶対にあり得ないんだ。それは誰よりも俺が一番知っていた。けれど――俺はとぼけた。とぼけて、アイン様の体温に目を細めて……それで、こう言った。


「……俺も、です。俺も……愛していました」


 アイン様は、最後に俺を強く抱き締めた。抱き締めて……そして、俺は――



 ――――――――――――



 瞳が開いた。けれど、前が見えなかった。顔がぬるかった。なんだか雨にうたれたようで、ついでに雷に打たれたように、我は動けなかった。全身の筋肉が固くなっていて、けれども瞼だけは動く。前が滲んで見えなかった。


 我はしばらく黙って空を見上げて……そうして、ゆっくり体を起こした。我は全身、びしょ濡れであった。眠っている間に涙があふれでて、顔中が濡れていた。喉元を越えて、襟さえも濡れていた。我は……我はゆっくり、濡れた頬に触れた。指先が温かいものに触れて、僅かに湿る。


「……」


 ……我は、必ず悪夢を見る。最悪の夢を見る。そうしてたまに、この夢を見る。幸せで、温かくて――そうして、一番嫌いな夢だ。最悪を通り越した夢である。


 我はまた、涙を流した。こぼれた大粒が指先に触れて、指を伝う。指を伝って、手を伝って、手首を、二の腕を……そうして肘から雫となってシーツに跡を残したとき――我は、静かに呟いた。


「……全て、夢であれば……良かったのに」


 そうして我は、脱け殻のように座り込んで、ずっと黙っていた。あの暖かさは……声は、もう聞こえなかった。史上最悪の悪夢は、夢のように消えてしまったのだ。

目覚めた世界こそが、きっと悪夢だ。

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