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金塊の夢  作者: 平谷 望
第二章 大好きな貴方に
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第七十八話 魔王と香草

 我が船に乗った初日は、着々と終わろうとしていた。時計を見ると、時間は午後十時。部屋に送られてきた食事も吐き気が消えたことにより食えるようになり、船内にも心なしか静けさがある。この時間帯でも、寝ている者は寝ているだろう。だが我は眠ろうにも眠れない。折角船が揺れているのだから、体幹を鍛えやすいのではないか、等と考えている。


 だが、どうにもやる気が起きない。先程から一時間近く体を動かしていても、動きに身が入らない。普段と異なる環境で体が緊張しているから、と言ってしまえばそれまでであるが、それだけでは無いような気もする。

 我は少しだけ汗を拭い、風呂に入ってみるかと考えて、思い出した。そうだ、甲板へ上がろう。午前はどうにも気分が悪くなったが、今ならばそれほどでもないはずだ。


 昼に比べて人も少ないであろうし、夜の海を身近で眺めればきっと緊張も解ける。そのあとに風呂へ入れば、体を清めることも出来るので一石二鳥である。


 我は座り込んでいたベッドに尻尾を立てて、ゆっくり体を起こした。軽く背伸びをして、身嗜みを整える。我は美しい外見を持っているので、尚更見た目には気を使うのである。白い布は汚れが目立つのと同じように、美しい者ほど細部に人間性が見える。揉み上げ、足元、襟。そういった細部が雑であると、我のような人種は本当に目立つのだ。


 我は己の姿を鏡で確認し、きっちりと美しいことを確認してから、鍵を持って部屋を後にした。朝方に通った順路を通り、甲板に出る。そこには、我が思った以上に良い光景があった。


 見上げた空には水平線まで星空が続いており、その中にポツンと満月がある。甲板には蝋燭の灯りに似せた暖色の魔力灯が幾つか並べてあり、疎らな人間たちが黒くさざめく海を眺めていた。黒い海は微かに波立ち、相変わらずにさぁさぁと水の流れる音がする。

 満月ということもあってか、海は予想よりも暗くは無かった。僅かに星の灯りが海面に反射して、見回した海上には月へと続く道のような光があった。


 我が鼻から小さく息を吸うと、やはり変わらぬ海の臭いがある。独特だが、今は不快ではない。嗅いでいる内に鼻が慣れるだろう。海上は当然湿った空気をしており、臭いも相まって少しだけ、温いというかねばついた空気だった。だが、僅かに吹いている潮風が頬を掠め、意外にも開放感のようなものがある。


 我はしばらく甲板で立ち止まり、ゆっくりと歩きだした。板張りの硬い床を踏みながら歩き、なんとなく船の先頭の方まで来た。振り返れば、船の全容が一望できる。我が甲板に出た場所は、甲板から少し出っ張った形になっており、左右にある階段からその上に登れるようだ。その出っ張った場所には何やら舵らしき物があり、人間がそこに立っていた。


 我は手すりに凭れながらしばらく船を眺めていたが、それから目を離して海を見た。海は広い。広々としている。小刻みに黒が波打って、鱗のようだ。僅かに見える白い泡がさざ波に揉まれ、また別の場所に現れる。月へと続く白い道を眺めながら、我はひたすらぼうっとしていた。


 ここ最近は常になにかを考えていた気がするので、こういうのも悪くないと思う。ちらりと見上げた空に雲はなく、海も凪いでいる。近々嵐に遭遇するようなことは無さそうだ。とはいえ我は海をよく知らない。海上に黒い雲があれば魔法で叩き切っていた。海の天候は船乗りにしか分からぬだろう。

 快晴の夜空に、黒い何かが飛んでいた。よく見れば黒い鳥のようである。四羽ほどまとめて飛んでいるその鳥はさして大きくない。


 見たことのない鳥だな、とそれを見つめていると――こつり、と足音がした。目だけ動かして左を見ると……ああ、例の女――バジル・オーガスタである。


「いやぁ、部屋に居らんかったからここやろって思ったんやけど……アタリみたいやな」


「……何の用だ」


「そう突き放さんといてや。ただ、あんたと話がしてみたいだけなんや」


「……」


 バジルは先程とはまた少し違った服装をしていた。少し薄着というか、夜風に当たるのにふさわしい格好である。我は何かを言い返そうとしたが、返す言葉が思い付かない。我は無言を吐いて、海に目を向けた。とことこと足音がして、我の左隣……ギリギリ我が不快にならない境界線に、バジルが並んだ。


「……あんた、海好きなん?」


「……どうでもいい。わざわざ好きか嫌いかと考える物では無いだろう」


「これまた随分投げやりやなぁ……」


 ちらりと見たバジルはつん、と唇を尖らせていた。顔からして機嫌を悪くした訳ではないようだ。我の流し目と目が合ったバジルは一瞬固まって、続けて海を見た。その横顔は、なんだか機嫌が良さそうである。山や海の天気並みに感情の安定がないな、と我は思った。


 少しだけ間があって、バジルが聞いてきた。


「……じゃあ、あんたさ」


「……」


「お金……好き?」


「……どうだろうな」


「ありゃ、どうでもいいとは言わんのな」


 我は言い淀んだ。我の答えを予想していたらしいバジルは、少しだけ驚いた顔をする。確かに、我にとって金などどうでもいいのだ。散々にこの世のすべてを手にいれた我からすれば、下らない。だが、それをどうにも口に出来なかった。何かがつっかえている。だが、その何かが分からない。しばらく考えて、我は諦めた。


「……分からぬ」


「……お?」


「金に対しての好悪が付かぬのだ。質問が余りにも抽象的すぎる。概念の領域だ」


「えぇ、そんなんかなぁ……普通お金に関しては好きか嫌いかって、みんな持っとるはずやけど」


「我をみんなとやらに数えるな。現に判断がつかない男がここに居るだろう」


 我が開き直ってそう言うと、バジルは黙り込んだ。なんだ、と思った我は、ずっと海を見ていた目で、初めて正面からバジルを見る。バジルは困ったような苦笑いで、我を見ていた。我はその表情の理由が分からず、困惑を乗せた無言を放つ。

 しばらく我を見ていたバジルは、「ああ、ホント」と言った。


「見れば見るほど、ええ男やなぁ。こんな見た目のいい男、世界中探しても居らんかったで」


「……ふん」


 我はバジルの言葉に少しだけ戸惑った。我は美しい。十人が見て十人が美しいと言う美貌を持っている。だが最近に至っては、そこらの人間どもに対してだけ、それが働いていた。つまるところ、久し振りに容姿を褒められたのだ。

 いつもならばその調子で崇めろだのなんだのと言っていたが、リサの言葉が反芻する。……見た目で惚れてきた奴を本気にさせるな、とは中々難しい話である。


 我の反応にバジルは少しだけ考えるような目になって、続けて海を見た。我もつられて海を見る。相変わらずに落ち着く景色であった。


「……なあ、あんた」


「……何だ」


「うちのこと、誰かに聞いたやろ」


「……我からすれば、お前は不審者である。聞くことは当たり前だ」


「いやいや、機嫌悪くしとるんやないで? ただまあ……自分のこと考えると、何だか今の自分がアホらしくなってくるっていうかな」


 なんて言ったらええんやろ、とバジルは笑った。本当に言葉に困っているような顔だった。


「借金まみれで孤児院ぶちこまれて二十年……いつの間にか借金なんか小銭くらいになってもうた。欲しくなったら何でも買えるし、何処にでも行ける。そのくせ……はは、行き遅れとか言われとんの」


「……お前ならば、男など掃いて捨てるほど寄ってくるだろうに」


 我はそのままの疑問を吐いた。エリーズ曰く男に興味がないとバジルは言っていたらしいが、この様子を見るにそういうわけでは無いのだろう。となれば、素直に疑問である。我の言葉にバジルは目を丸くして、続けて生意気な笑みを浮かべた。


「いやん、口説いとるん?」


「……で?」


「あいあい、分かっとるで。……うちは凄い商人やからな。人は大体、見た目と最初の会話で中身が分かるんよ。そいつがどれだけの価値あんのか、どんな凄いことしてくれんのか、とかやな」


「……」


「それでまあ、うちに寄ってくる男を見てみると、どいつもこいつも“安い“やつばっかや。顔だけの奴、口先だけの奴、欲ばっかの奴……うちの好みに近い奴なんか殆ど居らんかった」


 好みだと……? 顔だけの奴という言葉が出たが、正直な所、我は顔だけである。今は鳴りを潜めてはいるが、魔王として振る舞っていた我は、間違いなく顔と口先だけの男であった。今でさえ状況に流されているようなものだ。そんな我を、どうしてこの女は好いたのだ?

 我は素直にこう聞いた。


「お前の好みとはなんだ」


「おぉ、それ聞いてまうか。いやぁ、大胆やなぁ」


「で?」


「…………まあ、うちが好きなのはな――買えない男や」


 バジルは我を見た。我は何が何だかさっぱりであるが、取りあえずその買えない男が我だということは理解できた。大人しく黙っていると、バジルは続けた。


「あんたを最初に見たとき、確かにいい見た目やと思った。これは嘘やないで。……でもな、それよりも別のもんがあったんや。見た瞬間分かったで。今のうちじゃ、あんたを買えない」


「……物扱いは好かんのだが」


「すまんすまん、言い方が悪いわな。別に物として見てるわけや無いで? 職業上の口癖っちゅうやつや」


 苦笑いに謝罪を混ぜたバジルは、少し息継ぎをして、話を続けた。


「あんた……ホントは王族なんかや無いんやろ? 見た目も雰囲気も完璧やけど、あんたはきっと……もっと別の何かや」


「……」


「うちには分かる。あんた……放っといたらとんでもないことしでかすやろ。国一個くらいじゃ、あんた抑えんのは足りなすぎるわ」


 憮然と、確信を含めてバジルは言った。茶褐色の瞳の奥に、何か芯のような物が見える。我はバジルの言葉に何一つ反応を返すこと無く、静かに海を見続けた。


「あんたみたいなの……初めてや。うちがうちの全部を使っても、あんたを買えるのか分からん。そんだけの価値があんたにはあると、うちは思っとるんや」


「……買いかぶりが過ぎる」


 我は慣れない謙遜を口にした。まずい流れだと思ったのだ。このままだと、この女の流れに飲まれる。ここらで断ち切らねばならない。我は暇を持て余したリサかエリーズが、ふらっと甲板に現れないかと期待した。そうでもなければ、この女の舌を止められないと思ったのだ。

 だが、その期待は華麗に破れた。我の謙遜をバジルは鼻で笑い、続けて口を開いた。


「商人にそれ言ってもしょうがないで。素人が貼った値札なんか、これっぽっちも信用ならんわ」


「……」


「……商人としても、女としても、うちはあんたを見逃せんわ。あんたみたいなのはきっと、これ逃したら二度と現れん。だからな――」


 我は何か言葉を挟もうとした。この先の言葉を言わせてはいけない気がした。何でもいい、下らない雑談でもいい。それをどうにかバジルの口先にぶつけようとしたが……何も思い付かない。予想以上に、我は焦っていたのだ。

 バジルは我を見た。亜麻色の髪が潮風に揺れる。僅かに濡れた唇が、確かに言葉を紡いだ。


「うちは――あんたが欲しい。あんたはここで断るんやろうけど、それでもや。それでもうちは、あんたを狙うで。足りないもんかき集めて、なんとか落としたるわ」


「……正気の沙汰ではないな」


 我はなんとか言葉を絞り出した。この女は狂っている。自分が見た『価値』とやらを、本気で信じているのだ。この我をして、自分の好みの買えない男だと言い放っているのだ。

 ……どうしてだ。どうして我の周りの人間は、我を買い被る。今の我は、力を失った魔族以下の男なのだぞ? 価値など、簡単に薄いと分かっているだろうが。


 だが、バジルの目は揺るがなかった。本気だと簡単に悟ることができた。我は色々と考えて、この場をやり過ごす為の言葉を絞り出した。


「……言っておくが、我はお前の思っているような男ではないし、お前に興味は一切無い。皆無だ」


「それでも別にええで。うちもあんたのことをちゃんと知ってる訳やないからな。お互いこれから知り合っていこうってことや」


「……我はそんな馴れ合いをするつもりはないからな」


 言葉と共に、我は手すりから離れる。情けないが、これは逃げである。これ以上この女と会話をする利益が我には一切無い。当初目標としていた顔見知りにはなれたのだから、それで十分である。……問題は、顔見知り程度では済まされないだろう、という点だ。


 我は他人から好意を受けた事が全くといって良いほど無い。殆ど絶無といってもいいかもしれない。唯一、我が開拓班に所属していた時に、新人の女魔族にそんな毛色を見たときはあったが……奴は早々に死んだからな。我もその頃はアイン様以外のことはほぼ考えていなかったので、特に印象らしい印象はない。


 つまるところ、我にとってこの女は初見の敵なのである。どうやって対応すればいいかが分からない。結局当初注意していた『本気にさせない』ということさえ出来なかった。


「むぅ……つれんなぁ」


 我は背後で不満そうな声を漏らすバジルに対し顔をしかめた。ようやく船酔いが治ったというのに、また悩みの種が増えてしまった。どう二人に相談するべきか……あぁ、それを考えるだけで面倒である。我はベタつき始めた髪を押さえながら、潮騒の止まない甲板を後にした。

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