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金塊の夢  作者: 平谷 望
第一章 金色の魔王と砂漠の亡霊
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第七十四話 狡い魔王

 夜の中、一人きりの居間で我は長椅子に座っていた。老人の店から出る前に、老人が提示した値段が低すぎると交渉をする一幕があったが、それを過ぎれば特筆することもなく、我らは家に戻っていた。夜とはいえ、時間で言えば九時過ぎである。寝るには早く、かといって食事はもう摂っていた。その上、本を読んだりして時間を潰すには遅い時間帯で、リサとエリーズは上の階に居る。


 物音からして寝ては居ないだろうが、話し声が聞こえてくる様子はなかった。家の中には微妙な静寂があり、誰もそれを崩すことはしなかった。我はこのなんとも言えぬ時間を、ぼーっと壁を見つめることで過ごしており、その最中にこれからについての思考を重ねていた。主に北へ着いてからの行動である。


 リサの事は気になるが、それについてばかり考えてはいられない。北へ向かうことが確定している以上、北へ向かってからのことを考えない訳にはいかないのだ。我は長椅子に背中を預け、瞳を閉じた。続いて我の根源に手を伸ばす。八つの権能の内、二つが我の内にあることを確認し、続いて空いた器の居場所を探った。


 ……ここから北西に一つ、北東に一つ。続いて東に一つあったのだが……移動しているな。北東に寄っている。西には欠片が無く、そしてここから北へ直線に上がると三つの欠片があった。しかし、南から直線で上に上がるということは、地図で見れば海の真ん中……我の世界地図によれば魔大陸の真ん中であった。


 距離で言えば、当然真ん中が一番近い。加えて二つの欠片があるのだから、出来れば目指したい所である。だが、この世界の航海技術では魔大陸に上陸はおろか、近づくのも危険だという。

 我は最初、海の底に欠片が沈められているのかと思案していたのだが、魔大陸へ行く難易度も今のところは海底と何ら変わらないようだ。


 せめて俊敏さと筋力……いや、魔力があれば無理矢理に突っ込めたのだが、今の我では海の藻屑となってしまう。出来るだけ早くあの人の元へ戻りたいという感情と、今の様子で戻ってもどうにもならないという理性がせめぎあった。


 今の我は……固さ以外に取り柄が殆ど無い。尻尾を手にいれ、不死身さに磨きが掛かったのはいいが、これだけでは戦う事が難しい。三日三晩無理矢理相手に組み付いて殴る位しか出来ないのだ。


「また、北へ向かっても仲間を探す羽目になりそうであるな」


 出来ればエリーズを通じて王家に手を貸して貰うのが最短の道筋だろうが、生憎出来そうにもない。


 取り敢えず、船で北へ渡った後、アルベスタの冒険者組合を探すとしよう。……いや、その前に王家に拘束されるか? 誘拐犯だと思われぬようにエリーズが根回しをしてくれるだろうが、それまでは身柄を拘束されそうである。

 我は顔が良いので手荒い扱いは受けぬだろうが、簡単に逃げられるとも思えない。


 向こうの港で恐らく身の上がバレるであろうから、そこから王家に向かい合ってどうにか交渉を……交渉といっても、相手の人柄が分からぬのでどうしようもないか。バストロスと縁があるということは、まともな男なのだろうが……ああ、そういえば、魔王様と文通をしているという話もあったな。それを考えれば我の中での印象はかなり良くなる。


 まあ、取り敢えず王家云々に関しては実際に事が起こってみなければ分からぬ。どうなるかの分岐が多すぎる以上、どうあがいても推察や予想の域を越えないのだ。


 我はため息を吐いて、北西にある欠片に意識を集中した。位置で言えば、随分北にある。我は深く欠片を意識した。亡霊にやったように、欠片を通して宿主の五感に接続するのである。


「……これは――雪か?」


 ぼんやりと朧気に、何かが見える。真っ白な世界である。絶えず雪が降りしきり、吹雪となっている場所の真ん中で、欠片の持ち主は悠然と寝そべっていた。周囲は……どこかの森の中である。尖った葉を持つ森の奥で、欠片の主は息を吐いた。

 吐いたが、息が白く凍らない。続けて我の左目が静かに痛みを発してきた。ゆっくりと千切るような、そんな痛みである。我はその痛みに小さく呻き、欠片の主も痛みに唸った。


『ああ』


 我の耳に声が入り込んだ。(しわが)れた老人の声である。苛立ちを強く含んだその声は、吐き捨てるようにこう続けた。


『あのわらべ……どうやって殺してやろうか』


 我は静かに瞳を開けた。もう少し見ていても良かったが、鈍い痛みをずっと感じるのは不快だったのだ。加えて、欠片の主が動く様子はなく、位置を特定することはできそうになかったので、あれ以上見る意味は無いだろう。

 雪が降りしきる森の奥に居る、という情報だけで今は十分である。


 そこまで考えて、我は手持ち無沙汰になった。向こうへ行ってからの予定は予想しか出来ぬし、欠片の所在も目を瞑ればすぐに分かる。……ついでに他の欠片を見ておくか、と考えた時――我は素早く長椅子から飛び退いて、後ろへ振り返った。


「…………」


 ……気のせいか? 今の一瞬、何かにじっと見られた気がした。神か、欠片の持ち主のいずれかか、まあそんなところであろう。うなじの毛が逆立って、全身に視線を感じたのだが……どうしてか、不快ではなかった。そんな筈はないのだが、勢いよく振り返った我の首は警戒ではなく、何か別の衝動に駆られていた。


「……分からぬな」


 視線についてか、はたまたこの衝動についてか。我はぼそりと呟いて、長椅子に座り直した。視線はもう消えていた。我はため息を一つ吐いて、ぼーっと壁を見つめた。

 やらなければいけないことと、追いたてられるものが多すぎる。そんな事を脳裏に思っていた。もっと急がねばならぬ。もっと急いで力を集め、あの人の元へ向かわねばならぬ。でなければ、最悪の結末が待っている。


 我は珍しく唇を噛んだ。ほんの少しだけ、精神に負荷を感じたのである。同時に、上から物音がした。物音というより、微かな話し声である。それが誰のものなのか、何と言ったかまでは流石に分からない。

 その言葉は二、三言続いて、止まった。言葉に対する返事はない。……独り言か?


 まあ、なんにせよ我がやることは変わらない。いつも通り鍛練である。眠気は毛ほども無いので、全力で体を鍛えるのみだ。今回はそれに加え、尻尾の動きを思い出す必要がある。我の尾てい骨から伸びる金色の尻尾は置物のように微動だにせず、しなやかさを感じない。結局今日一日の間、背中で丸くなっていただけであるからな。筋肉が固まってもしょうがない所である。


 我は我の尻尾を体の前に出して、先から解し始めた。一応我の尻尾には触覚があるので、一番尻尾にとって心地良くなるように両手で尻尾を握る。今のところ、尻尾の触覚は鈍い。かじかんでいるようである。


 丹精に気持ちを込め、尻尾を解した。そのかいあって左右に振ることはできる。だが、以前のように扱うことは出来ていない。尻尾を使ってものを掴むなどは言語道断である。


「……手足よりもこちらの方が甚大なひ弱さであるな」


 我は顎に手を当てて、一つ思い付いた。椅子から体を起こし、テーブルまで向かう。そして我の使っているコップと相対すると、ゆっくりと尻尾を近づけた。


「……む」


 曲がれ、曲がれと意識するが曲がらない。結果としてコップを横倒しにしてしまった。手で起こし再挑戦するが、何度と無く同じ結果に陥る。我としてはどうせ尻尾にも筋力が無いので、その分器用さで利益を取ろうと思っていた。その尻尾がこの不器用さでは、どうしようもない。これでは相手に掴まれる部位が一つ増えただけである。


 我は蜥蜴であった時に尻尾を食いちぎられたからか、尻尾の扱いが良い方では無かったが、これでは流石にいたたまれない。まるで魔族になって初めて尻尾に触れた時のようである。

 我はテーブルの前に立ち、何度と無く尻尾を動かした。だが、その度にコップを弾いてしまう。


「……一度持ってみるか」


 まずコップを手に持ち、もう片手で尻尾をコップに巻き付ける。そのまま尻尾に力を込めて締め上げ……られない。尻尾から転げ落ちるコップを、我はなんとか手で掴んだ。危ない。下手をすれば割れる所であった。

 この練習は危険が大きいな。我はコップを片手に長椅子(ソファー)の前に立ち、長椅子の上でコップを持ち上げようとした。これならば落ちても割れることはない。


「……力ではなく、純粋に器用さが足りていないのか」


 試行開始から幾らか時間が経ち、我はそんな結論を出した。まず、尻尾は我が思っている以上に力があるということ。次に、それを補ってあまりある不器用さであることが分かった。尻尾は単純に考えて、我の片腕と同等かそれ以上の力がある。これはかなりの朗報だが、それを扱うことが出来ないというのは欠点である。しばらくは尻尾を動かすことに注力するとしよう。


 ちらりと時計を見ると、時刻は深夜であった。まだまだ時間はある。色々試していくとしよう。我はそう心に決めて、金色の尻尾と向き合った。



 ―――――――――――――



 数時間後、玄関口から朝の気配を感じながら、我は両手を地面に突き立て、両足を空に浮かせていた。腕立ての姿勢であるが、足の代わりに尻尾が我を支えている。最低限の筋力自体はあるので、こういった事ができるのだ。我はその姿勢のまま、尻尾と腕を同時に折り曲げた。が、途中で尻尾が滑り、両足が地面に着く。多少は動くようになったが、まだ何かと並行しながら動かすことは出来ない。腕に意識を集中させると、尻尾が滑るのだ。


 とはいえ、思った以上に尻尾の扱いについては困らなかった。初日でこれだけ動くのならば、一週間程度で元の境地に戻るであろう。やはり筋力と違って、十何年と共にしてきた尻尾の感覚はそうそう忘れないのだ。

 我は存外上機嫌で体を起こし、喉が渇いたのでコップを手で掴んだ。そこで、尻尾を使うべきだったか、と考えた時――我は横からの視線を感じた。


 我は素早く一歩後ろに飛び退いて、視線の方向を見た。


「……どうしたの?」


「……なんだ。お前か」


 平素ならばどうして我をじっと見ていたかについて問い正していただろうが、数刻前のあの視線を思い出して、我は小さくため息を吐いた。我の視線の先で、階段に座ったリサが顎に手を当てながらこちらを見ていた。

 化粧は流石に落ちていたが、髪に寝癖は殆ど無い。あまり眠れなかったようである。


 我のため息にリサは少しだけ不機嫌そうな様子を見せた。


「……エリーズだったら良かったの?」


「そういう訳ではない。例えエリーズが相手でも、我は同じことを言う。……いつから見ていた」


 我がそう聞くと、リサは軽く欠伸(あくび)をした。リサの格好は肩を出した白いシャツと短いズボンの寝巻きで、すらりと裸足が伸びている。あまりにも緩いというか、油断した格好である。これまで一つ屋根の下を暮らしてきて、リサのそんな格好を見たことが無かったので、我は若干驚いていた。


 リサは欠伸で開いた口を閉じると、「分かんない」と言った。


「一時間くらい前からだと思うけど……時計見てなかったから」


「毎度の事であるが、どうして我に声を掛けぬのだ」


「『見てるよ』ってわざわざ言うの、馬鹿らしくない? 言っても言わなくても特に何も変わらないんだし……あんたも別に恥ずかしいとか無いでしょ?」


「それはそうだが……」


 確かに、特段恥ずかしいとは思わぬ。そういった時期はもう通り越してしまった。この女には我の情けない一面をこれでもかと見られてしまったのだ。芋虫のような腕立ても、悪夢にうなされる姿も、ずたぼろで路地に寝そべる姿さえ見られたのだから、今さらどうということはない。

 そんなことを思っていると、リサが口を開いた。


「……やっぱり、今みたいにしてるあんたの方が、よっぽどまともに見えるわ。我の美しさを讃えよー、とか言ってた時よりずっとマシ」


「……仕方がないだろう。我は魔王でなくてはならなかった。そうやって己を尊大だと口にしていなければ、立場に潰されそうだったのだ」


「……セラさんとかが見たら、絶対ビックリするよ。絶対」


「あやつは我が今会いたくない人間の順位で堂々の一位なのだ。今さら魔王ぶった事を出来る自信が無いというのに、奴の前で素を見せるのは絶対に避けたい」


「……あたしの前では良いんだ」


「……そうだな」  


 我がさらりと肯定すると、リサは少しだけ驚いた顔をした。我からすれば何を今更と言いたくなるが、リサにとっては意外だったらしい。その言葉から幾ばくかの沈黙が起こって、リサが小さく呟いた。少しだけ、震えた声だった。


「……あのさ」


「……」


「あたしってさ……本当に、要るのかな?」


「どういうことだ?」


「……あんたは魔王で、エリーズは王女で……あたしは、ただの女なの。そんなあたしがさ……その、えーっと……ついていって良いのかなって。散々考えて、ベッドの中でも考えて――着いていきたいって、あたしはそう思ったけど、でも……決めたら決めたで、でしゃばってるとか、そんなんじゃないのかって……そう思ってるの」


 我は思わず目を丸くした。その様子はリサにも伝わっているのだろう。リサはばつが悪そうに顔を傾けて、右手で左腕を掴んだ。本当に要るか、だと? ついていって良いかだと? そんなもの、決まっているだろう。愚問だ。答えるのすら阿保らしい。


「必要に決まっているだろう。でしゃばりだと? なかなか謙遜をしてくれるな。お前は確かにただの女である。特別なところはさして無い。日和り、迷い、間違える女だ。だが、それでいいのだ」


「……」


「そんなお前だから、エリーズは隣に居たいと思っているのだ。我はここを家だと思えたのだ。お前は我らを魔王だの王女だのと言うが、それを引っ張ってきたお前に、今さら謙遜をされても困る」


 我の言葉にリサは目を見開いていた。石像のように動きを止めて、我の言葉を聞いていた。我は一旦言葉を切って、リサを見た。そして、いつも通りニヤリと笑う。魔王らしい傲慢かつ優美な笑みである。


「それに……こんな日が毎日続けば良いのに、というエリーズの言葉に、お前はそうだ、と答えただろう。……続けたいのならば、続けるべきだ。どうすれば良いのか、お前はその手段を知っているだろう?」


「その言い方さ……結構ズルくない?」


「そうか?」


 リサは頷いた。どうしてかその顔は苦笑いで、何度か首を横に振っていた。うん、とリサは言った。


「知ってる。知ってるよ。あたしが二人に着いていって、パーティーをずるずる続けてって、いつもみたいに強気にガミガミ言って……それで、前を向いてれば良いんでしょ?」


「大正解である」


 我が笑みを深めて言うと、リサは諦めたように笑った。覚悟は決めていたのだろう。何度も考えた、とリサは言った。その思考の果てに、着いていきたいと思ったとも言った。ただ一歩、前に出るための一歩が足りなかったのであろう。この家も、知人も、友人も、両親との思い出達とも別れを告げて、そして踏み出す覚悟が必要だった。


 だからリサは、自分を必要としているかと聞いた。前に進むための理由を求めたのである。そんな回りくどいことをするあたり、リサは小市民的であるが、我はその言葉に応えた。必要だと答えたのだ。

 そういう意味では、我の言葉は確かに卑怯だったのかもしれない。袋小路に追い詰められた相手に一歩を踏み出すような、そんな行為にも近いのかもしれぬ。


 リサは諦めたような微笑のまま、頬杖をついて、ため息と共に言った。


「……あーあ、言っちゃった」


「後悔しているのか?」


「……後悔してるかって言ったら……してるのかも。色んな物が変わっちゃう言葉を言っちゃったから」


「……後悔するかどうかは、後から決めておけばいいだろう。後に悔いると書いて後悔である。少なくとも、旅路を歩んだ一歩目でするものではない」


 我の言葉に、リサは「そうかな」と言った。続けて「そんな気がしてきたかも」と言った。


「……もう決めちゃったものはしょうがないってことで……後悔しないように頑張らないと」


「うむ」


「……『うむ』って……あんたも一応手伝ってよ」


「今のはそういう意味合いの言葉であるが……」


 それ言い出したら何でもアリにならない? とリサは言った。確かに返事にしては曖昧であったのかもしれないが、これはもう我の口癖である。我がそう口にしようとしたが、その前にリサが咳払いをした。寝起きで喉が渇いているのだろう。

 それを見て、我は鼻で小さな笑みを明かして、こう言った。


「ふむ……水を飲むか?」


「え? ……ふふ、『戴こう』」


 いつしかの問答を反対向きに放って、我はゆっくりと台所へ向かった。リサが後ろで「うーん」と声を出し、背中を伸ばすのが聞こえる。


「……エリーズにも言っておかないと」


 そんなリサの独り言を背中に受けて、我は静かに水を注いだ。

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