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金塊の夢  作者: 平谷 望
第一章 金色の魔王と砂漠の亡霊
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第七十三話 お節介と小夜曲 

 

「……」


「……」


「……美味しい」


「ありがとうございます」


 パスタを一口頬張ったエリーズが、ぼそりと呟いた。ちらりと見ると、リサは俯いて黙々と食事をしている。我はどう口を開いたら良いものか分からず、同じく静かに食事をしていた。料理は旨く、後味も良い。この景色も、楽しんできた今日の締めという状況も完璧だというのに、どうしてか場は盛り上がりに欠けていた。


 理由はわかっている。わかっているが……やはり、それほどまでに変な言葉だったか。まさか、(けな)す言葉にはなっていないだろうな。……とにかく、これからは控えるべきなのかもしれぬ。

 突飛な行動をすればボロが出るというのは分かっていたが、まさかこの状況で失敗をするとは思わなかった。


 静かな食事は直ぐ様に終わり、我の皿は空になった。水も飲み干して満足になったが……やはり雰囲気がいたたまれぬ。我は咳払いをして、口を開いた。


「あー……その、すまぬ」


「……え?」


「いや、無神経だったかと思ったのだ」


「……別に」


 リサは俯いたまま言った。別に、ということは気分を害してはいないのだろう。ならばどうしてこんな空気になっているのかは謎だが、そこは触れないべきだろうか。

 静かに食事が終わりに向かっていく中で、コホン、と老人が咳をした。何か注目を集めるような咳である。我を含め三人は、空いた席の後ろに立ち尽くしていた老人に視線を向けた。


「……実は、この食事には一つ……追加のメニューがございます」


「……何だ?」


「デザート?」


「いいえ――」


 老人は静かに笑った。決して小さくはない笑顔だった。ゆっくりと、後ろ手に回されていた老人の手が前に出る。そして、それが掴んでいた物も同時に、蝋燭の灯りに照らされた。


「……む?」


「……楽器?」


「ヴァイオリンだ……」


「正解です」


 小さな老人の手にあったのは、同じく小さな楽器だった。深い色合いの木材で、琴のような形をした部分と、なにやら紐の付いた棒がある。弦楽器の一種なのだろうか。リサは不思議そうにそれを見ており、エリーズは驚きに目を見開いていた。

 そんな中で、老人は言う。


「……元々この席は、オルウェス――喫茶店ミードラーゼの店主に、私の音楽を聞かせる為に作りました。オルウェスとはエーテルホワイトからの幼馴染みで、一番の親友でもあります。……だから奴は、私の夢についても知っていたのです」


 老人の口調は丁寧であった。その変化は、食堂の店主から楽器の奏者に相応しい言葉へと変えているように思えた。老人は短い手で静かに楽器を撫でた。


「……私は、ヴァイオリン奏者になるのが夢でした。実家の店を継ぐよりも、そっちの方が私にとって大切な夢で、私は手製の楽器を使って毎日練習をしていました。言葉も、振る舞いも……オルウェスにダメ出しをされながら、どうにか学んできました」


「……でも、無理であったのだな」


 我の言葉に、老人ははにかんだ。もしもそのヴァイオリン奏者になれていたのであれば、ここには居ないだろう。みたところ怪我をしたようには見えぬので、純粋に実力が足りなかったのではないか、と我は思った。

 老人は我の言葉に遠い目をしながら、ええ、無理でした、と言った。


「小遣いを貯金して、親に嘘までついて、十八の時、東の国にあるヴァイオリンの楽団の採用試験まで向かいました。……でも、私は奏者になることはできませんでした」


「……どうしてですか?」


「……見た目、です。私は……私は小柄でした。子供の頃から殆ど身長が変わりませんでした。……だから、見た目だけで、もう無理だと……そんな短い腕でヴァイオリンを弾けるかと笑われました」


 ひどい、とエリーズが呟いた。……確かにどれだけ言葉を繕っても、身長は誤魔化せない。老人は楽器の奏者というより、鍛冶屋や炭鉱夫に見合っているように思われるだろう。


「夢に破れた私は親の店を継いで……二度もすべてを失って、そうしてまた、店をやっています。楽器の事なんて忘れようと何度も思いました。けど、どうしても……無性に夢が蘇ってきて――こうして、お客さんの前でだけ、奏者になってみたりしているのです」


「……だからオルウェスとやらは『お節介野郎』なのか」


「……はい」


 事情を知った上で店主の男――オルウェスの言葉を思い返すと、どうにもお節介という言葉が湧いてくる。老人はどこか思い返すような顔をして、続けてゆっくり楽器を構えた。


「……どうか一曲……私の曲を聞いてくださいますか?」


「……はい」


「うむ」


「わかりました……」


 我らの言葉に老人は清々しいような顔になって、ゆっくりと楽器を首と肩の間に挟み、音もなく弦をつがえた。途端に、周囲の雑音が消えていく。錯覚だろうが、どうにも老人から醸し出される気迫に、音が呼応しているように感じた。老人はほんの少しだけ息を吸って瞼を下ろし、つがえた弦を静かに引いた。


 静かな夜に、小さな高音が響く。その音は微かに震えていて、しかしかすむことは無く、確かな芯を感じる音だった。その音を始めにして、淀み無く音が連なる。微かな喧騒を忘れさせるように、丁寧な音が重なって、一つの曲に変わっていった。


 一音一音を確かめるように弦を引いて、噛み締めるように弦を押して、老人は曲を紡いだ。さざ波のように押しては引いて奏でられる曲はどこか懐かしく、穏やかなものであった。目を瞑れば……曲に乗って、夜の海辺が映り込む。揺れる月明かりと、静かな潮騒。

 我は一瞬だけ、老人を見た。この曲を弾いているのが、本当に老人なのかを疑ってしまったのである。それだけの音色だった。それだけの美しさだった。


 我が見た老人は瞳を閉じ、僅かに微笑んで音を生んでいた。その様は穏やかという他に形容できず、佇まいには奏者たる気品を感じた。それを見て、我は一瞬でも老人を疑ったことを後悔した。この音がどれだけの年月と研鑽を積んで産み出されているか、老人の表情を見れば明らかだったのだ。


 奏でられる音が連なって、静謐(せいひつ)に満ちた曲が流れていく。老人は朗らかな笑顔で曲を引き続け、長い間、屋上には楽器の音色が絶えることが無かった。

 ……しかし、曲というものは必ず終わる。永遠に紡がれることはない。けれども、老人の音色は音が奏でられれば奏でられるほど、一音が響く度に深みを増していた。その音色が最も深く、鮮やかで、鮮烈な音となった時――夢から覚めるように曲が終わった。


 終わったというのに、大気に残った空気の震えが、遠くに離れていく音の余韻が耳から離れない。我らは曲の終わりにただ惚けた顔をしており、老人が深々と腰を折った時に、ようやく音楽の終わりを悟った。我の両手は自然と動き、無意識に拍手をした。我だけではない。リサとエリーズも、呆然と拍手を送っていた。


 老人は背中に小さな喝采を受けて、静かに震えた。そして老人は最後に震えた声で「ありがとうございました」と言って、楽器を後ろ手に持つ。再び顔を上げた老人は朗らかな雰囲気を持っており、我らはその顔を見てようやく意識を明瞭なものにした。


「……もし」


 我は静寂を切って口を開いた。耳朶に残った余韻を我の声で消してしまうことに若干の抵抗はあったが、それでもこの言葉を言わない訳にはいかなかった。


「老人……お前が一音でもその弦を弾いたとしたならば……ああ、きっと、お前を蔑ろにした人間は皆、頭を下げて詫びるだろう。それだけの腕前である。……見事であった」


 老人はまた頭を下げた。勿体無い言葉です、と老人は言ったが、我は決して勿体無いとは思わなかった。


 リサもエリーズも我に続いて老人の腕前を褒めちぎったが、どうにも両者の語彙は死んでおり、なんともあやふやな言葉であった。そんな言葉で褒められた老人は、どこか気恥ずかしくなったのだろう。皿をお下げします、と言って、ぱたぱたと屋上から降りていってしまった。


 残された我らは呆然と空のテーブルを前にして、蝋燭の灯りを前に沈黙していた。だが、エリーズがおずおずと口を開く。


「……凄かったね」


「……なんていうか……もう、財布の中のお金全部あげたい位なんだけど」


「同感である」


 老人の技量は凄まじかった。幼い頃からずっと弾いてきたというので、下手ではないのだろうと考えていたが、予想が甘かった。我の言葉通り、もし無理矢理にでも楽器を弾いていれば、今頃こうして食堂を経営はしてはいなかっただろう。

 我らは二、三言会話をして、夜の景色を眺めていた。リサは星を、エリーズは夜の市場を……我はそんな二人の様子を眺めていて、またやってしまったと気まずくなった。取り敢えずエリーズの見ている夜の市場へ我も視線を送る。


 市場はしんみりとした空気を忘れさせるように賑やかで、夜はまだまだこれからだ、と行き交う人々の騒がしさが声を上げていた。そんな景色を見ていたエリーズが、静かに口を開く。


「……なんだか、凄い一日だったね」


「うん。喫茶店に行って、色んなお菓子とか料理食べて……」


 確かに、思い返せば濃い一日であった。とんだ思い付きと気まぐれから始まって、随分な物を見てきた。思い出を作りたい、というエリーズの言葉を、我はここにきて思い出した。

 思い出、というものを我はあまり持っていないが……今日という一日は、きっと忘れるのに苦労するような、そんな一日だったと思う。

 エリーズは未だ夢見心地に言った。


「……今日みたいな日が、毎日続いてくれたら――」


 そこでエリーズははっとした顔をした。我も思わずリサを見た。リサはエリーズの言葉に目を丸くして、そのあと困ったように笑った。


「うん。……あたしも、そう思う。今日みたいな日が、毎日続いてくれたら……きっと、最高だと思う」


「……そっか。うん、そうだよね」


 我は口を開かなかった。何を語れば良いのかが分からず、先程の失敗が胸裏にあったので、なおさら声が出なかったのである。だが、それで良かったのかもしれない。我に語ることは無く、沈黙こそが正解だったのかもしれない。

 エリーズが、街中をぼーっと見つめながら、小さく呟いた。


「……ねぇ、リサ」


「うん」


「今日は、楽しかった?」


「……うん。エリーズも楽しかった?」


「うん。楽しかったよ。本当の本当に……生まれてからこれまでで、一番楽しかったかも」


「……それは生まれてから一番って言葉の安売りじゃない?」


「安売りじゃないよ」


 エリーズはそう言った。長い黒髪が揺れて、漆黒の目がこちらを向く。端正な顔が微笑みを形作って、続けてその唇が柔らかく動いた。


「リサ、コルベルトさん。今日は、私の変な思い付きに付き合ってくれて、ありがとね」


「……元々はあたしのわがままだけどね」


「そうかもしれないけど……でも、ありがとう」


 本当に、こんな毎日が続けば良いのに、とエリーズは笑った。エリーズにとって、それは本心なのだろう。リサが居て、我が居て、目的もなく緩やかに、なりたい自分のままで生きていたいはずだ。

 リサはそんなエリーズに、なんと声を掛ければ良いのか悩んでいた。だが声は出ず、沈黙が空回りする。中途半端に生まれた沈黙が気まずさに変わる前に、パタリと音がする。


 見れば、屋上の出入り口に老人が立っていた。老人は我らの空気を見て首を傾げていたが、落ち着き払った様子でこう言った。


「えぇと……あまり外に長居をしていると、風邪を引いてしまいますぞ」


「あ、えっと……はい」


 リサが何かを見て、老人の言葉に頷いた。見れば、老人が立てた蝋燭が半ばまで溶けている。分かってはいたが、大分長居をしてしまった。砂漠の夜はよく冷える。流石に砂漠に来てから歴の浅い我でもそれくらいは知っていた。

 リサがちらりとエリーズを見てから椅子を立った。エリーズも苦笑いで椅子を立つ。この話はまた今度、ということだろうか。


 出航まではあと四日……今日が過ぎてあと三日である。荷造りに時間を掛けるのならば、二日は使いたいところである。とはいえ、まだリサは決断を下していない。事態がどう転ぶかは不明瞭なのだ。


 我が席を立ったのを見て、リサが老人に歩み寄る。老人はここへ来るのと同じく我らの前を先導して、ゆっくりと下の階へ向かっていった。リサとエリーズがそれに続き、最後に我が屋上に残った。当然、すぐに二人の後を追うが……その前にふらりと後ろを振り返った。


 振り返った先には変わらぬ夜景があり、忌々しい星空があった。それと目を合わせるようにじっと金色の瞳を開いて、我は呟いた。


「今もどうせ、見ているのだろう?」


 返事は当然無い。無いが、特段返事を求めていた訳でも無かった。我は静かに踵を返して、静かに屋上から姿を消した。

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