第七十一話 砂時計のように
「あぁ……成る程、懐かしいですね」
喫茶店ミードラーゼのカウンターで、店主の男が懐古の表情を浮かべていた。視線の先はカウンターに置かれたエリーズの本である。我らがデザートを完食し、その余韻が薄まった時を計って男が「僭越ながら、私の店をどう知ったのでしょうか?」と聞いてきた。
口で説明するより見せた方が早いだろうと、件の本を見せると、先刻の言葉が出たのだ。
「もう、二年前になりましたか……」
「二年前……?」
そういえば、どういう経緯でこの本が出来たのだろうか、と我は思った。二年前となると、多少は落ち着いても、まだ国内が安定していない時期だろう。その点について我がそのまま口に出すと、男はすぐに説明を始めた。
「二年前は人手が足りず、多事多難な時期でした。家や畑は魔法で作れても……人間だけは数年では戻らなかったのです。それを打開しようと、国王様は国外に目を向けました」
「国の外……人を呼び込もうとしたのだな?」
「はい。……けれども、こうしてこの本を頼りに店に来てくださったのはお客様が初めてですよ。やはり、まだこの国には人が足りていないのだと、個人的には思います」
……その問題に関しては、どうあがいても時間が解決してくれるのを待つしかあるまい。どう宣伝をしようと、町並みを整備し、生活の基盤を作ろうと……砂漠にポツンと出来た国に移住しようと思うものは少ない筈である。
付け加えて、魔王に二度も攻撃を受けた曰く付きの土地である。尚更好む人間は少ないだろう。
何だか若干しんみりとした空気になったが、男はすぐに軌道を修正し、本についての話を始めた。
「……この本には、このミルドラーゼに残っているあらゆる伝統、料理、穴場が載っています。例えばここ――」
「『ミードラーゼ』? ……ここですか?」
「エリーズ、ミードラーゼってのはお菓子よ。多分このお店の店名の由来もそれなんじゃ……無いかと思います」
エリーズと同じことを考えていた我は、口を出さなくて正解だと思った。店名が指を差しているのは、路上裏手前の小さな屋台のようだった。リサの軌道修正に男はくすりと笑って、柔らかく首肯した。
「ミードラーゼ……蜂蜜酒とキャラメル、林檎などの果物を適量混ぜて煮詰め……そして、専用の機構にその液体を流し込み、薄い糸とすることで出来るお菓子です。甘いものがお好きな方は、きっと頬を緩ませると思いますよ」
ページを捲った先に、ミードラーゼの説明があった。写真にはベージュ色の雲のようなものが棒に巻き付いている。とてもではないが、食べ物には思えなかった。だが、それを言えば以前女の店主から受け取った『カンパチ』だとかいう刺激物も菓子には見えなかった。
往々にして菓子というのは見た目が特異な物が多いのだろう、と我は個人的に思っている。
男は続けて幾つかの場所を指差した。
「このお店は葡萄のパイがとても美味しいですね。ここは飴を使った練り菓子が良いですよ。私も何度か真似をしてみたのですが、どうにも手を火傷してしまって……難しいのです」
「ふわぁ……美味しそう……」
「ふむ。どれも未知であるな」
「あの、ありがとうございます。何から何まで……」
リサは若干の緊張を含めてそう言った。確かに、今男がやっているのは単なるサービスである。全くもって金にならない。お節介とも言えるのかもしれぬ。リサの言葉を受けた男はきょとんとした顔になって、いえいえと首を振った。
「良いお客様には、良い対応をしたくなるのですよ」
どこまでもできた男だな、と我が内心思っていると、男が何かを思い出したように惚けた顔になった。そしてなんだか悪戯っぽく笑うと、「とっておきの穴場を思い出しました」と言った。
「夜、このレストランで注文をする前に……『上は空いていますか』と聞いてみて下さい。私の記憶に狂いが無ければ、取っておきの席を用意してくれますよ」
男の言葉に目を丸くしていると、店の扉が開いた。見ると、知らない男が入り口で戸惑っている。この店にこれ程客が居るところを見たことがない、といった顔である。それを見て、我らははっとなった。既に料理は受け取っている。後は金を払って出ていくだけだというのに、随分話し込んでしまった。店主は恐らくその程度問題ないと言うだろうが、他から見れば多少は迷惑な客なのかもしれぬ。
リサが静かに懐から銀貨を三枚取り出して、控えめにカウンターに置いた。
「おや、お会計ですか?」
「はい。……色々と聞かせてくださって、本当にありがとうございました」
「あ、ありがとうございました……」
リサとエリーズの言葉に男はいえいえと言って、こう続けた。
「どうぞ、またいらしてください。お客様がた」
「あ……は、はい」
リサが一瞬戸惑ってそう返した。先程からニコニコとしていたエリーズの表情が小さく固まる。我も、弛緩していた手足の筋肉が硬直するのを感じた。だが、もうこれそうにもないということを言うわけにもいかず、我らはぎこちない笑顔と共に席を立ち、店の扉へ向かった。先頭はエリーズ、続けて我である。途中で客の男とすれ違い、エリーズは店の扉に手を掛けた。ほんの一瞬だけ止まった歩みに、我は小さく後ろを向いた。
リサではなく、店主の男を見たのだ。確たる理由もなく、なんとなく振り返った先で、店主がなにやら思案するような仕草をしていた。そして我の視線に気付いたのか、顔をあげると……ゆっくりと我に手を振った。
我は、店主の洞察力に舌を巻きながら、どうするべきかと思った。手を振り返せば、リサが振り返るだろう。ただでさえ進むか留まるかで決断を迫られているリサに、それを見せるわけにはいかない。
我は一瞬の逡巡を経て、店主に小さく一礼をした。一礼とも取れぬ、微細な動きである。だが、あの男ならばなんとなく察してくれる筈である。
我の一礼に店主の眦が下がったのを確かに見て、我はゆっくりと店の外に出た。
外に出ると、相変わらずというか暑苦しい。砂漠特有の乾いた熱波に、人混みという湿り気が合わさってなんとも言えぬ気持ち悪さがある。窓の無い喫茶店では外の様子が分からず、その上風通しもよかったので、我は外の熱気に渋い顔をした。それはリサもエリーズも同じようで、エリーズに至っては溶けそうな顔をしている。
リサは小さく傾いてきた太陽を片手で遮りながら、もう片手で本を開いた。そして、ゆっくりと進路方向に進んでいく。我とエリーズは渋い顔をしながらその後を追った。
「……いいお店だったね」
エリーズが我の後ろで、誰に言うでもなく呟いた。
「うむ。粋な店であった」
「うん、いいお店だった。また……来たいくらい」
リサの言葉に一瞬だけ静寂が湧いたが、それの名前が沈黙に変わる前に、リサが「よし!」と声を上げた。
「店主さんに教えてもらった場所、全部回ろう!」
「胃袋が菓子まみれになりそうである」
「お菓子……楽しみ!」
「財布が軽くなりそうだが、大丈夫か?」
「最近はお金使ってないし……こんな日くらい、ぱーっと使うのが冒険者らしいじゃない?」
なって半年ちょっとでよく言うものである。だが、リサの言葉にも一理ある。この二人は基本、依頼を受けるか本を読むか位しかしていない。出掛けると決めた日くらいは、散財してもいいだろう。
我は不粋な言葉を飲み込んで、そうか、と言った。気を切り替えて進む進路に向けて、乾いた追い風が吹いたような気がした。
―――――――――――――
「……これは食えるのか?」
「いや、エリーズが食べてるでしょ」
「んー!」
「食べながら声出さないの」
「あらあら……」
リサの案内を経て、我らは一つの店にたどり着いた。例のごとく屋台の形式を取っている店の看板には『ミードラーゼ屋』の文字がある。もう少しひねった看板が良いのではないかと思うが、余計な世話だろう。屋台にて暇そうにしていた中年の女店主にミードラーゼを三つ頼み、我らの手にはベージュの雲のようなものがある。何度見ても食い物とは思えぬ。枕に詰める綿のようだ。にしては色があれだが、エリーズは幸せそうに菓子をちぎって口に放り込んでいる。
リサもエリーズを嗜めながら菓子をちぎっており、「ん、手がべとべとになるの懐かしい」とぼやいている。初々しいエリーズの反応や、懐かしそうなリサを見て、女店主は満足そうである。
愉快そうなその瞳が、続いて我に向けられた。……あぁ、そう期待のこもった生暖かい目をするな。我は初見なのだぞ。
我はその目に催促されている気がして嫌だったが、金を払った以上食わないという選択肢はない。エリーズを見るにうまいらしいので、意を決して我はミードラーゼをちぎった。……感触が綿のそれである。
「む、甘い。……消えた。甘い」
「そりゃね」
「この、消える瞬間の感触が……良い!」
例のごとく未知との遭遇に大興奮のエリーズを傍目に、我はもう一度頬張った。一瞬強い甘味があって、唾液に絡まって綿が溶けていき、最後には甘い雫となって残留する。なんとも絡み付くような甘さであった。嫌いではないが、すぐに飽きそうである。
何度か口元に綿を運ぶ我を置いて、リサは店主の女と会話をしていた。最近は全然食べてくれる人が云々、反応が可愛い……可愛いだと?
我は半目で店主を見たが、リサと会話に花を咲かせており、こちらを見ない。横槍を無理に刺すほど我は無神経ではないので、諦めて菓子をちぎる作業に戻った。
しばらくするとリサと店主の話も終わり、我もちょうど完食をしたので店先のゴミ箱に残った棒を捨てた。ニコニコとご機嫌な店主に別れを告げ、更に別の店に向かう。……我は体格からしてこの程度の菓子はいくらでも食えるが、小柄なエリーズは一体どこに食事が吸収されているのだろう。ちらりと見たエリーズはまだまだ余裕そうにリサの手元を覗いている。
「次は……『カニエッシモ』。葡萄のパイやミートパイが最高……隠し味を頼むと面白い事になるらしいわ」
「頼んでみようかな……でも、最初はやっぱり普通のものを頼んだ方がいいよね?」
「試しに金髪に頼ませてみる?」
「我を様子見に使おうとするな。……これは言い出した人間が頼むべきだろう」
「え」
「……私もそんな気がしてきたかも」
思わぬエリーズの掩護射撃に、リサは目を丸くしていた。リサはしばらく考え、じゃああたしが頼んでみる、と言った。存外素直に決断をしたので驚いていると、リサは「挑戦が大事って言うでしょ?」と珍しいことを言った。
しばらくして、目的である『カニエッシモ』とやらに到着した。先程のミードラーゼ屋は地味すぎだが、カニエッシモは逆にダメであるな。なにがなんだか、何を売っているのかさっぱりである。どうしてこうも看板に造詣が無いのか呆れていると、リサが無人の店に「すみませーん」と声を張った。
すると店の奥から気難しそうな老人が出てきた。なんとも暗い顔の老人にリサが控えめに注文を伝えると、老人はきょとんとしたあとに、子供のような笑顔になった。
「おやおや、隠し味を頼まれたのはいつぶりだろうね」
「あ、えーと……大丈夫ですか?」
「ああ、勿論だとも」
リサから代金を受け取った老人は、何やら愉快そうな顔で店の奥に消えていき、しばらくすると何か芳しい匂いが漂ってきた。リサは隠し味、エリーズは葡萄、我は肉のパイを頼んだ。
待っている間にリサが「やっぱりお店にあんまり人が来ないのかな?」とエリーズに語りかけており、エリーズも微妙な顔で「そうかもね」と返していた。
伝統というのは往々にして廃れていく運命にあると、我は個人的に思っている。そう易々とは消えぬが、時間が経てば風化していくのだ。この国の場合、二度も魔王の手ですべてを破壊されている。たった数十年でも、伝統が廃れるのには十分と言える。
喫茶店も、ミードラーゼも、兎に角技術というものは一朝一夕では身に付かない。長い技術を経て生まれる物を容易く蹂躙されては、伝統が薄れるのは当然なのかもしれぬ。
そんなことをぼんやりと思っていると、店の奥から老人が戻ってきた。両手には分厚い手袋が着いており、それによって掴まれた盆の上に、湯気を上げるパイが二切れずつ乗っていた。
「昔は丸ごと出していたんだがね、どうにも食べ歩きが出来ないのと、量が多いので人気が出なくてね……」
老人はそう言いながら、盆に同じく乗っていた鉄の棒でパイを挟み、カウンターの下から取り出した紙の容器のような物の中に入れた。
「はいよ。熱いうちに食べてくれ」
「ありがとうございます……えーと、アップルパイ……ですか?」
「はは、そいつは食ってのお楽しみだな。他のお二人も、好きに食べてくれ」
我とエリーズも老人からパイを受け取った。漂ってくる蒸気に、どこか小麦と肉の匂いがあった。手に取った紙の向こう側から、仄かな熱が伝わってくる。思っていた以上に熱くないので大丈夫であろうと、我は一息にパイにかぶり付いた。……が、それは間違いだったようである。
「……!?」
「あ、金髪が悶えてる」
「やっぱり温度変化は苦手なんだね……」
「ははは、うちのパイは生地が厚いからな。熱はあんまり逃げないんだ」
熱い。口の中に火が着いたようである。慌てて手で塞ぎながら口を開き、何度か外の空気を輸送した。だがそもそも外の空気が熱いのと、パイの深部温度が高過ぎるので、熱が一向に消えない。
火傷などを負うことは決してあり得ないが、熱は問題なく感じるのだ。
もうしょうがないので、我は無理矢理パイを飲み込んだ。味は分からなかったが、あのまま阿保らしく口を覆っているよりはマシである。
胃袋に熱を感じながらリサとエリーズを見ると、未だにパイへ息を吹き掛けており、謎の格差を感じる。我はそれを半目で見ながら、二人に倣って齧ったパイに息を吹き掛けた。
しばらくして、二人が小さくパイの生地を齧り、続けて大きくパイを噛んだ。途端にリサは目を見開き、エリーズはへにゃりと顔を綻ばせる。
「ん……!?」
「……んー!」
それを傍目に見ながら、我もそろそろ大丈夫だろうと思い、もう一度パイにかぶり付いた。途端に口の中に重厚な肉の味がする。だが、脂や肉汁が殆どない……羊肉か何かか? 平素ならば若干の物足りなさを受けるところだが、そこにパイ生地の優しい甘さが加わってくる。さくさくとした食感とあっさりとした肉の旨みの相性が良いのだ。……だが、それだけではない。
「……香草か?」
「お、分かるのか。うちの肉に一番合うやつを肉に練り込んでるんだ。……流石に詳細は言えないけどな」
ほんの少し……気を抜けば見失うような微細さで、香草が後味に乗っている。お陰で大味になっておらず、我は最後まで味を楽しみながら完食をすることができた。見ればエリーズは既にパイを胃袋に収めており、ニコニコと機嫌のよさそうな笑顔である。リサは何度も首をかしげながらパイを齧っており、それを老人は楽しそうな顔で見ていた。
結局リサは隠し味の全容を計ることが出来ずに、全てを完食してしまい、なんとも微妙な顔である。
「……悔しいけど、美味しいことしか分からなかったわ。色んな果物が混ざりすぎてて、もう訳が分からない」
「ははは。そりゃあうちの隠し味だからな。そう簡単に分かられたら困る」
それからリサは老人と二、三言会話をして、次の店に向けて歩き出した。エリーズが一礼をして、その後を追う。次の店を探す二人の背中を、我もゆっくりと追い掛けた。ちらりと空を見ると、大分太陽が傾いてきている。空が赤らむ程ではないが、少しずつ時間が過ぎていることは確かであった。
「……確か、夜に行けと言っていたか」
喫茶店の店主の言っていた事が、存外我の中に残っていた。何が起きるのか、多少は気になっていたのだ。そんなことを思っていると、「金髪ー?」とリサが言った。視線を前に戻せば、不思議そうな顔でリサとエリーズが我を見ていた。
……端からみれば、急に立ち止まったのは我の方である。すまぬ、考え事だ、と二人に言って、我は二人に歩み寄った。
さて、まだ夜まで時間はある。どうなるかはさておいて、今はこの時間を楽しむとしよう。考え事? と会話を広げてくるエリーズを軽くいなして、我は街道を踏みしめた。




