第七十話 喫茶店ミードラーゼ
食事が終わり、特に何をするでもない時間が現れると、我らはお互いを牽制するように視線をやり取りしていた。牽制というと、多少語弊があるもしれない。それほど強い意思を込めたやり取りではなく、互いの胸中を探り合う為の目線である。
これからどうするかについてを考えることすら、我らには難しいというか、気力を使うのである。沈黙と視線の生む三角形を切り崩したのは……リサだった。
「……はぁ、止めましょ。なんかバカらしくなってきた」
「……うん」
「同感である」
ため息を吐いたリサは、布で磨いていた弓矢の鏃から手を離し、矢筒に収める。続いて椅子から立ち上がって、こう言った。
「確かに色々考えなくちゃいけないことはあると思うけど、こんな空気が続いてたら、あたしはそのうち喉が詰まるわ」
「……じゃあ、どうしよっか」
何か依頼でも受けに行くか? と我が提案すると、エリーズは賛同する態度を取った。だが、対するリサは微妙な表情である。顎に手を当て、何か思案顔であった。どうした、と我が聞くと、リサは思案を中断し、どうしてか苦笑いを浮かべた。
「その……なんていうか、ちょっと……あたしもよくわかんないんだけど、気が乗らないっていうか……」
「ふむ……」
珍しいこともあるものである。真面目かつ勤勉さを持っているリサが、気分が乗らないと言葉を吐いた。その珍しさに、エリーズも目を丸くしている。だが、リサは今大きな決断を迫られているのだ。文字通り人生が変わるような決断である。
そんな最中で平行して依頼を受けるのが大変であるということならば、納得がいった。
だが、それならばこれからどうすればいいのかという話である。現在時刻は十三時。真昼も真昼である。時間がたっぷりとあるということは、全員が理解をしていた。普通に考えるのならば、今から市場に行き、旅の品々を買い集めるのが一番だろうが……流石にこの状況ではそれを選びづらい。
また、さして広くない居間に沈黙が寝そべる。言い出したリサがなんとか予定を考えようとしているが、どうにも進捗が良くないらしい。しばらくの沈黙が過ぎて、エリーズが「あ」と声をあげた。
エリーズを見ると、エリーズはテーブルの上に置いていた本を見つめていた。
「どうした」
「いや、えーと……もしかしたら、すごく変なことを言っちゃうかも知れないけど……」
「大歓迎ね」
リサの言葉にエリーズは背中を押され、勇気を振り絞った。エリーズはテーブルの本を一枚捲って、我らに向けて本を開いた。我は本から多少遠いが、十分読める。
リサがまず、大きく見出しに書かれていた文を読んだ。
「『ミルドラーゼの住民が勧める穴場スポット』?」
「『隠れた名称を、一気に旋回』……?」
「馬鹿。名称じゃなくて名所。旋回じゃなくて紹介だし」
「……九割は読めていた」
リサの目線をさらりと受け流しながら、我はエリーズの見せる本の内容を見ていた。ミルドラーゼの町並みを俯瞰するような地図に、幾つか注釈が入れられており、お勧めの店だとか、新しい料理についての説明がある。
それを我らに見せたエリーズは、びくびくとしながらこう言った。
「えーっと……リサがどうするかってことはまだ分からないし、急かすつもりも無いんだけど……でも、どっちにしても、ミルドラーゼから離れるか、私達が別れるかって事になるから――」
――三人で、思い出とか作ってみたいんだ。
エリーズの言葉に、我とリサは固まった。自然と我はリサを見て、リサは我を見た。その瞬間、何か見えない線が我とリサの間に通って、我らは同時にこう言った。
「それで行こう」
「それで行きましょ」
我らの言葉に、エリーズがきょとんとした顔になった。
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「え、待ってよ二人とも……え、本当に行くの?」
「行くも何も、もう外に出ているだろうが」
「エリーズが言い出した事だしね」
昼下がりの街道、件の本を読みながら歩くリサを先頭に、我ら三人は町中を歩き回っていた。リサは先程から我らに地図を見せて、ここ良さそうじゃない? と聞いてくる。我は良くわからんので適当に頷いているが、言い出したエリーズは先程からあわてふためいている。どうやら、残り四日という時間を自分の思い付きで使ってしまう事が申し訳ないらしい。
申し訳ないも何も、嫌だと我らが思っていれば断るだろうに。
弓と矢筒を置き、似合わぬ化粧なんぞを薄く顔に塗ったリサが、どうやら目的地を見つけたらしい。顔が上がり、歩幅が大きくなる。見ると、進路方向には地味な風体の店があった。例のごとく白っぽい石材で出来た地味極まる建物だが、目的地はここであっているらしい。
ちらりと先頭のリサの脇から写真を見ると、確かに目の前の建物と合致する。店先にちょんと吊られている小さな看板には……あー、我の読みが間違ってさえいなければ、『喫茶店ミードラーゼ』と書いてある。ミードと言えば蜂蜜酒のことであるが、看板には喫茶店とある。なんとも分かりにくい店名である。
リサはこじんまりとした店の扉をゆっくりと開けた。そしてちらりと緊張の面持ちで店内を覗く。リサが邪魔で我が店内を覗くことは出来ぬが、場末の酒場のような品のない匂いはしない。それどころか、ほんの少しだけ甘い匂いがする。花だとか、香水ではない。それほどはっきりとした匂いではなく……ああ、そうだ。砂糖か蜂蜜のような、そんな匂いがする。
「……ん? おや、お客さんか」
「あ……その、入って大丈夫ですか?」
「勿論です。ここで首を振ってしまうと、お店が潰れてしまいますからね」
店内から聞こえてきた男の声に、リサは意を決して中に入った。我はその後をさして気張ること無く追う。背後でエリーズが我の背中に隠れながら店内に入るのを感じた。
店内は外観に反して地味というより優雅といった感じで、木材を多く取り扱った内装をしていた。深い色合いの木目の床と、カウンター。さして広くない店内の壁は灰色の石材で、天井から吊り下げられた四枚の板がくるくると回っている。店内の照明はランプ……あまり詳しくないがランタンとか呼ばれる種類のもので補われている。店内に窓はないがどういうわけか閉塞感がしない。
店の奥……恐らく厨房がある辺りから風が流れて、どこかに抜けている。店内の様子はさておき、我はカウンターで静かに佇む男を見た。
男は老年の男で、見た目には六十代程度に見える。男の髪は真っ白で、目が悪いのか眼鏡をしていた。片手には本があり、営業時間にも関わらず随分と暇であることが分かる。
男の体は線が細く、微笑を浮かべている顔の彫りも薄い。眼鏡以外に印象の残らなそうな男である。
リサはカウンターとテーブルを何度か見た。店内にはカウンター席が六つ、四人掛けのテーブル席が二つあり、しばらくして意を決したリサは、ゆっくりとカウンターに座った。我もその隣に座り、エリーズが続く。が、人見知りの気があるエリーズはなんとなく落ち着かなそうである。
カウンターに掛けた我らを一瞥したリサはメニューを探そうとしたが、見た限り何処にもない。さすがに初見である我らに注文は出来ず、リサが控えめに口を開いた。
「えぇと、メニューとかは……?」
「あぁ、一見様でしたか。私の店にはメニューが無いのですよ」
「……では、どうやって頼むのだ?」
興味本位に我が聞くと、男が答えた。
「メニューは全て、私の選択となっています」
「……ほう?」
「ですが、適当にお出しする訳ではありません」
私から、一つだけご質問をさせて頂きます、と男は言った。その言葉に我は悠々と構え、リサは真面目な顔で、エリーズは緊張した面持ちで質問を待った。
「皆様……甘いものはお好きでしょうか?」
随分と普通な質問である。多少の肩透かしを受けながら、我は考えた。甘いものは……まあ、好みではある。甘ければ甘いほど良いという訳ではないが、苦いよりはいい。
「はい」
「……多少は」
「えーっと……甘いのは好きです」
我らの返事を聞いた男は何か納得したような顔になって、「ご注文を承りました」と言った。何がなんだかさっぱりであるが、頼めたのならば別に良い。店主は少々お待ち下さい、と言って、厨房へ消えていった。どうやら料理は男がするらしい。年齢相応に経験はあるだろうが、年が年なので、どうなのだろうと我は思った。
しばらく待つと、男が厨房から戻ってきた。手には丸い盆があり、その上に三つのカップが乗っている。湯気を立てるそれを、男は丁寧に我らの前に置いた。そして我らに向けて一礼をすると、またもや厨房へ消えていく。首を傾げながら、我は取り敢えずカップを手に持ち、中身をよく見てみる。
「……ふむ。分からん」
「……嘘でしょ?」
「お前も分からぬだろう」
「結構知ってそうだと思ったの」
「……私のはティーラテ……なのかな? ミルクと砂糖の匂いがする。いや、砂糖だけじゃないのかも。これは……シロップ?」
我とリサが無言でエリーズを見た。エリーズは真面目な目でカップを観察し、何度か匂いを確かめている。その様子には、整った目鼻立ちと喫茶店というこの場の空気が相まって、どこか高貴じみたものがある。恐らく六割はエリーズが王女であるという先入観のせいであるが、王族が身分を隠している、という雰囲気があるのだ。
カップに鼻を軽く近づけたエリーズが、やけに静かな我らの方を見て固まった。
「あ、いや、これは……えっと、自慢とかじゃなくて……」
恐らく我とリサに乗じてカップの中身を考察していたのだろうが、リサは凡人、我は魔王とは名ばかりの兵器のような男である。格というやつの違いが、否応なしに現れるのはしょうがないことであった。
慌てるエリーズをリサが宥め、取り敢えず全員が冷める前に飲むことにした。
我はもう一度カップの中身を見た。……よく見れば、紅茶ではない。左右の二人は柔らかな色の紅茶だが、我はもう少し色が濃い。エリーズのものと見比べていると、エリーズが我のカップの中身をちらりと見た。
「……カフェモカ……なのかな?」
「知らぬ」
なんだそれは。知らぬ単語を述べられても困るだけである。さっさと飲んでしまえば多少は何か分かるのかもしれぬ。我は意を決して、カップに口をつけた。
「…………なんだこれは」
「……あ、美味しい」
「……」
甘い……だが甘すぎない。それだけなら平凡だが、問題は甘さの出る時間である。口につけた瞬間の味は殆ど甘味が無く、むしろ苦味が微かにある。だが、飲んでいる最中に濃厚な甘味がやって来て、驚きに口を離すと、その甘味は蜃気楼のように消えてしまう。仄かに苦く、次に甘く、最後に手招きをするような僅かな甘さがある。
これは本当に飲み物か、と我は思わずカップの中身を凝視した。右のリサは予想以上の味に驚き、左のエリーズは無言でニコニコと幸せそうな顔をしている。
いやはや全く、恐れ入ったとしか言葉が出ぬ。正直飲み物など水か酒位しかまともに知らぬ我からすれば、雷鳴の如き衝撃であった。続けて何度か口を付け、その度に驚く。飲めば飲むほど、苦味と甘味の落差がはっきりとしてきている。中の液体が解離し始めているからと言われればそれまでかもしれぬが、そうは感じさせぬ技量がこの一杯に込められているのを感じた。
口を付ける度に微妙な味の違いに驚かされ、飲み干した時には小さな一杯に満足の念を覚えていた。空っぽのカップをカウンターに置くと、それと同時に男が厨房から戻ってきた。
半ば放心状態の我が見上げた男の盆の上には、三つの何かが乗っている。
「デザートでございます」
その言葉と共に、三つの皿が我らの前に置かれた。リサは何かを挟んだビスケット。エリーズは飴色の何かプルプルとしたもの。そして我は白茶の氷菓に何かベージュのソースが掛けられたものである。
驚きに固まる我らに、男は慇懃な礼をして言った。
「では、ごゆっくりと」
そして何かを胸元から取り出し、静かにリサに渡すと、我関せずとばかりに一歩を引いて、先程まで読んでいた本を開いた。我とエリーズが興味本位に覗いてみると、どうやら会計の紙らしい。そこに掛かれていた金額を見て、我らは目を丸くした。
「ちょ、え……?」
「……どうかいたしましたか?」
思わず出たリサの声に、男は不思議そうな顔をした。だが、記載されている金額に間違いは無いだろう。会計金額は……銀貨三枚。三人合わせて銀貨三枚である。飲み物とデザートがついてこの値段となれば、どう考えてもおかしい。あの品質とこの値段では釣り合いが取れないのである。
リサは少し躊躇ってから、男に言った。
「……安すぎませんか?」
すると男は目を丸くして、次に愉快そうに笑った。
「はっはっは……いえ、すみません。随分素直というか、優しいお言葉だと思いまして」
確かに、我らは店主が定めた値段を変えようとしている。そのままにしておけば良いものをわざわざ口に出して、なおかつ安いと言っている。普通ならば得だなと思うだけであるが、流石に値段と品質が合わなすぎるのである。
リサがそう説明すると、店主は嬉しそうな顔になって、大丈夫ですよ、と言った。
「詳しいことはシェフのレシピということで口には出せませんが……皆様が口にしたのは、どれも市場で購入した安いものです。このお値段でも、十分収益になるのですよ」
「……なんだと」
「これは私の師の教えですが……『高級食品を使って美味いのは当たり前だろ』と、まあ、そういうことです」
上手いのは食材ではなく料理人の腕、ということか? 安い食材や茶葉でこの味が出せるとは思えない。今目の前にあるデザートを抜いたとしても、銀貨三枚ならばとれそうなものである。
我らは全員唖然としていたが、男が微笑みながら言った「デザートが溶けてしまいますよ」という言葉に意識を戻して、目の前の皿を見た。
リサやエリーズはまだしも、我は氷菓である。放っておけば室内の温度で溶けるに違いない。慌てて備え付けのスプーンに手を伸ばした我に合わせて、男の手が一枚ページを捲った。
カフェモカとか色々こちらの用語が出てくるのはご容赦ください。いちいち何かに固有名詞付けて設定を生やしていたら、皆様も面倒だと思いますので。




