第六十九話 聞きそびれた質問を
バストロスと別れた我は、これからの予定を考えながら大通りを歩いていた。先程までであったら、これからはアーカムの店に寄るつもりだったのだが……聞きたい情報はバストロスから得てしまった。返す予定であったローブもエリーズが返してしまっている。
我がアーカムの店に寄る必要は全く無いのである。
だが、真昼まで時間は多少残っていた。今から帰ればまたあの気まずさを感じることになる。耐えられない、という訳ではないが、好んで浸かりたいとは思えなかった。
我はしばらく歩いて、静かに進路を転換した。用は無いが……まあ、返したローブのような物がどこに売っているのかだけでも聞いてみるとするか。
我は自慢の記憶力で過去の道筋をたどり、多少の時間を経て、アーカムの店にたどり着いた。煉瓦や石材で出来た大きな建物群の中で、唯一異彩を放つこじんまりとした店――『錬金鯨の胸鰭』がある。
見た感じはあまり繁盛していなさそうである。そんなことを考えながら、我は堂々と扉に手を掛け、店の中へ歩みを進めた。
まず感じたのは、ほんの少しの酒気。続けてそれよりも少ない薬品の香りと煙たさである。店内は控えめに光る暖色のランタンによって照らされており、それが棚に並ぶ薬品群の硝子に小さく反射していた。
「ん。いらっしゃい……なんだ、君か」
「なんだとはなんだ」
「珍しくお客さんが入ってきたと思ったんだ。他意は無いよ」
カウンターに頬杖をつきながら本を読んでいたアーカムは、小さくあくびをした。三角帽子が軽く揺れる。アーカムは我をもう一度見ると、用件は? と聞いた。
「ローブならもう返してもらったけど……」
「そのローブについて聞きたいことがある」
「……ふーん」
我がそう言うと、何故だかアーカムは警戒するような顔になった。何をそれほど警戒しているのかは分からないが、我は聞きたいことを聞くだけである。多少アーカムへ歩いて距離を詰めつつ、我は口を開いた。
「そのローブは、我にとってかなり有用である。出来れば似たものが無いか探したい所なのだ。とはいえ、我は魔力が微塵も見えぬ故、魔法が込められた品々がどこで売られているかさえ分からぬ」
「……つまり、どこで売ってるのか聞きたいってこと?」
「そうだが?」
我がそう言うと、アーカムは何故だかため息を吐いた。我としては竜眼が無いので魔力が見えず、市場を探すにしても探せない、という問題を述べただけなのだが……。
アーカムは肩透かしを受けたといった顔で言った。
「あのローブ、作ったの僕なんだよね。流石に生地を編んだのは別の人だけど、魔法を込めたのは僕。つまり、どこにも売ってないよ。まあ……もしかしたら、暇を持て余した人が同じようなものを作ってるかもしれないけど、効果は劣化してると思う」
「……そうか」
我は当てが外れて気落ちしていた。仕方あるまい。こうなれば今のように尻尾を背中にそって巻いておくとするか。尻尾の筋力が固まりそうだが、下手に動かしてバレては面倒どころの話ではない。
我はアーカムに、これ以上用件が無いことを伝えようとした。だが、その前にアーカムが何かを思い出したように声を上げた。
「……あ」
「む?」
「忘れるところだったよ。……えーと、確かここの下に……うん」
アーカムはカウンターの下を探り、何かを取り出した。見れば、それは木の札であった。切れた赤い紐が付いており、札には見覚えのある文字が――
「それは……」
「君が斬られた時にこっちまで飛んできてたんだ。一応拾っておいたけど……」
「……助かった」
「あ、やっぱり大切な物だった? それならいいんだけど」
アーカムがお守りを我に差し出した。我は二、三歩歩いてそれを受け取る。再び手の内に戻ってきたお守りは、赤い紐を殆ど失っていた。亡霊の飛びかかりからの一撃で、紐が切れたのだろう。
リサが彫ったという文字列には、僅かばかりの砂があった。我はそれを指先で払い、アーカムに礼を言った。
アーカムは我に礼を言われるとは思っていなかったようで、少しだけ驚いた顔をしている。
「……何だ」
「いや……君って挨拶とか謝罪とか、そういうの言わないだろうなって思ってたから」
「……失礼な奴であるな」
「あぁ、ごめん」
なんとなく言いたいことは分かる。もし仮に……我がリサに過去を打ち明けていなければ、そもそも店主の猫などどうでもいいと思っていれば、我は己の真実と向き合うことをしなかっただろう。
今この時をもってしても傲慢を撒き散らし、我を崇めよと迫っては、敬意の足りなさに憤慨していたはずである。
それが我であって、我の嘘である。今はそれがなりを潜めているので、こうして礼を言えるのだ。我がそんなことを思っていると、アーカムの視線がじっと札を見ていた。
「何だ」
「ん? あぁ、いや……随分古い文字だなぁと思ってさ」
「そうなのか?」
「彫ったのが誰かは知らないけど……随分教養があるよ。北の星詠み達が使う文字だから、学者か教師位じゃないと知らないだろうね」
「……成る程」
このアーカムをして、随分古いと言わしめる文字……星詠みというのは知らぬ単語だが、北に居るのならば耳に入れることがあるやもしれぬ。教師、という単語が出た瞬間、多少の驚きがあったが顔には出さなかった。我は静かに胸元のポケットに札をしまった。
適当な我の相槌を聞いたアーカムは、またもや何かを思い出した顔をした。
「そういえば君、このミルドラーゼから出るんだって?」
「ああ、そうだが……エリーズから聞いたのか」
我がエリーズの名前を出すと、アーカムは少し驚いた顔をした。だが、我の顔を見てなにやら納得している。
「アルベスタの王女を呼び捨てするって……まあ、君らしいけど」
「……王女だなんだを知ったのは昨日だ。それまでは頭のよく回る子供であると思っていた」
「……まあ、なんにせよ気をつけておいた方がいいよ」
アーカムは読んでいた本を閉じた。その言葉に込められた警告の意味を、我は上手く汲み取ることが出来ない。だが、それはアーカムも承知だろう。続く言葉に主語を乗せて、アーカムは口を開いた。
「彼女の側に居れば、確実に王家の騒乱に巻き込まれる。考えなくても分かるだろう? 三年も行方不明だった王女が戻ってきたんだよ? ……それに、君達が問答無用で処刑される可能性だってある。王女誘拐の罪を強引に被せられるかもしれないんだ」
「……」
「彼女は『自分から出た』と言っていたけれど、それをそのまま国民に伝えるよりも、『何者かに拐われていた』とした方が世論に納得がいく。そうすれば王女は何の問題もなく王室に戻ることが出来るんだから」
確かに、可能性としてはあり得るのかもしれぬ。エリーズが家出を敢行したとなれば、その行動には王族としての責務を放棄したという問題が付きまとう。容易に王家へ戻ることは出来ないだろう。
我は北西の王……確か、カトラス・ノア・アルベスタという奴がどんな人間かは知らないが、人間というのは往々にして自らの為ならば他を簡単に切り捨てる。警戒して損は無いはずである。
……だが、同時に警戒してもしょうがないだろう、という考えも湧いてくる。我はエリーズに宣言してしまったのだ。そこから引っ張り出してやる、と。実質、王家に宣戦布告をしているようなものである。最終的に面倒が起きることが確定しているので、それが前倒しになるだけである。
「……警戒はする。だが、我は己の行動を変えるつもりはない。我は魔王である。進路方向に何があろうと、高笑いを一つに殴り飛ばすのが我のやり方だ」
「……それが国だとしても?」
「当然である。国でも、神でも関係など無い。我は我らしく、我のやり方を最後まで貫く。その上で失敗も犠牲も払わない。気にくわない結末も投げ捨てる」
「……そんなこと、出来るわけが無いだろう?」
アーカムは三角帽子を片手で掴み、深く被り直した。帽子の下から、口だけが覗いている。否定するような、宥めるようなその言葉に反して……アーカムの口元は楽しそうに笑っていた。今にも歯を見せて快活に笑いだしそうな形をしていた。
愉快そうな唇が言葉を紡ぐ。
「子供みたいな傲慢さだ。我儘過ぎる。欲しいものだけ手にいれて、欲しくないものは突っぱねて……今時、そこらの強盗だってそこまで無茶苦茶じゃないさ」
でも、とアーカムは言った。
「……どうしてだろうね。君は――君なら、それが出来そうな気がする。そんなことを思ってしまう。どう想像しても、高笑いをしてる君が映るんだ」
「……当然である」
そう呟いた我の脳裏に、あの人の言葉がちらついた。我には大切な呪いが……この名前がある。だから、曲がらない。歪まないのだ。
それから二、三度我とアーカムは言葉を交わした。中身の無い雑談である。互いの初対面の印象だの、店名の由来について――これに関しては読み方を間違えていたことを指摘されただけであるが――だのを話した。そうして話していると、当然に時間が過ぎていく。話に一旦の区切りが付いたとき、アーカムが呟いた。
「そろそろお昼の時間だろうけど……大丈夫なのかい?」
「……大丈夫……とは言えぬな。帰らねばならぬ」
そっか、とアーカムは言った。同時に、店の扉が控えめに開かれた。振り返ると、どうやら一般の客らしい。背丈に迫る大きさの杖を片手にした少女が、挙動不審に店内を見回していた。
すっといつもの顔に戻ったアーカムに我は小さく苦笑しながら、「では、そろそろ行くとする」と言った。
「そう」
「……なんとも質素であるな」
「こういうのって、雑であればあるほど良いって言わない?」
「それにしても雑すぎである」
アーカムは鼻で笑って、それじゃあ、と言った。
「……ヴァチェスタ・ディエ・コルベルト。これから君が歩む先に、どうか万雷の幸があらんことを」
「……丁寧にし過ぎである」
「それじゃあ、どうすればいいのさ」
不満げに苦笑するアーカムに、自分で考えろ、と返して、我はアーカムに背中を向けた。そして、ではな、とだけ言って、店の扉へ向かう。途中にすれ違った少女が、びくびくとしながらアーカムに何か聞くのを小耳に挟みながら、我は店を後にした。
外に出ると、妙に暑い。リサ曰く今はまだマシな季節らしいが、それが信じられぬ暑さであった。長く日に当たっていては、脳みそがふやけてしまう。我は慣れた動きで建物の影に向かおうとした……が、昼頃というのもあって、影が少ない。
我以外も考えることは同じなようで、何度か正面からぶつかりそうになったが、ぶつかりそうになった相手は我の顔を見て離れていく。やはりこういったときに顔が良いと得である。
我は落ち着いた歩みで日陰を進み、目立つ赤煉瓦の建物を見つけた。正式に出る日時が決まったからか、この道を歩くだけでも何か感慨深い物がある。便が出るのは四日後……それまでに荷造りだのなんだのをしておくべきだろう。
そんなことを思いながら、我はリサの家の玄関を叩いた。中から少しだけ足音が聞こえて、扉の前で止まる。
「どなたですか?」
「我である」
我が返事をするとカチャリと音がして、鍵が開いた。続けて扉が開き、上目遣いに我を見るエリーズの顔があった。ちらりと奥を見ると、台所からリサが顔を出していた。どうやら料理の途中であったらしい。
身嗜みを整え、砂を払ってテーブルに向かう。いつも通りエリーズの隣に腰掛けると、エリーズが控えめにこう聞いてきた。
「えーと、コルベルトさん」
「何だ」
「……何か良いことあった?」
我は少し考えた。午前の出来事を良いことと括れるか考えたのである。我は三人の男と別れの挨拶を交わした。その過程で世界の核心に気がつき、神への疑問を持った。こうやって箇条書きに並べると、どうにも良いこととは呼べないような気もするが――
「……多少はあった」
「そっか」
我の言葉に、エリーズはくすりと笑った。我の顔に何かついているのかと思ったが、玄関口で身嗜みは整えた筈である。我は首を傾げて、エリーズにその理由を聞こうとした。だが、その手前でリサが台所からやって来る。リサは両手に皿を持ちながら、興味深そうな顔で我を見ていた。エリーズは直ぐ様席を立ち、残りの皿を持ってくる。
毎度毎度、疑問点を聞きそびれてしまう。相変わらずに我の思い通りには動いてくれないリサに、我は微妙な顔をした。
「……どうしたの?」
「いや、何でもない」
「……そ」
口に出せば確実に昼食が消滅するだろう。さらりと言葉を飲み込んだ我の元へ、エリーズが皿を持って歩いてきた。今回の料理は見た感じ、羊肉の煮込みが主菜らしい。湯気を黙々と上げる羊肉は、中々に美味そうである。我と同様に目を輝かせるエリーズを傍目に、我は静かにスプーンを掴んだ。
それでは、戴くとしよう。いつもより声が小さいエリーズの「いただきます」という声を合図に、我は食事を始めた。




