第六十七話 世界の切片
昇ったばかりの朝日に照らされる町並みを眺めながら、我はゆるりと街道を歩いていた。あれだけの戦いがあったというのに、歩く人間の顔にはなんら変化がないし、空気に騒がしさも混じっていない。亡霊が倒された、という情報が伝わっていないようだから当然なのだが、どうにも少し変な心持ちだった。
我の目的である上流に向かいながら、我は先程の朝食を思い出していた。一言も会話がなく、気まずいを通り越していたたまれない空気だった朝食を、である。エリーズは葬式のような空気を出しているし、リサはずっと目を細めて何かを考えていた。
唯一我だけが抱えていた重荷を失って、ふらふらと両者の顔を眺めていたのだ。
その沈黙に耐えきれず、我は早々に食事を済ませると、こうして街道を歩いている。バストロスと少しばかり話をしなくてはいけないのだ。途中、アーカムにローブを返してやろうと思ったが、エリーズが控えめにそれを制した。なんでも、アーカムに用があるからついでに返す、とのことだ。
我としてはアーカムにローブを返すついでに話をしたかったのだが、どちらにしても順序は変わらぬし、それでいいかと思った。
ローブが無いと我の尻尾は丸出しになってしまうので、服の山から同じようなものを探し、纏っている。何らかの毛皮を使った、高価そうなローブである。我はそれを纏いながら、その内側に尻尾を隠し、蛇がやるようにとぐろを巻いていた。風だなんだでめくれれば相当面倒なことになるが、そうならないように最大限気を使っている。
……正直我としては、魔王らしさを存分に見せつけることができる尻尾を隠すということに若干の抵抗を持っていたが、それを思う度に砂漠で危うく仲たがいをしかけたことを思い出す。青筋を浮かべてこちらに吠えるヌトの顔がちらつくのだ。
忘れていたが、我が人間を激しく憎んでいるのと同じだけ、人間も我らを恨んでいる。
今まで良好に接することができたのは、我が人間と殆ど見分けがつかないからである。そう考えれば……ヌトと同じく、クルーガーやセラ、バストロスも、我に対して態度を変えるのかもしれない。我に軽蔑を向けて、距離を置くのかもしれない。
それ自体はもう慣れているから大丈夫だと思っていたが、奴らが手のひらを返すのを想像すると……少しだけ寒気がする。
我はほんのすこしだけ暗くなった顔を取り繕って、ゆっくりと前を見た。遠くに白い城が見える。バストロスの城である。相変わらずに城らしくないその建物へ、我は静かに歩み寄った。
少しすると、いつものように衛兵の目が厳しくなる。だが、衛兵は我の顔を見るとハッとした顔になって、詰め寄るどころか少し距離を置いた。これは……どっちなのだろうか。我が魔王だと知られているのか、それとも前回の大立ち回りが尾ひれを付けて衛兵の間に広がっているのか。
おそらく後者だろう。前者ならば衛兵は我を見たときに腰を抜かすはずだ。
何より、ライゼンらがそう易々と我の身分を吹聴するようには思えない。ライゼンは酒に酔っていればあるかもしれないが、酔っ払いの言葉など誰も耳を貸さないだろう。
そんな事を考えながら歩いていると、いつも通り衛兵の警戒線までたどり着いた。そこで歩みを止まると、詰所から何人か衛兵が出てきて、緊張の面持ちで口を開いた。
「そこで止まれ」
「止まっているが?」
「……要件はなんだ?」
「またここの主と話がしたい。いつも通り突然の来訪だが、取り次げば許可は下りるであろう」
我の悠々とした物言いに、衛兵は少し気圧された顔になって、部下の一人を城の中へ走らせた。前回は本当に唐突な来訪だったが、今回は確実に我が来ると知っているだろう。多少は予定に空きを入れている筈だ。
しばらくして、使いの衛兵が走って戻ってきた。
「す、すぐに通せとのお言葉でありました!」
「ふむ。では通らせてもらうぞ……」
言葉を発しながら、我は自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。そうだ、前回はここらで身体検査があった。あまりにもあっさりとしていたので気にも止めなかったが、今身体検査をされれば問答無用で社会的に死ぬ。
隠してはいるが、触られれば尻尾に気がつかれるのは必須。どうすれば、と即座に作戦を考え始めた我に、衛兵が口を開く。
「そうか。……失礼しました」
「……」
衛兵は軽く頭を下げた。我は小さく頷いて、堂々と正面から入っていく。額に汗はないし、動きに淀みもない。さも当然といった動きだ。城へ向かいながら、我は胸中で大きく息を吐いていた。
本当に運が良かった。あやつら、一度通ったから二度目の検査を省いたな? まあ、バストロスのそばにはヌトが常に控えているので、暗器による暗殺は殆ど不可能だが、それにしてもざるである。
「……おおらかなのと雑なのとでは話が違うぞ」
我はいつかの言葉を呟きながら、正面玄関口を通り抜けた。我を先導しようとしていた衛兵がちらりと振り返ったが、首を傾げて先導を再開した。
見覚えのある道を進み、装飾のなされた白い扉の前までたどり着いた。衛兵は敬礼をひとつして足早に立ち去っていく。面倒事に巻き込まれるのが嫌なのだろう。その背中を見送って、我は扉に向き直った。深呼吸をひとつして、扉を三度叩く。少しばかり沈黙があって、バストロスが入れと言った。我は入るぞ、と返して扉を押し開ける。
書斎と事務室を足して割ったような部屋の真ん中に、バストロスが居た。書類作業をしていたのか、珍しく眼鏡を掛けている。隣で控えていたヌトは、我をじっと睨むように見ていた。不審な行動は許さない、といった目である。
その目に射竦められながら、我はバストロスに口を開いた。
「朝早くからご苦労な事である」
「王族の義務であるからな。欠かすわけにはいかぬ」
バストロスは眼鏡を外した。冴えた蜂蜜色の目が我を見る。いつもは洗練された鋭さをその目から受けるが、今日はそれが鈍っているように見えた。十中八九、事後処理とこれからについて頭を悩ませているのだろう。
「亡霊が消えた理由についての説明。エーテルホワイトへ向かう調査隊の編成と、その派遣。場合によっては祝賀祭の準備や、これらの経費、日程を考えねばならぬ。しばらくは寝室を見ることは無いだろう」
バストロスの言葉に、我は小さく頷いた。エーテルホワイトへ安全に向かうことができるようになったはいいものの、戦後処理というのは常に厄介である。我の場合は基本単騎で蹂躙するだけだが、それでも面倒なものは面倒であった。
それらに関して武官や文官に処理を任せると、最悪経費を幾らか誤魔化して申請してくる。我が魔族相手には強く出られないのを利用してくるのだ。
その結果、我はしばらく寝ずに戦後処理をする羽目になる。今回のバストロスは純粋に人手が足りないのであろう。この国は即席の宿のようなものである。建国から六年か五年が良いところだ。優秀な人材の発掘は未だに難しい所がある。
我とバストロスはその手の話題で多少言葉を交わしたが、バストロスは咳払いを一つに話を変えてきた。
「……さて、そろそろ本題に入るとするか」
「うむ」
「まず、今回の戦いに無事勝利したことを褒め称えよう。よくぞ亡霊を打ち倒した」
「……」
褒め称えよう、とは随分上から目線である。我は多少そう思ったが、言葉には出さなかった。そんな我に向けて、バストロスはこう言葉を続けた。
「それと……これは、我個人の感謝である。……本当に助かった。ありがとう」
そう言うや、バストロスは椅子に掛けたまま頭を下げた。たかが平民の来客の我に対して、一国の正当な王が手放しに頭を下げたのだ。我は目を丸くせざるを得なかった。頭を下げたバストロスに、ヌトが大慌てで声を掛ける。が、バストロスはそれを手で制して、ゆっくりと顔をあげた。
「コルベルト。我は耳が良い。お前が言っていた試練とかいうのが嘘だとは分かっていた。北を統べているというのも嘘だと知っていた。……だが、魔族――それも、魔王であるとは思わなかった」
「……」
「……お前はきっと、本当に魔王なのだろう。ヌトから言葉を聞いたとき、我は納得した。ああ、そういうことかと思った。道理でちぐはぐな男だ、とな」
バストロスは手元の眼鏡を机に置いて、ゆっくりと我を見た。その目には責めるような色は決してなかった。嘘だのなんだのを水に流して、バストロスは単に我の目を見ていた。
冷静なバストロスに対して、我は内心で焦っていた。まさか嘘が全てばれているとは思っていなかった。その上で見逃されていた、というのも初耳である。驚きで声が出なかった。
「……だがな、コルベルト。お前が魔王だったとして、何をしてきたとして、お前が積んだ功績が消えることはない。罪と過去が消えぬように、お前の努力と功労が消えることは決してないのである」
「……だから、お前は頭を下げたのか。我が魔王と知っていて、その上で」
「そうである。……正直驚いているし、今も信じられないと言う他ない。本音を言うのならば我にとって魔王は王家の天敵であり、殺すべき仇敵でもある」
「……」
「……だとしても、我は我の感性を信じる。お前の中の――善性を信じる。以前お前から感じた傲慢さと、素直さと、ひたむきさを信じているのだ」
我は思わず息を飲んでしまった。どうしてだ。どうして……どうして我を信じようとする。我の中に善があると信じるのだ。アリシノも、バストロスも……全く同じ言葉を告げた。信じようと、そう言うのだ。その度に、人間を殺してきた過去が反芻する。そんな我のどこに善があるのだと自問してしまう。
我は困惑して、口ごもった。バストロスの隣のヌトは苦い顔をしている。一体何に対しての顔なのか、我には理解できなかった。我はしばらく黙って、ようやく言葉を絞り出した。
「お前は……馬鹿なのか?」
「……はは、見方によってはそうなのかも知れぬな」
我の言葉にバストロスはきょとんとした後に笑って、ヌトは険しい顔をした後に驚いた顔になった。
この男はきっと、魔族に全てを奪われた。国も、家族も、王位の証も、緩やかな青春さえも奪い取られた。その魔族を統べていた男が、目の前に居るのである。そのくせ、そいつに頭を下げてありがとう等と口にしていた。あり得ぬ。意味が分からぬ。
混乱する我に、バストロスは言った。
「……もし、お前が何度か我に会っていなかったら……もしくは、ヌトが死んでしまったとして、お前の真実に気がついたとしたら――そのときはきっと、お前の事を本気で殺そうとしただろう」
「……」
「しかし、現実は違うのだよ。そんな未来はあったとて、今ここに在るのは現実だけである。お前は我にとって気安い友人のような男であり、長きに渡って悩まされてきた障壁を打ち破ってくれた……そんな魔王なのだ」
もう、勝手にしろ、と我は思ってしまった。聞いているだけでも身悶えしてしまう。触れたことのない感謝と優しさに困惑してしまう。
黙る我に、バストロスは止めを刺すように言った。
「今回で一つ、我も学んだ」
「……何をだ」
「……例え、魔族だとしても……果てには魔王だとしても、こうして話が出来るのだな、と。私達とお前達はきっと、殆ど変わらない生き物なのだろうと学んだ」
「バストロス様……」
ヌトが思わず口を挟んだ。ヌトは一拍遅れて自分の失言に気がついたのか、慌てて口を塞ぐが、バストロスは微笑を浮かべてそれを制した。
「良い。それで良い。我らは、互いに憎み合っている。魔族を心底絶滅させたいと願っている。その気持ちは、簡単には消えないのだ」
「……はい」
「だとしても、一つ知っておくべきだ。こうして目の前に立っている魔王が、どれだけ人間らしいか」
我はほとほと安心している、とバストロスは言った。続いて我を見て、こう言った。
「……コルベルト。報酬については、王の名の元に必ず払うと誓おう。今日から四日後に立つ船にとびきりの空きを付けるが、それで良いか?」
「……うむ。それでいい」
我は少し悩んで、頷いた。その次の便でもいいかと考えたのだ。だが、リサにはもう全てを話した。あと四日、それだけ時間があれば答えを出すに違いない。その間に我とエリーズは準備をして、リサを待つ。
ああ、そうだ。それでいい。それで万事が丸く収まる。我が胸中で妙な達成感を得ていると、バストロスが我を見た。
王に相応しい微笑を含めて、あぁ、と言う。本当に安心だ、と。
「魔王がこれだけ丸いのならば、もう一人の魔王の言葉を信じてもいいかも知れぬな」
「……」
我は固まった。動けなかった。全身の血液が停滞して、代わりに口の中がねばついていく。待て、今何と言った? こいつは……もう一人の魔王と言ったか? いや待て、この世界にも魔王が居たとしておかしいことではない。きっとそういう……いや、ならばなぜゼウス・アーデンの名前がある。どういうことだかさっぱりわからない。困惑で動けない。
衝撃に固まった我を、バストロスは不思議そうな顔で見つめていた。
「……どうした? 確か、魔王というのは役目を終えると次の魔王に力を託すのだろう? お前の力を託した魔王のことでは無いのか?」
「……ま、待てバストロス。我は別の世界から来たのだ」
「あぁ、そうであったな。……人に和平を持ち掛ける魔王が居ると期待していたのだが」
和平、だと? 何かが我の中で蠢いていた。埃を被っていた過去の記憶が呼び覚まされていく。固まる我に、バストロスは机の棚を幾つか開けて、幾つかの『手紙』を出した。金色の封蝋を押された、美しい封筒である。ヌトが、「まだそんなものを持っていらしたのですか」と顔をしかめた。
我はそれに見覚えがあった。金色の封蝋は、確かに魔王の使う蝋である。
「ま、魔王の名を……」
「うむ?」
「手紙を出した魔王の名を、教えてくれ」
我は息も絶え絶えにそういった。バストロスは我の様子を訝しげに見つめてから言った。
「名を、と言われても、我はこれを開いていない。魔王からの手紙である。開いた瞬間に何が起きるか分からないものを勝手に開くことはしないのだ」
「ならば、どうして魔王の事を知っているのだ」
「……北西の王の影響である」
「北西の王……?」
我は思わず鸚鵡返しをしてしまった。
「北西の国『アルベスタ』を統べる王――カトラス・ノア・アルベスタ。我とアルベスタとは多少交遊がある」
「……」
「奴は……魔王の手紙を開封し、その上返信まで書いて送っている。魔王と文通をしているのだ。我はカトラスの行動の意図が分からなかったが……お前に会ってようやく理解した」
魔王だからという決めつけは、余計だったのだろう。バストロスはそう言った。
「ヌトや家臣は手紙を捨てろと言ってきたが……専門家から見ても罠は無いようであるし、なんとなく持っていて正解であったな」
そう言うや否や、バストロスは未開封の手紙を取り出した。しなやかな指先が金色の封蝋を引き剥がし、中の文書を取り出した。バストロスの目が名前を探し――静かに固まる。
「……どうした」
「……名は、分かった」
蜂蜜色の瞳が動揺を示すように左右に揺れた。瞳は最後に我を見る。何度かバストロスは文字を読み直した。そして最後に、形のいいバストロスの唇が僅かに震えて……こう言った。
至天の魔王――アイン・ディエ・コルベルト、と。




