第六十六話 こうかいとこうかい 後
「えっと、その……あぅ……」
エリーズの声が何度も繰り返される。意味もなく、中身もない言葉が羅列されていった。リサは呆然と立ち尽くし、我も長椅子から動けずに固まっていた。硬直する体とは別に、我の脳は高速で事態を理解しようとしていた。
エリーズが、王家の人間だと? 北の王家……その娘が家出か? そうなれば決して逃げられないという言葉は理解できる。我が救うには力が足りないというのもわかる。人間の国から王女を拐うには、我の力が弱すぎるのだ。
いや、それよりも気になるのはエリーズがどうして家出をしたのかである。エリーズの所作には気品があり、ふわついた容姿には花があった。思案する速度も演算の精確さも常人には似つかわしくない。
つまり、それだけの教育を受けたということである。付け加えて、あの綺麗な黒髪を維持できるだけ、手間を掛けてもらったというのがわかる。肌を見ても髪を見ても、所作からでさえエリーズが大切に育てられてきたということが分かるのだ。
ならばどうして、エリーズは逃げ出したのだ? 余程の事情があるに違いないが、流石に情報が少なすぎる。
とにかく、これでこれまでの出来事に納得がいった。エリーズとリサの間にある確かな違い。本当のエリーズが見せる別人の空気。どうしてバストロスについて知っているのか。アーカムとロダキノが説得に応じた理由。
それらは一重に、エリーズが北の国の王女であるからだ。
我はその結論に至ったと同時に、困惑した。この女は、本当に我と正反対である。生まれながらにして高貴なる血統で、恵まれて育ち、その癖その力を隠して弱い振りをしている。ただひとつ、ずっと嘘をついてきたという一点においてだけ、エリーズと我は同じだった。
三者の間の沈黙を破ったのは、意外にもリサだった。リサは階段を一段降りて、震えた声でエリーズに言った。
「どういう……こと?」
「えっと、待ってリサ。違うの……あ、いや、違くは無いんだけど――」
「エリーズ、落ち着いて」
自分の方こそ落ち着きたいだろうに、リサはエリーズを宥め始めた。ゆっくりと階段を降りて、階段の前で顔を白くしながら慌てふためくエリーズを、ゆっくりと抱き締めた。
エリーズはしばらく目を白黒とさせていたが、リサから伝わってくる熱に安心したのか、落ち着いた様子になった。だが、その顔は相変わらず泣きそうで、大いに心が乱されているというのがわかる。
リサはエリーズの手を引いて、テーブルに座らせた。そして、水を二杯持ってくると、一杯をエリーズに渡す。我はどうすればいいのかさっぱりであったので、終始長椅子の上で呆然としていたが、リサが我に小さく手招きをした。我も来い、ということだろう。
我は立ち上がってテーブルに向かい……少し悩んでいつも通りエリーズの隣に座った。隣のエリーズはうつむきがちにコップへ口をつけており、不安そうな顔をしている。リサはしばらく時間をおいてから、なるべく優しい口調でエリーズに語りかけた。
「エリーズ……その……本当なの? 王家っていうのは……」
エリーズは一瞬顔を上げてリサを見て、悩むように俯いてから……ゆっくりと頷いた。それを見たリサは難しい顔をして、続けて我を見た。意見が欲しいのか反応が見たいのか、どちらにせよ我の表情はいつも通りである。ただ、自然といつもは組まない腕を組んでいた。何となくである。
リサは我の様子に少しだけ呆れるような、安心するような顔をして、エリーズに向き直った。
「ずっと聞いてこなかったけど……エリーズは、どうやってここに来たの?」
「……船に乗ってきたよ」
「……王女が乗れるのか?」
「うん。普通じゃ乗れない……から、市場に並んでた果物の樽の中に隠れて……船に積んで貰ったんだ。途中は中のものをちょっとだけ食べたりして……船が着いたら、樽の中に戻って町まで運んで貰ったり……」
エリーズは視線を上に彷徨わせながら、記憶の奥を探っていた。
「でも、私みたいなことをする人って結構多いみたいで……一個一個樽の蓋を開けて検査するんだけど……その時は、私の魔法で樽に氷の蓋を作って、氷を運んでるんだなぁって思わせたり」
「……お前、魔法が使えるのか」
「うん。これはリサも知ってると思うけど……」
エリーズがちらりと対面のリサを見た。リサは納得するように頷いている。我は知らないが、エリーズは氷の魔法が扱えるらしい。道理でリサのように武器を持っていないなと思ったが、エリーズは魔法で戦うらしい。言葉からして……というより、砂ゴブリンに監禁されていたことからして、それほど強力な魔法では無さそうである。
我の催促する視線に、エリーズはおどおどと過去の続きを語った。
「……そのあとは荷車に乗せられて、港からミルドラーゼの近くまで来たよ。……でも、途中で降りないと大変なことになるって思ったから、途中でこっそり降りたんだ。でも、そしたら目の前が砂漠で……暑くて暑くて、なんとか車輪の跡を追いかけてミルドラーゼに着いたんだ」
「……関所はどうした。お前の見た目では間違いなく止められるだろう」
「あー……」
我の質問にリサが声を上げた。納得の声である。一体何なのだ。我にはさっぱりだぞ。説明を要求する目でリサを見ると、リサは少し眠そうな目を擦って説明した。
「あの頃……っていうか、そのときのミルドラーゼは三年前にエーテルワイスが魔族に侵略されて、難民が集まってたからすごくゴタゴタしてたの。生き延びた人がミルドラーゼに集まって、その人達の家とか食べ物とかをなんとか用意して……その間も少しずつエーテルワイスの人が集まって来てたから、もう関所が機能しなくなってたわ。人が増えて問題も増えたから、関所に回してた人が警備に回ったりとか……そんな感じね」
「正直どうしようって思ってたから……こんな事言っちゃいけないんだと思うけど、タイミングが良かった……のかな」
エリーズはリサに気を使いながら、なるべく言葉を包んでそう言った。有り体に言うのならば、エリーズは運が良かったのだろう。
「正直……関所はどうしようかって考えてなかったから。途中で見つかっちゃうんだろうなって思ってたし……」
「それが今の今まで見つからず、そのまま三年が経ったのか……」
「あぅ……」
「三年も居ないってなったら、普通は死んだと思われてるはずだけど……」
「実は……怖くて、家がどうなってるのかは……調べてなかったり……」
我は呆れた顔をした。リサが目線で嗜めてくるが、これは明らかにエリーズが悪いだろう。いくら最悪な環境とはいえ、十幾ばくかの娘が急に消えたのだ。それもただの娘ではない。王位を持つ王家の娘である。国民に名前も顔も知れているような娘が消えれば……相当な大混乱が起きることは間違いない。
我が王ならば他国に圧力を掛けてでも探し出すが、どうやらそうなってはいないようである。それに関して、我がエリーズに聞くと……エリーズは我の言葉に対して刺されたような顔になった。続けて一瞬だけ寂しそうな顔をした。
その顔に地雷を踏み抜いた事を悟り、慌てる我に向けて、エリーズは静かに言った。
「……私は、きっと要らない子だから」
「す、すまぬ……違うのだ。わざと悪意を持って質問した訳ではない」
「うん、大丈夫。分かってるよ」
どうにも気まずくなった我とエリーズの間を取り持つように、リサが咳払いをして言葉を投げ込んだ。我は助け船を出してくれたリサに内心感謝しながら言葉を待つ。
「……まあ、その、話は変わるけどさ……どうしてエリーズは金髪に王女って事を告白したの? ……あたしには三年も黙ってたのに」
「……うむ」
「あ……それは、ね……」
助け船は助け船でも、中に爆薬が詰められていた。リサは若干不機嫌そうに我らを見ている。リサからすれば相当に衝撃というか、胸中の霹靂だっただろう。
だが、エリーズが我に自分の身分を明かしたのは、我がエリーズを家から拐ってやる、と宣ったからであり……ひいては、アルベスタに向かってからの話であった。
つまり、この件について詳しく説明をすれば、必然としてこれまでの事を話さねばならない。エリーズは我のために無理な契約をしたこと、そのためにアルベスタに行って両親にどうにか頼みこまなければいけないこと。
我は勝手にバストロスと約束を交わし、この国を出る算段をつけていたことと、それをずっとリサに隠していたことである。
両者ともに、語れない。どちらが語っても被害が大きい。我とエリーズは、同じく一本の橋の上に居るようなものだった。そしてその橋を作っている木材は崩れかけで、かといって走り抜けた先にはリサが居る。戻るにも戻れず、かといって立ち止まっている訳にもいかない。
リサの言葉に我らは何度か適当な音を吐いて……そして黙り込んだ。
「ちょっと? ……流石に説明が欲しいんだけど。……あたしたちは同じパーティーで、同じ家に寝泊まりしてるんだからさ……多少は何か言ってくれたっていいんじゃない?」
「……うん」
「それは分かっている……」
分かっているが……あー、心の準備というやつが出来ていないのである。とはいえ、リサの言葉は全くの正論であり、不誠実に誤魔化しを続けているのは我らである。
それでも言い淀むエリーズを見て……我は覚悟を決めた。不意打ちに近い状態からなんとか持ち直した、八割程度の覚悟である。
我はそれを片手に、静かにリサへ向き直った。どこから説明するべきか……順当に我がどうしてライゼン達を仲間につけたか、というところからであるな。
「……少し長くなるぞ」
「別に。時間なら幾らでもあるでしょ?」
リサが見た時計は、午前五時を指していた。ああ、どうにも時間は余っているらしい。我は静かにため息を吐いて、ゆっくりとリサに話を始めた。
「まず、どうしてアーカムやロダキノが我に協力したかについてだが――」
―――――――――――――
「…………嘘でしょ?」
「……」
「……嘘ではない」
すべてを話終えたリサの第一声は、どうにも上擦っていた。本当に信じられないというか、信じたくもないといった声だった。だが、まったくもって全てが真実である。エリーズは北へ向かわなくてはならない。我も北へ向かわなくてはならない。リサはもう一度、たった一人に戻らなくてはいけないのだ。
話の途中で何度もリサが顔色を変える度に、我は語り口を止めようかと思った。だが、一度話を始めてしまえばそれを止めることなど出来ない。結局すべてを吐いてみれば、リサは青い顔で我とエリーズを交互に見ていた。
エリーズは申し訳が立たないのか、顔をあげることが出来ない。かく言う我も、どんな顔をすればいいか分からなかった。
リサは聞いた理由が想像よりも大きかったことに打ちのめされ、言葉を失っている。我は良いだろうが、エリーズを失うことになるというのは……どうにも堪えるのだろう。
「え、待って……つまり、金髪とエリーズはアルベスタに行って……もう戻って来ないってこと?」
「……このままでは、そうであるな」
リサは珍しく取り乱していた。そうなるだろうとは簡単に想像がついていたが、実際に目の当たりにすると、どうしていいのかが分からない。
リサは普段から、珍しいくらいに強気な女である。てきぱきと炊事や掃除をこなして、影で家計をやりくりし、それらの苦心を一切顔に出すことなく毅然とした顔をして前を見ている。
……だが、リサは強気な一面の裏に、繊細さをもっている。どれだけ強気になっていても、肝心な場面になると日和ってしまうのだ。日和り、戸惑っては迷い、小市民的な弱々しさが顔を出す。
何よりも大切にしていた家族――三年の月日を掛けてその一員になっていたエリーズがずっと自分に嘘をついていただけではなく、遠い北へ向かって帰ってこない。
折角組んでいたパーティーも、思い出も、全部が過去の物になってしまう。もう一度、独りぼっちに戻ってしまう。それを悟ったリサはひどく取り乱して、果てには目元に涙さえ浮かべていた。
「ちょ、ちょっと……ねえ、エリーズ……金髪も、待ってよ。一旦待って……だって、急すぎるでしょ? そんな、あの、心の準備とか――」
準備もなにも無いだろう。リサはこの事実を受け入れるだけの余裕がなかった。先刻のエリーズの動揺をそのまま再現したように、リサが何度も言葉を繰り返す。
すがるような、駄々をこねるようなリサの姿を、我とエリーズは見ていられなかった。特にエリーズは、唇を噛んで俯いている。申し訳ないという気持ちに耐えられないのだろう。
リサは言葉を続けた。一旦待ってくれ、と。そんなに急ぐ物でもないだとか、少し位ここに居ても、と我らをやんわりと押し留めようとしていた。特にエリーズに対しては懇願するような態度で、いつもの強気は欠片もなかった。
エリーズはそんなリサから目をそらし、言葉の数々に首を振っていた。もしひとつでも言葉に耳を傾ければ、エリーズの決意は揺らいでしまう。
己が嫌う家などよりも、ここに居る方がずっと楽なはずだ。だが、エリーズはそうできない。ロダキノやアーカムとの約束を反故に出来ない。
ここに来て、ああ、と我は思った。この騒乱は、全て我のせいである。我のためにエリーズは無理をして、リサが混乱して、こんな事態になっている。
ならば、責任を取らねばなるまい。すべてを語るだけでは済まされない。この問題の解決する糸口を見つけて、提示しなくてはいけない。
……幸いなことに、この問題の答えは、最初から分かっていた。
「ねえ、二人とも……本気な――」
「おい、リサ」
今にも泣きそうなリサの言葉を我は遮った。……そういえば、こうしてはっきりとリサの名前を呼ぶことはあまりなかったかもしれぬ。我の言葉は、我が思っている以上に緊張した色をしており、我自身でも少し驚いた。エリーズが訝しげな目で我を見上げて……そして、我が何を続けようとしているのか察し、驚いた顔になる。我はリサの目を見た。垂れ下がった似合わないつり目に、我ははっきりとこう続けた。
「我とエリーズは……アルベスタへと向かう。止めたとて、行かねばならぬ」
「……」
「――だから、我らと共に来い」
「……え?」
随分と勝手な言葉である。全てを捨てろと言っているのだ。この家も、この町での思い出も、両親の墓も、何もかもを捨てて我らと来いと、そう言っている。
だが、それが最も丸く収まる選択なのだ。そうすれば、リサは孤独を味わうことはない。エリーズの家の騒乱に対して、我と共に切り込める。
「……我らと共に来て、共に同じ景色を見ないか?」
「……」
「無理強いはしない。決断の権利はお前にある。これは、お前がどうするかの話なのだ」
我の言葉に、リサは目を丸くした。続けて悲しそうな顔になって、この家を見る。我にとって親というものがどれだけ大切かは分からぬが、リサにとってこの家はエリーズと迷うほどに価値があるのだろう。
苦しそうな顔で悩むリサに、我は少し考えて……そして、小さく笑いながら言った。
「ただ……ああ、そうであるな。もし、我とエリーズの二人旅となれば……まあ随分と、不器用な旅になるだろう」
「……え?」
「料理は不味い、台所は回らない……なんならば、掃除さえままならないのかもしれぬ」
考えてみれば、人間の王女と魔族の王の二人旅である。不器用というか、不格好な旅になるだろう。船での生活はまだしも、到着してからの生活は相当に難しい。そう思えば、リサがどれだけ普段気を回しているかが良く分かる。大切なものというのは、失ってからようやく気がつく場合が多いのだ。
我の言葉を聞いたリサは呆然と固まって、何かを想像するように視線を宙に浮かせてから……ほんのすこしだけ笑った。大方、台所に立つ我の姿でも想像したのだろう。
青い顔に少しだけ血液が通って……リサは我を見た。そして、はにかみながらこう言った。
「少しだけ……少しだけ、考えさせて」
そしたら、答えを出すから。リサの言葉に、我は静かに頷いた。エリーズも小さく頷いたように見える。血色の良くなってきたリサの目が、我の後ろを見ていた。ちらりと振り返ると、当然、玄関である。何度も通ってきた玄関の隙間からは、着々と太陽の光が差してきていた。
朝がいよいよ目を覚まし始めたのだ。それを見たリサは時計を見て、言った。
「……少し早めの朝ごはんにする?」
その言葉に、我は「戴こう」と返し、エリーズは「うん」と声を放った。時計の針が一分進んだ音が、やけに大きく聞こえた。




