第六十二話 魔王一派と終戦
亡霊が我に踏み込んでくる。折れた大剣を振りかざして放たれた一撃は……どうにも弱々しかった。いや、そこらの凡百に比べれば間違いなく鋭い。正確で、素早い一撃である。だが、どうしてだか見切れていた。我は静かに腫れた拳を握り、その一撃をいなす。
その途端に、亡霊の体から黄金の尻尾が飛び出したが、我は上体を捻って回避した。すぐさまに、ヌトが折れた剣でその体を切り刻む。一拍遅れてロダキノが伸ばした槍で尻尾を痛烈に突いた。亡霊の尻尾はライゼンの槍に巻き付くようにして攻撃を避け、そのまま掴もうとしたようだが、ロダキノはそれを読んで槍を短くした。金色の尻尾が空を切る。
亡霊はそんな事はどうでもいいとばかりに、我に迫ってきた。ヌトから受けた傷に黒い何かを滴らせながら、ひたすらに我へと剣を振るう。上、下、尻尾と同時に斜め。踏み込むとみせかけて突きを放ち、避けられたと見ればすぐに尻尾で我の行動を縛ろうとする。
だが、そのことごとくを我は見切っていた。何度も何度も亡霊は立ち向かってくるが、その度に傷を増やしては治していた。
どうにも、攻撃にキレが無い。気迫が足りない。先程までの烈火のような攻撃が嘘のようであった。まるで、薪の足りない炎のように、亡霊の攻撃は下火であった。
何度も何度も我へ剣を構え、その度に体を斬られ、貫かれる。それでも亡霊は止まらなかった。十、二十と攻撃を重ね、十分、二十分と時間を掛けて、なんとか我を倒そうと向かってきた。
しかし、その試みとは裏腹に、段々と剣から力が抜けていく。先程までと真逆であった。受ければ受けるほどに鋭さを増していた剛剣は、もはや最初に見た一撃に戻っていた。
亡霊は、何度も我を斬ろうとした。その最中に、ぶつぶつと何かを呟いている。
『……魔族を、倒さねば……魔、族を』
『あぁ、援軍は……救援は、まだか』
『応答、願う……誰か、応答を』
もはや、亡霊の剣には技量の影が無かった。元々影を落としていたであろう剣技は、ここにきて消失してしまったように見える。亡霊は壊れたように言葉を繰り返しながら、折れた剣を乱暴に振り回していた。
その姿はもう、騎士とは呼べそうになかった。
ヌトが亡霊を切り裂く。その傷はすぐに治っていくのに、どうしてか亡霊の動きは戻らないままだった。
我を含めた全員が、何かを察していた。
亡霊は、もう戦えないのだろう、と。大剣と共に、何かが折れたのだろう。もはや、亡霊というよりただの死に損ないのような雰囲気だった。
亡霊の剣が更に弱まっていく。弱まっていくのに、決して膝はつかない。剣を止めない。いつの間にか、ロダキノやヌトは攻撃を止めていた。アーカムもライゼンも心配そうに我を見るが、手を出すことは無かった。ただただ、我の拳が静かに亡霊の剣を反らす音だけが砂漠にあった。
そうして遂に、亡霊の腕が剣に負け始めた時……我は振り下ろされた剣を掴んだ。重かったが、手が切れることはなかった。折れた大剣の断面に、歪んだ茜色の空が映っていた。ここでの戦闘が始まってからおおよそ三時間半ほどが経って、ようやく亡霊の剣が止まった。太陽は地平線を朱く染め始めている。
亡霊は我から剣を取り返すために、剣を強く引っ張った。弱ったとはいえ、その力は我の片手よりも強かった。
するりと剣が我の手から離れて、その勢いに亡霊はもんどりをうった。思わず尻餅をつきそうな位であった。だが亡霊は尻尾を使って踏ん張ると、我に向けて剣を振りかざしてきた。
よろよろと、疲労した筋肉が震えるように、剣先が揺れている。
「……もう、いい」
亡霊はなんとか我に大剣を振り下ろした。我は動かなかった。大剣が確かに我の頭に近づいて――空振る。剣が折れて短くなった間合いを、亡霊は読み間違えたのだ。すぐに剣を上に戻そうとする亡霊の両手を、我は静かに片手で抑えた。
「もう、いいだろう?」
亡霊は尻尾を使って我を押し退けた。もう一度、大剣が振り上げられる。我は立ち竦んだ。亡霊の真っ黒な巨躯が、茜色の光に照らされる。傷まみれ、血塗れの鎧である。我は静かに口を開いた。
「……お前は、責務を果たしただろう。我は人間の騎士をよく知らぬが……死んでまで戦うものではない事くらいはわかる」
亡霊が剣を振り上げたまま、止まった。しかしすぐに振り下ろされる。弱々しいそれを、我は蚊でも払うようにいなした。亡霊は砂に埋もれた大剣をゆっくりと持ち上げる。その手を、我はもう一度押さえた。
今一度、亡霊の目を見る。真っ赤である。紅蓮に光って、獣のようだ。だが、ここまで近くに寄って、じっと目を見て……我は理解した。ああ、兜の奥の目が赤い。泣き腫らしたように真っ赤である。亡霊は……ずっと泣いていたのだ。それを見据えながら、我は言った。
「……お前は最後まで戦い抜いた。最後の最後まで足掻き抜いた」
だから、と我は続けた。亡霊は、一歩も動かなかった。
「だから、もう……休め。眠れ。あぁ、お前は――よくやった」
我の言葉に、亡霊が小さく震えたような気がした。弱々しいその振動が亡霊の体の中を反響して……どさり、と音がした。見れば、亡霊が両手の剣を取り落としていた。あの亡霊が、である。
続けて亡霊は、ゆっくりと膝を折った。深々と折れた膝が砂漠の上について、深々とした音が鳴る。
亡霊は跪いて、ゆっくりと頭を下げた。首を差し出すように、もしくは眠りにつくような、そんな所作だった。平原に咲く花のように首をもたげた亡霊の前に、ぽとり、と何か水滴が落ちてきた。それは……赤い涙だった。それは一つ落ちれば堰を切ったように溢れだして、ぽとりぽとりと亡霊が涙を流していく。
何度も、何度も涙が亡霊の兜を伝って……亡霊はゆっくりと前のめりに倒れた。鈍い音が鳴って、砂が跳ねる。
亡霊はうつ伏せに倒れながら、ああ、と呻いた。
『ね、眠い……眠い。あぁ、夜警は……夜警隊は何処だ……』
最後の最後、眠る手前になったとしても、亡霊は責任を捨てていなかった。自分の後を継ぐ誰かを、守護騎士長が眠りについた後の国を守る誰かを、亡霊は探した。
我はその言葉になんと返せばいいか素早く考えたが、うまく思い付かない。きちんと答えねばならない。でなければ、亡霊は安心して眠りにつけないだろう。考える我に、ヌトがはっとした顔をした。ヌトは続けて、血塗れの装いで一歩亡霊へ歩み寄り、踵を揃えて敬礼の形を取った。
そしてヌトは、はきはきとした声で亡霊に告げた。
「……遅れて参じました! 第十二衛兵隊警備課です! 夜警の交代のお時間であります!」
恐らく兵士であった頃に覚えたのであろうヌトの言葉に、うつ伏せの亡霊はピクリと動き、呻いた。いや、呻いたのではない。亡霊は小さく笑ったのだ。亡霊は眠そうに口を開いた。続く声は枯れていて、けれども、これまでで一番穏やかな声音だった。
『第十二……モーリス、ああ、君か。君なら――早上がり、出来そうだ』
亡霊は最期にそう言った。随分と人間臭い台詞を遺した。……だが、それはきっと当たり前だろう。亡霊はかつて人間だった。ならば、人間臭い台詞を漏らして、なんの違和感があるというのだろう。
亡霊が最期の言葉を吐いた時、我の中で何かが噛み合った。同時に、亡霊の体が静かに崩れていく。指先から徐々に、黒い灰になって消えていく。その光景を、我らは驚いた顔で見ていたが、我はそれに加えてもう一つの驚きを感じていた。
我の中で、何かが目覚めていく。渇いた血管に血潮が流れていくように、欠片が我の中で疼いていた。その感覚はどこか懐かしく、鮮烈である。
目の前で崩れていく亡霊の体の中で、金色の尻尾だけは灰にはならなかった。あたかも別の生き物であるかのように振る舞って、憮然と金色を放っていた。亡霊の体が朽ちて、その灰が風にさらわれていく。砂漠の風に乗って、遠くへと進んでいく。
その最中に、尻尾が淡く発光し始める。ほわほわと朧気な光であった。ライゼンやロダキノらが不思議な顔でそれを見ていた。
尻尾の光は亡霊の体が崩れるごとに強まり、明暗を繰り返す。真っ黒な巨躯の全てが遥かな砂漠へと還った時――唯一残った尻尾が、鮮烈な光を放った。
同時に何か鎖を引きちぎるような音が響く。尻尾から放たれた一瞬の光が過ぎ去った時、我の耳に四人が絶句をする音が聞こえた。見上げれば、砂漠の空は真っ暗だった。真夜中のようなその暗闇に、星を模した金色の粒子が揺らめいている。
我にとっては二度目の光景であった。
「おいおい……」
「何が起きてんだ……?」
「夜……か?」
「……魔力は感じないね。魔法じゃないよ。いや……魔法だとしたら怖いか」
唐突な夜空に四人が困惑を極めている中、我は無言で空を見上げていた。そして、ゆっくりと目を瞑る。ああ、来る。空から来る。あの日、我が受け継いだ全てが……その一片がようやく返ってくるのだ。
閉じた視界でも分かる。空の星がゆっくりと回って、線を描いて、そして我を中心にして集まってくる。そしてそれらは渦を巻き、竜巻が大地に根を下ろすように、ゆっくりと我の中へと入り込んできた。
何かが全身を巡り回って、強く脈打つ。魔王が継いできた全てが、隆々と我の中へ注がれて……静かに一点に固まった。朝露が一滴の雫になるように、我の腰元で力が凝結していく。
長いような一瞬の果て――我は静かに、金色の尻尾が戻ってきた事を悟った。懐かしい感触が尻尾から伝わってきて、再生の力が我に戻ってきたことが理解できた。じわりじわりと、体の違和感が消えていく。残っていた傷が再生したのだ。
尻尾の感触を確かめながら、ゆっくりと瞼を開く。もうそこに、夜空は無い。だが、代わりに一つ残っているものがあった。注がれた力の奔流に、ほんの少し酔った感覚が、それを見て直ぐ様に醒めた。
「……なっ……おい、どういうつもりだ?」
開いた視界で、三人の男が……こちらに武器を向けていた。ライゼンは目を丸くしながら柄を構え、ロダキノは冷や汗を流しながら槍を突きつけていた。ヌトは驚きと殺意の入り交じった絶妙な表情で、我に剣を向けている。唯一アーカムだけは、我に向けて困ったような顔をしていた。
「いや、おい……あんたぁ、そりゃなんだ」
「……これは我が求めていたものだ。我が取り返したいと願っていたものである」
「……話し方からして、乗っ取られたとか取り憑かれたってわけじゃ無さそうだな……」
「当たり前である。さっさと武器を――」
「お前は……魔族なのか?」
要らぬ誤解を解こうとして、我はすぐさま弁明をした。こうなることは分かっていたが、折角欠片を取り戻して、仲間と戦闘になっては目も当てられない。とにかく説明を、と思っていた矢先に、ヌトが鋭く聞いてきた。
我は一瞬答えに詰まって、首を縦に振った。いずれバレることである。今気が付かれても、すぐに殺されはしないだろう。我はそう考えていた。……だが、目の前のヌトは我の返答で額に血管を浮き上がらせる。折れた剣で我を睨むその様は、怒髪天をついていた。
「……ずっと、騙していたのか」
「いや、待て……落ち着け」
「俺を見て、滑稽だと思っていたんだろう? 俺達を必死に戦わせて、力を得るつもりだったんだろう?」
「……二つ目に関しては部分的に間違ってはいないが、一つ目は――」
「黙れ!」
言葉を切って、ヌトが斬りかかってきた。反射的に受け流しの構えになったが……我とヌトの間に一つの影が翻った。それは難しい顔をしながら、柄だけになった剣でヌトの一撃を弾いた。すぐさま、ロダキノがヌトを羽交い締めにする。
「クソッ! 何かおかしいと思っていたが、貴様らまとめてこの魔族の手下か!」
「誰が手下だボケナス。……放っといたらてめえが剣をぶんぶん振り回すから止めてんだろうが」
「剣を振って何が悪いッ! こいつは私達を騙していたんだぞ!」
「……まあ、その件についてはコルベルトが話してくれんだろ。少しは落ち着け」
ロダキノが我を見た。その目は真っ直ぐで、嘘偽りを許さない色をしていた。ライゼンが我に振り返る。ライゼンは我の顔を見て、続けて尻尾を見て、困ったような笑顔を浮かべた。少し遠くでは、あちゃー、といった顔のアーカムが居る。
「あんたぁ、話してくれるよな?」
「……あぁ。話そう。偽りを含めず話そう。我とて、一度戦場を共にした戦友と殺しあいはしたくないのだ」
「何が戦友だ! 魔族の癖にぬけぬけと――」
「だーまーれって。言いたいことは分かるけどよ、話はちゃんと聞くべきだろうが。もしその話があれだったら、すぐにお前に手ぇ貸すことになるかもしれねえしな」
我を見るヌトの顔は怒りに染まっていた。……この件に関しては、我に全面的な非がある。我は己の身分を偽って、唯一この中で嘘をつきながら戦っていたのだ。魔族によって滅ぼされた国の、魔族を恨む男を騙していたのだ。ヌトの恨みは並大抵のものではない。
我は先程まで背中を預けていた戦友に怒りを向けられながら、どう説明したものかを考えていた。
その最中もヌトは幾らか暴れたが、ロダキノが手を離すことは無かった。しばらく暴れたヌトは遂に大人しくなった。だが、ヌトが地面を睨みながら発した言葉が、ナイフのような鋭さで我に刺さる。
「……信じていたのに」
「……すまない」
我の謝罪など吐き捨てて、ヌトは軽く鼻で笑った。我は深く息を吐いて、目の前の景色を見る。激しい戦闘痕の残る砂漠で、斜陽に照らされながら、こちらをじっと見つめる四人の男が居た。
一難去ってまた一難である。ようやく手にいれた金色の尻尾が、居心地悪そうに縮こまったのを感じた。
……さて、本当にどう説明するべきだろうか。




