第六十一話 金色の魔王と致命の一撃
傾いてきた太陽の下で、拳と大剣が交差する。耳障りな高音が響いて、大剣が弾かれ、我の体が後退した。その隙を詰めようとする一撃をまたもや受け流して……そんなやり取りを、我は何度か繰り返していた。
最早亡霊の動きは我の体では追い付けず、受け流すことに失敗して弾くこともあった。
その度に我は後ろに後退し、ずるずるとエーテルホワイトから離されていく。亡霊が風を切りながら尻尾を振った。左に、右にと揺れて、上から振り下ろすような構えを取り、最終的に素早く剣先が突きを放った。我は冷静にそれを背後に受け流すが、その度にピシャリと拳から痛みが走る。
ちらりと見ると、我の両拳は赤く腫れ上がっており、竜鱗が砕けそうになっていることがわかる。亡霊の体力は底知らずで、壊れた人形のような動きで大剣を振るってくる。拳も、体当たりも織り混ぜた攻撃であった。それを受け流せば受け流すほど、弾けば弾くほど……流しきれなかった衝撃が我の両手に振りかかり、拳が痛む。
亡霊の攻撃は、数を重ねるごとに洗練され、振りかぶるごとに重くなっていった。我の視線をじっと見て、周りから囲んでいくように隙を潰していく。
なんとか反撃の一つでもかましてやりたい所ではあるが、どうにも分が悪いと言う他無かった。
息を荒らげ、防ぐのも手一杯――我はそんな演技をしながら、本当に少しだけ視線を傾ける。亡霊にではなく、その後ろに居るアーカムへ向けて、だ。我がどうしてこんな演技をしているのか、どうして時々攻撃を受け流し損ねているのか……それは一重に、アーカムから距離を取るためである。
我が一瞬だけ見たアーカムは、両手で砂を掴んで、なんとか砂漠を這いずっていた。背中から血液を流し、苦しそうな顔をしながら、必死に砂を掻き分けていた。アーカムはこの状況を打開できる唯一の切り札である。這いずるアーカムの先には、キラリと光る何かがあった。
大方、背中を切られた時に懐の道具が飛び出してしまったのだろう。アーカムはそれを回収するために灼熱の砂を掻き分け、必死で前へ這いずっているのだ。
我がアーカムに気が付いたのは亡霊と二、三度拳を合わせてからであった。その時は本当に気が動転したが、すぐさま持ち直せて良かったと言える。
これは我の憶測だが、アーカム自身はもしかすれば、この時を待っていたのかもしれぬ。我と亡霊の一騎討ちは、相当にお互いが決め手に欠けている。しばらくの時間稼ぎが期待できるのだ。
そんなことを考えながら、我は直ぐ様亡霊を見た。我がアーカムを見たのは本当に一瞬である。そうでなければ、亡霊に視線を察知される。我は必死の抵抗を続ける魔王を演じながら、適度に亡霊をアーカムから離していたのだ。
「……ッく!」
もう一度、極々自然に失敗を重ねる。受け流すこと自体はできるが、それは今の目標ではない。この千載一遇の機会を逃せば、四人は死神の抱擁を受けることになるのだ。
故に、我は吹き飛ばされる。無様に転げて、なんとか受け流す。その度に赤い両手に顔をしかめた。
実際に両手が痛いのは確かだが、この世界のありとあらゆる痛みを味わってきた我からすれば無傷にも等しい。戦場で痛みに倒れる戦士など居ないのである。
我は意識を亡霊に集中した。亡霊は我の癖を読もうとしてくるが、そんなことはお見通しである。あらかじめ我の頭には幾つもの型がある。それを継ぎ接ぎに組み合わせれば、癖など幾らでも誤魔化せるのだ。
打ち負けるが、追い詰められない。隙があるのに撃ち抜けない。そんな攻防を続けた果てに――亡霊が攻撃を止めた。
一瞬、アーカムの事がバレたかと思って冷や汗が湧いたが、そうではないようだった。亡霊はゆらりと尻尾を動かし……握っていた大剣を離した。大剣は重力に従って落下し、亡霊の両手に収まる。その動きを見た瞬間、我は嫌な予感がした。なんだか良くないことを亡霊が思い付いたのだろうと思った。
亡霊は軽く上体を起こし、大剣を引きずるように構えた。金色の尻尾は自由になり、巻き付いていた分だけ長さが伸びる。上と下、尻尾と大剣の二つが、ゆっくりと我へ向けられた。
「……なんだ、それは――」
言葉の最中にも関わらず、亡霊が突っ込んできた。同時に何かが割れる音が聞こえる。我にはそれに意識を割く余裕が無く、こちらへ二足で走り込んでくる亡霊を迎え撃った。
亡霊が下から救うように大剣を振り上げる。我はそれを最小限の動きで受け流したが、亡霊の攻撃は終わらない。すぐさま我の胴体へ尻尾が突っ込んできた。しなやかに我を貫こうとするそれを手の甲で弾こうとして――ぐるり、と尻尾がうねる。うねった尻尾は、音もなく我の右手首に巻き付いた。
しくじった、と思った時には、我の体は空に浮いていた。渇いた綺麗な青空が見えて、ぐるりと反転する。一気に体に加速の負荷がかかって、我は砂漠に叩きつけられた。受け身は片手で取ったが、右手の尻尾は離れない。反射的に右手を引き抜こうとするが、ぎっちりと尻尾は我の右手を掴んでいた。
もう一度、我の体が宙に舞う。縦横無尽に、乱雑に。振り回されて、叩きつけられた。その度に抵抗を試みるが、無理だ。最悪なことに、逃げる手段が全くない。まるで子供が人形を振り回すような残酷さで、我はなぶられていた。
叩きつけられるごとに砂が我の体を汚して、骨が軋む音が聞こえる。歯を食い縛って、我はなんとか攻撃に耐えていた。屈辱的ではあったが、怒りに飲まれてしまえば反撃の機会を失う。なんとか、なんとか耐えるのだ。一瞬の隙を見つけろ。
何度も世界が回転する。視界が暗転する。なんとか体を捻ってみるが、抜けない。途中、手首の関節を外してみたりもしたが、無駄であった。亡霊は何度も我を砂に叩きつけ、それだけに留まらず、両手の大剣を我にぶつけ始めた。器用に我を狙って振るわれる大剣を、間一髪で避ける。
亡霊の筋力は最初に比べれば跳ね上がっていると言っていい。その状態でもなんとか攻撃を耐えることができるが、尻尾で遠心力をつけられて大剣とかち合えば、幾ら我の体でもどうなるか分からなかった。最悪、流血をする可能性すらある。
だから我は、振り回されながら回避に徹した。
どうやら亡霊にしても、素早く我を振り回せば大剣と尻尾が絡み、かといって遅く振れば我が回避をする隙を与える、という板挟みなようで、そのお陰で我はなんとか攻撃を回避することができた。この調子で時間を、と思った瞬間――右手を掴む尻尾が、一際強くうねった。
何か、来る。そう直感した我は全身でそれを迎撃しようと試みたが……その直後、我は晴れ渡る空へと放り投げられた。思わず目を丸くしてしまった。ぶわり、と乾ききった大気が風圧となって我を包み、弱々しい重力が我の背中を引っ張っているように感じた。
圧倒的な浮遊感が我の中にあって、どれだけ投げられた、という恐怖が湧いた。風圧に耐えかねて顔を傾けると……遥か下に真っ白な町並みが見えた。エーテルホワイトである。並々と砂丘が連なっていて、そんな果てには小さくエーテルワイスらしき町も見えた。つまるところ……我は相当高くに放り投げられたのだ。
それを認識した瞬間、不意に風圧が弱まる。徐々にではなく、蝋燭を吹き消すような消えかただった。
「……クソが」
我は思わず呟いた。体が地面に引き寄せられていく。今だ今だと重力が我の襟袖を掴んでいた。落ちる、墜ちる。逆向きに風が吹き始めた。我はこの事態を解決するために、なんとか体をひねり、地面を向いた。幸い、自然と頭が下を向いたので良かったが、同時に最悪な光景が見えた。
我が墜ちる落下点……そこに亡霊が剣先を構えている。金色の尻尾と漆黒の巨躯は、砂漠で一際目立っていた。
亡霊の両手が下段に構えられる。切り上げるつもりだ。我の頭の天辺から始めて、股下までを切り上げる構えである。流石の我も、その光景を見て血の気が凍った。
不味い、不味い。我を引っ張る重力と亡霊の膂力が掛け算をすれば、この我をしても両断を避けられまい。それだけの破壊力が、この一撃にはある。間違いなく、実際の経験に沿った確信だった。そもそも何度も殴っているとはいえ、我の鱗が砕けそうになること自体が異常なのだ。
本来は山を吹き飛ばすような攻撃でなければ、余裕綽々に耐えきる魔王の鎧である。
とにかく、あの攻撃を避けねば我は市場で売られている肉のように、体を両断される。迫ってくる砂漠に、どうにか体を捻ってみるが、亡霊が直ぐ様軌道を修正する。流石の我とて、落下しながら上下反転の受け流しは出来ない。
そんなことを考えているうちに亡霊が近づいてきた。もう地面がすぐそこである。どうすればいい、どうすれば――
脳内で、アーカムの声が反芻した。
『今の君は砂漠に適応して、二回空を踏める!』
そうだ。今の我は――
風を切って墜落する我の頭に、亡霊が一歩踏み込んだ。踏み込みと同時に砂が舞う。亡霊は今、二足で立っていた。尻尾を使うつもりは無いのだろう。騎士然とした所作で、力強く大剣が振り上げられる……その一拍前に、我は全力で空を蹴った。本当ならば頭を上にして踏みたかったが、こればかりはしょうがない。時間が間に合わないのだ。
我の体は空中で急速に加速して、亡霊が剣を振るうよりも早く砂漠に叩き付けられた。ぴしり、と首の辺りから音がした。全身に凄まじい衝撃が襲って、我は顔から砂漠に突っ込み、大きく跳ねた。続けて亡霊の剣が振るわれるが、我の体を打ち据えるだけに留まった。
大きく跳ねた我の体が、またもや空を飛ぶ。何度か地面を跳ねて、ゴロゴロと砂上を転がり……なんとか止まった。攻撃を受けた片足が痛い。だが、それよりも首と鼻が痛かった。なんとか砂漠に両腕をついて、体を起こす。続けて両膝を立てようとして……目の前の砂に、赤いものが滴った。
ポトリ、ポトリと二滴が続く。砂に黒い点が二つ生まれた。思わず我は我の目を疑い、そして震えながら鼻に手を当てた。砂まみれの指先に、何か温かい液体が触れる。我の血液だった。
「ば、馬鹿な……」
ついに、流血をしてしまった。今の我には、魔族特有の再生能力さえない。それは亡霊に奪われている。鼻から止めどなく血が流れており、我は思わず驚愕した。なんとか立ち上がったが、指先の血から目が離せない。数年ぶりの流血に驚いてしまったのだ。
だが、そんな我の耳に――深々と砂を踏む音が聞こえた。はっとして亡霊の姿を探すが、居ない。次の瞬間、我の体に大きな影が掛かった。鳥だとか雲ではない。
空が落ちるのを見るように、我は上を見た。亡霊が……軽々と宙を舞っていた。見れば、尻尾が地面に向けて伸びている。地面を強く尻尾で叩くことで、しなやかに空を翔んだのか。
亡霊の両腕は肩の後ろに引き絞られていた。体の芯は斜めに曲がっていて、この一撃にすべての体重が乗るような形になっている。
「なッ!?」
完全に、殺すつもりの一撃だった。先程の一撃からすぐさま切り換えて、最速最善の一手を打ってきた。この一撃は、避けられない。受け流すことさえ出来ない。ただただ、受けることしか出来なかった。
それを見た瞬間、我は久々に死の予感を覚えた。唐突に、人生という劇の幕が閉じられていく音が聞こえた。
亡霊の大剣が、我を斬る。一瞬我の竜鱗が大剣と競り合って、押し負けた。左のこめかみから、右足の小指まで――大剣が袈裟に我を斬り裂いた。その瞬間に、左目が潰れて、視界が消えかける。しかしガラスが割れるような音が聞こえて、視界が再生した。直感的に眼球が守られたことを悟った。アーカムの道具の一つ『身受けガラス』が効果を発したのだろう。
我は全身から血液を散らしながら、斬られた衝撃で後ろに吹き飛ぶ。斬られた場所が一気に熱くなって、続けて痛みが押し寄せた。受け身も取れず、我は砂漠に背を着けた。小さく一度だけ体が跳ねて、止まる。じわり、と体から血が溢れていくのを感じる。いつもと違って、傷が全く治らない。
我は痛みを噛み締めながら、なんとか体を起こした。獣としての根元的な本能である。そして直ぐ様、亡霊に対して距離を取った。亡霊はじっと、剣を振ったままの姿勢で固まっていた。見ると、亡霊の大剣は、半ばからぽっきりとへし折れていたのだ。身受けガラスが発動した音に混じって、音が聞こえなかった。
この我を切り裂いた代償に、剣が折れたのだろう。だが、普通の剣ならば一度触れただけでへし折れている。尋常ではない固さの剣であった。
亡霊がじっと剣を見ている内に、我は己の体を見下ろした。我はざっくりと体を斜めに切り裂かれ、全身が血塗れだったが、どうにか動けるだけの傷ではあった。流石の亡霊も、我の肉を断つ力はあれど、我の頑強な骨を折る力はなかったようだ。
……高く跳んで斬られただけでこの有り様なので、もし空から墜ちながら一撃を貰っていれば、骨どころか臓器ごと切り裂かれていただろう。最悪即死もあり得たに違いない。
我はばっさりと切り裂かれた左のこめかみに触れる。斬られた場所は肉が斬れて骨が見えていた。途轍もなく痛い。痛いが、なんとか動ける。昔の経験に救われているのだ。出血が酷く、放っておけばただでは済まないだろうが、その前に亡霊に殺されないかが心配であった。
我の左目はなんとか残っているが、溢れだす血液で前が見えないのだ。加えて、骨に守られていない下腹部が不味かった。内臓は出ていないが、激しく動けば溢れ出るだろう。
つまるところ、致命傷に近かった。次の一撃を耐えられる気が全くしない。足を伝って、夥しい量の血液が流れ、砂漠に吸い込まれていた。
もう一度跳ばれでもすれば、と考え、我は渋い顔をした。だが、一向に亡霊は動かない。しまいには、我の方が出血多量でふらついてきた。
霞む意識の中でなんとか両足に力を込めていると――唐突に、何かが我の方へ飛んできた。それを避けるだけの力は当然無く、無抵抗の頭にぶつかって、何かが割れる。パリン、と音がして、その瞬間に体の痛みがマシになって、流血が止まる。
驚きに前を見ると、そこには四人の男が居た。
砕けた剣の柄だけを肩に担ぎ、明るく笑うライゼン。
血塗れの体で槍を担ぎ、心配そうにこちらを見るロダキノ。
真っ二つになった剣を片手からぶらさげて、険しい顔で我を見るヌト。
そして、こちらに向けてもう一度何かを投げる、砂まみれのアーカムが居た。
赤茶色の瓶が我にぶつかって弾け、中の液体が我の身体中に染み込んだ。途端に、傷がぶわりと熱くなる。不快な熱さではなかった。体感で、傷が急激に塞がっていくのを感じる。
唖然とする我に、ライゼンが言った。
「わりぃ、遅くなったわ!」
「本当にすまん!」
「危機感のないジジイめ……お前、まだ戦えるか?」
「本当にギリギリだったよ……僕も含めて」
血塗れな四人の言葉に、我の中の何かが熱くなる。どこかひび割れていた場所に、柔らかなものが流れていくのを感じた。その感覚がどうにもくすぐったくて、もどかしくて――ああ、嬉しかった。思わず我は小さく笑って、「大遅刻だ」と言った。
その感情に水を差すように、亡霊が呻く。金色の尻尾が微かに震えた。
『オレハ……お、俺は……俺は』
すぐさま、全員が戦闘の構えになった。全員等しく死にかけた筈だというのに、全員が鋭く武器を構えていた。アーカムが素早く後方に走って、ロダキノがそれを援護するように何歩か前を向きながらずり下がった。ヌトとライゼンが合図も無しに左右の距離を取る。
我とヌトとライゼン。三人で作られた三角形に囲まれて、亡霊がさらに呻く。ゆっくりと、震える籠手が折れた大剣の断面に触れた。
『守らな、ければ……守らな、きゃ……あぁ、みんな――』
頼む、と亡霊は言った。その声音は先程までの暴走にそぐわず震えていた。金色の尻尾は、力を失ったように砂漠に垂れている。口から吐いていた蒸気も、もう無かった。
……大方、己を騎士として形作っていた剣を失い、自分を見失っているのだろう。既に盾も失っていた亡霊にとって、この大剣は最後の砦といっても過言では無かったのかもしれない。
亡霊は震えながら、頼む、と続けた。
『……俺を――一人にし、ないでくれよ。……独りぼっちは、嫌なんだ』
全員が、亡霊の言葉に乱された。この亡霊は、かつて守護騎士長と呼ばれていた。だから我はてっきり、憮然とした男だったのだろう、と思っていた。だが、こうして全てを……文字通り、命すら失って嘆く亡霊は、純粋な一人の男に見えた。
死にたくても死ねずに、己の記憶の中のエーテルホワイトをひたすらに守り続けているように見えた。
だが、その国というのは、当然もう無い。帰ってくる人間など、とうに居ないのだろう。だというのに、この男はひたすらに戦っていた。未だに魔族を……ゼウス・アーデンの名前を叫んで、一人きりで国を守っていた。
もう守る門も、誰かを守る盾も、敵を追い払う剣も、命も……果てには、理性すら亡霊には残っていなかった。
ここにきて我は、初めて亡霊を憐れだと思った。そして一瞬だけ、我と重ねた。大切な人の居ない国を一人で護り続け、帰ることの無い人を待つ。もしも、我があの日に死んでいたとしたら……それならば、きっと――あの国には、一匹の亡霊が生まれていた筈だ。
この亡霊は、我が辿ったかもしれない未来の一つだったのだ。
亡霊は『ああ』と呻いた。そしてゆっくりと立ち上がり、静かに折れた大剣の先を、我に向けた。そして、こう言うのだ。枯れた、静かな声で。
『……あぁ、魔族の……臭いが、する』
静寂の中、その声を合図に、最後の戦いが始まった。




