第六十話 金色の魔王と砂漠の亡霊
戦闘の構えを取った我らに対し、亡霊は兜から一際多く蒸気を吐いたかと思えば、強かに跳躍した。瓦礫の山の頂点が凹んで、砂埃が散る。亡霊の跳躍は垂直の高さでも優に五メートルは飛んでおり、身体能力さえも人間を外れていた。
どうせ一目散に我に突っ込むものだろうと想定していた我は、唖然と空を見上げ……そして後ろを向いて叫んだ。
「アーカム! 避けろッ!」
亡霊は豹のように跳躍し、我らの頭上を飛び越え、後方のアーカムを狙っていた。それに気がついたアーカムが、慌てて走り出すが、いかんせん遅い。分厚いローブにさまざまなものをしまいこんでいるからか、その鈍足は我にも似通よっていた。
ライゼンとロダキノが舌打ちをしながらアーカムの元へ走る。我もその後を追ったが、どうしようもなく遅かった。
「勘弁してよっ! 本当にっ!!」
言葉と共に亡霊が地面に着地した。アーカムは多少離れたが、まだまだ射程圏内である。亡霊はうめき声の一つもなしに、アーカムの背中に飛び掛かった。
「こ、『氷の壁――」
「おらよっと!」
亡霊の尻尾の剣が翻って、アーカムの背中を斬り着けようとしたが、その間にライゼンが滑り込んで大剣を弾く。直ぐ様ロダキノが空いた隙に槍を突き出し、ヌトもその後に続いていたが、亡霊はロダキノの槍を動かず受けると、素早くそれを掴んだ。
全くもって先程までと行動が違う。尻尾という攻撃手段を得たことで、両手が空いているのだ。
「うおっ――ぉあぁぁ!」
「馬鹿が! 槍をさっさと――ぬぶっ!」
亡霊は片手で槍を掴むと、棒切れを振り回すように上下左右に振った。当然持ち主であるロダキノも軽々と振り回され、地面に叩き付けられる。見かねたヌトが声を上げた瞬間、亡霊が槍を手放した。ヌトの方向へロダキノごと投げつけたのだ。
ヌトは直ぐ様回避に徹したが、あまりに急で避けきれない。結果、二人は痛烈な音を響かせて衝突した。
背中を向ける亡霊にライゼンが斬りかかったが、それを見ることもせず、亡霊は尻尾を一振りしてライゼンをいなす。真っ赤な亡霊の目は、静かに我を見ていた。二度、三度と亡霊は我を見つめたまま尻尾を振り、耐えかねたライゼンが後ろへ下がる。
それに合わせて、亡霊が素早く四足でこちらに突っ込んできた。まるで犬のような動きだが、馬鹿にできるほど遅くはない。
「……来るならば、来い」
我は回していた足を止めて、冷静に両手を構えた。次の瞬間、亡霊が飛び掛かってきた。
亡霊は両手で我の首を狙っていたが、我はこちらに突っ込む亡霊に向かって、逆に一歩を踏み込んだ。
亡霊の動きは早いが、直線的である。合わせるだけならば簡単だった。我の右肩がうねる。拳が肩口に引き絞られて……そうして我は、目の前の空間に全力で振り下ろした。
下ろした拳の先に、指し示したように亡霊がやって来て、拳とかち合う。
パギャン、と甲高い音が鳴って、亡霊の頭が砂漠に突っ込んだ。頭部が砂に突っ込んで、少しの線を生む。我は殴った反動で後ろに少しずれたが、全くの無傷であった。動きは素早いが、なんとかなる……と考えた我の体が、横向きに吹っ飛ばされた。
「ぬぁっ!」
砂上を転がりながら思い出す。そうだ、尻尾だ。今の亡霊には尻尾がある。それで素早く殴られたのか。取り敢えず二、三度跳ねて体勢を立て直した我の耳に、何かが砕かれる音が聞こえた。見上げれば、亡霊の両手がアーカムの氷を砕いている。空からもう三つ氷塊が降り注いだが、亡霊は尻尾の剣を一振りするだけでそれを容易く打ち砕いてしまった。
亡霊は我に背を向け、アーカムへ向けて走り出したが――その直線上に素早く何かが躍り出た。ロダキノであった。ロダキノは砂まみれな顔に汗を流しながら、苦い顔で亡霊を見据えている。
無謀だが、このままではアーカムへ距離を詰められてしまう。苦肉の策というやつだろう。
ロダキノは我を真似るように、虚空へ向けて槍を振りかざし、亡霊に合わせて振り下ろした。だが、亡霊はそれを読んでいるかのように、逆にロダキノの槍を弾いた。そう、弾いたのだ。我が何度も見せたように、ライゼンが軽やかに成功させたように、亡霊はそれを学習して応用した。
ロダキノの黒槍が空へ跳ねる。しくじった、といった顔のロダキノに、黄金の尻尾が振るわれた。刃の欠けた大剣が凄まじい速さで振り下ろされ――そこにライゼンが走り込んできた。額に大汗をかきながら、必死の形相である。
なんとか体を滑り込ませたライゼンは、ロダキノへの攻撃を弾こうとしたが――ピシリと何か嫌な音がした。
「マジ――」
「おいお――」
次の瞬間、ライゼンの愛剣は飴細工のように砕け散って――亡霊の大剣が二人をまとめて叩き切った。
「なッ!?」
「えっ、ちょ――」
「クソッ! そこのガキ! さっさと逃げろッ!」
鮮血が散る。華やかに、鮮やかに、まるで二つの花が咲き乱れるように、二人分の血液が空を舞った。続けて、肉と骨を同時に両断する音が聞こえて、二人がまとめて砂上に吹き飛んだ。受け身の一つも取れず、重い音を立てて二人が転がる。
倒れたその場所から、砂が黒く色を変えていった。
硬直する我とアーカムに対して、ヌトは冷静だった。アーカムに向けて声を張っている。亡霊が、続けざまにアーカムへ突っ込んでいたのだ。我とヌトは素早くアーカムへ走り込んだが、間に合わない。アーカムも懐に手を入れながら走るが、四足の獣がその背中に飛び掛かった。
アーカムは振り返りざまにそれを見て、青い顔で何かを握りしめた。次の瞬間、アーカムの体が消えて、亡霊の飛び掛かかりが空振る。消えたアーカムは、何故だか亡霊の背後にいた。震える右手に握られているのは、勾玉――握ると三歩後ろに飛ぶことができる勾玉である。アーカムは直ぐに我らの方へ走ったが、金色の尻尾がその背中に振るわれる。
ヌトがなんとかその間に入り込む一歩前――アーカムの背中が大剣に切り裂かれた。またもや肉を切る音が聞こえ、鮮血が舞う。ぱたり、と軽い物が砂漠に倒れる音がした。
ここに来て、我はようやく理解した。もう、我とヌト以外の人間は居ない。剣先に斬られたアーカムの体はまだ僅かに動いているが、ロダキノとライゼンの体からは何か喘鳴のような音だけが聞こえていた。放っておけば確実に死ぬだろう。
我は頭が真っ白になった。全身から嫌な汗が溢れだす。血管が拡張されて、耳の奥で血の流れる音が聞こえた。
やられた。油断した。いや、油断はしていなかった。むしろ最大限に警戒をしていた。だが、それでは足りなかった。前提として亡霊が強すぎた。尋常ではない再生力、獣のしなやかさが組合わさり、そこに無茶苦茶な膂力が加わっていた。崩す死角が無かった。加えて、前半の戦いで全員が少なからず疲弊していた。ライゼンの武器も恐らく攻撃を防ぎ続けてヒビが入っていたのだろう。そうでなければ砕けずに曲がるはずだ。
いや、そんなことはどうでもいい。これからどうすれば良いのだ。亡霊はじろりと我を見て、続けてヌトを見た。近距離に居るヌトを仕留めるつもりなのだろう。我は素早くヌトに向けて走り出した。
走っている間に、考える。こちらの負傷は甚大である。ロダキノとライゼン……特に高齢のライゼンの容態が不味い。下手をすれば数分も持たずに死ぬ。それに比べればアーカムは軽傷だが、軽傷なだけで無傷ではない。早く奴が自分の回復薬で回復し、残り二人の治療をせねば死ぬ。
ならば、ここは我が囮をして、ヌトにアーカムを介護させ、二人でロダキノとライゼンを治療するべきである。
思考をまとめ、我はヌトに向けて叫んだ。
「そこを退けッ!」
ヌトが驚いたような顔で振り返って、苦い顔で我の方へ走り出した。それを阻止するようにヌトの足を狙う亡霊の剣を、我は真正面から蹴り飛ばした。当然、我の体は浮き、亡霊の剣も打ち上がる。転んだ体を直ぐに起こして、我は亡霊と向かい合った。
亡霊の深紅の瞳には、くっきりと殺意が現れていた。まるで発狂した獣のような、荒れ狂う暴風のような殺意である。真っ黒な兜から覗くその目に、我は一瞬だけ気圧された。
だが、直ぐにその目を睨み返す。一瞬の睨み合いが我と亡霊の間にあって……亡霊が、ゆっくりと四足を折った。その目は既に、我を見ていなかった。我の背後で走る、ヌトに向けられていた。
それに気がついた瞬間、我は幾つもの選択肢を浮かべた。振り返って叫ぶか、無理矢理に組み付くか、今の我は二歩飛べるという利点を生かして進路を塞ぐか。――だが、亡霊が跳ぶことはなかった。
跳ぶような仕草を見せて、硬直した我の横へ大きく跳ねて、そのままヌトへ走ったのだ。
当然、我は出遅れた。素早さで我が亡霊に勝てないのを、亡霊は理解していたのだ。咄嗟に我はヌトの名前を呼んだ。ヌトはアーカムの肩に手を回しながらこちらに振り返って、顔面を蒼白にした。殆ど不機嫌な表情で固定されていたヌトの顔は、驚愕と絶望に目を見開いていたのだ。
ヌトは直ぐ様回避をしようとして、怪我を追ったアーカムを見た。回避するだけならばなんとかできるだろう。だが、アーカムを伴ってとなれば難しい。ヌトは二択を迫られたのだ。
アーカムから手を離して回避するか、それとも慣れぬ受け流しを成功させるか、である。
ヌトは黒い瞳の中でぐるぐると結論を急いで……そして、アーカムの体を蹴り飛ばした。ゆっくりとヌトが剣を構える。額には汗が滲んでいた。我は急いでヌトに向けて走ったが、当然間に合わない。
ヌトは覚悟を決めたようだった。亡霊が近い。もう、回避は出来ない。亡霊が尻尾を振り上げて――アーカムの方へと向かった。我とヌトは、同時にはっとした顔になった。先ずはアーカムを確実に殺すつもりなのか。
しかしここでも、ヌトの判断は早かった。冷静沈着に、憮然として、素早くアーカムの元へと一歩を踏み出した。……踏み出してしまった。
亡霊が進路を切り返す。尻尾の先の大剣がヌトを捉えた。ヌトは、判断が早かった。早すぎたのである。亡霊はヌトの冷静さすら目敏く見つけていた。
一歩踏み出した姿勢のヌトに、亡霊が大剣を振り下ろす。頭から股下まで、豪快に両断する軌道だった。
「クソッ……!」
それが、ヌトの最後の言葉だった。不安定な体勢で剣を構え、無理矢理に攻撃を受け流そうとして――ヌトは手に持っている直剣ごと、体を叩ききられた。何とか体を捻って急所は外していたが、肩から腰までを深々と切り裂かれたのだ。
どうにか左半身と右半身は繋がっていたが、死ぬのは時間の問題なように思われた。
ヌトの体が重い音を立てて砂漠に倒れ込む。ヌトは傷を押さえてから、ぴくりとも動かなくなった。我はその様子を見て、思わず立ち尽くしてしまった。顔は自分でもわかるほどに真っ白で、汗が止まらない。今にも倒れてしまいそうだった。
これまでも、魔王様の力を得てから、絶望的な事態にあったことはある。神や人間の策略に敗北を喫したことは、数えるほどしかないが、零ではないのだ。何とか生き延びた、といった惨状を経験したことも一度だけある。
だが、そんなときだってこんな感情を覚えなかった。
我は、戦場で一人きりだったからだ。どれだけ囲まれて攻められようと、我は常に一人だった。誰にも死んでほしくなど無かったから、誰一人戦場には連れていかなかった。
自分が不甲斐ないから、自分が弱すぎるから、仲間を目の前で失う。仲間を護ることが出来ない。
まるで……まるで、昔に戻ってしまったかのようだった。力が無さすぎて、何一つ出来なかった蜥蜴のようだった。生き延びるしか能がなくて、仲間の死体を担いでいた俺のようだった。昔の記憶が反響して、頭がどうにかなりそうだ。
亡霊は呆然とする我に、ゆっくりと振り返った。その両目は、どこか満足げに見える。金色の尻尾からぶら下がった大剣は、ベットリと赤い。四人の血液が混じった、おどろおどろしい赤だった。
亡霊はゆっくりと我に一歩を踏み出した。我は、動けなかった。蛇に睨まれた蛙のように、一歩として――
「――ァ」
動けないはずだった。だが、我の両手は静かに構えられていた。思考とは反対に、体は戦いを放棄していなかった。本能か、体に染み付いた経験か……我の体は戦う姿勢をとっていたのだ。
ゆらり、と亡霊が二歩目を踏み込む。それに向かって、我も一歩を踏んだ。我は不思議でしょうがなかった。どうして動けるのかが疑問だった。
だが、亡霊と向かい合っている数秒の内に、理解した。ああ、と思った。
――帰らなければ、いけない。
そうだ。我は……我には、帰る場所がある。帰らなければいけない家があって、そこには二人の女が居るのだ。我の思い通りには動かない豹のような女と、自分を出来損ないだとのたまっていて、我が救うと約束した女が居る。そしてその二人は、きっと我の帰りを待っている。無事を祈っている。
二人だけではない。バストロスも、店主だって、きっと我らの帰還を祈っている。
我は一瞬だけ、爆発で破れかけた服の胸元を見た。冒険者の認識票は、爆発の影響で吹き飛んでしまったが……特徴的な赤い糸は、確かにそこにあった。首から下げられて、質素なお守りがある。
我はそれを見て、前を見た。亡霊が一瞬の隙をついてこちらに突っ込んできている。暴風のように金色の尻尾が振り回されて――正確に弾かれた。続けて亡霊の下がっている頭に、痛烈な蹴りが一つ、正面からぶつかる。威力はないが、視界が塞がることに嫌悪を示したのだろう、亡霊は一歩下がった。
もう一度見た亡霊の姿は、どうにも小さく見えた。我の汗はもう止まっていた。
――帰ろう。
何が何でも。どれだけ絶望的でも、たった一人になろうとも戦って……帰ろう。想いに連なって、拳に力が宿った。体の芯が戻ってくる。顔色もきっと、いつも通りだ。
『……』
「……悪いな亡霊。我には、帰るべき場所がある」
亡霊に向かって我は言った。どうにか体の中の力を寄せ集めて、不敵な笑みを浮かべてみせる。
「……我はどうにも、門限を破るつもりにはなれんのだ」
言葉と共に、我は一歩踏み込んだ。亡霊も気圧されることなく尻尾を振った。
傾いていく太陽に、一人と一匹だけが残った砂漠で――鋼鉄を打ち合わせる音だけが鳴り響いた。




