第五十三話 金色の思案
軽い足取りでリサの家に舞い戻った我は、本を読んで暇を潰している二人……というかリサに、これから亡霊を狩るつもりだということを説明した。エリーズは当然我の行動について知っている筈だが、我の言葉を一つ聞くたびに、リサにならって驚いた様子を見せている。
ロダキノが参戦し、バストロスの近衛であるヌトや、錬金術師のアーカムもこの戦いに関わっていることを説明すると、さしものリサも情報に追い付けないらしく困惑の極みに居た。
「え、ちょ……えぇ……?」
「それほど驚くことでもあるまい。我は元より欠片を取り戻す事が目標だと言っていたぞ」
「いや、わかってるけど……まさかエーテルホワイトの亡霊と戦うとか……しかもいきなり王様の話が出てきたりするし」
「私もうまく飲み込めないかも……」
我はちらりとエリーズを見た。いかにも驚いた様子である。どうして今更無知の振りをするのかは分からぬが、エリーズの事である。これも計算の内かもしれん。我は疑問符を浮かべながら、リサの浮かべる質問に答えていった。幸いにも、我々は随分と暇である。話す時間はいくらでもあった。
全てを説明し終わると、リサは未だに納得がいかないような半目で我を見た。
「……なんとなく話は分かったけど……それって、わざわざ嘘つく必要あった?」
「……必要があったか無いかと問われれば、まあ……無いな」
「……もうちょっと信用してほしいんだけど」
信用、と言われると何だかずきりとする。信用する、という行為をしたことが無いからである。形は知っているが、実際に成すとなれば戸惑ってしまう。戦場でも国でも、我は常に一人だったのだから。
それが顔に出ていたのか、リサとエリーズはハッとした様子を見せた。
「……善処はするが、期待はするな」
「あー、うん」
我の言葉にリサは気まずそうに言って、エリーズは苦笑いをした。何だかこの二人には、我の過去の地雷を踏まないように気を遣わせているような気がする。少々申し訳ないが、埋まっているものはしょうがない。わざわざ埋まっている地雷の前に立って「これが地雷だ」と言うわけにも当然いかないので、我はどうしようもないのである。
気まずい空気を流すために、エリーズが話題を切り替えた。
「えーっと、コルベルトさんはこれからどうするのかな?」
「……まず、組合へ向かう。勝手に集合場所を組合に決めてしまったからな。店主に説明も必要だろう」
「あんた……先に許可取ってなかったの?」
「うむ」
リサが呆れるように言ったが、無いものは無い。確かに順序は違うが、特段問題でも無いだろう。外部から三人男が来て、作戦会議をするだけである。カウンターは店主の正面に座ることになるからか、基本空いているので、場所的な問題は無いはずだ。
店主に許可をとった後は……ひたすらに鍛練であるな。こうなれば昼も夜も、この家の二人の目も関係ない、丸二日の鍛練である。このままでは堅さ以外で足手まといも甚だしいので、せめて一般人程度にはなりたいのである。そうでなくとも、戦闘の勘を思い出したい。経験は腐るほどにあるが、ここ数年は肉弾戦などしていなかったので、経験は眠っている。
その旨を二人に打ち明けると、リサは唖然とした顔をし、エリーズはなぜだかキラキラと尊敬の目を向けてきた。……悪いが、それほど見栄えの良いものではない。陸に上がった魚のような醜態を、延々と繰り返すのである。
それを思うと何だか憂鬱であるが、やるしかない。
早くも懸念すべき点が出てきたことに、我は内心でため息を吐いた。
――――――――――
昼過ぎ、リサの料理を胃袋に収めた我は、砂漠の町へと繰り出していた。相変わらず太陽はうっとうしい程に暑く、熱はいぶすように陰湿である。バウサヘキィナめ、と我は常人に聞こえない程度に愚痴を吐いて、砂岩の道を踏みしめた。
目的は当然、組合である。二人に話した通り、店主に許可を取りに来たのだ。我の予想では少し渋られた後に承諾を受けとることが出来ると踏んでいる。
そうなればあとは鍛練である。我は半ば、この外出を通過点のように感じていた。若干の面倒臭さを胸中に抱えながら、見慣れた十字路を曲がる。大通りに出て、勝手に目印としている家の路地を通り、視界の先へ組合を捉えた。
暑さから逃れるように組合の扉を押し開けると、いつもの場所に四人組が居なかった。
小道具のごとく置かれていた酒瓶も矢筒も、さっぱり見えない。どうしたのか、と若干の驚きを含んでいると、店の奥から冒険者の一人が「今日は依頼だってよ」と言ってきた。我はそうか、と淡白な返事を返し、続けてカウンターの店主を見る。
……と、同時に我は硬直した。全身の筋肉が驚愕に固まって、舌の根っこが喉の奥に滑り落ちるところであった。見開いた我の両目の先には、二人の男が居る。一人は見慣れた仏頂面の店主だが、もう一人はここ……いや、そこに居るはずの無い男である。
我は見るカウンターの先、店主がいつもグラスを拭っているその場所に――正装をしたライゼンが居た。
「兄貴……この服の大きさどうにかなんないのか? ぴっちぴちだぞぴっちぴち。これじゃあ完全にハムだろ。俺をツマミに酒を飲ましちゃあまずい」
「……お前の腹が悪い。これでも最大だ」
「……このまま腹に力を込めたらやばいぜ」
「……ボタンを飛ばしたら給料から引くぞ」
それだけは止めてくれぇ、とライゼンが言った。我に背を向けるライゼンの格好は店主と似た……というより、店主と全く同じ服装であった。乱雑だった髪も、店主と同じく後頭部で一つに結ばれている。後ろ姿だけでも、随分と変わったなと思ったが、それでも物理的に隠しきれないものがあった。
服の大きさが合っていないのである。恐らく店主の予備の服を着たライゼンは、身長差によって袖を余らせている。そのくせ腹回りや背中が強く張っていて、ライゼンの言った通りハムのようである。
とにかく、ライゼンはなぜだか店主の隣に居た。その事実は我を強烈に殴り付け、しばらくの行動不能に陥らせた。それが再起動する前に、渋い顔でライゼンを見ていた店主が、延長線上に居た我に気がついた。続いてライゼンも、店主の視線を追ってこちらに振り返ってくる。
「ん? ……うぉ、コルベルトじゃねえか! ……どうだ、この格好は。意外に似合ってたりするか?」
「……いや、待て。質問をさせろ。何故お前がここに居る」
「……私が雇ったからだ」
「俺がクビになったからだな!」
殆ど同時に二つの言葉が飛んできた。優良な聴覚でそれを聞き取って、我は微妙な顔をした。驚きと呆れが六対四で混じった顔である。だが、理解が出来ないということはなかった。ライゼンは以前の職業をクビにされ、無職になった所を店主が雇ったのだろう。道筋は分かる。……だが、やはり驚かずにはいられなかった。
ライゼンはこちらに陽気な笑いを投げているが、その腹部は実に苦しそうである。我の視線に気がついたらしいライゼンは、恥ずかしそうに腹を押さえた。
「いやあ、どうにも肉がついちまってよ。まるで酒樽だな」
「……肉というよりは油ではないか?」
「いや、油ってより肉だな。重さとしつこさが段違いだぜ」
「……日頃から運動をしないからだ」
わはは、と笑うライゼンを、店主は呆れながらたしなめた。常時酔っぱらいながら食って寝るだけの生活を続けていただろうライゼンの腹には、分厚い贅肉がついていた。それに比べれば店主は殆ど脂身の無い体をしているので、腹がきついのは当然だろう。
だが、ライゼンの姿は以前とはかなり異なっていた。髪型と服装が変わり、汚く伸びていた髭も剃られている。その結果、見た目の汚さが軽減され、今では小太りの怪しい爺程度になっている。何より大きな変化は……酒であった。
我の嗅覚が先程から酒の臭いを感じない。……いや、ライゼンの体に染み付いた酒の臭いは確かにするが、以前ほど濃くは無いのである。
「……お前、酒は飲んでいないのだな」
「ん? あぁ、まあな。今のところ、ここ数年の断酒最長記録更新中だぜ」
「……」
我の言葉にライゼンは笑い、店主はいつもの無表情でライゼンを見ていた。
「まあ、なんていうか……ほら、もったいねえなって思ったんだ」
「勿体無い?」
「そうそう。ここ最近、ずっ……と酒飲んで酔ってたから、久しぶりに酔っぱらってないのが新鮮なんだ。体はふらふらしないし、呂律は回るしで……不思議な感じだな」
「……それが普通なんだがな」
店主がそう言うと、ライゼンは「違いねえ!」と笑った。続けてライゼンが話を広げる前に、店主が一つ咳払いをして、我を見た。少しの間を開けて、店主が軽く頭を下げた。突然の行動に動揺する我に対して、店主は言った。
「……ライゼンから、話は聞いた。……また一つ、借りができた」
ありがとう。店内でかたりと物音がした。見れば先程の冒険者が、ぎょっとした顔をしている。恐らく店主が頭を下げて礼を言う事など、これまでは一度たりとも無かったのだろう。あたかも怪奇現象を目の当たりにしたような冒険者から店主に視線を戻すと、青い瞳と目があった。
途端に、我はどうしてここに来たのかを思いだした。そういえば、店主にこの店を集合場所にする許可をとらねばならぬ。
店主の礼に三竦みの沈黙となった空気を、我が静かに打ち破った。
「……あー、店主。そのことへの返礼という訳ではないが、一つ聞かねばならぬことがある」
「……何だ」
「我は二日後、ここに三人の男を招く。作戦会議と面会わせをするのである。理由はライゼンから聞いているだろう」
「……『亡霊狩り』か」
またもや店の奥で冒険者が驚く音が聞こえた。どうせならば一思いに出ていきたい所だろうに、我が入り口近くに居るから出られないのだろう。我はゆっくりとカウンターの席に歩んで、静かに腰かけた。無言と視線で、店主の言葉に肯定を返す。
「恐らく外部から人間が来ること自体は問題ないのだろうが、来る人間があれなものでな。許可を取らざるを得ないのである」
「……誰が来る」
「黒槍のロダキノ、錬金術師のアーカム……そして近衛兵長のヌトである」
ヒュー、とライゼンが口笛を吹いた。流石の店主も固い表情筋に驚きを浮かべている。また冒険者が腰を抜かすかと思ったが、どうにか驚かず、我の後ろを通っていった。
「なかなか豪華なメンツだな」
「……まあな。我はその三人と共に、亡霊を討つ。この国の王も認める一戦である」
「……勝てるのか」
今日に至って三度目の質問が投げられた。さすがに慣れた口が、有り体な言葉を紡ぐ。
「……五分五分である。何かが綻べば、どうなるかは分からぬ」
「……」
「……」
ライゼン、店主の二人が黙り込んだ。てっきり「それでもやるのだろう」とかいった質問が来ると予想していた我は、思わぬ沈黙に空回りをしたような気分になった。
取りあえず、許可だけは貰おうと考えていた我の目の前で、店主とライゼンの視線が交差し、我先にと二つの言葉が出た。
「――ならよ」
「――それなら」
飛び出した言葉は正面から衝突し、店主とライゼンはもう一度目を合わせた。何が何だかさっぱり分からない我は困惑するほか無いが、眼前では二人の男が無言の会話を繰り広げている。
片や無表情でライゼンを見下ろす店主。片やいつもの笑みで店主を見上げるライゼンである。
二人の青い瞳は一点を決めて正中に交わっており、見えない言葉がそこへ向かって流れ、交錯しているように思えた。剣士が目で間合いを測るように、見えない戦いのようなものがそこにあって、音の無い一撃が翻ったような気がした。
「……ライゼン」
「兄貴。こいつには一宿一飯の礼ってやつがある。ここは俺に任せてくれよ。兄貴はいつも通りこの店で店主をやっててくれ」
「……」
「大丈夫だぜ、兄貴。ああ、大丈夫だ。……今度は、間違えねえからさ」
何が何だかを考えている我の目の前で、店主がため息を吐いた。
「……動けるのか?」
「わかんねえな。もう剣は握ってねえからさ。でもまあ……相手が人間じゃないなら、多分……多分大丈夫だ」
「……体の方はどうなんだ」
「まあ、そいつは二日でなんとかするぜ。……あーあ、禁酒の時間が伸びちまうな」
わはは、と笑うライゼンに、我はようやく事の運びを理解した。同時に信じられない思いになって、思わず目を丸くした。驚愕する我に、ライゼンは笑みを向けて言った。
「あんたには、二つ礼があるんだ。一つは、兄貴の……違うな。ティアちゃんのエリザベスを何日も掛けて見つけてくれたこと。もう一つは……そうだな。俺に、世話を焼いてくれたことだ」
「……我はお前たちに力を借りるために貸しを作った訳ではないが……」
「知ってるさ。あんたは色々考えてるが、打算的なことばっかりを考えてるわけじゃねえ……うぉ、やっぱすげえな。聞いたか兄貴。『打算的』だってよ。久々に言ったぜ?」
この兄弟は、もう一度剣を取ろうとしている。ほかでもない、この我の為に。我が偶然と計算……もしくはただのお節介のようなもので積み重ねた貸しを、この二人は返そうとしている。
我は他人を殺して云々という因果応報は山ほど受けたが、こういったものは初めてであった。
誰かを助けた礼が、我を助けることになるとは。なんとも我の中では釈然としない。単に慣れていないだけだが、こそばゆいとも思った。目を丸くしたままの我に、ライゼンは笑いながらこう言った。
「あんたは俺達兄弟を助けてくれた。一度じゃなくて二度だ。だから一度くらい、あんたのことも助けさせてくれよ」
「……剣は握れないのではないのか」
「まあ正直、それは怖いさ。でもよ、兄貴に剣を握らせるのだけは俺が認めれねえ」
我はちらりと店主を見た。店主は珍しく腕を組み、青い瞳を伏せていた。その瞳が何を見ているのか、我には分からなかった。
ライゼンは静かに言った。酒気の無い、落ち着いた声であった。
「……俺はまだ、動ける。俺はまだ、壊れてねえんだ。ひび割れてるけど、割れてねえ。双子の悪魔は……ここに居る」
「……」
しん、と静かな空気があった。ライゼンは一言を区切った時にそれに気がつき、なんだか恥ずかしそうな顔をして笑った。そして我に向けて、冗談めかしてこう言った。
「悪魔が恩返しに亡霊を狩るってのは……なんだか馬鹿馬鹿しくておもしれえな」
「……なんだそれは」
「……」
相変わらずなライゼンの言葉に我は思わず苦笑し、店主は呆れた顔をするのだった。




