第四十七話 悪魔を殺す者
家に帰り、酔っ払ったエリーズと共にリサの料理を待つ。台所からは何やら肉の焼ける匂いが漂ってきており、どうにも期待が持てる。ちらりと時計を見ると、今の時刻は十三時手前といった所であり、一般的な昼食の時間帯であった。
「うぅ……お酒は昔からダメダメだよ……」
声の方向を見ると、先程まで突っ伏していたエリーズが、呻きながら顔を上げていた。多少は酔いが抜けたようだが、顔色はまだ赤い。空気でこれだけ酔うのならば、実際に飲んだら目もあてられないだろう。
ほんの少しだけ、この様子も演技なのだろうか、という考えが巡ったが、どう見ても演技には見えない。付け加えて、ここで酒に弱い演技をする意味など無いだろう。
「……酒を飲んだことはあるのか?」
「……あるにはあるけど……思い出したくないよ」
エリーズは昔を思い出すように顔をしかめて、少しだけ悔しそうな顔をした。その顔に触れるべきか、触れないべきかを悩んでいると、台所からリサが会話を振ってきた。
「金髪はよく飲むの?」
「我は……それほど飲むことは無かったな。酒を飲む時間自体があまり多くなかったこともあるが……」
そこまで言って、少しだけ昔を思い出した。最強の魔王として君臨していた時の記憶である。ほんの少しだけ語るのを戸惑ったが、この記憶自体は我にとって珍しく、笑い話のようなものである。
「だが一時期、浴びるように酒を飲んでいた時期があった」
「へー……」
「凄い……」
「……何だか興味が無さそうであるな」
エリーズは本心からだろうが、リサはなんなのだ。聞いておいてその反応は、随分といただけない。咎めるような我の言葉に、リサは「だって絶対暗い話でしょ」と返してきた。
「違うぞ」
「ん、そうなの?」
「あれは我が世界を征服して間もない時であった……」
人間の勢力を片っ端から滅していた我であったが、時々人間の策に溺れる時もあった。その策の一つが……国中の貯水槽の水を、酒に変えられたことである。その当時は有名な魔道具であった『酔っ払いの希望』という、触れた水を酒に変える首飾りを使われたのだ。
飲む水の全てが、大して旨くもない酒に変わった。整備した水道設備も一瞬で無意味になってしまったのだ。とはいえ水を飲まねば魔族とて辛いものがある。我を含めた魔族達は暫くの間、不味い酒で酔い続ける羽目になったのだ。
水自体は我の魔法で幾らでも出せたが、国中に配るのは難しい。そのための水道設備には酒がたんまりとつまっている。
無理矢理貯水槽に水をぶちこんで希釈しても良かったが、我はそうしなかった。代わりに……我は祭りを開いたのだ。適当に、世界制覇記念祭だとこじつけて、国中で祭りを盛り上らせた。結果、二日で酒は無くなり、我が国の国民は七割が酔い潰れた。
当然、我は逆鱗の権能であらゆる異常を受け付けない。そのため、酔い潰れた我が国を狙った人間の軍隊を軽く一掃できたのである。
まあ、翌日に二日酔いを発症した魔族が続出し、国政が麻痺しかけたのはあれだが、我にとっては中々に面白い体験であった。それからも一年に一度祭りを開くが、あの時程の滅茶苦茶さは当然無い。それはそれでいいのだが、我としては多少寂しい思いもあるのだ。
……と話すと、二人は祭りの様子を想像したのか苦笑いになっていた。何、魔族は頑丈である。多少そこらで爆発が起きた程度では死なない。結果として死傷者もゼロであったし、祭りは大成功だったのだ。
「魔族だから出来る荒業ね……」
「想像するだけではちゃめちゃなのが分かる……魔族って怖いなぁ」
「……まあ、怖くないとは言わぬ」
そんな事を話していると、料理が出来たようである。料理の音が止まり、後始末をする音を聞いて、我はゆっくりと背筋を伸ばした。エリーズも、我の話の途中で酒気が抜けたのか、いつも通りの顔である。いつも通りの顔に、いつも通りの食欲を滲ませて、リサの料理を待った。
さて、食事の時間である。
―――――――――――
「うむ……至福である」
「お腹いっぱい……」
「そんなに詰め込まなくても良いのに……」
エリーズは腹部を抑えて天を仰ぎ、我は空の皿を前に何度も頷いている。我らを見ながら料理を口に運ぶリサはなんとも萎縮しており、だかしかし、それを指摘すればつんと跳ねるのである。
全くもって素直ではないな、と思いながらリサを見ていると「見られてると食べづらいんだけど」と小言を言われた。
しょうがなく適当に家の中で視線をさ迷わせていると、エリーズが少し遠慮がちに我を見た。
「コルベルトさん」
「何だ」
「えーっと……言いたくなかったらいいんだけど……アリシノさんと何を話してたのかなって」
端的に言えば、我についての話である。少し記憶を巡らせれば、あの無表情が思い浮かぶ。同時に、その無表情が崩れた瞬間もである。
――貴方に賭けたい。
何を馬鹿なことを言っているのだ、と今更ながら思う。思うが、それをもしあの女に言っても、それすら受け流してきそうである。できればアーカムに並んで関わりたくはない。
「……お前達が気にすることではない。別段、言い争った訳でもないのだ。適当に話しただけである」
「そうなんだ……じゃあ」
アーカムさんについて、何か言ってたりは? とエリーズは言った。その言葉に、我は自らの思考が読まれたのかと思ってひやりとした。だが、こちらを見上げるエリーズの目に不思議な色は無い。単に聞いてきただけである。
「……いや、何もなかったな。どうかしたのか」
「……」
急にアーカムの名前を出したエリーズに、我は興味があった。リサも食事を口に運びながらちらりとエリーズを覗いている。エリーズは我の質問に答えなかった。代わりに顎に手を当てて、静かに眉をひそめる。
「……何でもないよ」
「……そうか」
エリーズはいつもの無防備な笑顔を浮かべながら言った。どう考えても、何もない訳がない。が、この女がそう言ったのならばどれだけ追求しても何も言わないだろう。とはいえ、悶々としたものは残る。リサも同じようで、フォークを持った片手が遅々としている。
「あ、でも……ちょっと用事が出来ちゃったかな」
「……出掛けるってこと?」
リサがそっと聞くと、エリーズは頷いた。珍しくエリーズの方から出掛けるらしい。基本エリーズはリサに引っ付いてその後を追っているので、自発的な行動は殆ど起こさない。
エリーズは用事が関係しているのか、若干緊張した面持ちをしており、笑顔にぎこちなさがある。
リサがエリーズに何かを言おうとして止めた。恐らく、ついていこうか、といった事を言おうとしたのだろう。だが、エリーズの方から同行を願われていない以上、エリーズは一人で行くことを望んでいるはずである。
エリーズは、うーん、と体を伸ばした後、ご馳走さまー! と元気よく言って、自分の食器を片付け始めた。急いでいる様子は無いが、その用事というやつがエリーズを動かしていることは明白であった。
我もつられて食器を片付け始めるが、大して用事はない。つまりリサと二人で午後の暇を過ごす訳である。初めに比べ気まずさは格段に少ないが、二人となるとどうにも変な気分である。
午後をどう過ごすか、と我の脳が回転し……一つの単語を弾き出した。
『古参の銀』
恐らくライゼンが勤めている酒の専門店か何かだろう。行ってみるか、と一つ考えて、その必要性の無さに食い止められた。そもそもライゼンと出会えるか自体が微妙な所であり、出会った所で話すことなど何も……いや、店主の話を聞くことができるな。
ライゼンは微妙であるが、店主は今でも相当の実力を持っているに違いない。体の筋肉の作りで分かるのだ。エーテルホワイトの亡霊を狩るとなれば、なるべく力を借りたい所である。だが、そのための手段が何一つない。取っ掛かりすらない。
そもそも我は店主に関して全くの無知なのだ。もしライゼンから何か話を聞くことが出来れば、店主に対しての切っ掛けになるやもしれぬ。……問題は会話が成立するか、という話だが。
我は食器を片しながら少し考え、家で暇を潰すよりは有意義だろうと考えた。
「……我も用事ができたな」
「え?」
「あぁ、そう……あ」
我の言葉にエリーズは驚き、リサは何だか微妙な顔になって、何かを思い出したようであった。どうした、と聞くと、リサは金がどうだとか言った。
「あたしがいつもお金持ってるけど、あんた達が出掛けるんだったら少しくらい持ってないとでしょ」
「それは……うん」
「金を使うつもりは毛頭無いのだが……」
「少しは持っとくだけで違うのよ」
リサはそう言って、料理を一息に平らげ、二階へ向かった。少しして、よくわからん布袋を二つ、我とエリーズに投げた。受け取ると、ちゃりんと金属音がする。後ろで、あわ、と声が聞こえ、何かが落ちる音が聞こえた。エリーズが布を受け止め損なったのだろう。
それを背後で聞きながら、布の中身を確認する。中には銀貨が十五枚、銅貨が二十枚入っていた。
この町の物価からして、これだけあれば多少のことが起きてもなんとかなるだろう。エリーズは袋の中を覗いてあわあわとしている。
「スリとか気をつけてね? 多分金髪は大丈夫……だと思うんだけど、もし盗られたら追い付けないと思うから」
「まず盗まれることが論外である」
「き、気を付けます……」
我とエリーズの言葉を聞いたリサは、それなら良し、と言って台所へ向かった。あとは好きにしろ、ということだろう。戸惑うエリーズを置いて、我は静かに準備を始めた。
――――――――――
外に出て、街道を行く。周りを見渡せば、相変わらずな町並みがあった。強烈な日射と、それに比例して浮き出る深い影の中を、人々は器用に縫って進んでいる。元が蜥蜴である我にとっても、体温調節は大きな問題である。
人波に倣って、日光を避けながら歩いた。ちらりと上を見ると、積み重なった家々の住民達が、茹だるような暑さに負けることなく生活を営んでいるのが見える。干していた服を取り込み、窓際の植物に水を与え、中には上を走り回る子供も見える。
そういった光景を見ると、なんとも人間とは強かであるな、と思った。前の世界の砂漠が人外魔境であったこともあり、我にとって砂漠というのは到底人の暮らせる場所とは思えなかった。だが、こうしてみると人間は確かに砂漠を生き抜いており、確かな生活の基盤があった。
と、ここまで考えて、一つのことに思い至った。確かリサの言う所では、この町はエーテルワイスという街の難民によって構成されている、と。街の崩壊は今から五年ほど前。
「……そういうことか」
我はエリザベスを探して上流に至った時の疑問を思い出した。バストロスの住んでいた王城が、あまりにも綺麗であったことを。どうして城壁の一つも無いのか。また、城の外に並べてあった幾つもの建材と、忙しく働く下流の大工共……奴らを思い出すと腸が煮えくり返るが、今は忘れよう。
この国は、生まれて間もないのだ。最初に見たとき、どうにも小さいと思った訳である。城壁も、防壁の一つもない。なんとも不完全な町である。我は納得と同時に思った。
であれば、バストロスは今から五年前……恐らく十幾ばくかの頃合いで、国を建て直したのか?
魔族に全てを破壊され、命がらがら生き延びたとなれば、バストロスが唯一の王族であることにも理由がつく。とはいえ、それは随分と荒唐無稽な話であった。それほどの子供に、国が造れるのか? 魔法を多用したことは言うまでもないが、だとしても五年でこれほどのものを……。
我は周りを見回した。同時に、その想像に戦慄した。それが仮に真実であるのならば、あの男は我なぞ及びもつかない怪物である。国を造るのは、そこらの凡人に出来ることではないのだ。我でさえ、力と恐怖をもってしても国を維持するのがやっとであった。
そこまで考え、我は思考を断ち切る。いいや、止めよう。予想を語って、その影に怯えるなど馬鹿らしい。我は頭を振って、近くの適当な露店の店主に情報を聞くことにした。
幾ばくか人を経由し、やっとのことで店の場所が分かった。が、その所在は下流に近い。分かってはいたが品の良い店ではないようだ。辛うじて下流ではないことに安息しながら、我は『古参の銀』へと向かった。
途中、暑さに喉が渇いた。しまった、もっと水を飲んでおくべきだった、と後悔しながら影を渡ると、我の鼻先に若干の血の臭いが掠めた。なんとも獣臭いが、人間の血である。
どうやら人々は雑踏に混じって臭いがわからないらしく、気にした顔はない。我自身もさしてどうするか、と言われればどうもしない。歩いてきたこの場所は中々に治安が崩れてきているのだ。血気盛んなのは経験済みである。
とはいえ、性というかなんというか、気になるものは気になる。店は近いので、ちらりとだけ見ようと匂いを追った。少し路地裏を歩き、曲がり角を二つ曲がると、何者かが壁に凭れて倒れていた。血溜まりとまではいかないが、足元は赤い。
身なりは汚ならしく、そこらの放浪者だろうと我は予想した。
昼間から運の悪い奴だ、と踵を返そうとし……その放浪者の手元を思い出した。振り返ると、男は右手に酒の瓶を持っていた。我はぞっとして、男の顔を見る。
「――ライゼンか?」
「……んぁ?」
暗い上に顔から出血しており、面影は殆ど見えないが、その髪型と体型……そして声には聞き馴染みがある。自慢ではないが、記憶力は優れているほうだ。我は鮮烈な驚愕に体を打たれた。
固まったままの我をライゼンは首だけ傾けて一瞥した。
「えーと……誰だ?」
「……ヴァチェスタだ」
「あぁ……?」
先程まで会話をしていた筈だが、ライゼンは我の事を覚えていないようであった。首を傾げ、深く息をしながらなんとか我を思い出そうとしている。酒に酔いすぎて記憶が飛んでいるのか?
我は呆れたような、心配するような感情になった。呆れが七割であるが、三割は確かな心配である。この男は放っておけば三日と持たずにくたばりそうである。
「んーと……あぁ、あのカッコいい冒険者か」
「……」
「いや、すまねえな……んーっしょっ……と」
あぁ、と酒に焼けた呻きを上げながらライゼンがたち上がろうとし、失敗して座り込む。わはは、と力無くライゼンは笑った。その一部始終を我は静観し、声を出さなかった。出せなかったのである。立ち上がろうとする鼻先に、真っ赤な血液が滴って、汚いズボンにシミを増やす。
何度かライゼンはたち上がろうとして、そして諦めた。
「あぁ……すまねえな。立ち上がることもできねえや」
「……」
「あんたぁ……どうしてここに居るんだ?」
「……古参の銀という店を探して、お前に会おうとしたのだ」
古参の銀、という名前を聞いて、ライゼンは笑った。
「わはは……何度もすまねえな……もう、そこはクビになっちまった」
「……」
「若いのがかなり血気盛んでよ……ボコボコにされた挙げ句俺の方がクビにされちまったぜ」
あーあ、若さっていいよな、とライゼンは笑うが、我は返せない。聞きたいことも、話したいことも、全てが潰れてしまった。ライゼンはただ、右手の酒の中身を確認して、それを我に見せながらこう言った。
「……お前も、飲むか?」




