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金塊の夢  作者: 平谷 望
第一章 金色の魔王と砂漠の亡霊
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第四十五話 正しいことと、正しくないこと。

 教会の中に入ると、しんとした空気だけがあった。風の一つ、鳥の声すらしない。嫌な静寂ではなかった。場をわきまえるような、適切な沈黙である。そんな中を二つの足音で波立たせて、我とアリシノは教会を歩いた。妙に長い説教台への道を経て、アリシノはステンドグラスの前でくるりとこちらへ振り返った。


 その雰囲気に異様な所は何ら無く、至って平静である。いつもの我であれば変な勘繰りを極め、この状況でさも知っているかのように「我に告白でもするのか?」と言っていたのかもしれぬ。

 そんな仮想を踏み越えて、我は冷静に言った。


「……さて、アリシノとやら。我を呼び止めたのはどうしてだ?」


 我を呼び止めるということは、それなりの言葉を持っているのだろう。そんな揺さぶりを含めた言葉に、アリシノは大した反応をしなかった。基本が無表情なアリシノは、瞬きを幾つかしたのみである。

 その様子に違和感を抱いていると、アリシノはまたもや何かを考えた。


「……」


「……一体何なのだ。我は暇ではない」  


 急かすようにそう言うと、アリシノは、そうですか、と言った。まるで他人事のような言葉に、我がため息を吐こうとした時、アリシノが静かにこう言った。


「……私に何か、聞きたいことがあったのではないですか?」


「……何だと?」


 聞きたいことがあるのはそっちではないのか。あまりにも頓珍漢な言葉にぎょっとしていると、続けてアリシノは言った。


「私……いえ、神の道に通じる者に、貴方は尋ねたいことがあった。そうですね?」


「……」


 探り当てるようでいて、断定するような口調。我はそれの前に無防備に立たされ、そして深々と撃ち抜かれた。返事の言葉は口から出ず、空いた風穴から漏れているようであった。

 我は静かな無言を保ち、ゆっくりとアリシノを見た。アリシノは最初に見たときと一切変わらず、悵然ちょうぜんとした目でこちらを見ている。身長差を考えれば見上げられている筈なのだが、そのときの我には、どうにもその差が無いように思えた。


「どうして分かったか、と思っていますか?」


「……」


「……目です。貴方は私を最初に見たとき、一瞬期待して……そして、失望しましたね? 大方、私の姿を見て質問を止めたのでしょう」


 目は口ほどに物を言う。それは我も分かっているつもりであった。だが、人を見抜くのは得意でも、人に見抜かれるのは慣れていない。我にとってそういった感情を瞳から切り離すのは、中々難しかったのだ。


 我は、この女に……いや、神を奉じる者に聞きたいことが一つあった。だが、実際に目の前に現れた存在は、いかにも司祭然とした人間ではなく、ちんまりとした体型で無表情な、そんな女だったのだ。だからこそ我はその言葉を飲み込んで、素知らぬ顔で仕事を続けていた。

 そんな図星を突かれて黙り込む我に、アリシノは言った。


「私は司教です。人を導き、神の道へと進める者。ですがそれ以前に、迷える者を救う者でもあります」


「……」


「それで、コルベルトさん。貴方が聞こうとしたのは、一体何ですか? 私に答えられる範囲であれば、是非答えましょう」


 我はこの期に及んで、言葉を濁そうかと考えた。何のことだととぼけようとさえ思った。この先に続く言葉は、我にとって忌むべき言葉なのだ。己自身ですら処理できず、どうにもできず、そんな悪感情にも似た物を知らない他人に問うのは……大きく抵抗があった。


 だが、このままそれを抱えていれば、いずれ面倒なことになるとも思っていた。誰かに聞かなければ、この疑問は消えないことを知っていたのだ。

 だから我は、大きく悩みながらも――その言葉を口に出すことができた。


「……我は」


「……」


「我は、昔に罪をおかした。激情に駆られ、数えきれない罪を冒した。単純な罪ではない。膨大で、長大な罪だ」


 我は大罪を冒した。憤怒に駆られ、夥しい程の命を殺した。全身が返り血で真っ赤になって、前が見えなくなるまで殺した。国を幾度と無く滅した。抵抗も、命乞いも、耳に入れずに殺し尽くした。

 人間も、妖精も、その他様々な種族を一括りに合わせて虐殺を繰り返した。


 そうして今、ここに居る。そんな罪を抱えて、平気な顔をしている。


「どれだけの罪を重ねても……今まではそれを悔やむことも、罪悪感を覚える事もなかった」


「……」


「だが最近、ずっと思っていることがあるのだ」


 リサの独白を聞いてから。いや、きっとそれよりも前に……例えば、血に満ちた悪夢を見たときから、ずっと我は考えていた。世界が始まって今の今まで、最も多くの罪を積んだであろう我が、平々凡々に生きて良いのか。のうのうと歩いていて良いのか。


 これまでの罪を、つぐなうべきなのではないか。


 だが、償いと言われても分からない。我にはそれを知る機会が無い。だから、知りたかったのだ。今更に開いたこの傷跡を、どう縫えば良いのかを。


「……我の罪は……果たして許されるのか、と。償えるのかと、そう思ってしまう。どうしようもないくらいに、我は罪を重ねた。もうこの身一つでは到底償いようもない」


 我は嘆息して続けた。


「神に頼るのは死ぬほど嫌だが、このまま罪を背負っていても、いずれ潰れて死にそうなのである」


 芽を出した罪の意識は、ただの蜥蜴には重すぎた。どうしたら良いのかさえ分からない。だがそれでも、誰かに聞くことなどはばかられた。リサにさえ、エリーズにさえ……それを聞くことは出来なかった。だから、それを知っているかもしれない他人を、我は求めたのだ。


「……だが、見た目にはお前はひ弱そうである。とても答えを知っているようには見えなかったのだ」


 我がそう言うと、アリシノは静かに頷いた。何に対しての肯定かは知らないが、アリシノは確かに何かを見つけたようであった。アリシノは手持ち無沙汰な両手の指を柔らかに絡めてこう言った。


「貴方は重い罪を冒したのですね。重い罪を、沢山に。言われなくとも、言葉でわかります。沢山の物を切り裂いた。重ねた糸を断ち切った」


 アリシノの表情は変わらない。茶色の瞳が硝子がらすを一枚隔てて、我の事を見ている。その瞳に揺れは一つもなく、佇まいに淀みも無かった。

 身動ぎ一つせず、まるで一本の槍のような在り方で、アリシノは続けた。


「貴方はようやく、罪の形を悟ったのですね。歩んできた道の足元を見たのですね。……であるのならば、尚更なおさら――貴方の罪は、許されません」


「……」


 暫くの沈黙があった。我も、アリシノも言葉を発しない。正確な、断罪の言葉であった。分かってはいても、言葉を失わずにはいられなかった。

 開ききった我の傷口に、アリシノは更に痛みを重ねる。


「きっと、多くの人間が苦しんだでしょう。泣き叫んだでしょう。……その罪を、今更清算できる訳が無いのです。貴方は大罪人であって、都合良く他人に許されることも、自らを許すことも出来ません」


 まるで殺すような響きを持った言葉に、我の心は確かに呻いた。視線はぎこちなく下を向いた。前を見上げることが出来なくて、アリシノの重なった指先だけが目の前にある。

 知っている。分かっている。壊れた街で確かに見た、凶悪な自分の顔を。あの時見た我の顔は……確かに笑っていたのだ。


 復讐を成せることが嬉しくて、重ねた鬱憤が消えていくのが愉しくて……我は壊れた街の真ん中で、死体の山の頂上で、高らかに笑っていた。


 そんな化け物が、人にも魔族にも混ざれない半端者が……大袈裟に今更、罪がどうとかを口にするだけで気持ちが悪いと思った。

 突然に、自分の体が重くなる。呼吸の一つが難しい。いっそこのまま、この重みに潰されれば良いという思いがあって――アリシノが、そこに言葉を差し込んできた。


「――けれども」


 それは確かな言葉だった。許しを与える言葉でもなく、罰を与える言葉でもなかった。中立に透明で、まるで光のような言葉だった。


「貴方の命を自ら断つことは、最も許されません。貴方は罪人で、その罪を永遠に償い続けなくてはいけないのです」


「……」


「貴方が蔑ろにした全ての為に、愚かな貴方が冒した全ての罪の為に、貴方は生きなければなりません。生きて、償うのです」


 逃げ出そうとした手首を掴まれたようだった。思わず顔を上げてアリシノを見るが、相変わらずの無表情がそこにある。生きろというのか。この我に。

 アリシノの言葉は、刺すような鋭さを持っていた。暖かく我を留めたリサの言葉とは、全く真逆のものを感じた。


 我は途端に何もかもが分からなくなって、こう聞いた。


「……ならば一体、どうすればいい。どう生きればいいのだ。毎日を悔やめばいいのか? 日々を懺悔すればいいのか?」


「……違います。そんな程度で、罪は償えません。それだけの罪を、貴方は冒したのでしょう?」


「ならば一体――」


「罪は消えません」


 アリシノは断定した。そして、ますます混迷する我に向けて、静かな視線を向けてくる。その目に射竦められた我は動けずに、その次の言葉を待った。

 アリシノは、だから、と言葉を継ぐ。


「貴方は一生、その重さを知りながら――誰かの為に、生きなさい」


「……」


「誰かを助け、笑顔にしなさい。世界を歩き、人の為に生きて……そしていつか、貴方が苦しめた全ての人と同じ数、それ以上の人を救いなさい。そうすればきっと……もしかすれば、貴方の罪は『許された』と言われるのかもしれません」


 綺麗事だ、と思った。そんなことが出来るわけがない。この我に、誰かを笑顔にしろだと? 無理だ。不釣り合いにも程がある。だというのに、どうしてだか納得のようなものがあって、我はそれに相反する言葉を吐いた。


「そんなこと……出来るわけがないだろう」


「出来るか、出来ないかの話では無いのですよ。大切なのは、貴方に正しい心があるか、です。それでもきっと、貴方は『無い』と言うでしょう」


 無いだろう。無いに決まっている。正しい心とかいうのが何なのかは知らないが、我に『正しい』という言葉は似合わない。行いも、在り方も、吐く言葉でさえ偽物で、どこを見たところで正しくなどあれはしないのだ。

 だが、それをそのまま口に吐くことは当然出来ず、我は無言でアリシノを見た。そんな我の顔はきっと、苦いものを見るような、怯むような、そんな表情に違いない。


 それを正面から見つめ返しながら、アリシノは言った。


「だとしても私は……貴方の中に眠る善を信じます。確証は無いですが」 


「……どうしてだ」


 アリシノはそんな我の顔を見て、その上で我の善を信じた。分からない。出会って数刻の知らぬ男を、どうしてそこまで信じるのだ。独白はしたが、ここまで信じられるものとは思えぬ。

 もしかすれば、この言葉が嘘であっても可笑しくはないのだ。荒唐無稽な冗談で、この女はそれに親身になっている。そんなことだってあり得る。


 そんな疑問を剥き出しに投げ付けると、アリシノは言葉を止めた。口を閉じて我を見、そして……初めて無表情を崩して笑った。硬い口元が、静かに三日月を描いている。

 困惑する我に、笑うアリシノが言った。


「そうですね……どうしてか、ですか」


「……」


「……敢えて言うならば――勘、でしょうか」


「……は?」


 我は眼を剥いた。そんな我を見て、アリシノは再びくすりと笑う。組んだ左手を口元に添えての控えめな笑顔である。こいつは我の事を馬鹿にしているのか? 先程までの言葉を吐いた理由が……勘だと? 


「貴方が善であることを、私は信じています。貴方の言葉が嘘で無いことも信じています。先程言った通り、確証はありません。でも、そんなものでは無いでしょうか?」


「……どういうことだ?」


「他人を信じるということは、賭けに似ているのです。……もしかすれば、貴方の全てが嘘かもしれない。何もかもを、裏切られるのかもしれない。だとしてもそこには、全てが真実である可能性があります」


「……お前は馬鹿なのか?」


 我は思わず言った。この女は、己の勘に全てを賭けて、我を信じると言っている。何もかもが嘘でも、ほんの一分の真実を信じると言っている。あまりにも綺麗事である。人の善さを信じすぎている。

 我の言葉にアリシノは、そうかもしれません、と答えた。


「……けれど、だとしてもです」


「……」


「司教は……いえ、宗教家は多くが娯楽を禁じています。酒も煙草も……当然、賭博も切り捨てます。ですが、もし……今この時だけ、御神が片目を瞑って戴けるのならば――私は、貴方に正しい心が在ることに賭けたい」


「……大外れを引くことになるぞ」  


 こいつに何を言っても無駄に違いない。そんな心持ちの元、半ば捨て台詞のように放った我の言葉に、アリシノは驚いた顔をして、そしてもう一度笑った。


「大外れがあるなら、大当たりがあるのでしょう?」


「……詭弁だな」


「そうでしょうか?」


 一瞬だけ、納得をしてしまうところであった。子供のような言葉に騙されて、我に正しい心とかいうのがあると信じそうになった。これだから、神職の人間は好かないのだ。いつの間にか手玉に取られているような、そんな感覚さえする。

 我は億劫にため息を吐いて、ゆっくりアリシノに背を向けた。


 聞くことは聞いた。それがなんなのか、どういった答えであるのかは別として……確かに我は答えを聞いたのだ。であれば、満足である。これ以上、この女と言葉を交わすのは面倒だ。背を向けた我に、アリシノが言う。


「帰るのですか?」


「……そうだ」


「そうですか」


 アリシノの声は淡白であった。どうせ振り返れば無表情に違いない。散々くすりとした顔を見せて今更に無表情なのは、どうにも組合の店主に似ていた。

 そんな事を思いながら、我はゆっくりと教会の外へ向かった。歩く一歩が小さいような、大きいような、そんな感覚があった。


 少し離れた後方で、アリシノが小さくこう言った。


「どうか、貴方の心にいつしか平穏が生まれることを……切に祈ります」


「……余計なお世話である」


 そう呟き返して、歩き出す。その一歩がどうしてか軽く、その軽さが我をどうにも不機嫌にさせた。

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