第四十四話 剃刀
デニズとの会話は、掃除が終わるまで散漫的に続いた。そのどれもが、とても他愛のないことばかりである。好きな食べ物や、我がどうやって戦うのか等……特に盛り上がったのは、これまで生きてきた中で、最も痛いと思った経験の話であった。
デニズは股間に雷の魔法を食らった時、と反応に困る体験を上げた。我はと言えば、開拓班時代に食らった蜘蛛の毒の話をした。
説明すると長くなるが、簡単に言えば全身に新しく骨が生えてくる毒である。骨の増え方に規則性は無く、適当に体の隙間に骨が生える。小さい物も有れば、大きいものもある。頭蓋骨の表面に、肋骨の裏に、背中に、腰に……十や二十では済まない数の骨が無理矢理に生えてくるのだ。全身の形状が変形する痛みは確かに痛いが、それよりも壮絶なのがそれを切除するときの話である。
手足を切断すればすぐ治ると思いきや、増えた骨まで同じく再生するので、もう一度骨の生える痛みを経験する羽目となる。更に面倒なのが、生えた骨を折っても同じく再生する事である。この毒に初めて被害を受けたのが我なので、どう対処したものか分からず、何度も腕を切られ骨を抉られと実験台さながらに散々な目にあったものである。
二日で治ったから良いものの、もう少し長引いていれば大変であった……と、デニズに話すと、冗談キツイぜ、と真剣に取られなかった。とはいえその両膝が軽く震えていたので、なんとなく満足である。
さて、そんな話は捨て置き、掃除が終わった。今では長椅子の上も下も、大理石の床にも埃一つ無い。目立つ汚れはデニズがどうにかしたらしく、雑巾を片手に腰を伸ばしていた。
「この後は畑の仕事とやらだな?」
「まあ、そうだな。つってもそっちはかなり楽だから、直ぐ終わると思うぜ」
「そうか」
話していて気がついた。存外、ぎこちなさがない。最初こそなんとも噛み合わないというか、手繰り合わせるような空気であったが、今では軽く会話が出来る。歯車に油を差したようだった。
互いを多少でも晒し合ったからか?と考えていると、デニズが我を呼んだ。
「コルベルト」
「……うむ、何だ?」
「アリシノさんに報告しに行こうって言ったんだが……聞こえてなかったか」
「そうだな」
有り体にそう言うと、デニズは苦笑した。そして箒と空の塵取り、雑巾を手にすると、例の扉に向けて歩き出した。扉を抜けると、幽霊屋敷のような通路の登場である。若干興味があったので、この教会の孤児院出身というデニズに、白い布の下を聞いた。
「おい」
「ん?」
「あの布の下には何があるのだ?」
「あー……まあ、色んなもんだな。楽器だったり絵画だったり……中にはちっちゃな立像みたいなもんもある」
ふむ。言われて見てみるが、流石に透視は出来ない。そんなものか、と思うのみである。扉の前の用具入れに用具をしまうと、デニズはアリシノの居る扉を三度叩いた。すぐにはい、と返事が聞こえて、足音が鳴る。
ガチャリ、と扉が開いた。
「掃除は終わったようですね」
「はい」
アリシノの言葉に、デニズが返事をした。その間我は開いたままの扉から見える向こう側の景色を小さく覗こうとしていた……が、すぐにアリシノが気が付き、むっとした表情を浮かべる。
「他人の部屋を覗き見るのは感心しませんよ」
「覗き見るも何も、元々見えているだろう」
「首を伸ばして見える景色を、元々見えていると言いますか?」
「……首は伸ばしていない」
「目だけであろうと同じことです」
適当に言えば言いくるめられるだろうと思っていたが、逆に言いくるめられてしまった。アリシノの口調は一貫として淡白であり、あの女神同様に変な厳格さが垣間見えた。特に余り感情が浮き沈みしないのが似ている。
これ以上話していても面倒だと思ったので、我はため息と共に言葉を飲み込んだ。
「……さて、仕事の説明をしましょうか。孤児院のお二人は、恐らくですが既に畑に行っていると思いますので、取り敢えず合流しましょう」
そう言うとアリシノは後ろ手で扉を閉め、着いてきて下さい、と我らの前を歩いた。どうやら案内をするつもりらしい。すたすたと身長相応に小さな歩幅で前へ進むアリシノの後を追い、教会から一旦出た。
そこからどこへ向かうのかと思っていると、教会横を通り、裏手に回った。最初の予想通り、畑や孤児院は裏手にあるらしい。教会の横を抜けると、少し開けた場所に出た。
まず目の前には大きな家一つ程度の小さい畑がある。育てられているのは芋や人参など、根菜や野菜が多いようだ。その畑を挟んで向かい側に、大きな木造の建物があった。石と木材を組み合わせて作った建物には煙突があり、立地からして孤児院であることは間違いないだろう。
そして、その畑の中に何やら見慣れぬ道具を手にしたリサとエリーズが居た。少し離れた場所にもう一人背の高い女が居るが、アリシノに似た格好をしていることから、その女がイミティリという奴で間違いないだろう。イミティリは一般的な茶髪と焦げ茶色の瞳をしており、恐らく三十を多少過ぎた程度の見た目をしていた。
我らの視線の先で、二人は何やら道具を見せ合いながら話し合っていたが、こちらを向いていたエリーズが我らに気が付いたらしく、手を振ってきた。
「デニズさーん、コルベルトさーん」
デニズが適当に手を振り返して、二人に近づいた。掃除を初めて二時間半程度で二人に合流することが出来た。デニズ曰く畑仕事は簡単だというので、存外心配するような依頼では無かったのかもしれぬ。
近くで見た二人の道具はやはり見慣れない。リサは凹凸の無い木製の笛のような物を持っており、エリーズは陶器でできた取っ手のある水差しを持っている。
「二人とも、孤児院の掃除はどうだった?」
デニズがリサとエリーズに聞いた。その顔には苦笑いが浮かんでおり、次に発される女二人の回答が分かっているようでもある。デニズの言葉にリサとエリーズは何かを思い出すような顔をして、曖昧な表情をした。
「えーと……まあ、頑張りました」
「……とても元気が良くてですね……はい」
「だろうなぁ……デグは平気そうにしてたけど、シェディエライトは疲れてたからな」
ちらりと後ろの孤児院を見ると、窓の辺りに幾人かが顔を覗かせている。興味津々にこちらを見ていた子供は、我と目が合うなり驚いた顔になって……良く分からんが変顔を披露し始めた。相変わらず子供の考えることは分からん。とにかく面倒そうだということが分かった。
デニズの言葉に答えたリサが、今度は我に聞いてくる。
「金髪、そっちは何かあった?」
「何かあったかと言われれば……うむ。特に何もなかったな」
「え」
我はただデニズと雑談をしながら箒を振っていただけである。その過程でデニズの夢を聞いたりもしたが……特筆して大きなことは無かったと言っていい。そんな考えをそのまま口に出すと、デニズが驚いた顔をした。
「何だ?」
「いや……うん。何でもねえわ」
「絶対何かある……」
ここで我がデニズの夢を聞いた、等と言った場合、中々に面倒な事になるだろう。我なりの繊細な配慮だが、どうにもデニズは腑に落ちないようだった。
互いの状況を確認しあった事であるし、そろそろその道具について聞こうとしたが……それより先にアリシノが声を掛けてきた。
「すみません。全員が揃った事ですし、説明をしても良いですか?」
「あ、はい」
「お願いします」
アリシノが指示を出していたのか、イミティリが両手に道具を持ってこちらに走ってきた。一つはリサと同じ木の筒で、もう一つは鍬である。アリシノが、ありがとうございます、と言って二つの道具を受けとる。
「皆様にはこれから、教会の畑を整えてもらいます。本来であれば大変な作業ですが、幸運な事にこの教会には寄贈された魔道具があります」
「……魔道具か」
魔法使いが魔力を練り、文字を打ち込む事で特殊な力を持った道具……それが魔道具である。というのが、我の知識だ。この世界では実際の所どういった物なのかは分からない。首を傾げながらアリシノの説明を聞くと、全く同じ説明がされた。
続けて、魔道具の性能が説明される。リサの持っていた木の筒は、息をそれに吹き込むと、反対側から養分を含んだ風が流れるらしい。もう一つの鍬は、大地を耕す度に地中の酸性が調整される、という地味なものだ。
いや、我の尺度からして地味なだけで、農家の連中にしてみれば中々に実用的なものかもしれぬな。
我が前の世界で見た魔道具には、無限に炎を出すことが出来るものや、他人の影を盗むもの等、凶悪にも程がある魔道具があった。基本は我が見つけた端から全て物理的に踏み潰したが、この世界にはそんなものがないことを願う。
ちなみにエリーズが持っている水差しは、植物のストレスを軽減し、成長を促進させる水を出すことが出来るらしい。植物風情にストレスがあるのかと甚だ疑問だが……そんなことを考えている時間のほうが無駄であるな。
イミティリから差し出された二つの魔道具の内、我は特に考えるまでもなく筒を選んだ。デニズが我を見て曖昧な顔をしたが、我に地面が耕せる訳がないだろう。筋力が低い上、やり方も知らぬ。こういうのは経験者に任せるのが一番と相場が決まっているのだ。
「……まあ、あんたの筋力じゃしょうがないけど、もうちょっと遠慮が必要っていうか……」
「あはは……」
「この場の全員が我の力に理解を示しているのだから、別に良いだろう」
「まあ、そうなんだけどよ……」
なにやらため息を吐きながら、デニズがイミティリから鍬を受け取った。それからアリシノ、イミティリ等の説明により仕事を開始したが……はっきり言って、特筆することはなかった。はじめての畑仕事だと我は若干の緊張を内心に込めていたが、実際に仕事をしてみると、魔道具の力によって大した労働をすることが無かったのだ。
デニズは一般的な畑作相応に地面を耕し、畝を適切に形成していたが、我とリサがやっていたのはひたすらに筒に向けて息を吐くだけである。エリーズも我らの後に続いて水差しを振るだけで、妙に光る水の霧を生んでいた。
正直な事を言えば、肩透かしであった。デニズが、だから言ったろ? と途中で言ってきたが、ここまで楽とは思わなかった。仕事が楽というのは喜ばしい事であるが、こうまで暇であると逆に心配が沸いてくるものだ。
「……これを畑仕事と言っていいものか、我は甚だ疑問である」
「魔道具のお陰っていうか……楽な分にはいいんじゃない?」
「凄い道具だよねー……」
水差しを振っていたエリーズが、道具の底に刻まれた文字をちらりと眺めて言った。
「俺は普通に腰が痛いんだが……」
「……デニズさん、貴方普段からしっかりと運動はしているのですか?」
「う……ああいえ、も、勿論ですよ……」
腰を抑えながら放たれたデニズの言葉に、アリシノが鋭く反応した。イミティリも、おやおや、という目を向けている。両者の視線を受け取ったデニズは大慌てで鍬を振るうが、両手両足を見れば運動不足は見てとれる。
所詮、冒険者勤務で付く筋肉などたかが知れているのだ。肉体を資本としているのならば、日々の鍛練は欠かさぬべきである。そんなことを思っていると、我の聴覚にエリーズの言葉が入ってきた。
「……成る程ね」
ちらりと視線を向けると、エリーズはニコニコと植物に水を振るっている。その天真爛漫さには影などなく、ともすれば聞こえた声が嘘であると考えてしまうほどであった。だが、我の聴覚は決して嘘をつかない。
何が成る程なのか、とエリーズに問いただしたかったが、エリーズから説明が無い以上、はぐらかされるのが落ちだろう。
我は首を傾げながら、魔道具に吐息を吹いた。
暫くして、デニズが畑を全て耕し終わった時、アリシノが何やらこくりと頷いた。
「……皆様、そろそろ大丈夫です。それ以上は依頼の領分を越えてしまいますので、手を止めて戴いて構いません」
手を止めろと言われても、我は特に何もしていない。全く疲弊の色を見せず、取り敢えずのところで作業を止めると、アリシノが汗を拭うデニズに声を掛けた。
「デニズさん、依頼書を」
「あ、はい」
デニズが依頼書を手にアリシノへ向かった。簡単な書類の手続きをするのだろう。その間にイミティリが我らから慇懃に魔道具を回収する。近くで見たイミティリの体格は女にしては大きく、リサと同じかそれ以上であった。
愛想のよさそうな笑みを浮かべているイミティリは、両手に魔道具を持って孤児院の方へと向かっていく。
その様子が気になった我は、二人に質問をした。
「おい」
「ん?」
「この教会には、他に誰も居ないのか?」
「シスターさんとか牧師さんってこと?」
「えーっと、確か……イミティリさんが言うには、もう二人居るって話だったけど……」
「あんまり詳しいことは聞けなかった感じね」
どうやら他にもここに仕える者が居るらしいが、現状この場所は二人の女によって持たされているということか。ちらりとアリシノへ視線をやると、丁度書類関係の事が片付いたようで、デニズが汗を拭いながらこちらへ歩いてきた。
「皆様、本日はお疲れ様でした」
言葉と共に軽く会釈をしたアリシノに、我以外の三人は少し慌てながら謝辞を並べた。なんと言えば分からんが、とにかく適当な事を言おうと我が口を開く――その前に、アリシノがゆっくりと我を見る。そして、こんなことを言った。
「コルベルトさん……でしたか。どうかこの後、お時間を戴いても宜しいでしょうか?」
その言葉に我を含めた全員が固まる。どういうことだ? 言葉通りに取るとしても、その理由が知れない。この女とは今日会ったばかりであるし、殆ど面識はない。となれば第一に考えるべきは掃除に不備があったということだろうが、そう考えるにはどうにも雰囲気が噛み合わない。
「え?」
「えーっと、うちの金髪が何かやったり……とかですか?」
「……理由は何だ」
戸惑う女二人を傍目に、我は直接アリシノに聞いた。こういった場合は雑に予想をいくつも立てるより、直接本人に聞くのが一番である。こちらを見る丸渕の双眸にそう問うと、アリシノは少し悩むように視線を下げた。
「今話しても良いですが、その場合にはそのお三方にもお話を聞かれることになりますよ?」
悩みを破って転がった言葉は、どうにも脅しのような印象を孕んでいる。益々怪訝な顔をしたリサとエリーズに加え、デニズも困惑するような顔をした。
我にとってもその言葉は理解不能で、そもそも話を聞かれることの何が不都合なのかさっぱりである。
だが、アリシノの目には確かに何かがあった。魔王として生きてきた中で、目だけは多少の自信がある。その観察眼が、アリシノの言葉に何かの価値を見いだしているのだ。
あやふやだが、そこに何かがある。至って普通に映る茶色の瞳から、確かな意志が放たれていた。それが何なのか、さっぱり理解はできないが……良いだろう。
乗ってやる。正直な所、この場に来た収穫があまりにもないことに辟易だったのだ。我は暫くの沈黙をもってして、こう言った。
「……良いだろう。その話、聞いてやる」
「え、ちょ……大丈夫なの?」
何が大丈夫かは知らないが、適当に頷いた。すると、これまで事の成り行きを眺めていたデニズが、我とアリシノを順繰りに見つめ……ため息を吐いた。
「アリシノさん。長い話になりますか?」
「……場合によります」
「そうですか……」
デニズは何かを悟ったようで、我に組合で待ってるぞ、と言った。リサとエリーズは何やら未だに不安そうな顔をしていたが、デニズが一声を掛け、とぼとぼとその後を着いて行った。
暫くして誰の足音も聞こえなくなった時、アリシノはゆっくりと目を伏せ、我に背を向けた。
「貴方に、お話があります」
それだけを言って、一歩前へ進む。どうやら教会の中へと戻るようである。我はその後ろ姿に、ほんの一分だけ警戒を抱いたが、アリシノからは悪意を感じない。言葉に影も覚えない。あるのはひたすらに憮然な後ろ姿だけである。
一応、何が起きても平気な身構えをして、我はその後ろを静かに追った。




