第四話 七つの星座。七つの力。
安心しきって歩く冒険者どもの足音。その最中に、そのどれとも合致しない音が鳴る。
ペタリ。
何か軽い生き物が地面を踏み締めたような音。凡人ならば聞き逃すような、微かで、あまりにも微小に殺された音。だが、幾多の暗殺者と対面してきた我にとって、その音はあまりにも十分過ぎる。
反射的に上を向けば洞窟の天井に砂ゴブリンが張り付いていた。器用なことに四本の手足で天井に生える鍾乳洞を掴んでいる。口元には錆びた短剣、濁った黄色い瞳は……一番後ろを歩くエリーズを狙っていた。
助けに来た冒険者四人ならばまだしも、リサとエリーズは革の防具を部分的にしか身に付けていない。軽いゴブリンの一撃と言えど、重力加速を伴って首元を貫かれれば、ただでは済むまい。
おい、と口に出すその前には、ゴブリンが刃物を口から手に移していた。暗殺者の真似事か? ゴブリン風情が生意気に……。
目の前を歩くエリーズの布服の襟を掴んで強く引っ張る。と、同時に天井へ向けて空いた片腕を掲げた。
「っうぇ!?」
バリィン。
さして派手な音も立てず、ゴブリンの短剣は粉微塵になった。物音に気が付いた冒険者どもが全員慌ててこちらに振り向く。状況が理解できていないそのアホ面に向けて、我は呆れを込めて言った。
「愚図どもが。安全確保くらいしっかりしろ。適当な事ばかりやっていると、いつか死ぬぞ」
「え、えーっと……」
長身の男が素早く躍り出て、手持ちの剣でゴブリンを貫いた。ふん、冒険者を名乗るのならば、もう少しまともに動いてみろ。未だに状況が飲み込めないエリーズから手を離した。
「前後左右上下は常に警戒するのが道理だろうが」
「ご、ごめんなさい。気がつかなかったわ」
「俺もだ。さっぱり分からなかったぜ……」
「良く気が付いたなぁ……どうやって防いだのかは分からねえけど、すまんな」
「……」
セラは指先を絡めながら無言でゴブリンの死体を見つめていたが、しばらくすると非常に小さな声で、悪かったわ、と呟いた。まったく、索敵も出来ない斥候など無能に等しいからな。
謝罪や礼を口にする冒険者達を見て、ようやく状況が理解できたエリーズが慌てて頭を下げた。
「えっと、ありがとうございます」
「この礼は我に報いて返すがよい」
なんだか変な空気のまま停滞している冒険者どもに、さっさと外に進め、と指示すると、ようやく動き出した。全く、牛ではないのだから自分で動いて欲しいものである。
我が引きずられた洞窟を逆走し、妙に高い縦穴にぶつかった。薄暗い洞窟の中、天井に空いた大穴から月光が差し込んでいる。穴の淵には縄が垂らしてあり、シェディエライト達はそこから降りてきたのだろう。
「きっちり設置したから大丈夫だとは思うけれど、一応気をつけてね」
「あいあいー」
「分かりました」
斧を持った大男が大事を取って先行し、続いてセラ、エリーズ、リサと一人ずつ登っていく。
「さて、コルベルトさん……でいいのかしらね?次は貴方よ」
「ふむ……」
垂らされた縄の側まで歩いて、空を見上げる。幾つもの星を纏った絹のような夜空と、真ん丸な金月。穴の淵には大男やセラが、頭だけをこちらに傾けて覗き込んでいた。
縄の長さは目分量で五メートルほど。これを両腕の力だけで登る……。
「いや、まさかな……」
我は堂々と繊維の粗い縄に両手を添え、全身全霊の筋力をもって体を持ち上げた。上腕二頭筋が張りつめ、三角筋と肩甲骨が軋む。そうして我の体が地面から五センチ程浮いて……落ちた。
「え?」
「おーっと?」
「ふむ……」
もう一度試す。今度は文字通り死力だ。縄に両足を絡め、両手を頭上に。そこから一旦足の力を弱めて――両腕を下に落とす……!
「……無理だな。百歩譲ってしがみつくことなら出来る」
「えぇ……? 本当なの?」
「我はつまらん嘘をつかぬ」
「嘘だろ……? あんた、見た目にはそこそこ筋肉あんだが……」
鎖帷子が問題か?体重すら持ち上げられないとは、本当に非力極まりない。我が纏う服の下に見える筋肉に視線を送る。確かにしっかりとした筋肉があるのだが……それすらも上手く機能していないというのか?
「おぉーい。どうしたんだあ?」
「……遅い」
「筋力が足りなくて登れんのだ」
「……?」
「んじゃあ、俺が一旦縄ごと引っ張りあげるか」
成る程。それならば我でも上に行けるな。筋肉の割には脳みそが残っているではないか。
両手両足を縄に絡めて、上げろ、と命令する。すると上からふんっ、と力む声が聞こえて、我の体が空に浮いた。そのままゆっくりと我は夜空に飛翔していき、ついに薄暗い洞窟から出ることができた。
未だ生暖かい砂の地面に両手を掛けて体を押し上げ、久しく新鮮な空気を肺一杯に満たす。うむ、至福だ。周りには先に登った四人がおり、大男はもう一度縄を下に垂らしていた。縄の端はシェディエライトが隆起させたのであろう小さな岩に結ばれている。
リサとエリーズはだらしなく砂の上に座り込んで、お互いの無事を喜んでいた。その近くにはなんと珍妙な生き物……確かラクダとかいうやつが六頭も待機していた。背中にはこれまた珍しい柄物の布が鐙代わりにつけられており、脇腹には水筒だの鍋だのがくくりつけられていた。
こいつらはこのラクダに乗ってここまで来たのか。我は走れば馬や竜より疾く移動できたので、基本的に生き物に乗ったことはない。例外として飛竜やグリフィンというやつには興味本位で乗ったことがあるが……もれなく振り落とされ、そやつらに灸を据える結果になった。
間抜けな顔をしているラクダとリサ達を見つめていると、後ろからマントを軽く引っ張られた。なんだと思って後ろを振り返ると、なんとも言えぬ雰囲気を纏ったセラであった。
改めてその姿を見て思うことは……うむ、胡散臭いな。革で出来たフード付きのコート、目立たない飴色のショートパンツ。すらりと伸びた太ももには二本のナイフがくくりつけてあり、草臥れた革靴のくるぶしにも煌めく何かが見える。
胴には動きやすそうな革鎧を着けていたが、どうしても欠けた鎧の隙間から刃を黒く塗った暗器がちらついているのだ。顔は見えぬが、フードから赤毛の三つ編みが小さく見えている。
「……そんなじろじろ体を見ないで」
我の探るような視線が気にくわなかったのか、セラは不機嫌そうに言った。呼んでおいて見るなとはこれまたおかしな話だ。腕を組みながら何の用件だ、と短く聞く。
「……お礼」
「……お礼?」
「デグに引き上げてもらったでしょ? ……お礼くらい、言いなさいよ」
「デグ……あぁ、そこの大きいのか」
自分の名前が呼ばれてこちらを向いた大男――もといデグは、体に相応しい間延びした大きな声で、俺がどうかしたかぁ?と聞いた。
穏和そうな顔をしたデグの身長は……まあ、我より高いようだ。横にも大きい。関節を鉄、その他を革の鎧で覆っているデグは、背中に特徴的な大きさの斧を背負っていた。
片手で扱うには大きく、両手で扱うには小さい。熊のような体型のデグが両手や片手で斧を持つ姿が脳裏にちらついたが、やはりどれも違和感がある。
視線の先のデグは、軽く渦を巻く猫のような茶髪を掻きながら首を傾げている。セラが急かすような声でほら、と言った。
「ほら、とは?」
「だから……お礼だって」
「セラ、どうしたんだ?なんか問題かぁ?」
そこまで言われて、ようやく理解できた。成る程、デグに対して我が礼を言わないことに腹を立てているのか、こいつは。
「礼も何も……下々が我を助けるのは当たり前であろう」
「…………」
「えーっとな、セラ。いいんだ別に。確かに、困ってる人助けんのは、当たり前だからよぉ」
柔和にデグが笑った。ほら見たことか。当人がこう言っているのだ。セラはデグを見て、その次に我を睨み、コートを翻して我から離れた。ふん、負け犬の背中だな。
デグの方に視線を向けると、デグは優しい視線をセラに向けていた。
「セラはなぁ、すっごくいい子なんだ」
「……それは、戦闘面で、ということか?」
「はは、それもあるなぁ。でも、それとは違うんだ」
笑うデグは、セラの背中を見つめながら続ける。
「人の痛みが分かる、優しい子なんだよぉ。セラは」
「……人の痛みが分かる?」
さっきだって、ここの入り口の骸骨に祈りを捧げてたしなぁ。とデグは落ち着いた低い声で言う。
対照的に我は、今までに耳馴染みのない言葉に困惑していた。どういうことだ? 共感性が高いということか? とにかくこやつに聞いた方が早いだろう、とデグに向けて口を開いたが、それより先にシェディエライトが洞窟から出てきた。
「よいしょ……あら、どうかしたのかしら?空気が少し重いけれど」
「いやぁ……まぁ、何でもないよ」
「そう……」
発言の機会を削がれたことで、質問への意欲が潰えた。半開きの口を閉じて、褐色の肌に付いた砂を払い落とすシェディエライトを見る。
シェディエライトの髪は色素の薄い茶色で、毛先に進むごとに白に近づいていた。まるで馬だな、と思いながら体に目を移す。黒や紫の薄い布が体を包んでおり、所々肌が露出していた。……セラとは対照的である。
まるで踊り子のように妖艶な格好をしているシェディエライトは、髪と相反する青の瞳を我に向けた。
「コルベルトさん。今さらだけれど、自己紹介をさせてもらうわね。私はシェディエライト・クルーガー。本名は別にあるのだけれど……まぁ、魔法使いの面倒な点ね」
「ふむ。さっきも名乗った通りヴァチェスタ・ディエ・コルベルトだ。感動のあまりひれ伏しても良いぞ……ん?」
シェディエライトは……言いにくいのでクルーガーと呼ぶが、我に向けて右手を差し出している。顔の下半分を布で隠されていても分かるくらい、クルーガーの顔はニコニコとしていた。こやつ……。
「なんだ、これは。まさか握手のつもりか?」
「ええ、一応そのつもりよ?」
「この我と直接握手など……傲岸不遜も良いところだぞ」
「あら……それはごめんなさい」
言葉とは裏腹に、クルーガーの顔は笑顔だ。なんだこいつ。最後の一人を穴の淵から見つめるデグを尻目に、クルーガーに聞いた。
「お前、妙に馴れ馴れしいではないか」
「……貴方って中身はトゲトゲしてるけど、実際に触ってみるとそんなに痛くなさそうなのよね」
「……はぁ?」
「なんか、分かるなぁ。怒ったネズミみたいだ」
「おい貴様、ぶっとばすぞ」
ネズミだと? ふざけるな。我をネズミと括れる要素がどこにあるというのだ。身長は高い。気高く、美しい。例えるなら竜……百歩譲って獅子くらいなものだ。
背中を向けたまま、すまんな、と笑うデグに前言を撤回させてやろうとしたが、それより先に穴蔵から一人の男が登ってきた。
男は腰元の革の鞘に長剣を差しており、海草のような黒髪から砂を払う様子はひどくくたびれていた。
「ふぅ……俺ってあんまり体が強い方じゃないからよ、きついぜまったく」
その言葉にデグが軽く笑って、男の足元にある縄を回収した。続けてクルーガーが砂漠に出っ張らせていた岩を魔法で引っ込ませる。
……その時、クルーガーが魔法を使うときの魔力の流れが見えなかったのが我の中で静かな衝撃となった。
包み隠さず言えば、驚いて身構えたのだ。情けない話だが、今の我にとって魔法は遥かに遠いところにあるようだ。若干肩を落としながら、我と同じようにため息を吐く男を観察した。
全体的に筋肉が少なく、その割には背が高いので枯れ木のような印象を受ける。鎧や防具の類いは一切無く、よれた白いシャツと黒いズボン。若干頬骨が浮いた顔には二つの隈が薄く伸びていた。
我の視線に気づいたらしい男は瞬きをぱちぱちとし、後頭部を掻きながら口を開いた。
「あー……その、なんだ?」
「む?」
「……む? じゃなくてな、俺になんか言いたいことがあんじゃねえかなって思ってよ」
「いや、無いな」
無いのかよ……。かくっと肩を落とした男は、まあいいよ、と言った。それと同時に遠慮気味な右手が我の方に差し出される。
「俺はデニズっていう。ま、短い間だろうがよろしくな」
「なんだお前らは。揃いも揃って、どれだけ我に触れたいというのだ」
骨張った手を振り払うと、デニズは驚いた顔をした。こいつらは手を出せば握ってもらえると信じて疑っていないようだ。
「お前の様に低級な者に触れるのを許すほど、我の体は安くないのだ」
「お、おう……」
全く、見た目で格が違うというのがどうして理解できんのだ。その様子を黙って眺めていたクルーガーが苦笑いで声を張る。
「さあ、みんな。そろそろ帰りましょう? 涼しいのは良いけれど、ここに居たら風邪を引いてしまうわ」
「はいよ」
「了解ぃ」
「……」
「はーい」
「分かりましたー」
全員がクルーガーの指示に従ってラクダに近づいていく。こいつら、もしかして我がラクダに乗れると思っているのか……? 更に言えばラクダの数が足りない。それもそうだろうな。こいつらは我を救いに来たのではなく、リサとエリーズを救出しに来たのだ。我の分のラクダがあったらそれはそれで恐ろしい。
どうするべきか、と思い悩んでいると、我の視界の隅に何かがちらついた。
「む?」
不思議に思い、顔を上げると……その正体はどうやら流れ星のようだった。その姿は夜空の隅、黒の帳の奥に消え果て、我が物顔で光る星座だけが居た。
こんなに、夜空は星が多かったか? 少し考えて、気がついた。
「星の連なりが違う……が、星座の形は似ているな」
我は前の世界で星を幾つも消した。それは戯れの延長であったり、酒に酔った気分の果てであったり……眠気覚ましに消し飛ばす事もあった。
だから、分かるのだ。何度となく空を見たから。何度となく、それらを変えてきたから。それが前の世界のものとは異なるということ……その癖、神々の星座だけは似通った形をしている、ということが。
じーっと……いつかのように空を眺めていると、夜空に煌めく十二の星座の内、7つがぱたりと煌めいた。それぞれが別の色、別の輝きを内包した光を放ち、それらが我の網膜へと至ったとき――我は、奪われた我自身の感覚を世界中に感じた。
砂の遺跡、吹雪の山脈、何処かの都、洞窟の中、馬車の中、何処かの城の中、荒れ地の真ん中。
十二の星座はそれぞれ、天空に住まう憎き神どもを表す。神の名を背負い、果てから我らを見下し続ける忌むべき光。故にこそ、我は暇さえあれば星を飛ばしていたのだが――
「あのクソども……いや、今はそんなことなどどうでもいい」
7つの光が、夜空に灯る。それはそれぞれ、我が仕留め損なった神々の星座の光である。それと同時に、光から感じた共鳴じみた感覚は、間違いなく我の力達の反応である。魂の奥深くで繋がった力達は、それぞれの場所を如実に訴えていた。それが、先程一瞬過った光景だろう。
そして、感覚で理解が出来ている。その場所というのは、全てこの世界の何処かである。
「くくく……やはり我は偉大だ。やはり神とて、我の力を完全に消滅させることは出来なかったようだな。まあ、当たり前のことではあるが」
我の力は、どうやらこの世界で散り散りになっているらしい。恐らく、神でさえも奪い取った我の力をどう扱うのか困り果て、消すことも出来ず……その挙げ句に世界のあちこちに散らした、ということだろう。
どうしてわざわざ我と同じ世界に飛んだのか、という点については全く不明瞭だが……欠片が我の存在に引き寄せられたのだろうか? 大きな謎は残るが、それは今更どうでもいい。大事なのは事実である。
「この世界に散り散りとなって、我の力達が眠っている」
消えていないのだ。我が……世界の頂点へ舞い戻るという希望は消え失せていない。どう手にいれれば良いのかはさっぱりだが、とにかく可能性は有るのだ。
にやり、と我の口角が黄金比に準えた円弧を描く。
「ならば、見つけて取り戻すまでである。天上で嗤う神どもよ、今は精々……笑っているが良い」
七色の星座の下、金色を背負う我の笑い声が砂に反響した。