第三話 格が違うのだ
「おい、リサとやら。ここについて何か知っていることはあるか?」
とにかく、今のこの状況では情報が欲しい。エリーズともみ合って軽く息を切らしていたリサに聞くと、知らぬとばかりに鼻を鳴らされた。今は子供のように争っているような状況では無いというのに……これだから人間の女というのは情けない。
鍛え上げられた魔族の戦士となれば、まずは両腕の関節を無言で外す所から始まるのだから、その差は歴然だ。
とはいえ、ゴブリンに負けて囚われるような軟弱な人間ともなれば仕方がないとも言える。知能は戦闘力と気品に比例するからな。
リサに変わってエリーズが申し訳なさそうに口を開く。
「えーっと……よくは知らないけど、ここには昔砦があったって聞いた事があるよ。今はもう消えちゃったけど……」
「砦か……その話が本当だとすると、ここは捨てられた砦の地下ということだな」
そこにゴブリンどもが住み着いた、と。洞窟と呼ぶには不自然な縦穴や、進んだ文明……酒の類いもここから取り出したのだろう。情報を求めて質問を続ける。
「お前達以外に捕まった者は居ないか?」
「ううん……今のところは誰も」
となると、群れの規模から見て、こやつらは相当最近集まったようだ。数は見える限りだと二十四か五。とはいえ、何処かへ出掛けているやつが居ないとも限らぬ。今のところは地下室にあった保存食や酒で欲を満たしているようだが、それが尽きれば次の保存食は我らだろう。
と、ここで先程からだんまりを決め込んでいるリサが口を開いた。
「私からも質問があるんだけど」
「ふむ。何だ」
「あなたってどのくらい強いの?見た目と状況が噛み合ってなくてわからないのよ」
「確かに、私も気になる……」
何だ。そんな簡単なことか。と思ったが……よくよく考えると我は今どれ程の強さなのだろう。1日前ならば単騎で人間の首都へ乗り込み、勝利をもぎ取れたのだが……今ではゴブリン相手に息切れを起こす有り様だ。
とはいえ堅さは健在であるし……。
「分からぬ」
「はぁ?」
「えーっと……?」
「そんな反応をされても、我には答えられぬ。この格好を見れば分かる通り、我は高貴なる身の上だ。ともすれば事情の一つや二つ、腹に抱えていてもおかしくはないだろう」
「それは……確かに」
「……」
場合によるというか、相手によるな。この固さが戦略的有利を取れる相手ならば負けはあり得ないのだが、数で攻めてくる相手や、ある程度速い相手はもう話にならぬ。問答無用で大敗だ。砂の味を口の中に噛み締める結果となるだろう。
そう考えると、我はこの女二人にすら負けるのでは、と一瞬思ったが、それは流石に無いだろう。……無いと信じたい。
我が微妙な顔で暗がりの二人を見つめていると、鋭敏な我の聴覚が不可思議な音を捉えた。
「……む?」
「……一応聞くけど、どうしたの?」
「音が聞こえた。何かを砕く音……岩で果実を砕くような音だ」
「……何も聞こえないような気が」
こやつらに比べて我の聴覚は遥かに上の段階にあるからな。聞こえぬのも無理はない。音は非常に小さいが、ぼんやりと上の方向から聞こえてくる。つまり、地上で何かが戦っているのだ。
これを聞き逃さぬとは流石は我の聴覚。しんみりと頷きながらそれを噛み締めていると、にわかに目の前のゴブリン達が騒がしくなった。
千鳥足をもつれさせながら何かを警戒しているのだ。警戒は上ではなく閂の嵌められた扉の方に向いている。それを見て漸く二人は我の言葉を信じたらしい。
「本当に何かあるみたい」
「問題はそれがなんなのか、という話だ。デスワームが暴れているだけであったら肩透かしであるし、まさか砂塵竜が居れば我以外はここでさようならということになる」
「砂塵竜……? 何それ」
「もしかしたら……うーん、組合の人たちだったりして」
組合? 何の組合だ? リサは砂漠に居るというのに砂塵竜を知らぬようであるし、ちぐはぐだ。とにかくその組合という奴について聞いてみる。
「なんだ、組合とは。口調から察するに軍隊のようなものか?」
「軍隊って言うか……傭兵?」
「普通に冒険者が集まってできてる組織って言えばいいじゃん」
「そうだね」
「……うーむ、わからん」
冒険者……時折城に突っ込んでくる奴らのことか?いやしかし、あれは反乱軍であるし……。とにかく味方であることを祈るのみだ。エリーズらの様子を見ると、希望に目を輝かせているので大丈夫そうだが。
そんなことを思っていると、穴蔵の出入り口辺りからドゴン、と重い音がした。同時に洞窟の天井から土が降って、吊るした照明が軽く揺れた。最早戦闘というより蹂躙といった形なようだ。ゴブリン達は急いで武器を構えているが、ふらついている。それみたことか、酒など飲んでいるからだ。
「この音……土魔法?」
「ってことは、シェディエライトさんかな?」
どうやら知り合いが救出にやってきたようで、女二人はこれで助かると喜んでいる。とにかく話の通じる相手であればなんとかなるだろう。竜鱗のお陰で、物理的に殺されることはほぼあり得ぬしな。
渇いた喉で唾を飲み込むと同時に、木の扉がド派手に打ち砕かれ、同時にゴブリン達がまとめて飛びかかる。
しかし、扉を破壊した張本人である岩石がそれらをまとめて吹き飛ばした。木屑と汚い血液が散乱する中を四人の男女が飛び込んできた。
「げぇ……ひどい臭いだ」
「我慢我慢。ほら、まだゴブリンが残ってるわ」
「さっさと殺るかぁ」
「……」
一人は斧を持った巨漢。もう一人は鼻を摘まむ長身の男。フードを被った弓使いと、目から下を黒い布で隠した女が二人の後ろで構えている。彼らを見かけたエリーズ達が歓喜の声をあげると、それに気づいた布の女が軽くこちらに手を振った。
「よかったぁ……これで助かるわ」
「どうなっちゃうかと思ったよ……」
「ふむ……」
吹き飛ばされたゴブリン達が体勢を立て直して四人に切ってかかるが……悉くが反撃を受けて討ち取られた。大男が斧と膂力でゴブリンを押し返し、弓と魔法でそこを撃ち抜く。長身の男は身長にふさわしい長剣を使って後衛を守っていた。
そこそこやれる冒険者のようだ。とはいえ以前ならば視界に入る前にくたばる技量であろうし、警戒するほどでもなさそうだ。
「『褐色の一刃よ』」
「ギュグ……」
布の女……恐らくはシェディエライトとやらが産み出した岩の刃が地面からゴブリンの喉元を撃ち抜いて、漸く洞窟の中は静かになった。
四人は他に敵が居ないことを確認すると、我らの方に駆け寄った。
「リサ、エリーズ……良かったわ。二人が大丈夫そうで」
「すみません……態々助けて貰って」
「先輩、本当にありがとうございます……」
「ま、新人をサポートするのも冒険者の義務だからなぁ。気にすんな」
「小さい群れで助かったぜ。これ以上ってなると俺の負担がでかくなるし……ん?」
仲良く再開を喜んでいる中、長身の男が牢屋の中の我に気が付いた。続いて他の三人も気が付いたようで、目をしばたかせている。これは恐らく……我の高貴なるオーラを感じ取ってしまったのだろう。魔力は無くとも気品は全身に満ち満ちているからな。
シェディエライトが丁寧な言葉で我に尋ねる。
「えーと……どなたでしょうか?」
「先に名乗れ……と言いたいところだが、まあいい。我の名はヴァチェスタ・ディエ・コルベルト。金色の魔王と呼ばれし者だ。汝らには特別に、我の姿を崇めることを赦そう」
「え?」
「……?」
「うわぁ……またやったよこいつ」
こいつだと?失敬な。嗜めるようにリサの方を向いたが、そそくさとエリーズの背後に隠れてしまった。……まあいい。
「ほれ、さっさとせんか。いつまで我をこんな牢獄に入れておくつもりだ?」
「えーっと、コルベルトさん?でいいのかな……少しその……みんなに失礼だったり」
「何だかきな臭ぇ坊っちゃんだな……」
「全くだ……見た目は貴族っぽいし……そういうことか?」
何が失礼なものか。立場を考えれば我が慇懃無礼なのは当たり前である。生まれが違うのだよ、生まれが。顔をひきつらせている男二人に変わって、弓使いが軽くため息を吐いて鉄の扉の前にしゃがみこんだ。
何をしているのかと思えば、扉の解錠らしい。カチャカチャと鉄をいじくる音が聞こえる。神妙に鍵を開ける弓使いのフードの奥には、赤毛の三つ編みが見えた。身体の線も細いので、こやつは恐らく女だろう。
女が扉をあける間、我を置いて冒険者達がヒソヒソと会話をしていた。
「リサ、あれは一体誰なの?」
「良くわからないです。最初に会ったときからあの格好でしたし……」
「私も良くわからないです……」
「大方お忍びで砂漠に来たお貴族様って感じだが……」
「おいおい、こんな砂漠に貴族が来るかよ」
ヒソヒソと話をされるのは慣れている。会話の内容がいかなるものだとしても、我には関係がない。所詮下々の下衆な勘繰りに過ぎないからな。
しばらく待っていると、目の前の扉からガチャン、と音が鳴った。同時に錆びた扉が押し開けられ、フードの女が牢屋に入ってきた。左手には銀色のナイフがちらついている。
「うむ、苦しゅうない。さぁ、我の拘束を解け」
「……」
蔦の巻かれた両手首を女の前に突き出したが、女は無言で我に背を向けてリサ達の方へ進んだ。おい、優先順位がおかしくは無いか?
「おい、そこの女。我を無視してその二人を優先するとは何事だ。高貴なる我の姿が見えぬのか?」
「……まだあなたの事、信用してない」
「む」
「確かに、あんたが何者かってのはまだはっきりしてないわけだ」
「どっかの貴族かぁ、それとも俺たちを騙そうって考えてる盗賊って線もあるわなぁ」
「ふざけるな。我が薄汚い盗賊と同類だと?」
「えーっと、コルベルトさん。落ち着いて……」
脳みそに行く栄養を筋肉に吸いとられたような凡俗が、王たる我を盗賊呼ばわりとは、全く許せん。体力と水分が枯渇していなければ、散々に蔑んでやる所だが、生憎今は小さな体力ですら惜しい。
シェディエライトが、盗賊と決めつけているわけではないのです、と弁明を口にしたが、全くもって不愉快だ。
そんな我に、エリーズとリサの拘束を解く女が小さな声で追い打ちを掛けた。
「それに……あなたみたいな人の事――嫌いだから」
「はぁ?」
「助けてもらったのにお礼の一つも無い。傲慢で、自己中心的。とても……不愉快」
「貴様……黙っておればぬけぬけと……」
クソ女が、と口に出そうとしたが、それはあまりに品格を落とす発言だ。落ち着け。我は王だ。この世の全てを支配しつくし、神さえも手出しが出来なかった魔族の王。こんな凡俗な人間ごときに乱されてどうする。
「……まあ、良い。王とは元来孤独なものよ。地を這うものに何を言われたとて、我の地位は揺るがぬ」
「クルーガー……こいつ、置いていったら駄目?」
「駄目よセラ。流石にここへ置き去りには出来ないわ」
リサ達の拘束を解いた女……セラがシェディエライトの言葉に嫌そうな顔をしながら、我の前にしゃがみこんだ。ふん、最初からこうしておけば面倒は生まれなかったというのに。
銀色のナイフが手首の蔦にめり込み、鈍い音を立てて切り裂いた。長い間両手首を結ばれた状態だったので、中々に不思議な感覚だ。
立ち上がって再度シェディエライト達に礼を述べるエリーズ達に追従して我も立ち上がろうとしたのだが……忘れたように眩暈がやってきて思わず尻餅をついてしまった。はぁ、とため息を吐いてセラが我の目の前に手袋を嵌めた左手を差し出す。
……こいつを取れ、ということか。
舌打ちと共に差し出された手を振り払った。哀れみか同情かはわからぬが、我に手をさしのべる等とふざけたことをしよって……とことん下に見ているのか?
目の前のセラは、まさか振り払われるとは思わなかったとばかりに驚いた様子を見せている。
「貴様ら俗世の人間と我を一緒にするな。我を誰と心得る」
「……」
「おぉ……やべぇなぁ。セラが本気で怒ってるみたいだ」
「あいつも良くやるよ……ああ見えて温厚なセラさんを怒らせるって、相当だぜ?」
セラは呆れたとばかりに我に背を向けて牢から出た。癪だが我もそれに続いて牢から出る。
「……信じられない」
「あはは……凄い人だね」
後ろを振り返ると、二人の女が渇いた笑みと真顔で牢屋から出てきた。リサとエリーズだ。
リサは赤みがかった茶髪を後ろで一つに結んでおり、女にしては背が高かった。すらりと伸びた手足の先にはグローブやブーツ。腰には赤い木製の弓と空っぽの矢筒がある。我を見る瞳は地味な茶色だが、性格を表すように軽くつり上がっていた。まばらなそばかすがそんな目元の下に鎮座している。
エリーズはリサに比べればかなり小柄で、黒髪を肩まで伸ばしている。艶のある黒髪……ではなく、砂漠を歩いた時間を感じさせるように、黒髪には黄砂が絡まっていた。瞳の色は髪と同じ黒。リサと違ってどこにも武器になりそうなものが無いので、恐らく魔法使いだろう。
見るからに気弱そうな小動物顔で、荒事には到底向いているように見えなかった。
二人合わせて後衛とは、まさしく低能が服を着て歩いているようではないか。そんなことを思って鼻を鳴らすと、隣にたっていたセラが軽く我の足を踏んだ。馬鹿め、その程度蚊ほども痛くないわ。
先程まで我を面白そうに見ていた男二人であったが、我の顔を見るや、凄まじい速さで半目になった。ふん、我が美貌に見惚れるが良い。貴様らとは格が違うのだ。
「チッ……なんだあのイケメン。くっそムカつくぜ」
「信じられないくらい顔が整ってんなぁ……中身が残念じゃなかったら女選び放題だろうに」
全員が無事であることを確認すると、恐らくリーダー的な立ち位置に居るのであろうシェディエライトが明るい声で、それじゃあ帰りましょうか、と号令を掛けた。
「了解ぃ」
「はいはい」
「……」
「はい」
「わかりましたー」
一団となって出入り口を目指す冒険者。その足音に紛れて――どこからか異音がしたのを、我の鼓膜が確かに捉えた。