第二十九話 埃と罅と糸
「暇である」
すっかり慣れた寝室で我は一口にそう言った。我の傍らで本を片手に待機していたエリーズは、我の言葉に一瞬驚いて、そして納得した。
病の病状は相変わらず好転せず、一向に立ち上がることすら出来ない我では、本当に退屈である。
「た、確かに……でも、安静にしてないと駄目だよ?」
「その程度は承知だ。だが、暇なのは確かである。お前のように本の一つでも読めれば良いのだが、生憎ページを捲ることすら叶わん。……いや、無理ではないが、それ以上の問題がある」
妙にぎこちないエリーズの手の内にあるのは……あー、恐らく、料理関係の本であろう。料理の……から先が読めぬ。エリーズは我の視線を読み取って本を見ると、くるりと本のページを我に向けた。なにやら図解と共に料理の手順が記載されている。
「あんまり難しい本じゃないと思うから、いつか読んでみてもいいかも」
「……残念だが、我は料理はしないのだ」
「そっか……」
エリーズがしゅんとなるが、我は料理をするつもりはない。王たるものが台所に立って料理を、という考えもあるが、本来の所は……料理が一切出来ないからである。
我の脳内料理本には『焼く』と『塩』の二つの調理法しか存在せず、その二つでさえ料理人が見れば砂を食ったような顔をする代物である。
台所に立てば我は魔王ではなく、料理が下手な魔族であり、そのギャップが堪らなく嫌なのだ。エリーズのように元々が不器用だというのならば、幾ら失敗をしようと周りは応援や手助けをしたくなるだろうが、我のような人間が失敗をすると、周りは嬉々として噂をする。
あらゆる点で優れているからこそ、欠点が染みのようによく目立つのだ。馬鹿にされるのが堪らなく嫌な我は、そういう理由で料理はしない。
我の固い決意を見たエリーズは、うーん、と考えた。恐らく暇を潰す考えを巡らせた。すると何かを思い付いたようで、ぱっと顔が切り替わる。
「私が童話とかを読み聞かせしようか?」
「断る。我は子供ではないのだぞ」
「えー……いい案だと思ったんだけどなぁ」
風邪を引き、枕元で女に童話を読み聞かせてもらう……明らかにそれは年端も行かない子供の受ける行動であり、それをこの我が受けるというのは耐え難い屈辱である。よって却下だ。
エリーズはまたもやしばらく考えて、そして続く案を出した。が、その顔は名案を思い付いた、といった顔ではなく、どちらかと言えば妥協案を提出するような、粛々としたものであった。
何だ、と聞き耳を立てる我に、エリーズは控えめにこう言った。
「えーっとね……コルベルトさんって、魔王なんでしょ?」
「そうであるが?」
「私、そもそも魔王ってなんなのかあんまり詳しくなくて……だから、魔王についての話とか、聞かせて貰えたらなーって……」
「……」
「あ、いや、面倒だったら別に……」
我の話ではなく、魔王とは何か、という話か。今更そんな話をしてもあまり意味は無さそうであるが……これは我の権威を示す絶好の機会であり、何より今は暇である。
我は二、三度思考を巡らせて、良いだろう、と口にした。驚くエリーズに、我はまず魔王の定義について質問をした。
「魔王の話の前に、一つ是正するべき点がある。……エリーズ、お前は魔王をどんな存在だと認識しているのだ?」
「えーっと……海を越えてやって来る、人類の……敵とか。魔物を産み出して、魔族を率いてやって来る、人類に対する最大の災害とか……」
「ふむ……」
概ね合っているが、二つ間違いがあるな。
「言っておくが、魔王は魔物を産み出してなどいない。奴等は概ね魔力を吸いすぎただけの動物である。それと、我々魔族と魔物は完璧な友好関係であるとは言えない。我々を強く憎む種族も居れば、へりくだって従う種族も居る。加えて、高い知性をもつ魔物の種族は限られている。多くは会話すらまともに出来ん木偶の坊ばかりだ」
「え、そうなの? 学校では会話ができるとか……」
「声帯が規格に合っていないから、殆ど会話は出来ぬ。出来ているように見えるのは、ニュアンスをなんとか拾っているだけである。……我は別であるが」
「別?」
人間は勘違いしているが、我らと魔物は敵対する場合がある。我々からすれば魔族、人間、魔物の三竦みであると思っているのだ。
まあ、魔物は力関係に敏感であるから、魔物の上位存在である我々にあまり手を出さないのだ。
話を戻すと、我々は魔物と会話が出来ない。唯一、魔王である我を除いて。
「魔王には、全部で八つの権能がある」
我の鱗のように、とエリーズの目の前で金色の鱗を見せた。朱に染まった肌の下から、惚れ惚れするほどの鱗が透けて見える。ぼーっとそれを見つめるエリーズに気を良くして、我は言葉を続けた。
「剛力、俊敏、魔力、強靭、不惑、再生、真眼……そして、統率である。魔王はこれらの権能を持ち合わせている……が、当然それぞれに得手不得手がある。我は強靭に特化しているが、代わりに統率が苦手であり、再生と俊敏もあまり得意ではない」
「な、なるほど……?」
エリーズはなんとか話に着いてこようとしている。まあ、この辺りは理解できなくとも別に良い。
我が求めている欠片には、当然それぞれ力が眠っている。そして、今回話題となっている統率の力が眠っているのは、我の角である。
「詳しいことは省くが、統率の権能は魔物と会話をすることができる。言語が違おうと、相手の言葉が伝わり、同時に我の言葉も通じる」
「おぉ……」
エリーズは何やら感嘆の声を上げた。……今の我にその権能は存在していない、というのは伏せておこう。
もしも権能を持ってさえいれば、最初に遭遇した砂ゴブリンどもとまともな対話を……いや、なんだか無理そうであるな。
無駄な思考を横に捨て、我は魔王についての説明を始めた。
「さて、本格的に魔王について話す訳だが……正直、話すことがあまり無い」
「え?」
「魔王というのはな……魔族で最も強い存在の事を言うのだ」
他にも色々あったりするが、正直魔王の器をもつ魔族がぴしゃりと一言言えば全て水に流れる。なんと言っても最強の言う言葉なのだから。
基本的に実力主義が横溢している魔族社会で、王というのは最強の存在であるというのが常識である。逆に、弱い者は王に相応しくない。どれだけ血統に恵まれようと無駄である。
そうエリーズに言うと……何やら押し黙ってしまった。あくまで魔族の話である、と我が言うとエリーズはいつもの笑顔で理解を示した。
「すべての魔族の内、実力が高い者が集まって決闘をする。勿論命は奪わないが、それでも殆ど死にかける激闘である。それを征した者が――魔王を継ぐのだ」
「……継ぐ?」
我の最後の言葉に、エリーズは首を傾げた。やはり、そこに引っ掛かるか。そこが、人間と魔族が圧倒的に違うことの証左であり、戦いが永遠と終わらない理由でもあるのだ。
「……エリーズ、魔物は死ぬとどうなる」
「え……魔石を残して消える……?」
「そうだ。魔族も、死ぬと空気に溶ける。我も詳しい理由は知らんがな」
人間と異なり、我々は死ぬと体が崩れ、砂となって空気に溶けていく。魔族の学者が、我々の肉体に魔力が非常に多いからだと言っていたが、確証は無い。
ともかく、我々は死ぬと消えるのだ。
だが、と我は告げた。
「魔王だけは違う。魔王は死ぬと、死体が残る。大量の魔力と権能を詰めた死体が、である」
「つ、つまり……それを皆で奪い合うの?」
妙に察しの良いエリーズが言葉を繋いだ。そうである。奪い合う、という表現はなんとも言いがたいが、我々はその遺体から力を継ぐ。そして、継いだ者が死ねば次が、次が死ねばその次が。
力が継ぎ足されながら増えていく。そうやって我々は魔王を継ぎ、力を蓄えていくのだ。
我の話を聞いたエリーズは、伏し目がちの瞳をちらりと我に向けた。
「…………それじゃあ」
「……そうだ。我の中にも魔王が在る。始まりの魔王から、今の今まで、一つとして途切れること無く、全ての魔王の力がある」
だから、我は国を火だと見たのだ。我々が火を継いで行くのだから。継いだ火に、民が寄り合うのだから。
故にこそ、アーカムが放った『君達』という言葉が刺さった。この我に眠る魔王を、奴は見たのだ。継がれた炎と力……そして、原初からの穢れと罪を。
それを噛みしめながら、我は、だから、と口にした。
「だからこそ、我は力を取り戻さねばならない。失うわけにはいかない。これは……我だけの戦いではないのだ」
「……そう、なんだね」
エリーズは、どうしてか納得したような顔をした。我は我で、初めて人間に魔王の仕組みを話し、同時に真の目的を語ることが出来て……正直な所、すっきりとした気分だった。
何かを考えるエリーズに、我は言葉を続けた。
「当然、我が最強に戻りたいという欲もある。とにかく、我は欠片を集め、魔王に舞い戻るのだ」
呟くように言った言葉に、エリーズは一つ口を開いた。その言葉はいつも通り先を考えぬ明け透けなもので、故にこそ純粋に、刃のような切れ味を含んでいた。
「コルベルトさんは、力が戻ったら――どうするの?」
「戻ったら……だと?」
そんなこと、決まっている。神だ。神を殺すのだ。今度こそ一人残さず殺しつくし、世界を渡って我が国に戻り……戻って、魔王として君臨し……そして――どう、するのだ?
そこまで考えて、我の思考は停止した。疲労や熱による思考の中断ではない。ただひたすら、答えが出なかった。なんと答えれば良いのか、自分ですら分からなかった。
今まで、考えたこともなかったのだ。神を殺す、という一点にのみ全てを集約して、結局の所、その先など想像すらしたことがなかった。
「……それは」
「あ、いや、言いづらかったら大丈夫だよ」
「……」
我の様子を見たエリーズは、慌ててそう言った。対する我は答えが見つからず、俯くように考えて、空白の時間に捕獲されていた。
変なこと聞いてごめんね、とエリーズは言い、この会話を終わらせたが、それでも答えは出なかった。
しばらく考えて、ようやく我が口にできた言葉は、そうか、の三文字のみであり、それが堪らなく惨めであった。
それから、我はずっと考え続けた。これから、というやつについて、昼も夜も考えた。だが、どれだけ考えても答えが浮かばない。答えの尻尾すら掴めず、無駄に時間だけが過ぎていった。
床に伏せて二日目の夜まで結局答えは出ず、代わりに体調が大きく好転し始めた。熱は全く引かないが、体の怠さが薄くなってきたのだ。このままいけば明後日にはいつもの健康体に戻っているだろう、という確信が胸にある。
「……次は、どうするか」
一旦無意味な未来への疑問を捨てて、我は別の考えを持ち出した。この病が治った後の話である。取り敢えず戦力な目処が一つ立ったが、それ以外はからっきしだ。
多少使えそうな人材が居ても、そやつらに払える対価がこれっぽっちとして我にはない。今のところは冒険者の真似事をして、金を稼ぎながら伝手を探すことになりそうである。
まだしばらく、この家に居座ることとなりそうだ。
熱いため息を鼻から通し、我はちらりと例の箱を見た。しかし、すぐに目を反らし、頭の方にある窓を見た。窓に掛けられたうす緑色のカーテンからは月の光が透けており、開けば鬱陶しい星達の元、日々の営みを過ごす砂漠の民が居ることだろう。
我は少し考えて、ゆっくりとベッドから体を起こした。途端に病の助けを受けた重力が我を床に押し戻さんとするが、無理矢理上体を起こす。
「……む」
起こした頭はこれまでにない重さで、同時にくらりと眩暈がする。その感覚に目元をしかめながら、我はゆっくりと体勢を変え、窓に向き合った。そして慎重に体を傾け、窓枠に両腕を乗せて凭れる。
最後に赤らんだ手を動かして、薄いカーテンを右に開いた。
開いた窓からは中流の町並みが広がっていた。この家は市場から少し離れており、目立つほどの光は無いが、それでも道を歩く町民を眼下に捉えることが出来た。
気だるい頭を組んだ両腕に乗せて、静かに町並みを眺める。考察も、観察もしない。ただ、光の行き交いと明暗だけを眺めていた。
暇な夜はいつも、ワインを片手に我が国を睥睨していた。もっと高いテラスで、悠々と。だが、その隣には誰も居なかった。今でもそうである。我は一人で、玉座に掛ける。街を見る。
それを寂しいと感じたことはない。虚しいとも思わない。だがしかし……ほんの少しだけ、寒いな、とだけ思うことがあった。
今の我は生まれて初めて風邪を煩い、うねる熱が体にある。それならばきっと寒くなどないだろう、と思っていた。むしろ熱いだとかそう思うのではないか、と。けれども一人で町を見る我が感じたのは、やはり寒さであった。
「……何故だ」
分からぬ。分からないことばかりだ。体は燃えるほど熱いのに、どうしてだか寒い。
欠片ほどの寒さに揉まれながら、我は視線を上げた。空には当然、星が瞬いている。
「……お前らの仕業か?」
重い喉を鳴らして言ったが、返事は無かった。ふん、と鼻から小さく息を吐いて、我はもう一度夜の町を見た。明かりが段々消えていく町を、ずっと。




