第二十八話 天国への梯子
我が予想した通り、我の風邪は余程酷いものであったらしく、茹だるような熱と怠さが鈍く体に纏わりついている。我は逆鱗によって風邪など生まれてから一度も掛かった事がないので、この状況は全くの未知であり、内心驚いている面もあった。
この我が、風邪を引くのか、と。幾ら力を奪われようとも、流石に体調を崩すなど有り得ぬだろうと、我は本気で信じていた。その結果がこの様である。
リサが運んできた粥を、エリーズが丁重に我の口へ運ぼうとした時は流石に断ったが、正直己の力で食事をすることもままならない。人間はいつもこんな物に耐えているのか、とリサに問うと、エリーズ共々そんなことはない、と返ってきた。
どうやら我の状況はこの二人を持ってして初めてなようで、医者を呼ぶかについて真剣に討論していたが、それも我が止めた。
二人は何故かと当然のように聞いてきたが、当たり前の話である。我は人間ではない。魔族だ。あらゆる力を奪われたとて、魔族であることに変わりはない。もし、その医者とやらに我が魔族であることがバレたのならば、随分面倒なことになるというのは考えずとも理解できる。
まずまずして、人間と我らとでは体の作りが大きく違うのだ。現在では大分して汗の量などが挙げられるが、今のところ我の体に目立つ汗はない。体が仄かに朱へ染まる熱を持ってしても、殆ど汗が出ないのだ。恐らくそれによって体温が調整できず、非常に高い熱を出し続けている。
……それを挙げると、悪夢から目覚めた時はどれだけのことだったのであろう、と余計な考えが浮かんだ。
それに、である。医者というのはいつの時代も貴重な存在である。薮ではなく本物の医者を連れてくるのならば、前述の危険性の他に、金額的な問題も上がるだろう。これ以上、我がこの二人に借りを作るのは嫌なのである。
現状でさえ、既に逆らいようのない貸しがある。これ以上人間に頼るのは、魔王の矜持が許さない。故に不安がる二人をぶっきらぼうな言葉で説得し、我は一先ずの休息を取ることにした。
「……全く、面倒である」
誰も居ない部屋の中で独り言を呟いた。窓の外から見える光は小さく霞み始めている。脇の下に冷たい水を入れた氷嚢を挟んで、我はベッドに横たわっていた。
相変わらず熱は引かず、体も怠い。リサ曰くあと数日はこの調子が続くのだという。なんとも凶悪な病と言える。
そもそも魔族はその肉体に溢れる魔力や種族的な強さによって、病からは殆ど遠ざかっているのだが……あの馬鹿どもが何か細工をしたに違いない。氷嚢が恐ろしい早さで水に変わっていくのを感じ、我はため息を吐いた。
我は種族的に見て、熱と冷気に弱い。排熱などの体温調節が難しいからである。汗等も含め、それがこの高熱を産み出しているのだろうが、正直言ってかなり苦痛を伴っている。
まるで、炎天下の砂漠に居るようだ。とはいえ、魔王たる我がそんな仕草を見せるのは、はっきり言って有り得ぬ。いかにも涼しいといった顔をしていなければならない。
――我は最強であるべきだ。
一瞬、悪夢の影がちらついた。が、夢の中ならまだしも、今は現世である。そんな嘯きが我に通じるわけがない。ふん、と鼻を鳴らして、その声を無視した。
時折エリーズやリサが氷嚢の水を取り替えたり、様子を見るためにこの部屋にやってくるが、そのどれもを我は平然とした顔で過ごした。
第一、風邪を引くのか無様極まりないので、これ以上醜態は晒せないのだ。
思考とは裏腹に、殆どベッドから動くことが出来ずに時間が過ぎ、人間にとって眠るべき時間となった。最後に来たエリーズが、枕元に水を置いて口を開く。
「えーと、私はリサと一緒に寝るから……」
「……うむ」
「何かあったら、直ぐに教えてね」
エリーズは出来る限りの笑みで我を安心させようとし、そして小さく口を開いてまごついた。本当に小さな間であったが、エリーズは言い淀んだのだ。そして、一度口を閉じると、微笑を浮かべてこう言った。
「おやすみなさい、コルベルトさん」
「……うむ」
我は一瞬覗いた空白の理由を考えようとした。しかし、それほど複雑なことを考えられるだけの余裕は我に無く、途中で考えを取り止めた。
ちらりと窓の外を見ると、星空が見える。我にとって忌々しい星座の欠片だ。鉛のように重い両腕を振り動かして、我は窓のカーテンを掴んだ。そして、外が見えぬように窓を覆い隠した。
「……貴様らにこの様を見られるのだけは……御免である」
再びベッドに横たわったが、当然のように眠気はない。寝るつもりも全くない。だからと言って鍛練も出来ぬ。と、なるとこれから八時間程度、ぼうっと病魔と戦う羽目となる。
それはあまりにも退屈で、味気がない。
前の世界であれば、考えるべきことは山ほどあった。
国政について。
小うるさい竜の部族について。
天界の尖兵どもについて。
人間の反乱について。
そして……我についても。
それらについて、今この場で考えることは無駄というか無理である。何の意味もない行動だ。虚しすぎて、やる気にすらなれぬ。
となると、当然暇だ。動けないので、考えが募っていく。
しばらくどうやって暇を潰すかを考え、一つ忘れていたことを思い出した。この部屋の事である。この部屋は……というより、この二階は我がリサにきつく立ち入りを禁止されていた区画だ。それに、緊急とはいえ立ち入った。このような状態でなければ、今後立ち入ることは出来ないだろう。
そこまで考え、唯一まともに動かせる視線を駆使して、我が踏み入ることの出来なかったこの部屋を見てみた。壁は何時も通り白い石材のようなもので作られているが、床と天井は深い色合いの……恐らく木材で作られていた。
部屋ベッドの正面には二つの衣装棚と、何に使うのか分からない小物入れがあった。右側は扉と本棚があり、本棚の上にはアロエらしき草の植えられた鉢があった。左側へ視線を移すと、引き出しの付いた木製の机と椅子があり、机の上には伏せられた額のようなものが二つあった。
形からして居間にあったものと同じだろうが、当然額の中身を見ることは叶わない。
と、ここまで部屋を見渡して、最も気になるものがあった。それは我から見ての左側にある、良く分からない箱である。それは天井や床よりも更に深い色の木材で作られており、真ん中に線が見えることから、衣装棚のように左右に開く仕組みになっているのだろう。だが、その中身の見当が全くつかない。
大きさが絶妙なのである。服を入れるにも、小物を入れるにも適さない大きさだ。我の頭から腰ほど程度の大きさの箱は、部屋の角から少し離して丁寧に置かれており、大切なものであるというのは分かる。
「……分からぬな」
もしや、この地域の人間……はたまた人間の風習に関係する物かもしれぬ。取り敢えず、明日リサにでも聞いてみるか、と考えて視線を反らした時、風邪によって鈍っていた鼻が小さく何かの香りを捉えた。
「……これは」
花か。いや、花ではない。一瞬、我の真隣にある紫の花か、もしくはアロエの匂いだと思った。がしかし、その香りには覚えがある。この家にやって来て初めて嗅いだ匂い。そして、リサが二階へ上がる度に降りてきた、花を焼くような不思議な香りである。
それが、微かに我の鼻先を掠めた。風で大きく鈍った嗅覚でも捉えられるということは、この部屋の香りの中でも、大きな重点を占めていると考えておかしくはないだろう。
「……あの箱か?」
この部屋に、香りを出しそうな物など数が限られている。そこまで考えて、我の脳裏に記憶が過った。
「……あの女二人の両親は、何処なのだ」
ずっと、今まで考えないように勤めてきた問題であった。何か事情があって二階から降りられないにしても、食事を摂らないのはおかしい。だというのに、我が来てからその親が姿を見せることもない。そのくせ食器は余っているし、椅子も一つ空いている。
二人だけで暮らしているには可笑しい点があり、かといって親が居るという訳でもない。となれば、答えは一つだ。
「……死んだか」
我自身でも驚くほど、するりと言葉が漏れてきた。その話題に触れれば、間違いなくリサは激昂すると知っていた。それに、我自身この話題について興味も特になく、他人を詮索するつもりもなかった。
だが今となっては、我はこの家の一時の住民であり、あの女二人とは冒険者のパーティーである。他人ではない。
そして何より、常日頃抱えてきた好奇心が、ナイフのような切れ味を持ってして、唇から飛び出したのだ。
そこまで考えれば、なんとなく理由が見えてくる。リサが頑なに我をこの家に泊めなかったこと。冒険者を始めたこと。我を二階に寄せ付けなかったのも、この部屋を見せたくなかったからだろう。他人である我に、両親の死を知られたくなかったのだ。
とはいえ、謎はまだ残っている。あの箱の中身と、あの香りだ。しかし、それについて直接的ないし間接的なことを我が聞けば、リサは間違いなく気分を害する筈だ。
多少側にいて分かったが、リサは感情に流されやすい。その癖妙な所で頑固である。
エリーズですら一切触れようとしない話題に、我が触れるというのは、あまりにも馬鹿馬鹿しいことのように思えた。とはいえ、気になるものは気になる。今まで解きほぐしてきた謎の塊は、それを見さえすればきっと解決する。そんな予感が我の中にあり、我は無言で謎の箱を見つめた。
「……」
開けてはいけないというのは、重々承知だった。だが、開けてみたいという欲求があるのもまた、事実であった。我はしばらく考え、首を振った。
「……無視が無難であるな」
そもそも、首を動かすだけで一苦労な状態で開ける開けないの議論をするのは馬鹿げている。無駄であり、滑稽だ。であるのならば、無視を決め込むとしよう。この家の謎から目を反らし、二人の両親や、リサとエリーズの血縁についても考えぬこととしよう。
そこまで考え、我は考えることを放棄した。暇を暇のまま受け入れる決断をしたのだ。どうせやることも考えることもない。
ぼーっと天井を眺め、暇を過ごす我の胸中で、押さえ込んだ好奇心が累積した。
――――――――――――
次の日の朝までじっと待機を続けていると、存外体調がマシになってきた。快調へ向かっているとは言い難いが、体の怠さが少しだけ減ったのである。相変わらず熱は下がらず動くこともままならないが、この状態は治るのだと分かるだけで心持ちが違う。
前日と同様、野菜と共に煮込まれているような熱に揉まれていると、家の中で物音がした。リサかエリーズ、どちらかが起床したのだ。続いてその音は家の中を歩き、我の部屋の扉の前まで進んだ。
コツコツ、と扉を叩き、開いた人物は……リサである。日の光からして時間は早朝といえるが、いつも通り妙に真面目な早起きである。
「……金髪ー」
「なんだ」
「あ、起きてるんだ」
「寝ていないのでな」
「そっか」
用件はなんだ、とリサに言葉を投げると、リサは、別に、と返してきた。
「干からびてないか、確認しただけ」
「ぶちのめすぞ」
「その状態で言われてもね……あ、水飲む?」
「貰おう」
リサが一階から水を持ってくる間にエリーズが起床したらしく、寝ぼけながら我の部屋に入ってきた。長い黒髪は見事なまでに寝癖で跳ね飛び、欠伸と共にふらふらとこちらに近づいてくるエリーズは、完璧に寝惚けていた。
今にも口の端から涎を垂らしそうなふにゃふにゃの笑顔で近づくエリーズに、我は面倒を感じながら声を出した。
「何だ」
「んー……リサー……」
「我はリサではない。リサは一階に居るぞ」
さっさと目を覚ませ馬鹿が、と口にしたが、エリーズに聞こえてはいないようだ。なんなのだこいつは。寝ているのか起きているのかはっきりしない。困惑する我に、依然としてエリーズは歩み寄り、そしてあろうことか――ベッドに飛び乗ってきた。
驚きに目を剥く我に、エリーズは寝惚けたまま這い寄り、布団ごと我を抱き締めた。
「……おい貴様、さっさと起きろ」
「んー……?固い……?」
原理はよく分からんが、病とは接触すれば伝染するものだ。この熱がエリーズに移りでもすれば、リサから大きく顰蹙を買うに違いない。動けないなりに体を動かし、エリーズの拘束から逃れようとすると、扉の方から声がした。
「え」
扉の方を見ると、コップを片手に固まるリサが居た。その表情は筆舌に尽くしがたく、驚愕と謎と理解不能な感情を三割ずつ含んだ顔であった。まるで空が落ちてきたのを見たような顔をしたリサに、我は大きくため息を吐く。
「……恐らく、お前はいつもここに寝ているのだろう?」
「ま、まあ」
「つまるところ、そういうことだ」
我が鬱陶しい顔をしながらエリーズを指差すと、リサはようやく納得がいったようで、あー、と苦笑いを浮かべた。同時にエリーズの違和感が頂点に達したらしく、訝しげな様子で我の体から顔を上げ、我の金色の瞳を見た。
「え」
「え、ではないぞ馬鹿が。さっさと離れろ」
エリーズは数瞬固まって、普段では考えられないほど素早く我から飛び退いた。本当ならば叫びの一つでも上げていそうな物だが、エリーズは我と同様に顔を真っ赤にしながら口をつぐんでいる。流石に病人の目の前で叫ぶほど常識を欠いてはいないようだ。
顔の赤いエリーズは、何度か吃りながら、ごめんなさい、と小さく言った。が、正直どうでもいい。普段ならば気安く我に触れるなだとか、それよりも数段厳しい事を言ったやもしれぬが、今はそんな気が起きないのだ。
はあ、我はとわざとらしくため息を吐いて、水、とだけ言った。
我の言葉に、リサはなんとも言えない表情で動きだし、我に水を渡す。同時にエリーズが何度も頭を下げながら部屋から出ていった。身だしなみを整えに行ったのだろう。
リサから受け取った水を二口で飲み干して、我は言った。
「……あやつに病が移っても、我は知らぬからな」
「そのくらい分かってる。……ただ、エリーズにも悪気は無いから、それは分かってね」
その程度既知である、という意味を込めて、我は一つ鼻を鳴らした。それを見たリサが、意味をどう受け取ったかは分からぬが、静かに部屋から出ていった。
残された我はまるで嵐に揉まれたようであり、なんとも釈然としない。そんな気持ちを抱えたまま、我は寝相を直し、一つ脳裏で呟いた。
全く、相変わらずによくわからん奴等であるな、と。




