第二十七話 魔王、一回休み。
王城から離れ、上流を下へ降りていく。我の手中に居るエリザベスは、抵抗しても無駄だということが分かったのか存外大人しい。とはいえ、そのような油断が失敗を招くというのは重々承知である。
ここ数日、焦燥等の感情に揉まれながら散策した上流であったが、今の内心は清々しい。これはただ単に猫を見つける事が出来たから、というわけではなく、例え力を失っていたとしても、我ならばどうとでもなる、という証明をすることができたからである。
「うむ、やはり我は無敵という他あるまい」
バストロスに対して頭を下げることになったのが、唯一欠点というか後悔すべき点ではあるが……まあ、あの状況から不問になっただけ随分とマシである。奴がある意味でこの国の気風を代表していたのが功を奏した。
血やら泥やらで汚れた猫を両手に歩く様子は、随分と周りから見て奇妙らしく、衛兵民衆問わない視線を感じる。が、我がこの場に姿を見せることはそうそう無いだろう。あったとて、しばらく先である。
丁寧な街並みを逆行し、中流へと辿り着く。ここまで来てしまえば我が魔王的記憶力によって暗記された道を通るのみだ。
この世界に飛ばされて、最初こそ戸惑ったものの、現状を見てみれば慣れきっている。家の近辺の地形もようやっと理解が追い付き、実質我が手中にあると形容して良いだろう。
見覚えのある道を何度か曲がって、視界の奥に冒険者組合を捉えた。相変わらずみすぼらしい店である。店主に猫を引き渡した後は……そうだな、一旦家に帰るとするか。鍵は掛かっているだろうが、現在時刻は十二時前である。
とはいえ、正直この我が玄関口で待たされるというのは不愉快極まりない。この件が終わったらリサなりエリーズに合鍵を寄越せと談判するべきだろう。
そんなことを考えながら組合との距離を詰めていると――ふらり。一瞬だけ、体が平衡感覚を失った。慌てて崩れた体勢を立て直すが、かなり不格好な仕草だ。いや、そんなことは一旦置こう。
「何だ……? 今のは」
一瞬、眠気が限界に達したのかと思った。しかし、眠気というのは元来急に襲い来るものであっても、このように何の拍子もなく意識を刈り取るような鋭さはない。もっと前兆を伴った、鈍く重い物である。
では一体……? 我は己の体に毒でも盛られていないかと思案して、否定した。この我が毒の気配に気がつかぬ訳がない。毒の味と香りは殆ど網羅しているのだ。
考えても一等分からないので、首を傾げながら我は前に進んだ。組合の扉の前に立つと、何やら中が騒がしい。何だか変なことばかりである。そんな思いを一息に、我は歪んだ扉を体で押し開けた。
「多分、金髪がなんとか見つけてくれると思います」
「けど、見逃した以上、大事をとってそれ以上逃げられないように包囲網を作っとくのが善作だろうな」
「そりゃあ間違いないと思いやすが……って、噂をすりゃあコルベルトの旦那じゃあないすか――え」
「ん? おぉ、コルベルト! ……ん!?」
「あぁぁぁ、エリザベスちゃんだ!!」
煩い煩い。何だか声が頭に響くぞ馬鹿どもが。店内には騒がしさの源である四人と二人がカウンターで話をしていた。四人の内、言い方は悪いが小悪党のような顔をした男が我の存在に気がつき、続いて手の中のエリザベスを見て大声を上げた。
途端にエリザベスは不服そうな顔になり、奇しくも我の顔はそれに近しいものになった。
店内は一瞬にして歓声の渦になり、その場に居合わせた冒険者は我に指笛や拍手を送ってくる。苦労の果てに受ける喝采は実に心地よく、とはいえ両手に猫を構えた出で立ちでは格好が付かない。早く店主に、と考えていると、酒場の騒がしさを聞き付けた店主が不機嫌そうに奥から顔を出した。
「……お前達、少し騒がしいぞ」
「騒がしいのも無理はないだろうな」
なんにせよこいつらだ。騒音は標準搭載と考えてやむなしと言えるだろう。とはいえ、さすがの我もこの騒がしさを不快だとは思わぬ。前述のように清々しく、心地好い。やはり適当なことをして讃えられるのは不気味なのだ。
我の声を聞いた店主はハッとなり、そしてなんとカウンターを一足に乗り越えて、我の方を見た。当然、手元の猫と目が合う。猫が疲れた体をよじって、にゃあ、と鳴いたのを皮切りに、我は唖然とする店主に歩み寄った。
「ほれ、依頼の猫だ。よく洗って傷を縫え」
我の言葉に店主は嗚呼と呻いて、優しく猫を抱き上げた。先程まで無抵抗かひたすらに暴れていた猫は、店主の両腕に包まれるや否やぐるぐるとよくわからん声を鳴らし、安堵したように店主へ寄りかかった。
いつもは騒がしく、数秒前まで跳び跳ねていた冒険者達も、ここは空気を読んで黙りこくっている。猫を抱き締めた店主は、渇いた眦に小さく潤いを灯して、我を見上げた。
そして、なんともまあ、似つかわしくない顔でこう言った。
「本当に、本当に……ありがとう」
「……」
その言葉には、どこか別の意味があるように思えた。ただ迷った猫を送り届けた者に向けられる言葉とは、別の色があった。店主の瞳は安堵する猫を見つめ、そしてまた別の誰かを見ているようであったのだ。
だが、それが誰なのかは分からない。分かりえるはずもなければ、分かるつもりもない。
ただ、この猫が店主にとってただの猫ではないことだけは、部外者の我にでも分かった。そんなに大事ならちゃんと見ていろ、と内心に言葉を飲み込んで、我は店主の横を通り過ぎた。
「貸し、一つである」
「……ああ」
去り際にそう言うと、店主は小さく笑った。その鼻に掛かった笑い声を聞いて、漸く我は依頼の終わりを確認した。悠々と、淡々と、我は酒場を縦断し、一つ空いたカウンターの席へ向かった。
その席の隣にはエリーズが居り、なんとも喜色溢れた顔をしている。
さて、一仕事を終えた我を存分に労ってもらおうか、と一つ考えて、我は眼前のエリーズの顔が変に曇ったのを見た。何だ、何がおかしい。訝しげに眉を上げる我の顔を、エリーズはじっと見た。
そして、確信を持てないような声でこう言った。
「コルベルトさん……顔、赤くないかな?」
「……何を言っているのだ。酒を飲んだとでも言いたいのか?」
いきなり何を馬鹿な事を、と二の句を継ごうとして、愕然とした。まただ。また、あの眩暈にも似た感覚が来ている。加えて視界が明暗し、微睡むような眠気があった。
一体――と、ここまで考えて、リサがボソリと言う。
「あんた、風邪引いたんじゃ……」
そんな馬鹿な話があるか。我は魔王だぞ? そこらの、それこそお前らのような人間とは生物としての格が違うのだ。たかが何日か寝ずに夜道を歩いて、冷たい汚水に浸かった程度で風邪を引くか。何より竜の逆鱗がそれを防いで……ああいや、逆鱗はもう無いのか。とはいえ、我ほどの魔族が風邪を引くわけ――
「おいおい、ちょっと座りな」
「確かに顔が赤ぇぞ」
「コルベルトさん、大丈夫すか」
「煩いな……少し……」
黙れ。その言葉を吐く前に、我の視界が上下に反転を起こした。同時に視野が狭窄し、瞼が自然と落ちていく。暗転していく世界で最後に見たのは、我の額に手を当てて顔を青くするリサの姿だった。
――――――――――――――
暗い部屋に、一人きりで突っ立っていた。見渡す限りが真っ暗で、椅子の一つもない深淵だった。そんな暗闇で我は、ぼうっと、何を考えるでもなく俯いていた。
一体ここは何処だろう、と我は考えた。考えたが、答えはでない。終いにはどうでもいい、とぶっきらぼうな答えが押し付けられて、我は立ち尽くした。
呆然と突っ立っていると、遠くからパチパチと音が聞こえてきた。それは小刻みな拍手のようで、或いは炎に朽ちる木々の音だった。
ジリジリと、焦燥にも似た沈黙の中で、木々が爆ぜる音が聞こえる。
その最中、がしゃり、と何かが崩れるような音がして――我はようやく、自分がずっと瞼を閉じていた事に気がついた。溶けついたような瞼に指を添え、ゆっくりと開いた。
その先の景色は、我の知っている景色だった。荒れ果てた町だ。あらゆる万象が破壊し尽くされ、踏みにじられ、黒く燻る灰と煤が色を塗る。そして、睫毛ほどの炎があちらこちらに喘ぎを上げていた。
既に瓦礫の山と化した町の真ん中で、我はゆっくりと振り返った。
振り返った先には、一つの家があった。当然のように崩れ、潰れた家だ。その家に、唯一残った窓ガラスに……誰かが写っている。蜘蛛の巣状に割れたガラスに、我はゆっくりと近づいた。
近づく度に、ぐちょり、ぐちょり、と音がする。音と共に体が重くなった。まるで亡霊のような足取りで進んだ我は、ゆっくりと目の前のガラスを覗き見た。
「……あ」
そこには――血塗れの魔王が居た。血塗れ所ではない。全身がくまなく赤い、化け物のような魔族だ。角の先も、目尻も、髪の毛先ですら真っ赤に染まった……我だ。
我は知っている。知っている。この血が、全て人間の返り血であることを。爪先にさえ、肉片が詰まっていることを。
そして、この町を破壊し尽くしたのが、我であるということ。
「我は……」
魔王だ。魔王である。魔王は魔族を導き、常に威厳を保ち、悠々と勝利を納め、当然のような顔をしていなければならない。魔王は最強でなくてはならない。それ以外は魔王に相応しくない。であるのなら、我は最強でなくてはならない。
我は最強であるべきだ。我は最強であるべきだ。我は――
「違う……」
我は小さく呻いた。ガラスの向こうの怪物は、金色の瞳をしていた。そして、大きく見開かれた瞳から、嘘みたいな涙を流している。
「こんなもの……魔王ではない……こんな、化け物……」
全身が震えて、息が出来なかった。誰だ、こいつは。何者だ。こんなものは……意味が、分からない。
絶句する我に、ガラスの中の怪物は泣きながら、ゾッとするような笑顔を浮かべた。それは酷く暴力的で、嗜虐的で、鮮烈なまでの凶悪さと獰猛さを表情筋の一本一本に宿した笑みだった。
化け物は金色の瞳で我を見て、そうして低く唸るように言った。
『良かったな。ほら、これがお前の望んだ姿だろう?』
真っ赤な角と、深紅の髪は……我が心の底から羨望していたカヌス・アーデンに、とても良く似ていた。
―――――――――――――
「……ッは!」
瞳が開いた。途端に酸素が肺に逆流して、呼吸が再開する。しかし、どれだけ呼吸を繰り返しても、最後に見た顔が忘れられない。あの、深紅に染まった凶悪な笑みが、瞼の裏に焼き付いている。それと目が合う度に、我の体は意思と裏腹に跳ね、惨めな油汗を掻いてしまう。
半ば錯乱状態と化した我を止めたのは、我の隣に居た、リサとエリーズであった。
「え、ちょ、大丈夫?」
「こ、コルベルトさん、落ち着いて!」
「こ、ここは……寝……室?」
狂うように跳ねる我の体を、冷たい手のひらが二つ、柔らかに取り押さえた。リサとエリーズのものである。あまりにも冷たい手のひらにはっとして、我はなんとか己の冷静さを取り戻した。
我が居るのは、どこかの寝室……壁の質から見てリサの家であることはほぼ間違いないだろう。であれば、我が居るのは二階の寝室にである。
二人掛けのベッドの傍らには、驚いた顔のリサと焦った顔のエリーズが居た。二人は何処からか持ち出した椅子に腰かけており、どちらの瞳も、共通した不安を浮かべている。
我は跳ねた拍子に起こした上体を両手で支え、背後の壁に凭れていた。凭れた壁には窓枠があり、茜色の光に照らされた、よく分からん紫の花と小物がある。白い布団から覗く我の二の腕は朱に似た色をしており、見るからに熱を孕んでいた。
そこまでじっと考えて、我の体はようやく震えをおさめてきた。じわりと滲んだ汗も、なんとか止まっている。
「……本当に、大丈夫?」
「……大丈夫だ」
「えーっと……大丈夫には見えない……かな」
不安げなリサの言葉に、なんとか言葉を返した。しかし続くエリーズは苦笑いと共に我の体に小さく触れ、口角を小さく落とした。
なんとか冷静を取り繕うために、我は適当な言葉を言おうとした。が、しかしその前にぐらりと怠さが体にのし掛かり、茹だるような熱が体内で巡り始めた。先程の錯乱から治った途端に、隙を見せずに襲い掛かったのだ。
思わず渋い顔をしてしまった我は、取り敢えず額の不格好な脂汗を拭わねば、と手のひらを動かしたが、それは途中で止まった。額に、濡れた布が貼り付けられていたのだ。よく見れば、鎖骨の辺りにも同じく布がある。
そのどれもが多少の冷たさを含んでおり、我の体温を下げようと奮闘したことは、ちらりと見た二人の両手で分かった。
氷のように手が冷たかったのは、そういうことか。
熱のせいかうまく纏まらない思考で答えを出す。それと同時に、なんとも言えない気恥ずかしさが顔を出してきた。この二人に甲斐甲斐しく世話をされていた事実と、情けなく風邪を引いたという失敗。追い討ちをかけるように、悪夢からの目覚めを見せてしまった。
これでは、依頼の成功を労うどころの話ではない。
この体たらくは我にとって到底認められないほど惨めで、バカらしく、猫一匹にどれだけ無様を晒すのだ、という自己の叱責が聞こえてくる。
強い語気を纏ったそれに追いたてられるように、ボソリと声が出た。
「……情けなくて、死にそうだ」
重く掠れた我の言葉に、リサがぴくりとこめかみを動かした。続いてその唇が上下する。
「……だから無理しすぎって、言ったでしょ」
「……」
「でも、あんたは、あんたにしか出来ないことをしたんだから……情けないとか、言わないでよ」
少なくともあたしは、とリサは続けて、言葉を止めた。何だ、と問いかける前にリサは椅子から立ち、我に背を向ける。
「水とお粥、持ってくる」
歩き出したその背中に掛けられる言葉は無く、我は黙りこくってしまった。それまで黙っていたエリーズは、くすりと笑って、我を見た。
「お大事に、ね」
そんなことを言われずとも、我は我の体の価値を知っている。そう口に出そうとして、出せなかった。どうやら病状は余程最悪らしい。
体内で逆巻く熱の塊を口元から吐き出して、ちらりと窓際を見た。やはり見たことの無い花がある。誰かに謝るように首を擡げるその花に、我は小さく鼻を鳴らした。




