第二百四十六話 細かいことは置いてさ
何を言っている、という考えがまずあった。目の絵でポカンと間抜け面を晒す男と『勇者』という単語が線で結ばれなかった。……勇者とは、魔王を弑する者である。連綿と受け継がれてきた魔王という存在に終止符を打たんとする者であり、魔王の首を討ち取った。あるいは討ち取るに値するが故に、その称号で呼ばれるのだ。
「……」
「え、いや……でも、確かにレオは……」
「ん? 待て待て、もしかしてお前達、自分の素性を明かしてないのか? 魔王はともかく勇者は……いや、相手が相手か」
「ぼ、僕は単純に兄さんの馬車の方々が僕のことを知っていたので、兄さんも知っているとばかり……」
「そんなものは知らぬ。もし知っていれば――」
殺している。そう口にしようとした。だが、それは喉の手前で引っ掛かって出てこない。それがどうしてなのか、理解はしている。だが、それについて深く考えたくはなかった。
深く溜め息を吐いて、レグルスを見る。不安そうにこちらを見ているが、その額には薄く汗が見えた。能天気な男であるが、やはり根の部分はそれなりに修羅場を潜っているらしい。一瞬でも表出した殺気を、無自覚でも感じ取ったのであろう。
同じく、オクナハウクの背後で佇むカイツァールが無表情を強張らせながら、膝を軽く曲げている。降って湧いた静寂の中、軽く魔力の灯火が明暗して、我は緩く頭を振った。
「ふぅ……まあ、いい。良くはないが、そこは目を瞑ってやる」
「んん……? そうなのか? 俺はてっきりこのままドンパチ殺し合いの流れかと肝が冷えてたんだが」
「肝を冷やす余裕があるならば計画的に動け。魔族の、そして魔王の前で『勇者』の名を持つなぞ、『今からお前を殺す』と大声で喧伝しているようなものだ。その呑気な予想通りの結末を今から再現しても良いのだぞ」
「えっ!? あっ……い、いや、違うんです!」
我の言葉にレグルスが顔を青くして反論するが、違うも何も無かろう。勇者とはそういうものだ。ちらりとカイツァールに目を配って共感を促したが、奴は血染めの瞳をそっと我から逸した。……ふん。我と話す事など無いということか。
無礼千万も良いところであるが、カイツァールは一応、同郷の同胞である。この程度は些事と切り捨ててやるべきだろう。
「僕の事を呼ぶ『勇者』と、世間一般的な『勇者』っていうものがそもそも違うんです! 僕は別に魔王を倒そうとか、魔族を倒そうとは思っていないんです!」
「は? では何故その名前で呼ばれている? 我からすれば犬が一国の主と呼ばれている程度には意味不明な乖離であるが」
「はは、凄えな。滅茶苦茶勇者の事馬鹿にしていくじゃねえか」
「うっ……これ毎回説明する度に全身痒くなるんですけど……」
そう前置きして、レグルスは口を開いた。言葉通り、その顔には軽く朱が入っており、ある程度の気恥ずかしさを覚えているのが分かった。
「僕が呼ばれる『勇者』というのは、単純に――『勇ましき人』という意味合いなんです。勇気のある人、という風に言い換えてもいいかもしれません。この世で最も勇ましく、勇敢な者……だから、僕は『星の勇者』なんです」
「……」
「はは、そうだとも。星の勇者レグルス――お前にはその名が相応しい。別に恥ずかしがるようなもんじゃないと俺は思うんだがな?」
「い、いや、恥ずかしいのはこの名前じゃなくて、自分で自分を褒めるのに慣れてないだけです!」
確かに、勇者という言葉には元々、そういった意味があると聞いたことがある。いつしか魔族と人間との争いでその意味は捻じれ、歪み、軽はずみに扱われることはなくなっていた。
内心で納得をすると同時に、また疑念が湧いた。目線の先のレグルスは、目を三角にしてオクナハウクのからかいに反論している。その有り様は、とても『この世で最も勇ましき者』には思えぬ。この男と過ごした時間は非常に短いが、それでもある程度見えてくるものはある。
その能天気さ、気軽さ、穏やかさは勇ましいという言葉に結びつかない。その言葉は、喩えるならば魔王を相手に人の身で立ち向かうような、恐れを知らない戦士に値するものだ。この男は見た目や戦闘能力であれば抜きん出ているかもしれぬが、それだけで勇者の呼び名を受けるのか?
その部分についてレグルスに問うたが、レグルスは曖昧に言葉をぼかす。
「ま、まぁ? そこは色々とあったんですよ。それはそれはもう、この場じゃ時間が足りなくなるくらい壮大な冒険が――」
「そうか。では語って聞かせてみろ。既に我はそこの皇帝の口車に乗せられて気分が悪い。お前の素晴らしい冒険譚とやらで丸一日を潰してやれば、中々良い意趣返しになる」
「おうおう待て待て。脅し掛けて誘ったのは確かに俺だが、あと三日で大革命勃発って流れだぜ? そりゃ勇者レグルスの冒険なんて後ろの二人が大好物だろうがよ、流石に場が悪い」
「ちょっ、オクナハウク様!? 何を仰ってるのですか!? 別に私は……」
「勇者が冒険について触れた瞬間、心拍数が飛躍的に高まっていた。何より散歩直前の犬のような顔だったぞ」
「なッ……!? お、お前だって……クソっ! 顔に出ないのは反則だぞ!」
この期に及んで言い逃れを決めようとするレグルスに対して逃げ道を塞ぐと、連鎖反応でオクナハウク側が騒がしくなった。特にネメロフの反応が顕著である。
初対面の印象は奇特な見た目の女暗殺者であったが、やはり人間は見た目に寄らぬ。見た目の齢は二十そこらだが、中身は十代半ばといった幼稚さである。……思えば少しばかり、見た目と立ち振る舞いにズレがあるか?
雪のように白い肌を微かに赤らめながら憤るネメロフに欠片ほどの違和感を抱いて、それよりも大きな違和感に気が付いた。
「おい、貴様」
「えっ、はい。僕ですか?」
「貴様が勇者であることは、我にとって中々に青天の霹靂であった。だがそれ以上に、我が魔王であるということは貴様にとって天が堕ちてきたような驚きであるはずだろう?」
我がそう問うと、レグルスはまた曖昧な笑みを浮かべた。オクナハウクも興味深そうに両腕をテーブルに載せ、頬杖を組んでいる。我らの目線を集めたレグルスは一呼吸を入れた後、真面目な顔でこう言った。
「まあ、色々とあったんですよ。この場じゃあ語りきれないくらいの――」
「ふむ……」
「これは計画変更して、勇者に一日喋らせるのもアリになってきたな」
「あー!違います! 冗談ですよ冗談!」
「つまらん冗談だ。出直せ」
露骨にも程がある語り口に威圧を込めて合いの手を入れてやると、興が乗ったのかオクナハウクも便乗して片目を釣り上げている。双方向から睨まれたレグルスは大慌てで両手を振って、何かを話すかと思えば口をまごつかせた。
「ええっと、その……多分また、何を言ってるんだ、みたいな空気になるかもしれないんですが……勘、なんです。最初に出会った時点で、『あ、人間じゃないな』となっていたというか」
「ふむ……」
「へぇ、勘か。それを言われちゃ、俺達じゃ何も言えないな」
「あはは……ごめんなさい」
正直な話、レグルスが言うことは理解できないことは無い。野生動物や魔物が我を無意識に恐れるように、我から人ならざるものを感じていた、というのは筋が通っている。
実際にあり得るのものなのか、と思案していると、オクナハウクが組んだ両手を天井に伸ばして、背筋を正した。
「んん〜……それぞれ大分喋ったが、取り敢えず状況は理解してもらえたか? あんまし時間も無いんでな、そろそろ動こうと思うんだが」
「そういえば結構長く作戦会議をしてましたね」
「その癖、茶の一杯も出さぬ無礼の極みであったがな」
「ははっ、そいつはすまないな。この家は水が出ないらしい。そもそも水道が無いんだろう」
オクナハウクはからりと笑って、その背後でネメロフが怒りの形相を浮かべていた。オクナハウクとカイツァールに釘を刺された手前、口を開くことはしなかったが、そうでなければ雨霰と罵倒が飛んできていただろう。
それについては最早どうでも良いが、オクナハウクの言葉には一部引っ掛かる部分があった。が、それを追求する前に、レグルスが口を開く。
「それで、結局僕たちはどうすればいいんですか? そのリンドリーヴェスさん? を説得しようってお話なら、役に立てるか微妙なんですが……」
「あぁ、そっちの方は俺にアテがあるから気にするな。居場所も分かってるし、日を跨ぐ前には話がついてるだろう。んで、さっきも言ったが、お前達に期待してるのは鉄砲玉の役割だ。簡潔に言うと――グラトニーの陣営に突っ込んで手札を引きずり出してきてほしい」
言いながら、オクナハウクは笑みを深める。対称的にレグルスの笑みが引き攣って、金色の目が左右に揺れた。実に簡潔な計画である。要約するまでもなく、『突っ込んで敵を殺してこい』と言っているのだ。
「グラトニーは外の皮を殺しただけじゃまるでノーダメージって感じでな、今も素敵な事に俺の姿で城だの議会を出歩いて虫を撒き散らしてやがる」
「そ、そこに突っ込むって事ですよね? 虫に操られた人達が固まってる城の中に二人で突っ込んで、グラトニーを倒す……」
「上手く始末出来ればそこで作戦成功。失敗しても相手の情報が得られ、我らの逃げ足ならば逃走は余裕、といった所か」
こちらの陣営に足りていないのは、数の有利と情報である。これまでの所はオクナハウクの情報網でどうにかやりくりしていたのだろうが、グラトニー相手では軽率な行動で即座に詰みが発生する。
斥候の役割を担っているらしいネメロフは見た限り使い物にならぬし、カイツァールは見た限り潜伏に向いた雰囲気を感じぬ。
オクナハウクとしては少しでも良いから相手の全容を知りたいところであろう。そこで我らが……癪な物言いだが、弾丸となって突っ込むことで相手の出方を見定める腹積もりに違いない。
それなりに納得のいく指示に、腕を組みながら思案していると、オクナハウクが意外そうな声音で「へぇ」と口にした。
「一応グラトニーもお前の同胞ってヤツだが、案外戦うのに気後れしないんだな」
「……本来であれば、即座に断っていただろう。ただ、これを見過ごして何が起こるか、察せぬ我ではない」
「そうだな。間違いなく俺の国はドカンと転覆。魔族の侵攻だと知られれば周辺国家は大騒ぎ。北も南も魔王に手のひら返して軍拡だろう」
「……アイン様の方針は既に魔大陸全土に通達済みである。その上で人間の国を攻める者は、反逆者であり国賊だ。グラトニーだの何だのに、覚悟をしていないとは言わせぬ」
我は仮初めであろうとも魔王である。臣民たる魔族を殺すつもりは欠片ほどもない。ただ、その魔族がアイン様の敵であるとするならば。或いはアイン様の国に害を為す国賊であれば、何を以ってしても殺す。
我の台詞を聞いたオクナハウクは安心したように微笑んで、そこで何かを思い出したように「あぁ」と言う。
「そういえば、カイツァールを狙撃したっていう双子のハイエルフ。シアリュードとリュドシアードについて情報を集めて貰えると助かる。さっきの要件のついでって感じで充分だ」
「……」
「その方達もこの計画に加えるんですか?」
「ん〜……出来ればそうしたいが、生憎その二人は俺の死角からヌルっと出てきてるからな。段取りも何も無い。あくまで選択肢として残しておきたいって感じなんだ」
分かりました、とレグルスはやる気に満ちた顔で頷く。それを見る我の心境は言うまでもない。この場に人が居なければ、苦虫を噛み潰したような渋顔で悪態をついていただろう。自分が見事に爆殺した相手と肩を並べて何かをするなど、考えただけで鳥肌が立つ。
表情と態度を取り繕うのには自信があるが、それでも流石に平然とはしていられぬ。
無言を貫く我にオクナハウクは何かしらを察したようであるが、指示を取り下げることは無かった。
「さてまあ、そんなところでお前達二人は今晩から動いて貰うぜ。とにかくグラトニー陣営で大暴れしてきてくれ。やり方は指定しない。その方が上手くいきそうなんでな。
刻限は……日が昇る前までにはこの隠れ家に戻るって所で、一つよろしく」
「おぉ、兄さんとの共同作業、ですか……! 内容は、ちょっとあれですけど」
「そもそも、何がどうなったら魔王と勇者が二人三脚じみた共同作業をする羽目になるのだ」
「そこは神様のイタズラって奴だろう。気にしたら負けだぜ?」
腹の立つ顔でオクナハウクが笑う。余裕ぶりおって……事が終わったら覚えておけ。と、そんな恨み節を吐いたが、オクナハウクは軽く笑うのみである。
その笑みをもってして、オクナハウクの主催した『作戦会議その1』は幕を下ろし、重々しい計画の歯車がゆっくりと動き出していった。




