第二十四話 砂金と疾走
気品と美貌を両立しながら、我は表通りを歩いていた。目的はこの辺りの裏路地……なのだが、そもそもここらには裏路地が殆ど無い。よく考えれば分かることだが、土地の大多数が誰かしらの私有地になっている以上、路地の母数が少ないのである。加えて例の入り組んだ三次元的構造もこの辺りでは殆ど見られず、猫が歩いていられるのは所々にある公園か喫茶店の裏ぐらいなものだろう。
昼下がりを茶会だのなんだので潰す住民を傍目に、我は手元の紙へ視線を下ろす。この紙はリサとエリーズが何やら話し合いを重ねながら地図を小さな紙に書き記し、土地勘の無い我への手助けとしたのだ。
地図自体は即席にしてはそこそこまともに書かれており、リサとエリーズが持つ地理的な知識を総動員されて作られたことがよく分かる。
ちんまりとしたそれを頼りに、我は最初の路地裏へと進んだ。路地裏には幾つかのごみ捨て場と、何やら倉庫のようなものがあったり、入り組んでいないなりに不規則な作りをしている。
流石の二人もこの場所については疎いらしく、白紙が目立っていた。あとは自分の目で確かめろ、ということか。
「……居らぬな」
路地自体は非常に短く、今までの入り組みに比べればほぼ直線ではないか、と肩透かしであった。この調子であれば、対して迷うこともなく捜索が出来るだろう。
そう意気込んで、我は地図を頼りに裏路地だの公園だのを歩き回った。途中、何度か衛兵が我に目的を尋ねることがあったので、我が飼っていた猫を見なかったか、と適当に情報を伝えたが、全く網に通らない。
公園の茂みの裏や裏路地の影。時にはちらりと他人の庭を覗き見ることもあったが、そもそも犬猫を全く見かけない。勿論他人の庭に放された犬猫を見ることはあったが、野良で生きる犬猫……あるいは鶏を一切見かけなかった。
白い猫など簡単に目立つであろうし、血が出ているのなら我の嗅覚が動くだろうと思っていたが、全く欠片ほども血の匂いを感じない。
まさかそもそも動物を見かけない、という今までの我が持っていた常識通りの展開に、この期に及んで辟易してしまった。
「……確かに我が国でも城付近に動物が居ることなど無かったが……」
ため息と共に路地裏を去る。もしかすれば、流石の猫もここより下の上流にいるのだろう、と思った。そんな後ろ向きな事を我が考えるほどこの場所に動物の気配はなく、当然のように時間だけが過ぎ去っていく。
そうして日が傾き、いよいよ夜を迎えるという時になっても、猫は居なかった。一旦家に帰り、食事を摂った後、上流を捜索するのは無意味かもしれぬ、と食卓で二人に持ちかけてみたが、どうやら二人が捜索していた範囲にも殆ど犬猫はおらず、それどころか捜索に精を出していた冒険者四人組が仲良く事情聴取を食らったという話が飛び込んできた。
あの強面どもがびくつきながら無実を訴える様を想像するだけで面白い状況であるが、捜索の無意味さがそれを邪魔する。
「もしかすれば、もう猫は上流に居ないのでないか?」
「怪我をしてるのにそんなに動けると思えないんだけど……うーん」
「見逃した場所があったのかも……でも、怪我をして二日も外に居たら、エリザベスちゃん大丈夫かな?」
心配そうな表情をする二人に、我はうーむ、と唸って席を立った。
「取り敢えずの所、狭まった範囲を虱潰しにするしかあるまい。それで見つからなければ、また考えるとしよう」
そう言って夜の捜索に乗り出そうとすると、女二人は驚いたような声を上げた。
「え、また探しにいくの?」
「魔族は殆ど寝ないのだ。我ほどの魔族になれば、睡眠欲とは殆ど切り離されていると言ってもよい。つまるところ、夜は暇である」
「……前に眠そうにしてたような……?」
「あれは……まあ、精神的疲労である」
よくわからん顔をした女二人を適当に撒いて、我は夜の町へと繰り出した。正直なところ、我の体にはこの世界に来てニ度目の眠気がやってきている。もう眠くなっているのか、と我自身驚きが隠せないが、ここ最近は歩いたり物を運んだりの繰り返しであった。体が顕著に疲労するのも無理はないだろう。だが、たった数日で眠くなるとは、やはり受け入れがたいものがある。
人並みにざわざわと光を揺らすいつもの市場を通り抜け、上流へと向かう。途中自分の眠気がどれほどか立ち止まって確認してみたが……うむ、あと二日は持つであろう。……持つと信じたい所である。
上流についてみると、昼とはなんとも景観の変わった街並みがそこにはあった。暗くなった街並みに灯るのは、橙色の灯火達。どの家々も、恐らく街灯さえも魔力による明かりを使用していなかった。流石に衛兵の持つ装備は魔力に依存していたが、その他の明かりは全て揺れる炎によるものである。
扉から漏れる光、街灯に吊るされた光、窓に揺れる光。そのどれもが小刻みに揺れ、仄かな光を放っている。
どうしてこの場所で態々非効率な蝋燭を扱っているのか。その疑問は、遠くに見える白磁の王城を見て吹き飛んだ。
それを見た瞬間、理解した。それと同時に今まで見てきた光景が繋がる。
「あれは……くく、成る程。こやつら、太陽教徒か」
遠くに見た城の壁には、大きく黄金の光が浮き彫りになっていた。その光は良く見れば小さな光の集合である。光は点を連ね、線を重ね、太陽の神を崇める紋章――金色の太陽を形作っていた。
我の世界にも太陽神を信奉する奴等は確かに存在した。我が太陽神を滅してからは滅法見なくなったが、それでも確かな数の教徒が居たのだ。
「世界を変えても神様ごっことは、随分と子供臭い馬鹿どもであるな」
太陽教は太陽神バウサヘキィナを信奉し、太陽、白、炎の三つを大きく崇拝の対象としている。前の世界では東に信者が多かったが、ここでは南に多いらしい。
あまりはっきりと記憶してはいないが、確か……あー、なんだったか。ああ、そうだ。太陽教は質素さ、素朴さを深く戒律に記している。故にこの街に白が多く、上流へ向かうにつれて質素極まる邸宅を見せていたのだ。上流の頂点である城ともなれば白磁のかつ地味とも言える素朴さを持っているのが良い証拠だろう。
今まで含んでいた違和感が解消され、若干すっきりとした気分で地図を広げる。今日の昼頃でおおよそ四割は路地を把握できたので、今度は残った部分を捜索するとしよう。
灯火の間を遅々とした足取りで駆け抜け、冴えた視覚で路地を散策する。途中、何度か衛兵や警備員に怪しい目を向けられたが、威圧を込めて、何だ、と言うと全員おずおずと去っていった。
流石の我であろうと、手ぶらで夜の町を歩き回っていれば怪しまれる。美貌は武器であるが、直接相手を殺すことはできない。同じく美貌は盾であるが、敵の凶刃を防ぐことはできない。あくまでも補佐的というか、間接的なものなのである。
それを久々に噛み締めながら、我は人通りの少ない道へと進んだ。
今日は妙に夜が明るかったので、不思議に思って空を見上げると、金色の満月が夜空に浮いていた。憎き星どもを霞ませるような、圧倒的な明度と彩度を放つ月はどことなく我に似ており、何かと無言の声援を送りたくなる。
そんなことを思っていると、我の背後でかさりと音がした。すぐさま振り返ると、猫である。が、白猫ではない。黒に茶色を混ぜたような、なんとも奇っ怪な色をした猫であった。
もしや白猫が汚れてこうなったのか、と一瞬思案したが、猫は我を見ると怯えるように走り去っていった。本当にただの野良猫のようである。
「……ここらで初めて動物を見たな」
それも猫である。なんとも縁の良い門出と言えるだろう。この周辺であろうと、動物どもは隠密に隠密を重ね、強かに生き長らえている。それがわかりさえすれば十分だ。
微かな希望を手に、我は夜の町を一歩踏みしめた。
「……む。お前は……いや、黒猫か」
捜索開始から数刻。時間は深夜とも言える頃合いに達しており、されども目的の猫を見つけることはかなわなかった。しかし、時折犬や猫を見かけるだけで安心感が違う。流石に頻度はとても少ないが、遭遇する度に次こそは、とやる気が巡るのである。
「しかし……昼頃は一切姿を見せなかった癖に、よく隠れているな」
柔軟かつ小さな体を駆使して隙間に潜り込んでいる、ということならばそれまでだが、それにしては不可解な点が幾つかある。動物を見かける場所に、幾つかの共通点があるのだ。
共通点の一つは、裏路地であること。もう一つは……殆どが、飲食店の裏手であることだ。
ちらりと見た公園には犬の子一匹居ないというのに、喫茶店の裏手には居る。食料の有無と言われればそれまでであるが、何か不可解であった。
その違和感がどうにも強いので、我はうーむ、と一つ唸って、直近の料理店に向かった。その裏手に回ると、特に何も居ない。目立つものも特には無い。そもそも隠れられる場所が……ん?
「いや……まさか、な」
考えながら、我は自分の思考にゾッとした。付け加えて、何年ぶりの鳥肌というものを惨めに両手から立たせている。この我をここまで不快にさせるものとは何か。それは、我の視線の先の――下水道の蓋であった。
分厚く丸い鋼板が蓋をする下水道……それが、飲食店の裏にはあった。よくよく思い返してみると、これまでの場所にもあったように思われる。
が、その可能性だけは考えたくなかった。この我が……金色の魔王たる我が、猫一匹の為に下水道へ潜るなぞ、想像もしたくない。
冒険者組合やゴブリンの巣穴とはまた別……というより、それらよりも確実に汚れた場所に行くというのは、どうにも堪えがたかった。
頼むから間違っていてくれ、と心底願う我の目の前で、鉄の蓋が軽く揺れた。そして、ゆっくりと蓋が持ち上がり、黒い犬の頭が覗いた。犬は暗がりの我に気がつかなかったようで、するりと地上に出ると、尻尾を振りながら夜の町へと消えていった。
「……何故、無駄に知能が高いのだ」
果たしてそこらの犬畜生にこんな器用な芸当ができるのか、と問いたいが、実際に目の前でやられてはなんとも言えない。嗚呼、と我は呻いた。そしてしばらく立ち尽くし、考える。
行くか。行かざるべきか。
その二択はかなりの時間、拮抗し続け、反発し続け……そして、決断がやってきた。
「……クソが」
王に相応しくない罵声がぬるりと我の口から滑り落ちて、我は蓋の前に座り込んだ。そして両手でそれを掴むと、ゆっくり引っ張り上げる。流石に犬が持ち上げられるものであるので、我にも持ち上がった。
途端に、最悪と形容するしかない異臭が我を正面から殴り、決断を鈍させてくる。
「……」
しかし、我は魔王である。一度決したことは曲げぬ。耐え難い不快感と吐き気に身を悶えさせながらも、我は意を決し、整った鼻をつまんで一歩――下水道へと飛び込んだ。
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「それで、こんな有り様……?」
「……今は、話し掛けるな」
「あはは……うん」
分かってはいた。分かってはいたのだ。この結末を迎えることになるとは。それを予想し、未来を遠望し、その上で我は決断をしたのだ。
カタカタと震える両腕で体を抱えぬがら、我は大人しくエリーズに髪を拭かせていた。ちらりと時計を見ると、朝方4時半である。こんな時間、惨めに二人を起こす他なかったという事実は、かなり心にくる。
我の服装は別の物へと変わっており、濡れた黄金の髪を不馴れな手つきのエリーズが布切れで拭いている。そして、長椅子に座り込む我の目の前には、呆れた顔のリサが居た。
それだけ見れば、我が勇気と戦意、その他諸々のあらゆる決意を振り絞った決断が、どのような結果を迎えたかが分かるだろう。とはいえ、我もただでは終わっていない。きちんとした結果を残しているのである。
「猫は……居たぞ」
「それはもう聞いた」
「……」
そうだ。我はあの最低極まる状況下で、エリザベスを発見したのだ。暗い下水道の奥で、赤くなった片足を舐める白猫……そしてその耳の裏は確かに黒かった。
我はついに目標を発見したのである。
が、その直後、我を見たエリザベスは逃亡を図った。何故だかは一等理解できんが、怪我をした足で逃げ出したのである。そうなれば、我も追わざるを得ない。が、我の俊敏は生憎最低であり、その全力疾走は怪我をした猫と殆ど同等であった。
そうして始まった世にも奇妙な地獄の競争を制したのは……エリザベスであった。
「……あそこに、鉄格子が無ければ……」
何故だか知らんが、駆け抜けた先の下水道には、鉄格子がはめられていた。地下からの侵入者を防止するためでは、とリサは言っていたが、それさえなければ恐らく捕獲は出来た。
しかし、結果は目の前で猫を取り逃がすことに収束し、我はヘドロと汚泥にまみれながら夜の街を歩き、こうしてこの場に帰ってきたのである。
無表情で身体中に泥を巻き付けた我を見た二人の顔を、我は見ることが出来なかった。あまりにも惨めが過ぎるのだ。
そして、泥だらけの体を冷水で洗い、寒さに震えながらこうして経緯を話している。
「……無理し過ぎよ」
「……」
はあ、とリサはため息を吐いた。そして小声で、頑張りは認めるけど、と付け足した。慎重に我の髪を拭くエリーズも、お疲れ様、と柔らかな声で言ってきた。
そのほんの少しの優しさが、我にとっては大分こそばゆく、我は無言で両腕を抱え直した。
それからリサらは、風邪に気をつけて、と言って我に適当な毛布を渡し、二度寝の為に二階へと上がっていった。
残された我は低級な毛布を体に羽織り、後悔に身を沈めていた。
「あの時右に誘導していれば……いや、そもそもその手前……接触の段階でもっと早く……」
流石に、鍛練をする気にもならない。気分が沈んでいるし、尚且つ疲労している。……と思っていたが、後の数時間を毛布で丸まって過ごしていれば、間違いなく眠気が我を襲うだろう。
今は寒気がそれらを押さえているが、あと何十分もすれば夢の世界へ旅立つことになりかねない。
そこまで考えて、我はゆっくりと毛布を離した。そして、足の筋肉を鍛える体勢に移行する。
「……今度こそは絶対に――」
捕らえる。久々に燃えるような敗北感に身を包み、我は筋肉に力を込めた。
上流階級の街並みは、ギリシャ、サントリーニ島のティラから青と高低差を抜いた様子を想像して貰えれば幸いです。




