第二十二話 人間じゃらしか人間マタタビか
次の日の朝、我ら三人は上流へ向かうために、大通りを進んでいた。が、いつかの日のように、我の機嫌は悪い。すこぶる悪いのである。
「……えーっと、大丈夫? コルベルトさん」
「……大丈夫な訳がないだろう」
「ホント、貧乏なんだか金持ちなんだか……」
両手で体を温めながらエリーズにそう返すと、リサが呆れたようにそういった。我の金銭事情についてはこれまでも食卓や街道で幾度と話をしたはずなので、同じことは口にしない。ただ咎めるような目で見るのみである。
昇ってきた太陽の熱を背中で嫌々受け取っていると、エリーズが不思議そうに言った。
「でも、意外だよね。コルベルトさん、苦手な物なんて何もない! って感じだもん」
「確かに、溶岩とか掛けられてもドヤ顔崩さない感じなのに……冷水が駄目って、面白い」
「……面白くもなんともないぞ」
ようやく体の冷えがマシになったので、無様に組んでいた両手を下ろす。普通、砂漠の水と言えば太陽の熱で暖まっているものだろうに、ここの水は暗所に保管され、丁重に冷やされている。露店が取り扱っていた水も冷水が基本であった。
砂漠で温水の需要は少ない、ということは重々承知であるが、如何せん度し難い。
と、ここまでつらづら愚痴を並べたが、原因は単純である。例の水風呂だ。今日の朝にゆったりと起きてきたリサとエリーズは、鍛練で汗だくの我に水風呂を勧め、そこで一悶着があった。
我も分かっている。汗は不快であるし、体を清潔に保つことは美なる者の義務だ。とはいえ……譲りたくないものもあったのだ。
「なんでそんなに水が苦手なの?」
「……竜族は体温変化に弱いのだ」
「あー……」
口にしたくないことだが、我は体温変化に弱い。初日に砂漠を彷徨い、四時間太陽に当てられただけで弱り、水風呂でこの有り様である。前の世界では有り余る魔力でどうとでも出来たのだが……今はそうもいかない。
我の行動が種族的な問題であることを理解した二人は、納得したように頷いた。
「えーと、じゃあ、一応温水を作った方が良いのかな……?」
「水瓶に蓋して外に……んー、盗られちゃうから窓際に置けば……」
「……ふむ、存外考えるのだな」
思った以上に、二人は我について考えている。胸中をそのまま口に出せば、リサがため息と共にこう言った。
「パーティー組んで同棲してるんだから当たり前でしょ? ……別にあたし達はあんたを貶めたいとか思ってないし……お風呂勧めたのも、これから服買いにいくのもあんたの為だからね?」
「……そうか」
リサの言葉に、思わず声が出なかった。ようやっとまともな言葉が出るかと思えば、下らない三文字だけである。何がそうかなのかと自分自身に問いただしたいが、これが絞り出した言葉なのだ。
吐いた言葉に後悔を浮かべる我を、エリーズがくすりと笑った。
「……何だ」
「いや、えーと……何でもないよ」
「何でもないでは済まされんぞ……」
よく人間は何でもないだの気にするなだのと言うが、気になるに決まっているだろう。しかし先程の例から、下手に手を出すと何かしらが返ってくるかも知れぬ、と学習した我は口を閉じた。
リサとエリーズの雑談を聞き流しつつ、しばらく丁寧な街並みを上っていると、何やら遠くにざわざわとした人波が見えた。人波といっても、中流のそれとは全く違う、品のある人の集まりであった。
整った服装に、規定や法律に沿った屋台と店。付け加えてそれらの店先には国の衛生法などを満たしている証明書や、大きな料理店の系譜であることを証明する紋章などが飾られている。
衛兵が巡回に巡回を重ね、ここから見える看板には『私服警備員巡回中』と書かれていた。
「ふむ……中々期待ができそうであるな」
「まあ、ね。ここ、ほとんど王様の膝元みたいなものだし」
「お値段が皆一桁高いものばっかりだよ……」
人間の町にしては、まあまあの市場である。この我が褒めるということは、つまり人間尺度で相当なものである。中流のごちゃ混ぜになった混沌は、それはそれで興味をそそられるものだったが、こちらは別の方向性で興味がある。
ゆっくりと緊張した足取りで進む二人の後を追いながら、市場を照覧する。
基本的に上流の家が白を貴重としているのと合わせて、屋台や店の外観も白で統一されており、加えて地面が白煉瓦であるので、随分と眩しい。太陽の光をこれでもかと反射し、賑わいに沿う明るさがあった。
通りの中心から左側にある白い店の並べる商品は、果物だの野菜だの魚だのといった物や、ワイン、パン、チーズ、その他調味料などで、食料に関係するものが多い。相対して右側は、本や錬金術の材料、家具に木材、石材、アクセサリーなど、直接的に日常生活に触れないものが集まっている。
そしてどちらの方角にも存在する屋台からは、中々芳ばしい香りが飛んできている。よく見れば派手に肉を焼いていたり、大声を張って客を呼び込む大衆食堂のようなものが見えた。
そういったものは左右どちらにもあるらしい。
市場はありありとした生命力に満ちており、規模や品からして、この国を支える場所であることが分かった。
二人に連れられながら市場の迫力に感嘆していると、一つ疑問が湧いてきた。ついでとばかりにリサへ質問を投げる。
「おい」
「ん?」
「この辺りにはラクダに乗った人間どもを見ないが、規制されているのか?」
我がそう聞くと、リサは驚いたような顔をした。
「へー、よく気がついたじゃない」
「馬鹿にするでない。我は……うむ」
「おー、偉い」
「流石にそこまで馬鹿ではないと何度言えばいいのだ。……それで?」
リサはくすりとムカつく笑顔を漏らして、我の質問に答えた。
「お察しの通り、王城近く……具体的に言うと市場から二百五十メートルの場所から王城までの大通りではラクダとか馬車、その他騎乗できる動物と乗り物は禁止なの。景観を乱して交通を麻痺させるってね」
「まあ、土埃が立つ上、場合によっては危険であるし、妥当であるな」
しかし、ここの王は多少まともな人間のようである。でなければ市場はこれ程隆盛を見せないであろうし、その権威から離れた中流の場所に警備隊の本部を置く度胸も中々だ。
何より、今のところこの国で犯罪らしい犯罪を猫泥棒程度しか見ていないのが良い。これが愚王の統治する場所であれば、あれやこれやと破落戸が幅を利かせ、そこらでスリが横行し、警備隊本部で賄賂が羽を伸ばすであろう。
孤立した砂漠の都市でこれ程まで纏まった国を作った事は、存外驚異に値する。……ただ、あの城だけはいただけぬな。己の偉大さを見えるもので誇示しないのは謙虚ではなく妥協である。
そんな風にこの国を評価していると、リサがちらりとこちらを向いた。
「んー……多分、ここから右に直進で服屋だから、先に寄るね。軽いものから買わないと、疲れるし」
「うむ、理解した」
「……うん、看板にはこっちって書いてあるね」
エリーズが見ている方向には、先端に矢印の付いた木製の柱があった。屋台の高さより少し上ほどの目立つ柱には、無点灯の魔力灯が三つついている。夜はあれが明かりになるのだろう。
不安げにリサが前を進んでいるので、背筋を伸ばせ、と我は言った。この我の前を歩き、我を導いている人間が堂々としていなくてどうする、と続けると、リサはなんとも言えない顔になり、続いて多少マシな雰囲気で前へ進んだ。
目的地へ歩きながら周りの店を閲覧すると、やはり面白い商品が並んでいる。興味をそそるものを見る度に、我はエリーズへ質問を投げ掛けた。
「あの回っているのはなんだ?」
「あれは扇風機だよ。あれがあると凄い涼しいかな。……お金がすっごく掛かっちゃうけど」
「では、あのガラス瓶に詰まった生き物はなんだ?」
「うげぇ……なんだろう、あれ? 多分錬金術に使うんじゃないかな? アーカムさんに聞いたら分かるかも」
「……む? あの輪っかのようなものは?」
「あれは……うーん、なんだろ。リサー、分かる?」
「え? ……あー、シャボン玉を作るやつね。あれの原液が高くて高くて……ホント、セコい商売よ」
そんな事を言っている内に、どうやら目的の区画に着いたらしく、周りの商品は色とりどりの服に満ちていた。服だけではなく、服を作る型紙や針、糸、そもそもの布など、種類に富んでいる。
と、ここで、リサとエリーズが我に振り返ってきた。
「さ、どうぞ?」
「うむ?」
「うむ、じゃなくて……ほら」
「流石に私達は選べないから……」
成る程、ささっと選べと。ここならばまあ、多少の希望を持って服を探しても良いだろう。そもそもの母数が中流の露店とは段違いであるからな。
仰々しく咳払いをひとつして、我は軒を連ねる服屋の店先へ歩みを進めた。
途端に服屋の店主たちの視線が我に集まり、本当に一瞬、この区画に静寂が満ちた。我はこの視線を知っている。知っているというより慣れている。一般が我の姿に見惚れる視線。値踏みしようと眺めた瞳の値段が上限を突破し、呆然とする視線。
こういった視線を受ける度に、どうしてこの二人が真面なのだろうか、と常々疑問になる。余程綺麗な顔を見慣れているのか、もしくは我に対する評価が低すぎてこの美貌と相殺されているか、であるが……そんなことは考えずとも分かるな。この二人は余程綺麗な顔を見てきたのだろう。つまり慣れているのだ。
しかし店主らはそうでないようで、唖然としている。加えれば店前の売り子の女でさえ声を掛けるか悩んでいる。
そして、長いような一瞬が過ぎた時、そこらの店主が全員一斉に我へと詰め寄ってきた。曰く、自分の服を着てくれ、と。
どうだ、見たか? これが我の実力である、と後ろに振り返ると、二人は平然とした顔をしながら、人間マタタビか人間じゃらし、どっちがいいと思う? とふざけた会話をしている。おい、エリーズ。人間マタタビの方が可愛い感じ、ではない。
熱狂する服屋の中で、我は久々に呆れたため息を吐いた。
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「あんたの服、重いんだけど……」
「これ、食べ物運ぶ余裕あるのかな?」
「それは……我が聞きたいところである」
我らが区画を出たときには、我とリサの両手に大量の服が詰まった袋が乗せられており、エリーズは苦笑いしながら、一袋持つ? とリサに聞いた。が、エリーズは食材を抱える役目のようで、その手が塞がるのはいただけない。
結局リサと我が服を運ぶ羽目になった。
「いや、どうしてこうなったんだっけ?」
「どいつもこいつもタダ同然で我に服を寄越すからだ……喜ばしいことではあるが、腕が不味い……」
「筋力無さすぎでしょ、あんた……」
「うるさいぞ……」
どこの店も、貴方に着ていただけるのならばお代は要りません、だの九割引だのをしてくるから、調子に乗ったリサがあちこちを回って……いや待て、これはどう見てもリサの責任ではないか? 咎めるような視線をリサに送ると、リサは反抗的に口を開いた。
「いや、こんなお得な状況、見逃す方が馬鹿じゃない?」
「……間違いが無いのが悔やまれるな」
「これ、全部でいくらなんだろうね?」
エリーズが興味本位でそう聞いた。が、我にもさっぱりである。上下で15着を超えてから数えていない。そのどれもが、二人からすれば上質なものであったらしく……まあ、とにかく相当な買い物だったのは間違いない。両手の重みに耐えながら、我は口を開いた。
「やはり我の美貌は最高であるな」
「自画自賛……まあ、そこは間違いないんでしょうけど」
「ほう? 分かっているではないか。その調子で我を崇め奉るのだ……おい、止めろ。袋を一つこちらに寄越そうとするな」
「まあ、コルベルトさんカッコいいからね。お得だよ」
エリーズがそう言いながら、我らを先導する。さすがのリサも、両手が塞がっていては前へ進めまい。エリーズが上の看板を見上げ、こっち!と指を向けた方角へ進んでいく。
その後ろを歩いている間に、ぱっと一つ疑問が湧いた。隣を歩くリサに疑問を押し付ける。
「おい」
「んー? 何?」
「お前達の服は買わなくて良かったのか?」
「え? ……あー」
「まあ、大丈夫……なのかなー?」
ついでにリサとエリーズの服を買えば、中々面倒が省かれるのではないか、と思ったが、この二人にはそもそもそんなことが思い付かなかったようである。我の服選びに夢中であったようだ。
荷物を両手に持ち直しながら、リサが口を開く。
「まあでも、あんたみたいに服を気にするような顔はしてないし、いつもの市場で十分よ」
「私もそうかなー」
「うむ?」
リサは袋から飛び出した値札を一つ捲って、うわ、と声を出した。つられて見たエリーズもひゃー、と声を上げている。どうやら高価な服であったようだ。
が、それよりも我は前述の言葉が気になった。
「お前達はそこそこまともな顔をしているだろう。そこにまともな服を合わせれば、そこらの男は振り返るぞ」
「え」
「うぇ?」
「何だ? 美の化身とも言えるこの我が言うのだぞ? 間違いは無い」
リサは軽く吊り上がった茶色の瞳が気の強さを表しているが、今の驚いた表情や、くすりと笑った顔には、それを反転させた可愛らしさがあり、顔立ちも客観的に見ればそこそこ整っている。付け加えて、体躯はすらりとバランスが良い。
エリーズは小柄な体と整った童顔に、長い黒髪が合わさって小動物的である。常に纏っているふわふわとした雰囲気さえ除き、空っぽの脳みそを加味しなければ、十二分に美少女を自称できる外見である。
と、ここまで非常に客観的な情報を述べたが、この二人を我が主観的に見ると、短気な女豹と脳味噌空っぽの栗鼠である。先程の情報と全くもって噛み合わない……いや、待てよ? つまり我の美貌が通じないのはこれと同じ原理……いや、そんな筈はない。考えすぎだと思うことにしよう。
「ちょ、え?」
「うむ、何だ?」
「い、いや……何でもないけど」
どう考えても何かしらがあると思うのだが……まあいい。問い詰めて聞くほどの価値があるとは思えんからな。どうにも微妙な空気を抱えたまま、我らは食材の区画へと向かった。
食材に関してもこの市場は優秀なようで、代わりに高まった値段に対し、エリーズやリサが値引き交渉を持ち込んでいる。ちらりと財布が軽いのか、と聞くと、そうでなくても値引きはするもの、と返ってきた。
値札に書かれた値段が絶対的なものであると思っていた我は、存外その光景に新鮮さを感じた。
リサ曰く、店主らも値引きされることを見越した値段に吊り上げているらしく、相場を知らない田舎者や旅行客から搾り上げる目論みがあるようだ。なんとも強かであるな、と一瞬思ったが、よくよく考えれば当たり前である。
しばらく市場を回って、エリーズの両手が塞がって来たとき、リサは満足したように息を吐いた。その額には薄く光る汗があり、ともすれば両腕も荷物を持つ高さを落としていた。
我も殆ど変わらぬ重さの物を持ってはいるが、殆ど汗をかいていない。それに目敏く気付いたリサが不思議そうに口を開いた。
「んー……あんた、あんまり汗かかないのね」
「……だから、温度変化に弱いのだ」
「あ、なるほどね」
「なるほどー」
種族的な問題で、我はあまり汗を掻かない。運動をすれば別なので全く、というわけではないが、人間に比べれば大層少ないだろう。これまでであれば、魔法で体の周りに冷気を纏うなり、暖気を纏うなりでどうとでもなったのだが……やはり魔法が無いと不便である。
と、ここでリサが何かを考えるような表情で空を見上げた。釣られて見上げれば、太陽は南中を迎えようとしている。もしかすれば、もう正午を過ぎているような高度だ。
それを確認したリサは周りを見渡し、こう言った。
「食堂に行ってみる?」
「私は賛成だけど……」
エリーズが我を見上げた。ふむ、食堂か……。すこし考え、リサに向けて口を開いた。
「そこは我に相応しい料理が出てくるのか?」
「相応しい? うーん……まあ、そうじゃない?味で言ったらあたしよりも上だと思うけど……」
「ふむ……であれば良い。案内するのだ」
「はいはい……」
っしょ、とリサが一声に荷物を持ち直した。目指す先はそこそこ大きな食堂……であるが、濁った雰囲気は感じない。流石は玉座の鼻先である。適度に賑わい、それに相応しい清潔感が目の前の食堂からは放たれている。
食堂は木と煉瓦の組み合わさった横に広い二階建てであり、解放感を重視してか扉がない。横幅に対して大きく開いた入り口からは、何やら適度に香ばしい香りがしている。
両手の重みを涼しい顔で取り繕い、我はゆるりと食堂へ向かった。




