第二十一話 銀月と図星
セラの情報に沿って裏路地を駆けると、存外早く表に出た。夜は大きく深まっており、数時間前の喧騒が嘘のように閑静であった。出た場所が存外城に近かったのもあり、型の崩れた酔っぱらいは居らず、衛兵は真面目に目を光らせている。
我は静かな住宅街を軽く見回し、城の方角を確かめると、そこへ背を向けて前へと進んだ。街道を下れば簡単に見覚えのある場所へたどり着く事ができる。そうすれば組合や家に向かうことで二人に合流ができる筈だ。
そんな考えの元、深まった夜を抜けて、我はリサの家へと戻った。が、なんと鍵が開いていない。つまるところ二人はまだ帰っていないのである。となれば組合に行くのが次だと足を動かす頃には、時刻は深夜三時を回ろうとしていた。
この時間帯になると幽霊が出やすい、と魔族の中でまことしやかに囁かれてはいるが、真偽の程は分からない。
そんなことを思い出しながら組合の歪んだ扉を開けると、どっと中の騒がしさが我へと打ち付けた。見れば例の四人とリサ、エリーズ、その他の冒険者がガヤガヤと話をしているのである。
どうやら匂いからして酒は入っていないようだが、如何せんうるさい。はあ、と憂いに気品を含めたため息を吐いて、我は店内へと入り込んだ。
店内に入った我に最初に気付いたのは、四人の内の兄貴と呼ばれている男。何やら頬に傷が出来ているが、強面をにこやかに曲げて笑っている。
「おー! コルベルト! お前もエリザベスちゃんを探してくれてるんだって?」
「気安く呼ぶなと何度言えば分かるのだ。……まあ、見つけることはできていない」
「あ、コルベルトさんじゃあないすか」
「コルベルトー! お前は良い奴だなぁ。こんな時間まで一人で探してくれてよ」
「カッコいいですぜ、旦那ぁ」
「はぁ……」
何なのだこやつらは。柄にもなく困惑した表情を浮かんでしまう。が、同時に気になる点がひとつあった。疑問に則って質問を口に出す。
「お前達……その傷は何だ?」
「傷? ……あぁ、ちょっと猫泥棒が手強くてな」
「猫泥棒っていうかあいつの犬達が手強かったな……可哀想で倒しづれえったらなんの……」
猫泥棒だと? 落ち着こうとした所に投げ込まれた爆弾に焦っていると、リサが我に解説を投げてきた。どうやら、この四人は昼頃から裏路地や貧民街を探し回り、驚くべき事に諸悪の根源とおぼしき猫泥棒を捕らえてしまったらしい。
傷はそのときの戦闘でついた物であり、四人は掠り傷だと馬鹿笑いを上げていた。
「先輩達、本当に流石ですよ。私達だったら、見つけても報告するのがやっとです」
「んや、運が良かっただけさ。二人だって頑張りゃ出来るって。自信を持っていこうぜ」
またもや大きく笑う男どもに、店内の冒険者がぱちぱちと拍車や口笛を送った。途端に男達は照れるように苦笑いになって、やはり変わらぬ小物臭い雰囲気を見せている。
猫泥棒を捕らえたとなると、件の猫は見つかったのか? とこの場の全員に聞くと、一拍沈黙が湧いた。その沈黙に、カウンターから横槍を入れるように店主が言葉を挟む。
「……いや。あの子はまだ見つかっていない。猫泥棒に問いただしたが、『逃げられた』と答えられた。どうやら自力で逃げ出したようだ」
これまでの情報を整理すると……猫泥棒がエリザベスを誘拐し、エリザベスは自力で脱出。しかし無理な脱出が祟って怪我を負い、尚且つ猫泥棒の住みかが貧民街であった為に帰り道が判らず、とにかく人目を避けて裏路地を通り、街を上に昇っていった……と。その過程で街を登りすぎてしまい、城の方向へと進んでしまったのを、セラが偶然にも目撃したのだな。
我は情報を整理した後、その場の全員に情報を共有した。
町の中腹の裏路地を徹底的に探したが目撃できなかったということ。その過程でセラに出会い、目撃情報を手にいれたこと。加えて我が予想する今回の全体像を語ると、全員は神妙に頷いた。
「王城周辺は全く考えてなかったぜ……暗い場所とばかり思ってたからな」
「って言うことは上側の町の路地裏……って、あそこあんまり路地裏無いんだけど」
「えーっと、それじゃあ全員でそこを探せば……」
「エリーズの姉貴、そもそも上の場所は目に付くんで、聞き込みが有効だと思いますぜ」
「いやあ、俺達衛兵に捕まったりしないすかねぇ?」
「上には公園や庭が多い。そこを探すのも大事な筈だぜ」
たかが猫一匹に人間がこれ程まで真剣になれるとは……さすがの我も呆れてしまった。我と違い、この場に居る六人には何の報酬も無いのだ。つまるところタダ働きというやつである。冒険者という資本主義の化身のような職業で、こうも無益な事にどうして全力を費やせるのか、我には一等理解できぬ。
とはいえ、元より我は魔性の存在。人間に興味はあれども、好いてなどいない。所詮は人間の考えることだと我は割り切った。何やら話し合いが終わると、リサとエリーズが我に手招きをした。我に命令をするつもりか? むしろそちらからこっちに来い。頑とした雰囲気を醸し出すと、どうやら通じたらしく、呆れ顔で二人が我に寄ってきた。
「……どうせ、『お前らが来い』みたいなこと考えてたんでしょ?」
「そうだが?」
「えーっと、まあ……私もちょっとだけ分かってきたかも」
この女にだけは理解されていると思えないが、わざわざこの場で否定するのも小物臭いのでやめることにした。
リサは先程の会話を軽く思い返しながら明日の予定を口にする。
「明日もエリザベスちゃんを探すけど、その前に市場に寄ることにしたから、よろしく」
「市場だと?」
「食材とかを買わないといけないし……それと、コルベルトさんのお洋服も……買わないと」
食材云々に関しては概ね理解が出来るが、この国で我に見合う服などあるのか? この辺りの服屋は軒並み質が低すぎて話にならなかったが……もしかすれば上流の市場なら、可能性があるやもしれぬ。
我は少し考えて、頷いた。中流では露店が基本であったが、上流ではどうであろうな。ほんの少しだけ、興味が湧かないこともない。と、ここでリサが我に声をかけてきた。どうにも不思議そうな顔である。
「ところでさ……それ、なんで持ってるの?」
「……これか?」
「わあ、可愛い……お菓子かな?」
「カンパチとか、すっごい懐かしいけど……」
何か良い代案は思い付かないかと画策したが、駄目であった。結局、屋台の女に渡されたとそのまま口にした。散々王だなんだと言って、そこいらの女に菓子を恵まれている状況を笑い種にされるのだろう……と思っていたが、そうはならなかった。
何故だか二人は納得した顔をひとつして、手元の菓子に気をとられている。
「ホントに懐かしい……最後に食べたの何年前だろ」
「コルベルトさん、どんな味だった? 甘い?」
「……そんなに気になるのであれば、くれてやる。この菓子はあまり得意ではないのでな」
「え!? 本当に!?」
我に二言はない、とエリーズへ菓子を渡すと、キラキラと目を輝かせながら、慎重に一口に菓子を頬張った。途端に甘さへ頬を緩め……そして猫が驚いたように目を見開くと、しばらく放心していた。
その有り様はまさに数刻前の我そのもので、鏡を見たような既視感があった。
それじゃあ一口、と放心したエリーズの手から菓子を頬張ったリサはふふん、と機嫌良さそうに刺激を甘受している。
「……何ともないのか?」
「ん? 特に?」
「あぐ……ぐ」
エリーズが驚愕に呻いている。正直我も驚きだが、慣れというのは凄まじいものがある。リサの言葉を聞くに、この菓子を食べたことは一度や二度ではないだろうから、恐らく刺激に慣れているのであろう。
久しぶりの菓子に機嫌を良くしたリサが、口内の無事を確かめるエリーズを連れて酒場の出口へと進んだ。今日はここで捜索を止める、ということか。
二人に連れ立って酒場を出ると、やはり街は静けさを含んでいる。中流では飲み潰れたものが多いかと思えば、あまり見ない。が、よくよく考えればこの冒険者組合は衛兵の詰所とほとんど隣接している。治安で言えば上流と大差が無いのだろう。
意外にもこの場所に隠れていた良さを発見して、我は家に戻った。
リサやエリーズは今日の起床がそこそこ遅いことも加味してあまり眠気を纏っているようには見えなかったが、明日に備えてそそくさと寝る準備をしている。
エリーズが最近の就寝時間が遅くなっていることに何やらぼやいていたが、特に健康に被害があるようには見えないので大丈夫であろう。
二人が就寝する前にあの憎き水風呂へと入る辺りで小さく一悶着あったが、それが過ぎると一気に静けさがやってきた。
外から聞こえてくる音はほとんど無く、家の中で目立つ音と言えば秒針の動く音くらいなものである。時折我の鼓膜が上階での寝返りを捉えるが、今日もきっかりと上には来ないことを釘に刺されてしまった。
「……さて」
いつもから察するに、女二人が起きるのは朝の九時辺り。であればそれまでの五時間近くは暇である。本来ならばこの時間も捜索に充てたいものであるが、明日は何分予定もある上、我は王城周辺に明るくない。上流は裏路地が少なく単純な構造をしているとはいえ、今日のように無様な迷子を見せるわけにはいかないのだ。
であれば、今からすることは当然鍛練である。ゆっくりと長椅子から身を起こし、地面に体を横たえた。今日は足から鍛えることにするか。
極力音を立てないことを意識し、足の筋肉を部位ごとに鍛える。
いつものことだが、鍛練をしているときには頭が暇である。日々演算と予想を繰り返している我が聡明な頭脳は、暇になればそれを埋めるように何かしらを考える。特に、今の我は殆ど八方塞がりで、ようやく光明を見たところである。考えることには事欠かない。
この好機をものにすれば、取り敢えず戦力が一つ手に入る筈である。だが、それではまだまだ足りない。最低限、あと二人は欲しいところである。
が、そもそも今の我では相手の器を図るのも難しいものがある。以前なら竜の瞳によって体に満ちる魔力や魂の色で読み取れたが、今は無理である。
自然と、我の頭の中でこれまでの人物の顔が現れた。
リサとエリーズは論外だな。セラやデグ、デニズ辺りも駄目である。クルーガーはまだマシであるが、それでもまだまだといった所だな。
現状、マシになりそうな人間は……店主と、酒場で遭遇した槍使いの冒険者……それと、嫌ではあるがアーカムくらいなものだ。
特に店主は間違いなく戦力になりえるだろう。握った手のひらで悠に分かる。あれは戦士の手である。それも、幾度の戦場を渡り歩いた歴戦の戦士のものだ。どうして酒場の店主なぞをやっているのかが分からない程の重さを、奴の手からは感じた。
とはいえ、我が相手では傷一つつけられないだろうが……欠片を持った存在を相手するならば遅れは取らないであろう。
鍛練を一旦休み、瞳を閉じる。瞼の裏に、いくつかの光が蠢いている。その内の一つを注目して見ると、深い破壊衝動と絶望が透けていた。まるで化け物のように荒れ狂う魂である。エリーズの話をまともに考えるならば、亡霊は激しい怒りと義務感で滾り続けているのだろう。
「……成る程」
存外大したことは無いのやも知れぬ、と一瞬感じて、それがいつもの尺度であったことに気付いた。今の尺度に合わせれば……ああ、もしかすれば我に血を流させることが出来る存在である。というか、こちらの勝算が薄すぎる。
「……もう少し、戦力が欲しい所であるな」
これを相手にするならば、現状の戦力を最も高く見積もっても、まだ不安である。まだ、足りないのだ。
現状手に入る可能性がある力では欠片ほども太刀打ちが出来ない。だが、やるしか無いのだ。
「一つ力が手に入りさえすれば……」
あとは流れ作業である。手に入る力によってはこれからの敵を簡単に葬ることが出来るだろう。そうすれば……あぁ、我はもう一度魔王になることができる。
その為にも、この状況から抜け出さなくては。やることはいくらでもある。壁は数えられないほどある。
――君は……いや、君達は何者だ?
一瞬、アーカムの言葉が過った。最悪の気分である。これだからあやつは嫌いのなのだ。はあ、と一つ息を吐いて、我はもう一度鍛練を始める。
頂点へ舞い戻る為に、神を殺すために。そして――あの人に、報いるために。
秒針がもう一周、時間を刻み始めた。




