第十八話 アーカムの剃刀
倒れている棚を起き上がらせると、続いて地面に散乱した商品どもの回収に入った。ガラスの瓶に詰められた香草や枝、何に使うか分からない石ころや、そもそも何がなんだか分からない色つき毛玉のようなものを拾い上げて、暫定的に棚に置く。
リサやエリーズは段々緊張が解れてきたのか、商品を持ち上げては、何だろうと二人して眺めていたりする。
我も多少は錬金術に手を出したことがある。が、やはり知識の含蓄がものを言う錬金術を我がやるのは難易度が高く、秘密裏に所有していた錬金工房を初日で爆破して以来、あまり手を出していない。
時折思い出したかのように手を触れてみては、生命を腐食させる呪いの霧を間違えて産み出してしまったり、辺り一面を吹き飛ばす大爆発を起こしてしまう。
流石の我も字も読めないのに図解だけで高等の錬金術をするのは難しかったのだ。
この店に置いてあるのは当然、我が使用した最高級の溶媒に比べて随分と一般的なものだ。なので勿論これらについて我は一切知らない上、全く何に使うのか見当が付かない。
「うわぁ……なんかすごいね、これ」
「光る水……?角度変えると色も変わるんだ」
「……あー、それは多分錬金術の蒸気だよ」
大きなガラスのフラスコに入った液体に二人が釘付けになっていると、店の奥からくぐもった声でアーカムが商品の名前を告げた。聴覚が特別優れた我は当然、アーカムがここからかなり近い位置で何か作業をしていることくらいわかっていたが、そうとは知らない二人は大慌てで弁明をした。
「あ、いや、その……」
「いいよ、君達は兵隊じゃないんだから。薬剤の瓶はそう簡単に割れないし……何より君達の反応が初々しくて面白いからね」
むしろずっと無言だったら怖いくらいさ、とアーカムは軽い調子で言った。続けて、錬金術の蒸気とやらについての説明を始めた。
「それは腕の悪い錬金術師が薬剤の分量を間違えると生まれる蒸気を、うまーく集めた物なんだけどね……実は錬金術には使わないんだ。何に使うと思う?」
「えーっと……飲んだりとか、ですか?」
「あはは。その量を飲んだら多分死んじゃうね。その液体は大体建築に使うんだ。大理石を磨くとき、木材に艶をつけるとき……まあ、その液体が建材の表面にうすーく広がって、建材を守りながら艶を出すんだ」
だからたまに、普通の錬金術師が不満そうな顔しながら手近なレシピを失敗させるんだよ、とアーカムは言った。それを聞くと何だか我の肩身が狭くなる。あの瘴気のようなものはこれの上位互換のようなものだろうか、と遠い昔を思い出す。
勿論、その最中にも仕事をすることを忘れない。アーカムの説明を聞いたエリーズは目を煌めかせ、リサも面白そうな顔をしていた。
アーカムが随分と気さくな性格をしていると思ったらしい二人は作業を続けながら、疑問に思う物について質問を始めた。
「この黒い木の板って何に使うんですか?」
「黒い板……ディルネアデスの舟板かな。名前通り舟板に使うよ。その板二十枚で船が浮くくらい、ものすっごく水に浮く板なんだ」
「このガラスの破片みたいなのは……」
「えーっとね……多分花の妖精の砂糖。食べれるよ」
「え!?」
花の妖精の砂糖ならば、我も口にしたことがある。最初はガラスを出されたと思って憤慨したが、説明に則って齧ってみれば、まあなんとも程好い甘さの砂糖であった。なんでも、食べた者が最も好ましいと思う甘さに変わるらしい。つまるところ、誰でも最高だと口にする砂糖なのだ。
その性質を利用して、常に不味いと口にする料理批評家にこれを混ぜた菓子を食わせ、不味いと言えば後に種明かしをする、という料理人の悪戯があったりもする。
「この種みたいなのは何ですか?」
「種っていったら……多分カイキの原花の種だよ。仕入れるのは結構苦労したね」
カイキの花は魔力に反応して咲く花で、咲く花の色は栄養にした魔力によって変化するから、特に決まった色を持たないんだ、とアーカムは言った。
「でも当然、変化する前の花……つまり原花があるんだ。どんな属性にも関係しない……それこそ魔力灯とかに使う透明な魔力だけで育てた原花……それの種だよ」
「……でも、その種も咲かせるときに色が変わるんじゃないんですか?」
「それが不思議なものでね。カイキの原花の種は一度だけ、前の色を覚えて咲くんだ。つまりもう一度原花で咲く。だから民話だと『一夜回帰』とか、『月下回帰』の花って呼ばれてるね。作るのに手間がものすごく掛かるから、貴族社会の贈り物とかによく使われるよ。この一夜を、何度も思い返すようなものにしましょうって感じでね」
正直、本当に作るのが面倒だから、そんなつまんないことに使わないで欲しいけど、とアーカムは言った。その話にリサは興味深そうに頷き、エリーズはいつも通り目を輝かせ、同時に苦笑いを浮かべた。
アーカムの話が終わる頃、ようやく商品らしい商品はすべて棚に仕舞うことができ、後は乱雑に散った本を片付けて、埃を払うのみだ。
軽く曲げていた腰を伸ばしていると、視界の端にキラリと光るものを見つけた。注視してみれば、何らかの液体が入った小瓶のようなものだ。かなり小さいので、埃と本に埋もれて見えなかったのだろう。この我が目的を見逃すとはな、と内心不服を呟きながら瓶に歩み寄り、それを摘み上げる。が、その直後何かに躓いてしまった。
慌てて体勢を戻したが、軽く掴んでいた小瓶はコロコロと一人で店の奥に転がってしまう。
「……」
取りに行くのは面倒だが、取らない訳にもいかない。渋々我は、店の奥に瓶が転がった、とだけ口にして店の奥の扉を開けた。リサとエリーズは少し驚いたような顔をしたが、それだけだ。それなら仕方ない、と二人で掃除用具である箒を吟味している。
扉を開くと、そこは半分倉庫のような場所だった。少し高めの天井一杯の高さの棚が幾つも並んでおり、赤いラベルがここからでも多く散見できる。よく見れば棚は全て鉄で出来ており、木材の床に倒れないように固定されていた。それだけでここが店主であるアーカムにとってどれだけ重要かが簡単に見てとれる。
扉が開く音が聞こえたらしいアーカムが、ん? と相変わらず大人びた声を上げた。
「瓶が転がってここに入り込んだのだ」
「あー……まあ、言わずもがな気を付けてね。かなりここ危ないから」
「うむ」
パタン、と後ろで扉が閉まった。倉庫の中は店内に比べれば相当マシな空気をしているが、代わりに中々暗い。並みの人間であれば暗さに足元が覚束ないだろうが……我は魔族の王である。暗視などお手のものだ。
鉄の棚の間を巡りながら、小さな瓶を探す。恐らくこの奥にあると予想されるアーカムの錬金工房からなんとも言えない香りが漂っているが、気にしない。
少し奥の方を探すと、簡単に瓶は見つかった。今度こそしっかりと掴み、付いた埃を払う。さて、戻るか、と足を動かそうとした……が、その行動は途中で固まる。
「……ふむ。宣言もなしに闇に潜むとは、要らぬ勘繰りをされても文句を言えぬぞ」
「……やっぱり、見えているのか」
棚の隙間、我の背後の暗闇に二つの瞳がある。そこへ向かって声を掛けると、そろそろ慣れた声が響き、小さな体躯が棚から顔を出した。
アーカムは小さな人差し指を真上に立てて、何かを呟く。同時にその指に欠片ほどの光が灯り、多少周りが明るくなった。
三角帽子に目元を隠したアーカムは、朧気な唇を軽く歪めて笑った。
「さてさて……君は、何者なのかな? どうにもね、君は存在感が異質過ぎるし、気にしない訳にはいかないよ」
「……聞くならまずは自分から、と親に習わなかったのか?」
そう返すと、アーカムはあはは、と小さく笑った。そしてゆっくりと顔を上げ、我の顔を見た。小さな灯りに浮き彫りになった小さな子供。その両目には粛々とさんざめく灰色の瞳が猛禽類の如く居座っており、その瞳に射竦められた瞬間、我は己の嫌な予感の正体を知った。
間違いない。こいつは唯の子供ではない。そこいらの子供……いや、大人であろうともこんな瞳は持っていない。
これは、激しい戦いを知っている者の目だ。アーカムは固まる我を見て小さく笑い、こう言った。
「君は……いや、そうだね。君達は、何者だい?」
「……」
「おお……怖いね」
何故――それを知っている。我の体はその言葉を聞いた瞬間に行動し、アーカムの喉元を捻り上げていた。
「どこでそれを知った。……いや、今か」
「当たりだよ」
「……目だな」
「当たり」
どこまでも態度を崩さないアーカムは軽く笑った。
「安心してよ。君が何者かまでは分かってないから。ただ……少しだけ魂の形を見せてもらったよ」
「……随分と癖の悪い目だな」
「よく言われるよ」
今すぐにこいつの口を縫い合わせてしまいたいが、今の我にはそれを成すだけの力がない。それを恐らくアーカムは知っているのだろう。子供らしいへらへらとした調子でこう口を開いた。
「まあ、君に僕は殺せないし……僕も君を殺せない。多分っていうか、絶対にね。だからこんな所で喧嘩しても意味がないと思うよ」
「……」
「うんうん。分かってくれて何よりだ」
口車に乗せられるのは非常に不愉快だが、発せられる言葉は道理が通っている。今の我ではこいつに何をすることも出来ない。同時に、依頼主と冒険者という立ち位置が見えずともそこにあることが我の両手を押し止めた。
灰色の瞳を強く睨んでから、ぱっと両手を開く。小さな体を地面に叩きつけてしまえ、とせめてもの悪意を持った行動だったが、アーカムは当然のように着地した。
「……そう煙たがらないでくれよ。君だって、明らかに普通じゃない相手が自分の領域に入ってきたら、正体を確かめざるを得ないだろう?」
「……分かっている」
「いやまぁ、それにしても……そこそこ長く生きてるつもりだけど、君みたいな魂は初めて見たよ」
だろうな、と我は思った。ちらりと見たアーカムの瞳は既に三角帽子に隠されており、不敵な口元だけが見えた。舞い上がったような声音のアーカムだが、その対象となっている我は不快と言う他無い。
例えるならば、道すがら知らない相手がいきなり服を脱がしてきたようなものだ。勝手に魂を閲覧することの出来る存在は幾らか知っているが、まさかこんな場所で遭遇するとは思うまい。
「そこそこの長生きで肥えたのは口回りと面の皮だけ、といった所か?」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
我の煽りに欠片ほども反応を示さず、アーカムは笑った。全くもって食えない奴である。これ以上話していても、ろくな結果にならないことは簡単に分かるので、ため息一つにアーカムへ背を向けた。
「依頼の方、よろしく頼むよ」
「……」
無言だけを置いて、我は店に続く道を歩き、来たときと同じ扉を開いて店内に戻った。
店内は向こうに比べれば格段に明るく、思わず眉に皺が寄ったが、金色の瞳を光に順応させれば中の状態ははっきりと確認できた。
「あ、帰ってきた」
「コルベルトさん、大丈夫だった?」
「特に問題はない。それよりも我の服の汚れが特段気になる」
「ちゃんと洗うから……って言っても代わりの服がないと困るんだけどね」
ぬぅ……この我があんな粗末な物に袖を通すのか……。とはいえ、仕方ないものは仕方ない。汗と埃の滲んだ服を着続けるのも間違いなく不潔である。なので我は少し押し黙って、分かった、と口にした。リサは、なんでこっちが頼んでるんだろ、とため息を吐いているが、我にとってこの決断は難しいものだったのだ。
「えーっと……コルベルトさん、とりあえずコルベルトさんは背が高いから、このはたきを持って壁沿いの戸棚の上を……」
「随分小さいな……」
申し訳なさそうにエリーズが差し出してきたのは、水色の布が幾つか先端に纏まったはたきだった。リサは片手に箒を、エリーズは塵取りと小箒を持っている。
開いた扉から浮いた埃が逃げており、店内の空気は大分マシ、といったところだ。幾つか散らばっていた本はまとめてカウンターに積んである。どうやら我が奴と会話している内に、かなり事は進んでいるようだ。
自分から言い出した依頼である以上、依頼主や状況に関わらず、仕事と責任は全うせねばならない。我は体格を対比して小さすぎると形容できるはたきを片手に構え、戸棚の上を悠々と見据えた。
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彼が工房を完全に去ったのを確認した瞬間、どっと脂汗が滲み出てくる。若干荒くなった呼吸を宥めながら、アーカム――僕は、溢れた汗をゆっくりと拭った。
好奇心が猫を殺すというが、警戒心もまた人を殺すのだ。久々に忘れていた死の予感が遠退いて、心拍数が跳ね上がる。
「ははは……困るね」
よく自分の表情が変わらなかったな、と褒め称えたいくらいの衝撃だった。仮にも普通の人間の何倍も生きているのが久し振りに役に立ったんだろう。
君みたいな魂は見たことがない、所じゃないんだ。警戒六割好奇心三割に僕の両目が見透かしたのは、まさしく怪物の魂だった。
「彼……もしかしなくても魔王だよなぁ」
あれだけ穢れた魂は初めてだった。あれだけ怨嗟にまみれ、他の魂の怨みを買うだけの存在を、この数百年見たことがなかった。連続殺人犯や熟練の処刑人なんかがガラス玉に見えるくらいの魂だ。その上、見たことが無い鎖のようなものが七本、空から魂に食らいついていた。鎖の片鱗には神性が見えていたし……本当に訳が分からない。
他にも、器の大きさがおかしい。あちらこちらに継ぎ目が見える。挙げればキリがないくらい、異常な魂だった。正直、あまり関わりたくないというのが本音だ。精神が若いからか、なんとか会話の主導権は握れたけれど……その若さが理不尽に矛先を動かすこともあるはずだ。
「最近の若い子は……怖いね」
苦笑いを浮かべて、体の状態を安定させる。一呼吸、しっかりと吸い込めば、汗は消えるように収まった。呼吸も完全に安静だ。その状態で、心外にも上がっていた帽子の鍔を深々と下げて、小さく笑う。
「さて、と……作業に戻ろうか」
どうかこの町の平穏が崩れませんように、と誰かに祈って、僕は工房の奥へと足を進めた。
アーカムの剃刀:創作物の中においてある一つの事柄を説明する時、幾つか選択肢があるのなら、その中で最も突飛で非現実的なものが真実である。




