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金塊の夢  作者: 平谷 望
第二章 大好きな貴方に
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第百七十七話 進む世界と魔王の停滞

 冒険者、辞めるわ。あまりにも簡素な一言であり、そしてその実そこに込められた経緯は類推さえ叶わないほど複雑だった。リサが驚きと共に息を飲んで、しかしストライクは「気にすんなよ、後輩」と言った。


「別に、お前の言葉がオレを追い込んだとか、そういうんじゃねえから。オレはオレなりに考えて、オレの決断をしたんだよ。お前がなんか考えることはねえよ」


 そう告げるストライクの顔はやはり朗らかであり、獣性の欠片も見えなかった。どういった変化があってそうなったのか、我には分からない。だが、ストライクという男が生半可なことで考えを曲げるような男ではないとだけ分かっていた。


 この男は何度となく瀕死の目に遭っていた。数十と冥府と現世を往復し、人々から白んだ目を向けられて、それでもストライクは一切揺るがなかった。最強という荒唐無稽な夢を本気で目指し、全身から流血しながら前へ進んでいた。


 それには深々とした理由があり、それ故にストライクは曲がらなかった。何をもってしても曲がらなかった。それがストライクという男であり……しかしそれは今、確かに変わろうとしていたのだ。我は少し考えてから、冒険者を辞める理由を聞いた。


「おい」


「あぁ?」


「……どうして、冒険者を辞めるのだ。最強を目指すのではなかったのか?」


 我の質問にストライクは苦笑を浮かべてから、一瞬だけリサを見た。そうして、我の目を見返してくる。


「お前らと話をして……それから色々、考えたんだよ。ずっと、ずっと考えてた。春が来なかったら、まだ今も考え続けてたかも知れねえ」


「……」


「オレは、どうしたらいいのか。何を目指せばいいのか。どうやってこれからを生きたらいいか。オレは何度も考えて――それで、決めたんだ」


 諦めるよ、とストライクは言った。オレは諦める、と続けて、ガサガサに渇いた唇が、少しだけ寂しそうな弧を描いた。黒い瞳はここでは無いどこかを見つめるように遠くなって、そうしてストライクは言った。


「オレは……世界最強には、ならねえ。なれねえし、目指さねえ」


「……」


「もう、いいんだ。やっと分かった。オレがどうすれば良いのか、お前らが教えてくれたんだ。やっとオレは、答えを見つけたよ。これを見つけるまでが本当に長くて、背中が傷だらけだけどよ……もう、大丈夫だ」


 ストライクの顔は柔らかかった。我はその顔が、いつか見た幼きストライクの……ストライク・ワングレンであった少年の微笑みに類似しているようで、我は思わず息を飲んだ。

 それは現実に打ちのめされたのとは全く異なる色をしていた。逆だ。ストライクは現実を見て、前に歩き出そうとしていた。


 進もうとしているようでいて、ただの一歩も前に歩いていなかったこの男が、初めて一歩を踏み出したのだ。


 我はなんとも形容しがたい感情に打たれて、これからどうするのだ、と聞いた。己にとってのすべてを捨てたストライクが、次に目指すものは何か。ストライクは我の質問を受けて、一瞬、黒い瞳を宙に踊らせる。それが我に帰ってきたとき、ストライクは答えた。


「オレは、前に進もうと思うよ。オレなりのやり方で……もう一度、全部をひっくり返してやろうと思うんだ。現実逃避とか、最強になって全部をなんとかしてやろうとかじゃなくて、きちんと正面から……やり遂げられなかったことをやろうと思う」


「……自らの無実を、もう一度証明しようというのか」


「あぁ……そうだ。……遅すぎるかもしれない。もしかしたら、オレには無理なのかもしれない。けどよ、それでもやらなきゃいけないって、オレは思う。もう逃げねえよ。何年も前の証拠を探して、偽の文書の穴をつついて、それで……ワングレンは何も間違ってなかったって、そう証明したい」


 ストライク・ワングレンが成せなかったこと。自らの無実を晴らし、そして黒幕である貴族に裁きを落とすこと。見ようによっては、それも非常に難しい話である。ストライクは既にただのストライクであり、教養も抜け落ちているだろう。


 だがしかし、遅すぎるということは決してないと我は思った。そして、前に進もうと決意したストライクのことを……本当に少しだけ、少しだけ――寂しく思った。


 ストライクという男は、本当に我に似ていた。生まれこそ異なっていても、今の在り方も、大切なものを打ち壊された怒りや自責、そして復讐心がもたらす推進力は、まさしく我そのものと言っても過言ではない類似性である。

 そんなストライクが……前に進んだのだ。ストライクは復讐の全てを、決意した何もかもを一旦足元に置いて……そうして静かに、己の存在理由を見つけた。


 それは未だ、何もかもを捨て去れない我とあまりにも異なっていて、だから我は一抹の寂寞(じゃくまく)を覚えたのである。置いていかれたような、ストライクという男に……どうしてだか、羨望のようなものを抱きそうになっていた。


 そんな己が居ること自体が我にとって非常に不服で、耐え難いことだった。それでは本当に、己が惨めに思えたのだ。だから我はそんな感情のあれこれに一切合切の蓋をして、「そうか」と言った。それを聞いたストライクがきょとんとした顔をして、「おう」と笑う。


 それさえもどうしてか遠く見えて……そんな我に、ストライクが口を開いた。


「そういや……オレの話ばっかであれだったけどよ、後輩はどうして国を出んだよ。お前はルゥドゥールを倒したんだろ? どこもかしこも、お前を英雄扱いしてるぜ?」


「……やらねばならぬことがある。進まねばならぬ道があるのだ。そしてそれは、この国に滞在していては叶わないものである」


「……次はどこに行くんだ?」


「クリフィンという国である」


 我がそう言うと、組合の中には十人十色の反応が満ちた。顔をしかめるメリルに、珍しい苦笑を見せるオズワル。ストライクは面白そうな顔をして、バズは大した反応を見せなかった。特に顕著な反応をしたのは絵本作家を目指しているというロッシュであり、人の良さそうなその顔に、憎々しげなしかめっ面を張り付けていた。


「く、クリフィン……」


「よりによってあそこかい……まあ、アンタなら余裕そうだけどねえ」


「クリフィンっつうと……北東か?」


「クリフィン……」


「……」


 絵本作家を目指しているらしいロッシュにとって、童話の国と称されるクリフィンは羨望の的だろうに、その顔は非常に厳しい。どう考えても、その原因はかの国に君臨する女王エリュアレイに違いないだろう。

 エリュアレイによって、現在クリフィンは童話の国と呼ばれるには程遠い現状にある。それがロッシュにとっては気にくわないのだろう。


 とはいえ、ロッシュは出すぎたことを言うつもりは無いらしく、口をつぐんでいた。聞いた張本人であるストライクは地名よりも我の理由が興味深かったようで、少しだけ考えるような顔をしていた。

 が、次に口を開いたのは意外にもオズワルであり、小柄な体をカウンターにもたれさせながら、頬杖をついて思い出すような声を放った。


あのガキ(ヴァト)の紹介で来たって言うから面白がってたんだけどねえ……こんなすぐに居なくなるとは思ってなかったよ」


「……すまぬ」


「謝らなくてもいいさね。うちのモットーは知ってるだろう?」


 ただねえ、とオズワルは言う。だらりと弛緩した口元が思い返すような笑みを浮かべて、シワの多い眦がさらにシワを増やした。褐色の瞳には似合わぬ感傷の色があって、オズワルは囁くような声で言った。


「……本当に、似てるよ。いい男なのも、すぐに消えるのも」


「……誰に似ているのだ?」


 我がそう聞くと、オズワルはきょとんとした後に、それを聞くかね、と笑った。破顔したオズワルは我を見て、そして答えた。


「ライゼンさ。アイツは本当にいい男だった。年上のアタシなんざ目に入ってないっての以外は……本当に」


 我は二つの驚きを同時に抱えた。我がライゼンに似ていると言う言葉に驚き、そしてオズワルがライゼンを褒めちぎって……若干の恋情をそこに透かせたのにも驚いた。が、それに構わずオズワルは続ける。


「アイツは風みたいな男だったからね。ふらっと現れては、人の心ばっか奪ってどっか行っちまうんだ。その癖自分の兄貴の事ばっか考えて自覚無しなんだから……やってらんないよ」


 昔話をするオズワルの顔は実に愉快そうであり、しかしそれには呆れと怒りも混じっているように思われた。その他にもさまざまな感情が渦巻いては離反してを繰り返して、なんとも人間臭い表情をオズワルは浮かべる。

 その表情が生まれるまでにどれだけの物語があったのか。オズワルとライゼンの間に何があったのか。我には到底分からない。興味はあったが、オズワルは付け入る隙間をそっとふさいだ。婆の昔話なんざさせないでくれ、とオズワルは言って、さて、と言った。


「随分変な回り道をしたけれどね……話を戻そうじゃないか。ヴァチェスタ、リサ……それとストライク。アンタら、本当にここを出ていくんだね?」


「うむ」


「は、はい……」


「なんかついでみたいだな……あぁ、そうだ」


 確認の言葉に肯定を返すと、オズワルはため息を吐いた後……にやりと笑った。その笑みは板についており、どうにもよく似合ったものである。

 我らの肯定に組合の空気が僅かに揺れて、不安げな顔のメリルやロッシュを押し退けるように、オズワルはパン、と手を叩いた。


「――なら、行きな。止めはしないよ。好きにするといいさ。冒険者ってのは自由でなきゃいけないからね」


 至極単純に、あっさりとした言葉でオズワルは我らの離脱を認めた。その様子に負の感情は見えず、ただただ好きにしろ、とそういった雰囲気がそこにある。我とリサはそれに驚きながら冒険者である証明の認識票をオズワルに渡そうとしたが、オズワルは「アタシが受け取っても捨てるか火種にしかならないよ」と笑い、我らは認識票を懐に戻した。


 途端にメリルやロッシュが「折角後輩が出来たのに」だとか「仕事仲間が減るのは悲しいなぁ」だのと不満を口に漏らし、ストライクは苦笑を浮かべた。矛先に立たされた我らもどう返したものかなんとも言えず、オズワルはその様子を流石に不満は受け入れろとばかりにいつものにやけた顔で眺めていた。


「一緒にやりたい依頼とか、色々あったんだけどなぁ……」


「……それについてはすまぬとしか言えぬ」


「すみません……」


「後輩が減ったら私がまた新入りに繰り下げにされてしまうのだけれど」


「それに関しては知らぬ。実力でのしあがれ」


「それが出来たら今頃私は大魔法使いなん……ゴホン! ……こ、これはあえてよ。あえての立ち位置なの」


 ぎゃあぎゃあとメリルやロッシュは不満を漏らし、ストライクと我らは一方的にそれを受け入れた。我らの離脱はあまりにも急なものであり、こうして不満を受ける義務というものが一応はある。

 我らはしばらく他愛の無い語らいをして……そんな隙間に、申し訳無さそうな声が挟まってきた。これまで沈黙を保っていた、バズのものである。


「……本当にすまない。大した仲ではない私が君達の間に入るのは不適切だと思っているが……後輩君に、質問がしたいんだ」


「……質問か?」


 我は自然とそう言った。我とリサは、バズと面識が殆ど無い。ここで出会ったのが初めてであり、何か質問をされるような共通の話題など少ないだろうと思っていた。何より、我らはこれからこの組合を抜ける身分である。あえて話を掛けてくる理由がしれなかった。

 それらを全て補足できるほど大きな質問なのか、と我は身を構え、バズは口を開く。


「……君たちは、オズワルさんの昔話を理解出来ているようだった。オズワルさんは昔、南の方で傭兵をしていたと聞いている。……もしかして君たちは、南からここに来たのかい?」


「……うむ。そうである」


「えっと……あたしはミルドラーゼって国から来ました」


 我とリサが質問の意を汲めず、取り敢えず答えると、バズはミルドラーゼの一単語を聞いた瞬間に目を見開いた。その唇がわなわなと揺れて、「ミルドラーゼと言ったのか!?」と身を乗り出してくる。我らはその様子に困惑し、オズワルを含め他四人も驚いた顔をした。


 バズは周囲の反応にハッとして、すまないとまた謝罪をした後に息を整えて口を開いた。


「私は……二十年前、ミルドラーゼに息子を残してきた。紆余曲折があって、私は大工から奴隷の身分に落とされてしまったのだ。その結果、例え不可抗力の果てであっても……私は未だに息子の顔さえ見ることさえ出来ていない」


 言いながらにして、バズは己の両手首を見た。分厚い鉄の腕輪は、どうやら本当に奴隷の腕輪なのだという。鎖は引きちぎられ、形は歪んでいるが、堅牢なそれを見れば、バズが己の意思で息子を残してきた訳ではないと推察できる。現在に至ってもミルドラーゼに向かえないのも、恐らくは両手首の枷によって船に乗ることが出来ないのだろう。


 冷静に考察を重ねる我に、バズがその全てを打ち砕くような言葉を放った。


「だから、もし君たちが知っていれば……教えてくれないか? 私の息子は――デグは、無事に生きているのだろうか。健やかに成長出来ているのだろうか」


「えっ……?」


「……デグ、だと?」


 告げられた名前には、覚えがあった。同時に我はバズに対して抱いていた既視感の理由を悟った。熊のようなずんぐりとした体型、背中に背負った斧。茶色い瞳に髪。間違いなく、ミルドラーゼのデグと似通っている。

 デグとバズ。脳裏で並び立つ二人に、納得と共に驚愕が押し寄せてきて……我とリサは言葉を失った。

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