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金塊の夢  作者: 平谷 望
第二章 大好きな貴方に
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第百六十一話 裸の魔王と戦後処理

 アルベスタの辺境で、おとなしく家族と毛布にくるまっていた怪盗は、ふわりと漂った暖かい風に目を見開いた。


「……本当に、春が来た。あの人……本当に狼を蹴飛ばしちゃったんだ」


 崩れかけの家で自問自答する一直線な男は、屋根から差し込んだ暖かな光をぼうっと見つめる。


「……オレも、前に進めってことかなァ……わっかんねェよ」


 暗い工房で眠っていた三色頭の中性的な少年は、自らが作った魔道具の崩壊を悟って、同時に来た春に、張っていた肩を柔らかく落とした。


「はぁ……万が一死んじゃってたりしたら……バジルさん、本気で荒れそうだったから……本当に良かったなぁ」


 三人だけの冒険者組合は、窓に着いた霜が溶けたことで騒がしさを放っていた。


「おいおいおい……! あいつ本当にやっちまったぞ!?」


「え゛っ!? はぁ!? なっ……えっ!?」


「アッヒャッヒャッ! こりゃあ面白いねぇ! 狼一匹で金貨一枚。それじゃあ大白狼は金貨何枚なんだろうねぇ! ヒャヒャッ……本当に、面白い男だよ」


 商会の執務室で神経質に爪を噛んでいた豪商は、部屋に駆け込んできた部下の言葉に、飛び跳ねながら破顔した。


「っしゃぁ!! 流石はうちが見込んだ男や! ホントに大白狼ぶっとばしてくれたな! ……ほれ、あんた。何ぼーっとしてるんや。用意しといた春物の品ぶちかましたれ! この国の春、一番速く動けんのはうちらや! 商いの時間やで!」


 緊急で重鎮が召集された謁見の間で、国王は笑った。騎士団長は困惑し、第三王女は首を傾げ、第二王女は感極まったように破顔して、混沌極まる空間を、第一王女が微笑みながら見つめていた。


「ハハハッ! やってくれたな魔王!! これはどうしようと頭が上がらぬわ!」


「……い、一体どうやって……彼には欠片ほども脅威を感じなかったはずなのに」


「ハハハ! 青いなヴァストラ! 奴は脅威なんぞでは測れんぞ! あの目は強者の目だ!」


「うーん……よく分からないけど、暖かいし皆笑顔だから……いっか!」


「コルベルトさん……」


「ふふふ……やっぱり、手を出さなくて正解でしたか」


 森の外……ではなく、馬車で行ける限界地点の夜営地で待機していた灰色の女は、春にどよめく白伐ちの声を聞きながら、満面の笑みで馬車の荷台に乗り込む。


「お客さん……やったんすね。……さぁ、ラーズ、ズーラ、行くっすよ!! 最高速で送迎っす!」


 そして……宿屋でひたすらに魔王の心配をし続けていた茶髪の女は、晴れ渡った空に、ため息を吐いて脱力した。


「……何であたしが疲れてるんだろ……なんか、馬鹿みたい」


 魔王がこの国に残していったあれこれは多く、深い。複雑に絡み合った全てが、春という事象で大きくどよめいては弛緩した。動き出すもの、騒ぎ出すもの、笑うものに考えるもの。それぞれがそれぞれ、気障に笑う傲慢な魔王を脳裏に浮かべて……そうして、春のアルベスタで多くの歯車が回り出した。



 ―――――――――――――



 音無の雪渓には、一面の花畑が広がっていた。吹雪は消えて、七色の花が花弁を散らしながら春風に揺れている。青い空、暖かな陽気は春の様相を呈しており……そんな花畑の中心に倒れ伏すルゥドゥールの体が、ザザッ、と音を立てて崩れ始めた。長きを生きた狼も、結局は白狼でしかない。その体を雪から狼へと変える魔力を失い、ルゥドゥールの体はなんの変哲もない雪へと変わった。


 巨大な雪の塊が花畑の中央に鎮座していて……そこから、右腕が生えた。魔王の右手だ。魔王――つまるところ我は、続けて左腕を雪からつきだした。どちらとも袖が無く、我は両腕に力を込めて、雪から体を解き放った。まるでもう一度卵から孵ったようで気持ちが悪いが、中に籠っている訳にもいかない。真っ白な世界から外へ飛び出してみれば……なんと、花が咲いている。極彩色の花だった。空は晴れ渡り、薄い白雲が線を何本か引いて蒼を際立たせていた。トーヴに言った、ここに花は咲くだろう、という言葉が我の中に帰ってきて、我はしばらく唖然とした。


 花畑を見回し、狼の上に仁王立ちする我の服装は……はっきり言って、ほぼ全裸である。あるのは腰布一つと、穴が空きすぎてチーズのようになった下着一枚だけである。魔王の服装と言い張るには、あまりにもみすぼらしいものだった。だが、仕方があるまい。我は狼の胃袋に長く収められていた。本来ならば全裸に剥かれてもおかしくはないのだが、長い間飯を食わなかったルゥドゥールの胃酸は少々弱いものだったらしい。狼の胃腸が弱いと聞くと笑えるが、生憎この状況は笑えなかった。


 魔道具が無くなってしまったのも痛いが、何よりこの格好が不味い。格好がつかないにも程がある。……とはいえ、失ったものばかりではない。


「……遂に、帰ってきたか」


 我は傷一つない両腕を握りしめた。そこに力強さは無く、しかし懐かしい感覚があった。力の継承は、ルゥドゥールの胃袋の中でつつがなく終わった。場所が場所であるという点を除けば、我の感慨は一入ひとしおである。


 遂に、遂にまともな力がやって来た。戻ってきた。魔王の欠片の一つ――俊敏が今、我の中に在る。再生、強靭と並んで、俊敏の力が根源に沈んでいるのが感覚で分かった。

 これで我は、この世の生態系において、殆んど最上位に君臨する速度を得たのである。服さえまともならば、直線に走ってアルベスタへ帰るのに数時間と掛からない。最高速ならばより早く着くが、あれは空気との摩擦を魔法で消さねばならない。


 ともかく、我は最速の二文字をこの体に取り戻したのである。我は両腕を腰に当て、胸を張りながら魔王的な高笑いをしてやろうと思ったが……流石にそれをする前に、ルードとトーヴの安否を確認せねばならない。戦って勝ったから用済み、と軽く切れるほど、我は冷徹ではないのだ。何より、これで死なれていたら寝覚めが悪い。


 我は白狼の雪の上からトーヴとルードを探した、目線は高く、吹雪は無いので、一面をぐるりと見回すことが出来る。とはいえ、一面は見事に花畑であった。二人はそれに埋もれているのか、上手く見つからない。まさかな、と嫌な予感があって、しかし足元のルゥドゥールがそれを否定する。探しに探して……我はようやく、手前で仰向けに倒れていたトーヴを見つけた。続けて、全身が真っ赤で分かりにくいルードを発見する。近くに『老骨』が突き刺さっていなければ、見つけられなかったかもしれぬ。


 我は取り敢えずルゥドゥールの背から降りて、トーヴの元へ歩いた。ただの徒歩だが、それさえもなんだか早く感じられる。さっとトーヴの傍らに立つと……トーヴは不器用に破顔しながら、安らかに眠っていた。その笑みはあまりにも朗らかで、我は一瞬ヒヤッとした。が、どうやら生きているようである。

 実に幸せそうな顔をして、トーヴは眠っていた。トーヴは左腕を失っており、折れたのか刀も半分であった。白い着物はぼろ雑巾のようになっており、残った右腕も内出血と腫れで歪にねじくれている。


 これではもう、ろくに剣を振ることは出来ないだろう。だが、そんなことはどうでも良さそうであった。全身の負傷と重体を加味しても、それでもトーヴは満ち足りた顔をしていた。ならば、良いだろう。我はトーヴを起こさぬよう、慎重にその場を後にした。


 続けてルードの元へ、我は少しだけ走った。小走りである。軽やかに我の足が濡れた地面を踏んで……次の瞬間、我はルードの傍らに居た。うむ。全くもって遜色の無い、完璧な速さである。

 我は己に感嘆しながら、ルードを見た。そして固まる。ルードは両腕を骨折していた。それだけではなく、全身に大きな傷を負って血まみれである。だというのに、ルードは平然と寝息を吹いていた。


 折れた両腕は骨が肘を突き破って反対側から白い塊が見えているし、胸に刻まれた三本線には未だ血が溜まっている。本来ならば……というか、ここまで傷を負う以前に死んでいる筈である。我は困惑したが、何故だかルードの出血は殆んど止まっていた。未だ流血しているのは上記の二つだけである。

 その異常さに我は再びルードが人間かどうかについて考えて……同時に一つの事柄に思い至った。


「……無事に我らはルゥドゥールに勝ち、春を呼んだが――さて、どう帰ったものか」


 返答はない。代わりに南風が我の素肌を撫でて擽ってくる。どうやら我の美貌は自然界をも魅了するらしい。そんなことを思っていると花の花弁が目に入ってきて、我はため息を吐く羽目となった。

 とはいえ、本当にどうしたものか。素早さはあるが、我に二人を担ぐだけの力はない。百歩譲ってトーヴならば尻尾を使って何とかいけるが、筋肉質なルードは無理である。ルードの得物である老骨や腕と一体の大盾など、我が全力で殴ってもびくともしないだろう。

 我が最速を使って体当たりでもしてみれば不可能ではないのだろうが、あまりに非効率である。


 我は二人を置いて帰るような鬼畜ではないし、かといって帰る手段である馬車は森の外である。我は少し考え込んで、一旦森の外へ我単身で出るか、と考えた。そうしてささっと森を抜け、アルゴダに事情を説明すればどうにかなるだろう。見たところ、二人は特に急を要するような容態ではない。


 そこまで考えて、我はそれも駄目か、と思った。忘れがちであるが、一応馬車で森を進んでも丸一日は掛かった。流石に一日放置では二人は死ぬだろう。ルード辺りはひょっこりと起き上がりそうであるが、トーヴは安らかな永眠を迎えかねない。


 さあ、どうする。こうなればどうにかして服を得て、白伐ちどもの手を借りるか。そうなれば我は間違いなくルードから血塗れの服を拝借する羽目になるが……。


 そういった具合に思考が煮詰まって――遠くから物音が聞こえてきた。我は反射的に尻尾を丸め、背中に隠す。音の方角は森であり、どうやら人の音では無かった。ガタゴトとうるさい異音である。ここまできて魔物か、と我は困惑して、しかしそれは魔物ではなかった。物音は近づくに連れてはっきりとして、我はそれが馬車の音だと分かった。


 アルゴダの馬車である。どうしてそれがここに来ているのか、それについてはさっぱり分からない。偶然か、はたまた魔法か……とにかく、この状況を打開することの出来る存在が現れたのだ。我は音の聞こえる方角に進み、馬車は花畑の手前で止まった。恐らくは木々の隙間からこの花畑が見えたのだろう。本当なら突っ切っても良いのだが、あまり気の強い方ではないアルゴダはそれを選択しないだろう。


 馬車が止まって、木々の向こうから「少し待つっすよ、二人とも」とアルゴダの声が聞こえて、巨木の間から灰色の姿が現れた。不安げにとことこと小股のアルゴダは、さっと広がった花畑に一瞬気圧されて、そして目の前に立つ我を見た。

 灰色の煙たい髪がびくりと震えて、灰色の瞳が姿を現す。それは感動を示すように大きく見開かれていて、同時に顔が赤くなっていった。


 我は一応の感謝を示すために、両手を軽く広げてアルゴダに謝辞を述べる。


「アルゴダよ、理由は知れぬが良いところに参った。助かったぞ。早速であるが手を――」


「し、下、え、あ、あわ、わわわ……!」


「?」


 我の言葉を遮って、アルゴダは声を上げた。その顔は花畑の花よりも赤く、白い指先が目元を覆う。何かから目を背けるような仕草な癖に、指の間から目が我を覗いていた。いや、よく見れば我の下半身を見ている。つられてみれば……ああ、全裸であった。先ほど少し走ったのが悪かったか。チーズじみた下着も跳ねとんで、我は美しい裸体を晒している。


 彫刻の如き肉体と、魔性の美貌は男を知らぬアルゴダにくらりとくるのだろう。それに関しては我に非があるな。とはいえ、状況はそれどころではなかった。戦いに勝利し、力を取り戻したとはいえど、我は一応の疲労を感じていた。あれだけずたぼろになった二人はなおのことだろう。我らは休息を望み、それを実現できるのはアルゴダだけである。


 我は毅然として、頼みがあるのだが、と言った。凛としても全裸では格好がつかないのだが、格好と同時に服がついてくるわけでもない。仕方の無いことだ。我の真摯な言葉にアルゴダはびくりと震えて我の目を見て、ぶるぶると左右に揺れる声でこう言った。


「な、なな、なんで……平気そうな顔なんですか!」


「……逆に恥じらう理由が分からぬ。我は美しい。その美しさが抜き身の刃の如く放出されているだけだ。それの何を恥じるというのだ」


「そ、そういう問題じゃ……!」


 羞恥の無を示すように我は堂々と両手を広げたが、何故だかアルゴダは萎縮した。しまった。刺激が強すぎたか。安い煽りにむきになるとは、我も存外大人げない。すまぬ、と一応謝ると、アルゴダは耳の先まで真っ赤に染めて「ぬ、布を、取ってきます!」と焦りからか普段の口調を捨てて我に背を向けた。


 残された我は全裸で花畑に屹立する他無い。我は春の陽気と太陽の熱を裸体の背中に浴びながら、アルゴダの帰還を待った。その間に、少しばかり考える。戦いは終わり、今は戦後処理の段階である。往々にして、戦いというのはそれ自体よりも事後処理の方が難しい傾向にある。今回についてもそれに当てはまるだろう。


 我はそれらについて一通り考えた後に、ふらりと後ろを振り返った。見上げる山脈があって、割れた谷があって、七色の花畑があった。花畑の中には大白狼の亡骸があって、戦闘の名残を示すような老骨が地面に突き立てられている。

 風に揺れるそれらを眺めながら、我は少しだけ息を吐いた。ため息ではない。ただただ、戦闘の終わりを告げるような、静かな吐息だった。


 少しだけ感傷のようなものがそこにあって……魔王らしくも無いそれは、正面からのうるさい足音に掻き消されるのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] しっかりと章タイトルを回収されたなと思いました。さすがです。 「大好きな貴方に」に続く物語が数々語られていて、その前へ進むきっかけになる『春の訪れ』だったのですね。 伝えたかった言葉を伝え…
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