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金塊の夢  作者: 平谷 望
第一章 金色の魔王と砂漠の亡霊
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第十五話 魔王と最悪の目覚めについて

誤字脱字報告、ありがとうございます。

 数分か、或いは数十分の時間を経て、我は顔を上げた。


「……全く、どうしようもないな」


 解せぬ。今になって、自分の行動が恥ずかしい。は、と短く呼気を吐き出して、凛と金の眼を開いた。今の行動は、それに至るまでの思考は……ああ、夢だ。悪夢の延長線だろう。心身共に弱っていれば、こういった白昼夢を見てしまうものだ。


 己に理由を貼り付けて、我はゆらりと長椅子から立ち上がった。一階の照明は当然の如く消されており、二階からは殆ど物音がしない。扉の方を見ると、きつい日射の影があった。

 随分と濃い。が、それも当たり前だろう。今の時刻はおおよそ真昼。砂漠の真昼である。意識してみればじわりと室内に籠った熱を感じる。


 同時に腹も減ってきたが、二階に上がれば間違いなくリサの逆鱗に触れてしまうだろう。そうなれば料理に舌鼓を打つ所の話ではないので、リサを起こす案は却下である。

 今の我に出来ることは黙って時間を過ごすこと。もしくは我一人で組合に行き、依頼の報酬を受けとることだが……入り組んだこの街の街道を歩くのは御免である。


 裏路地やその他細道が丁寧に、かつ雑に伸びているので記憶に時間が掛かるのだ。勿論聡明な我ならば道の暗記程度造作もないことだが……リスクは避けたい。


 となると、我が出来ることは一つであった。勿論のごとく、鍛練である。


 前回の失敗である物音に注意し、空白の時間を有効活用するのだ。どうせあと三時間もすれば目覚めるであろう。

 今度はよく分からない絨毯……いや、これを絨毯とは呼べぬな。薄すぎる上に依れて伸びている。正しく呼称するならば布だな。


 布の上で仰向けに身を横たえ、両膝へ両腕を持っていく。それを限界まで続けた後に、今度は別の部位を鍛える。……本当ならばこんな非効率的な望むところではない。が、理想である鍛練はあまりにも負荷が高過ぎて体が動かんのだ。よって、この鍛練はちんまりとした運動に留まっている。


 端から見れば余程に滑稽だろうな、と自嘲しながら鍛え上げること数時間――


「……む」


 上からの気配を感じる。目覚めたか。それを知覚したと同時に体勢を立て直し、すぐさま長椅子へと飛び込む。そして優雅な体勢を十分に作り、瞳を閉じて絵画のように立ち振る舞った。

 ……階段から見れば我の荘厳な肉体美の殆どが長い背もたれに隠れてしまうが、顔と飛び出した足の二点でも素晴らしいことに変わりはない。


 冷静に、努めて堂々と待つ。しばらくの間をもって、上から何者かが降りてきた。階段を二段踏みしめて、そこでようやく眠っている人間がこの家に二人居ることを思い出したような忍び足になる。

 む……? これは間違いなくリサが目を覚ますと思っていたが……もしやエリーズか?


 エリーズは得体の知れぬ女であるが、同時に警戒に値しない女でもある。あのふわついた脳味噌で悪巧みの一つでもたてられるわけがあるまい。そう算段を踏んで眠った振りをしていると、階段の足音が止まった。くく、我を見たに違いない。

 興奮に足が止まったのだ。


 そう思っていると、音の主がゆっくり独り言を洩らした。


「…………寝ちゃってる」


 やはり勘違いをしたか。無理もあるまい。思わず漏れかけた笑みを抑えて、我はむ、と声を洩らした。


「……あ、ごめんね……起こしちゃった?」


「うむ」


「えーっと……ごめんなさい」


「起きてしまった以上、もうよい」


 目を開け、体を起こす。開いた視線の先に居たのは、勿論エリーズである。困ったような顔をして笑っている。緩い寝巻きと寝起きらしき装いを見ると、やはりこの女は中々に気立てが良い。


 リサは全く平凡な面をしているが、エリーズはどうにも華があるのだ。柔らかそうな四肢、穏やかな表情、緩く透き通った声。数日前ならば問答無用で『お前、何者だ』と言ってやったが……土足で心に入り込まれる苦痛は知っている。

 故に我が黙していると、気まずそうにエリーズが口を開いた。


「えーっと……お水、飲む?」


「……貰おう」


「ごめんね? 本当なら私がご飯を作ってあげたいんだけど……お料理は全然ダメで……」


 全然美味しくないから……とエリーズはへりくだった。確かに、料理という高等技術をこの女が備えているとは思いがたい。そんなことを思っていると、台所へ向かったエリーズがコップを両手に戻ってきた。


「はい。……寝起きは喉が渇くよね」


「……うむ」


 確かに、ちっぽけすぎる鍛練の結果、我の喉は渇いていた。だが、勿論そんなことを口に出すわけにもいかない。この女にまで我の醜い努力を見せてはならぬのだ。

 水を一杯、大きく飲み干すと全身の細胞に潤いが透き通るようで心地良い。我の表情をちらりと覗いたエリーズが、くすりと笑ってもう一杯水を持ってくると言った。


 我は長椅子に、エリーズはテーブルの椅子に腰掛けて、無言の時間がしばらく流れる。が、特に不快感はない。無言でいることが当たり前のような、そんな気分がするのだ。

 どうしてかは知らぬが、我はあまり友好的に世間話をする口ではないのでありがたい。


 そんな沈黙の隙間に、エリーズはいつもの切り出しで話を始めた。


「えーっと……コルベルトさんは、これからどうするつもりなの……?」


「……まずは拠点となる場所を探す。その次に力を蓄え、我の欠片を目指すのだ」


「欠片……?」


 軽く瞳を閉じると、やはり虚空に共振を感じる。この世界のあちらこちらへと散らばった我の一部だ。その内一つが、どうにも近い位置で停止している。その他は高速で移動しているものや、ある一定の場所を周回しているものと、中々に種類があるようだ。

 首を傾げるエリーズに、やれやれとため息を吐いた。お前は我の話を一番近くで聞いていたであろうに。


「ここから北西に幾らか進んだところに、何かを感じている。我はそこを目指しているのだ」


「……ここから北西だと、エーテルホワイトがあるね」


「それがなんだかは知らぬが、恐らくそこだろう。そこに住み着く者が、(いや)しいことに我の力を抱えている」


「えーっと……あ」


「む?」


 思ったよりも知識の引き出しがあるエリーズに驚いたが、続いてエリーズは我の言葉に反応を示した。顎に指を当てて思い出す仕草は壊滅的に似合っておらず阿保らしいが、どうにか絞り出したらしい台詞が感動詞と共にその口から出てきた。


「あー……もしかしたら、その欠片? を持ってるかもしれない人? を知ってるかも」


「……言ってみよ」


「えーっと、噂っていうかお伽噺っていうか……とにかくそういう話半分に聞いてね」


 軽く頷いて続きを諭した。エリーズは記憶を確かめるように一呼吸置いて、言った。


「エーテルホワイトの亡霊って、知ってる?」


「知らんな」


「エーテルホワイトはね……ずーっと昔に、地図から消えちゃったんだよ」


「ふむ」


「確か、魔物と魔族の群れ? に襲われたって話なんだ。でもね、その攻撃で国は崩れちゃったけど、死んだ人はほとんど居なかったの」


「予想するに……その亡霊とやらの生前の姿が関係しているのだろう?」


 我の鋭い予想を受けたエリーズは小さく頷いて、自信無さげに言葉を続ける。


「エーテルホワイトの守護騎士長さんがね、押し寄せた魔族と魔物の群れを、ほとんどたった一人で押さえ込んだの。エーテルホワイトの正門に三日三晩ずっと、支援も援軍も無しで立ち尽くして……」


「……にわかには信じがたいな」


「うん。でもね、一番信じられないのはこのあとなんだよ。三日三晩もずっと、ずっと剣と盾で国を護り続けて……その人ね、最期は喉が渇いて死んじゃったの」


「……は?」


「ずっと一人で戦ってたから、脱水状態になっちゃったんだよ。全身がからからに乾いちゃって、それでもずっと剣も盾も離さなかったんだって」


 魔族と魔物群れを正面から一人で相手にし、三日三晩耐え抜いた果ての死因が脱水だと? それは……果たして人間なのか? 我の目を受けたエリーズは縮こまって、「それが、エーテルホワイトの亡霊の正体なんだって言われてるよ」と締めくくった。

 ただただ国を護るために戦い続け、援軍も無しに立ち尽くし、それが故に戦いの終わりを永遠に知ることが無くなった騎士。


「……なんだか眉唾な話であるな」


 だから、元々そういう話だって、とエリーズは笑った。何から何までふわふわとした情報だ。だが、我の力が眠っている場所がその瓦礫の町というならば、もしやその亡霊が欠片の持ち主やも知れぬ。

 確たる情報ではないが、脳裏に留めておこう。


 そんなことを思っていると、エリーズが何かに気がついたように声を上げた。


「……あれ?」


「なんだ」


「ってことは、もしかしたらコルベルトさんは亡霊と戦うかもってこと?」


「……今は無理だが、いずれそうなるやもしれぬな。どうせ返せと言っても我の力は魅力的であるし、断るであろう」


 我の力を片鱗とはいえ保持しているということは、凄まじい強敵であるということ。それに対して我が持ちうる武器は、金色の竜鱗のみ……我は己を世界最強だと思っているが、それがほとんど我自身に返ってくるのだ。正直、かなり無理があると思う。が、だからといってのうのうとここに骨を埋める訳にはいかないのだ。

 どうにか……とにかく何か手段を見つけなければならない。


 脳内で久々の戦闘計算をしていると、エリーズが控えめに口を開いた。


「えーっと……やめておいたほうが良いと思う……かも」


「……何故だ?」


「ここの王子様の兵士さん達が偵察に向かったっきり、帰って来なかったって話だし……さっきの話が本当だったら、亡霊の中身の人だって凄い強いみたいだし……」  


「だからといって、我の目的が変わることはない」


 断固としてそう言うと、エリーズは困った顔で黙ってしまった。そんな顔をされたところで、我の心持ちは微塵も変わらぬ。我はいち早くあの玉座に戻らねばならぬのだ。

 我の言葉を切っ掛けに、この居間が嫌な静かさを含み始めた。が、それを掻き消す物音が頭上に鳴った。リサが起きたようだ。


 階段を踏みしめる音が何度か聞こえ、欠伸をしながらリサが降りてきた。そして我の姿をその目に認めると、露骨に嫌な顔をする。


「なんだ」


「……何だかんだで二晩泊めちゃったのが癪なだけ」


「魔王を泊めた民家などここが恐らく初めてであるぞ。咽び泣いて喜ぶべきだ」


「どこからそんな自信がやって来るんだか……」


 ぶつぶつと何かを呟きながら、リサは台所へ歩いていった。口では遺憾だと語っているが、昼食を作ってくれるらしい。相変わらず行動と口調が一致せぬな、と口に出そうとしたが、間違いなくリサの機嫌を損ねるだろう。そうすれば昼食がどうなるか分からぬ。


「エリーズ、何か食べたい物ある?」


「うーん……リサが作ってくれる物なら何でもいいけど……目玉焼き!」


「はい」


「……」


 何の目玉だ、とは聞かなかった。何だか嫌な予感がしたのだ。そのまま口に出せば、馬鹿にされるような、そんな予感だ。いつも通り黙ってテーブルに向かい、大人しく座る。しばらくすると素晴らしい香りが台所から鼻腔を通り抜け、食欲を擽った。

 少しの我慢を経てテーブルに出された物は……見た目からするに何らかの卵だろう。


「……一応聞くが、何の卵だ?」


「え?鶏だけど」


「成る程……」


「他に何の卵があるんだろう……?」


 流石に同族である竜の卵は口にしなかったが、伝説上の生き物の卵はいくらか口にした。想像を絶する不味さであったので、それ以来卵は嫌いだったが……この女の料理ならば信頼しても良さそうだ。……何度も言うが料理だけだが。


 威勢良くいただきます! と言ったエリーズに合わせて口にすると……うむ、美味い。塩胡椒が絶妙に効いている。それでいて濃厚かつ深みがあり……と懇切丁寧にリサに伝えたが、やはり恥ずかしさが上に立ったのか睨まれた。

 そんなに目力を強められても、口角が微妙に上がっているので怖くなどない。


 それを見たエリーズが我の真似をして味を表現しようとしていたが……お察しな語彙力であった。


「えーっと、美味しい! 凄く美味しい! あのー……あれみたいな感じ!」


「あ、ありがとエリーズ」


「凄まじいな……」


「あはは……駄目だったかぁ」


 若干和んだような空気が狭い食卓上に満ちたが、何かに気がついたらしきリサがムッとした顔になってその空気を霧散させた。なんだ、その顔は。


「そういえば、あんたをどうするのか考えなきゃ」


「我を泊めるに相応しい宿を見つける件であったな」


 と言ってもだ。正直我が口にするのはおかしいだろうが、中々にこの問題の解決は難しいであろうと思う。冒険者という職業の都合上、我は安定した高収入を出すことは難しい。なので当然高い宿には止まれないが、程度の低い宿では我を王族か訳ありの貴族か何かだと思っているのか、萎縮して我を泊めてくれないのだ。


 ……もし、我にもう少しでも力があれば、こんなことを悩んでいる内に一人砂漠で死闘を繰り広げていたのだろうが……砂ゴブリンすら倒せぬ我には厳しいものがある。

 小さくため息を吐いて、フード等で顔を隠して入れないか、と意見を出してみたが、常識的に考えて、泊めるのならば顔を確認するのが道理なので、顔の確認はどちらにせよ避けられぬらしい。


「中々良案だと思ったのだがな」


「普通相手の立場からしたら、顔を隠した男なんて問題抱えてるか犯罪者のどちらかだと思うでしょ」


「はい、分かりましたって泊めてくれるとは……思えないね」


 なんとも両極端な。この土地の人間はおおらかなのではないのか、と聞いたら、それとこれとは話が別だろうと返された。なんだ、別とは。


「顔を隠す程度で門前払いなどと……」


「あ。あんた、もうちょっと綺麗に食べてよ」


「む……すまぬな。宮廷料理はナイフとフォークを使って食していたものであったから、不馴れなのだ」


「はいはい」


 素手とフォークであると、やはりテーブルマナーが悪くなってしまう。フォークは良いのだが、素手でパンを食べるのに慣れていないので、パン粉をテーブルや膝に溢してしまうのだ。

 魔王ともあろうものが、そこらの人間に作法を注意されるとは……と思うが、正直こればかりは慣れていないのでどうしようもない。


「うーん……マスターに聞いたらなんか教えてくれるかなぁ。良くわからないけどあんたのこと気に入ってたし、紹介状とか書いてくれたりなんて……」


「我も何故気に入られているのかはさっぱりだ。あの爺、急に笑いだしてかなり意味不明だったぞ」


「こら、爺とか言わないの。一応あたしたちの……あんたの上司なんだから」


「我よりも地位の高い者など居らぬ。何故ならば、我が最も偉いからだ。故に、我にとって奴は上司等ではなく、よくわからない爺である。そこを間違えるな」


 そこだけははっきりさせねば、と思いそう言うと、リサは呆れたようなため息を吐いた。よし、納得したようだな。全く、何度となく言い聞かせねば我の偉大さを理解できないのが、この女の悪い点である。

 我も呆れたようなため息と共に腕を組むと、リサが怪訝な顔をして口を開いた……が、そこで横槍が入る。この話題に置いて、ほとんど口を出さなかったエリーズである。


「あんたねぇ――」  


「えーっと……」


「ん? 何か思い付いたの?」


「思い付いたって言うか、何て言うか……」


 リサの言葉に、エリーズは歯切れが悪そうに口ごもった。基本的に後先考えず発言をしているだけに、エリーズが口ごもるのは妙な新鮮味があった。いや、口ごもること自体はありそうなのだが、纏う雰囲気が全体的に異なるというか……なんだか説明が面倒だな。

 そんなエリーズは、少し考えた後にゆっくりと一言を置いた。


「……このままってのは……どうかな?」


「え?」


「む?」


 思わず、リサと言葉が重なった。それがあまりにも指し示したような重なり方であったので、思わずリサと二人牽制するような視線の交錯があったが、それよりも思考を割くべき話題があった。

 最早爆弾といっても差し支えのない、エリーズの発言。当の本人もそれは理解しているようで、馬鹿なことを言ってしまったかなぁ、という顔をしている。


「えっと、さ。エリーズ……それ、どういう意味?」


「あの……正直な事を言っても良い……かな?」


「……」


「……私達、冒険者に全然向いてないと思うの」


 だろうな、と我は思った。それはリサも同じなようで、痛いところを急に刺されたような顔をしている。が、同時にそれを理解しているし、納得もしているだろう。この女は、思った以上に馬鹿ではない。

 エリーズの発言を一旦受け止めたリサは、冷静に話の続きを諭した。


「それで?」


「リサが私を守りながら弓を射って、私がリサの傷を回復するって……やっぱり無理があるよ」  


「……」


「それにね、私達……ほら、全然見た目が強そうじゃないから、すぐに馬鹿にされちゃうでしょ? それで依頼が取れなかったことも、何度もあるし」


「まあ、ね」


 やはりこの二人の陣形は両方後衛か。馬鹿だな。正直今までの4ヶ月程度を生き抜けたのが信じられないほど馬鹿だ。余程……それこそどちらかが、一般的な魔族程度の頑丈さと、そこそこ纏まった技術がなければ許されない行為である。

 前の世界では両方が弓使いのエルフの双子が居たが……あれは中々に手強かった。


 場所が森であったのも悪かったが、両者の連携と引き撃ち、交代のタイミングが寸分のズレなく行われていたのだ。それほどの技術がなければ、前衛を必要としないで誰かを守ることは不可能だと断言できる。


 ……ちなみにその双子は、面倒だったので我を含めて森ごと爆破して適当に吹っ飛ばした。やはり最後は火力と攻撃範囲、耐久力が物を言うのだ。


 話を二人に戻そう。リサは相変わらず苦い顔をしている。が、エリーズは遠慮を捨てた真面目な意見を出した。


「私もリサと同じで、男の人を誰かパーティーに入れるのは嫌だったからこれまでずっと二人でやって来たけど……ゴブリンたちに負けちゃって、このままじゃいけないなって思ったの」


「あれは……数が多かったから……でも、確かに下手したら死んでたかもしれないわね」


 普通に死ねたらマシな方だ。牢屋に放り込まれていたし、あのまま助けが来なければ、もしくは我が来なければ死ぬより絶望的なことになっていたに違いない。

 つくづく運の良い二人組である。と思っていると、エリーズがちらりと我を見た。


「コルベルトさんは、多分だけどすっごく体が堅いんだよね?」


「うむ。それに関しては金色の魔王の二つ名にかけて真実だと言おう。我の鱗を撃ち抜ける者など、この世に両手の指程も居ないであろう」


「それはちょっと信じられないけど……多分、私をゴブリンのナイフから守ってくれた時、コルベルトさんの腕にナイフが刺さってもナイフが逆に砕けてたから……それは信頼できる筈」


「……」


 それは、とは何だ。全面的な信頼は無いのか。我の不服を視線に変えて送ったが、エリーズはさらりと無視をした。


「コルベルトさんは、宿を探したい。私達は私達を守ってくれる前衛が欲しい。これって、凄く運が良いんじゃないかなって思うんだ」


「……」


「ねえ、リサ。私は、こんなチャンスもう二度と無いって思ってるよ。確かにコルベルトさんはちょっと頭がおかしいけど」


「おい」


「根は真面目そうだし、話は一応? 通じるし……それに、二晩泊めても何もしてこなかっただけじゃなくて、変な目でも見てこなかったでしょ?」


 当たり前だ。何が狂って人間の女に欲情せねばならんのだ。しかも、片方は女豹、片方は子供ときた。そんな気を起こす可能性は絶無。我が死ぬことと同じ確率である。

 ちらりと伏し目でリサが我を見てきたが、瞳に妙な納得を浮かべた。


「まあ、ね……」


「コルベルトさんと別れたら、多分私達はこれからずっと二人っきりだと思う。私はそれでも良いけど……でも、私はリサが怪我をするのは……嫌だよ」


「……私だって、エリーズが怪我をするのは嫌」


 でもね、とリサは断言した。その口調は石のように硬く、ともすればエリーズに対して突き放すとも感じられる物だった。髪色と同じ茶色……良く見れば金茶とも取れる瞳には、隠しきれない拒絶感が覗いていた。


「でも、それとこの金髪がこの家に泊まることは、なんの関係も無いでしょ」


「それは……うん」


「……パーティーを組むこと自体は賛成だけど、それでも家に泊めるのは勝手が別よ」


「……」


 エリーズは完全に黙ってしまった。リサはこの話はこれで終わり、という雰囲気を醸し出しているし、実際会話は終わろうとしていた。……が、そうはいかない。この我が居るだろうが。この二人は何故にして我の話題で我に意見を求めないのだ。何もかも両者間の話だと割りきっている。どうにも不愉快だ。

 その心持ちをふんだんに込めて、我も会話に参入した。


「おい。リサ」


「何?」


「信じられない事だが、我もエリーズと同意見である。……加えて、あー……その……我も、この家が嫌いではない」


「……残念だけど――」


「だが、お前は断るだろう」


 何故だかは知らんがな。知らんが、どうでもいい。我は、ここに活路を見いだした。エリーズがちんまりと開けた小指ほどの活路を。

 魔王は隙を見逃さない。戦闘でも、それ以外でもだ。我はこのリサという女に隙を見いだした。ならば、全力を込めて言葉をねじ込むまでよ。


「理由は分からん。興味も無い。どうしてそこまで男を……いや、違うな。どうしてそこまで他人を拒絶するのか」


「……」


「いや、何も口にはしなくて良い。理由を聞きたくて口に出した訳ではない。我はたった一言をお前に言いたいだけなのだ。もしかすれば、これが最後の会話になることもあるからな」


 そう言うと、リサはぎょっとしたように身を固くした。緊張や、それに由来する硬直ではない。(たと)えるならば武装。盾を構え、腰を落とし、我の言葉に対して強い準備をとったのだ。

 そこまでして塞ぎ込む理由は分からぬが、今となっては関係ないことだ。すっ、と息を軽く吸って、なんでもないように言った。


「――お前の料理は……美味かった」


「……え? それだけ?」


「……なんだ? 何を求めている」


「……はぁ」


 他に何か無かったのか、といった様子でリサはため息を吐いた。急に洒落た言葉を吐いたり、腰を低くして頼み込むなど魔王の行いとは言えぬ。故に我が掛けられる最大の労いや……まあ、ある一定の感謝の念というものを送ってやったつもりなのだが、なんともそれが不満らしい。


 ちらりと見るとエリーズでさえ驚いた顔をしている。続けて何やら笑い出した。……一体なんだというのだ。

 思惑と異なる反応にどぎまぎしていると、リサが答え合わせをするような口調で言った。


「心構えをしたのが馬鹿みたい」


「肩透かしと言いたいのか」


「ま、そんなところ」


「……」


 これでも中々に考えて発した言葉なのだがな。魔王的に見て、上々に褒め称えた言葉なのだぞ? それを一笑に付され、尚且つ肩透かしとまで言われると、妙に決まりが悪い。

 だからといって我の胸中をそのまま説明するのはいやにぞっとする。なので結局、我は不満な顔をして黙りこくることしか出来なかった。


 なんだか微妙な間が食卓に並んだ。が、それの名前が沈黙へと変わる前に、エリーズがゆっくりとリサに笑いかけた。その笑顔はいつも通り明け透けで、同時に何かを掴んだ、といった表情をしていた。

 伸ばした指先に物が触れたような顔だ。その笑みで、エリーズはリサに言った。


「リサ」


「何、エリーズ」


「少し、上でお話しよう?」


「……分かったわ」


 両者の視線が微細に振れて、その揺れの隙間に音の無い言語が並んだ。あたかも暗号を受け取ったような立ち振るまいのリサに、我は何が何だかさっぱりだったが、元より我は二階へ進めぬ。

 つまり、またここで待てということだ。何だか大事な局面に至った時に限って我が居ないような気がするが……。


 そんな我の胸中をまるっきり投げ捨てて、二人は粛々と二階へ進んでしまった。


「……嵐のような女どもであるな」


 女の気持ちが山頂の天気ほどに安定しないのは知っていたが、よもやここまでとは思わなかった。流石に二人の間に横たわる黒い秘密が、事の全容を分かりづらい物にしていることは分かるが……にしても、ここまで来ると興味が湧いてくる。


 ほんの小さな、一抹の好奇心を心の隅に累積させて、我はため息を吐いた。

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