第十三話 烙印が住み着いている。
酒場で待機して体感一時間ほど。特に事件らしい事件は起こっていない。時間で言えばまだ七時辺りであろうから、この時間で面倒事が起こっても困るのだがな。
客は引っ切り無しに我をちらりと覗き見て、なにやら話をしている。バーテンダーも我が居る安心からか、堂々としているように見えた。
事が起こるとすれば深夜近くであろう。それまでは……まあ、この空間で魔王的欲求を満たすとしよう。
向けられた視線に対して、冷ややかな流し目を送り……硬直した女にニヤリと意味ありげな笑みを送る。リサやエリーズにやろうものなら何か小言を言われるに違いないが――くく、それ見たことか。女は顔を真っ赤にして俯いている。改めて言うが良い心地である。
純朴な婦女であれば我の美貌に魅了されることは間違いない。流石に美しい顔を見慣れている人間は耐性があるだろうが、それでも我の美貌を間違いなく褒めるであろう。
言い過ぎや自惚れではない。本当に我自身がそうだと認識するほど、我は美しいのだ。
暇な時間を、美貌を振り撒くことで過ごす。とはいえ、仕事中に声を掛けられても困るので、同時に近寄りがたい雰囲気を漂わせるのも忘れない。一枚の絵画のような、或いは一枚透明な壁を隔てるような錯覚をさせる雰囲気だ。
これらを体得するのに少々時間は掛かったが、今では手足のように扱うことが出来る。
要するに表情と立ち振舞いなのだ。顔のどこを緩めれば自然と色気のある印象になるか。どこを強張らせれば威圧するように見えるか。目の開き具合、指先の微かな動き、足の曲がりや向き。これらを丁寧に組み合わせれば、簡単とは言わないが望む空気を演出できる。
我が特別美しいから出来る芸当であって、並大抵の者には出来ぬことだ。同じ格好をすることは出来ても、魅力を引き出せぬのだ。いや、それは少し違うか。魅力を引き出した所で、それが浅いのだ。我のように深みのある美しさを持たねば、こう簡単に女を落とせまい。
我の美しさに、時折男ですら我に見惚れるような仕草をしている。流石に男に好かれるのは勘弁であるが、自信に繋がることは間違いない。
そうやって暇な時間を過ごすこと数時間。噂を聞き付けてか訪れる客が止まず、いつの間にか店は大盛況であった。店主が奥からちらりと顔を出し、驚いたような表情をして我を見る。
ふふ、どうだリサよ。我の有能さが分かったか。そういった類いの視線を隅っこのリサに向けると、リサは何故だか呆れた顔をして何かを呟いた。
耳は流石に使い物にならぬが、我には優秀な目がある。その唇の動きを読み取って言葉に変えた。曰く――
『人間マタタビ』
阿呆が。一瞬纏っていた雰囲気を乱しそうになった。確かに人間が絶えず寄ってくる姿にはマタタビに似たものを感じざるを得ないが、流石に口には出すな。
エリーズに至っては我そっちのけで酒場の雰囲気に萎縮しているし、やはり調子を崩される女どもだ。何故我の魅了が効かないのか甚だ疑問である。
それについて少し考えていると、酒場の外が少々騒がしくなり、バーテンダーの顔が強張った。うむ?なんだ?
取り敢えず身構えていると、酒場の扉がやけに強く押し開かれ、三人の男が入ってきた。この店の雰囲気には似合わぬ、荒くれた身なりをしている。顔はいかにもな下衆顔で、酒臭い。腰元には短刀などの武器があった。
一歩間違えれば強盗呼ばわりされそうな男三人は、酒場の満員具合を見ると……それと同時に美しい婦女らを眺めると、気持ちの悪い声を漏らした。これを見ると、組合で見た冒険者四人組がいかに演技下手なのかがわかる。これと比べればあいつらは品が良すぎた。
足元に酒瓶や武器を転がして雰囲気を作っていたが、全然酒の臭いがしなかったし、何より普通に身綺麗であった。いま目の前に立っているのは、絵にかいたような破落戸である。
「うひょぉー……可愛い子が一杯じゃねーか」
既に何軒かで酒を飲んだ後なのか、男達は酔っぱらっている。その視線に晒された女達は不快感を露にし、情けない男どもは腰元の武器に恐れをなしている。
上機嫌に会話をする三人を見てから、バーテンダーに視線を送った。それに気がついたバーテンダーは、すがるように強く頷く。
ふむ。それでは仕事を始めるか。
我は壁から背を離し、ゆっくりと破落戸の元へと歩く。何、竜王や神、精霊の王に堂々と喧嘩を投げつけた我だ。この程度の相手は存在していないのと同じ程。唯一力の無さが露呈するのが問題だが……まあ、大丈夫であろう。
「おい、貴様ら」
「んあ? なんだ、お前……っぉ!?」
「不快だ。出ていけ」
この上なく嫌であるが、殆ど密着するほど先頭の男に近寄り、我の恵まれた体躯を持ってして上から睨み付ける。頭一つ分の身長差がある相手からこの距離で睨まれれば、怯まざるを得ない。付け加えて拳も振りかぶれぬであろう。
人間の習性というか、己の体からある一定の距離に他人が近寄ると言い知れぬ不快感を覚えるらしい。我も同じく不快極まりないが、ここは耐えるとしよう。
後ろに立っていた男二人は、我の隆々とした筋肉を見て、次に我の顔を見て怯え始めた。同様に我が睨んだ男も顔を青くして後退る。
距離を取ったことで安心したのか、何やら口を開くが……そうはさせぬ。
「て、てめ――」
「聞こえぬか。出ていけと、我は言ったぞ」
床を強く踏みしめて離れた距離を詰めると、男は完全に怯えて店から飛び出した。残りの男二人も慌ててその後を追う。……本当であれば胸倉を掴んで脅すのが常套であるが、我はあの男に触りたくない。汚いからな。
そもそも、我に力があれば無言で魔法の腕を創造し、男の首を掴んで店の外に放り出していた。それが出来ぬからこうして情けない脅しをしなければならないのだ。
その事を憂いてため息を吐き、また酒場の壁に背を預けると、遅れて酒場の全員から万雷の喝采が弾けた。勿論我を讃えるものだ。ありがとうと声が飛び、良くわからぬ口笛が飛ぶ。
同時にまたもや熱っぽい視線が我に集中するが……汚い破落戸三人追い払った程度でここまで讃えられるのか、と若干困惑に近いものを我は覚えていた。
やはり自分にとってどうでもいいことで褒められると、喜びよりも不安や疑問の方が勝る。ちらりと女二人に視線を送ると、意外にも驚いたような顔をされていた。リサは開いた瞳をぱちぱちと瞬かせているし、エリーズは周りに混じって拍手をして笑っていた。
「……」
向けられる賛美に、どうしても納得の出来ない感情がぬめりと顔を出す。それは確たる姿や名前を持たず、されども我の胸裏に長くへばりついた泥のようなもの。
分からぬ。それの名前が語れぬ。敢えて仮の名前を付けるのならば……失望か?
不平不満を泣き散らす赤子のように、この感情は理解できぬ。けれども、その矛先が何処へと向かっているのかは分かった。ゆらりと煙を吐くようにそれを呟く。
「……この程度で……」
燦々と雨のように向けられる褒め言葉に、我は陰鬱に俯いて返した。
――――――――――
破落戸の一件から数時間が経った。時刻は夜から深夜へと変貌を遂げており、人の入りも大分収まってきていた。とはいえ、深まった夜であろうとまだ客は居る。当然我の仕事も終わらぬのだ。
ほんの少しであるが、眠気というものを両肩に背負い、女二人を見る。リサはぱっちりと目を開いているが……エリーズの方は若干半目になっているな。垂れ下がった眦は睡魔との戦いを如実に表しており、当然それは激戦と化している。
リサの肘という掩護射撃を持って、ようやく五分五分といったところか。
ギリギリの戦いを眺めていると、酒場の扉が押し開かれた。新たな来客らしい。ちらりと横目で見ると……ふむ、背中に布で巻かれた槍を背負っている。中々血気盛んな装いをしているな。
来客は一人。自信に満ち溢れた表情をした男だった。
男は軽く捻れた肩までの黒髪をしており、艶のある髪は一房を除いて後ろへ流されていた。一つだけ前に垂れた黒髪を挟む両目も、髪と同様に黒く、短い睫毛と鷹のような眉が合わさり、堂々とした印象を与えてくる。
と、ここまでの外見を客観的にまとめると、見た目は小綺麗、顔も整っている。といった所で、少々荒い雰囲気を纏っているが、この酒場に足を踏み入れるのは問題無さそうな様子だ。
がしかし、我の嗅覚がじわりと訴える。
「……ふむ。血の臭いがする。それと、鉄の臭いだ」
総括して、兵士の臭いであった。中々荒事に身を落としている男らしい。男の姿を見たバーテンダーは、みるみる顔色を落として我を見た。……どうやら中々の相手らしい。
男は慣れた足並みで小綺麗な女が座る席に腰掛け、堂々と口説き始めた。女の方は随分と迷惑そうな顔をしているが、お構い無しといった様子である。
取り敢えず、話せば面倒は避けられそうであると見当を付けて、男に歩み寄る。
「いやぁ、知らないかぁ……結構有名だと思うんだけどさ」
「す、すみません……でも、何度も言うように知らないんですよ」
「えー? 黒槍のロダキノって本当に聞いたこと――」
「おい、客」
「んー……?誰だ、あんた」
声を掛けた途端、見定めるような視線を受けた。どれ程やれるかといった力量の査定だ。一瞬の間を経て、様子を見ることにしたらしい男は不遜な言葉遣いを我に向けた。
その言葉周りに突っ込むと面倒であるとリサ相手に散々学んできたので嫌々飲み込み、改めて男と相対する。
「ここの用心棒というやつである」
「……へぇ。で、何の用なんだ?」
「お前に二つの選択肢をやろう。静かに一人で飲むか、今すぐ酒場から出るかの二つだ」
「……」
男は考えるような仕草を取り、そして立ち上がった。理由は不明だが、黙って我の目を見ている。その瞳には先程まで煮えていた不快感や色欲の香りが完全に失せており、獲物を見る獅子のような物へと変わっていた。
やる気か。軽く目を細めて、しばらく男と睨み合う。これは少々手間が掛かるだろうか、と考え始めた時、男がふっと笑って目を逸らした。
「……あんた、人間じゃねえな」
「……褒め言葉として受け取っておこう」
研いだ刃物のように鋭い切り口の言葉に、我は眉一つ動かさず答えた。ここで反応する馬鹿は王を名乗れぬ。我の言葉に男はまたもや軽く笑って、口を開いた。
「人間だとしても、血の臭いが濃すぎる。相当殺してるだろ。人も、魔物も」
「……自分の体臭の話か?」
「けっ……まあ、俺も結構臭うけどよ……あんたほどじゃ無いぜ」
ま、とにかく……俺はそんな化け物とやりあうなんざ御免だね、と一言残して男は酒場に背を向けた。大人しく帰るつもりらしい。
「……」
確かに話せば面倒は避けられたが……それ以上に手痛いものをもらってしまった。臭うか、我は。確かにこの世界に来てから体を清めていないが、そういう問題ではないだろう。
鼻の良い我とて、己の臭いはかぎ分けるのに苦労する。つまる所、自分の臭いにだけは鈍感なのである。
血の臭いは強く残る。何の因果か知れぬが、長く残るのだ。どれだけ小綺麗にしようと、である。
睫毛の隅に、爪の内側に、瞼の裏側に、毛穴の一つに……それらは堂々と姿を晒している。
消えぬ刻印であり、血染めの蝋印でもある。そして或いは我が体に住み着いた、幾千の烙印だ。それを思い返す度、我は己が魔王であることを確かに知ることが出来る。
「あ、あの……ありがとうございます。えっと――」
「ああ、そうか」
再び酒場からの喝采が起こる。助けた女が顔を赤らめて礼を言い、二の句を継ごうとしたが……残念ながらそんな気分では無いのだ。一言を残して、我は踵を返した。同時に誰にも聞こえぬ声が、ぽろりと我の口から漏れる。
「この世界に来てから、思い返すことばかりだ」
伏せた瞼の暗さにため息を吐いて、白塗りの床を踏みしめ……そんな背中に一つ刺さった誰かしらの好意の目線を、はっきりと無視した。




