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金塊の夢  作者: 平谷 望
第二章 大好きな貴方に
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第百十七話 甘くはなく

 しん、と空気が静まり返っている。外の日は暗くなり、吹きすさむ風は獣の牙のような冷気を帯び始めていた。寒さや暗さはまだしも、この場に満ちる静寂は人工的なものであり、それ故に手を出しがたいものであった。


 そんな固い静寂の中で、アルゴダが涙目になっている。リサは言葉を失い、我も沈黙という選択肢を取る他無かった。女か、という問いにアルゴダは何ら答えを返さなかったが、その沈黙と涙は傍目にも充分な回答だろう。

 アルゴダは――女なのだ。声は低く気だるげで、背格好も男としての違和感がない。が、格好や顔に関しては分厚い防寒具で分かりにくく、目元も髪が掛かっていて区別がつけづらい。


 加えて御者など男の仕事だろうと固定された観念があり、我はアルゴダが女だという考えが沸いていなかった。黙り込む我らに対して、俯きがちになりながらアルゴダはようやく口を開く。


「俺は……わ、私は……そうっす。女っすよ……」


 声は先程までより高く、これまでの声が低く押さえられていたのだろうと分かった。我はなんとか喉を動かして、「何故、偽っていたのだ」と問う。


「女だと……舐められるんすよ。お客さんも来ないし、同業者の人に変な目見られるっす。呪いの馬車っていうのも……女だからお客さんを連れていけないんだって思われるのは嫌なんすよ」


 人間の国を潰しながら知ったが、魔族と違って人間の女は軍人や御者など、危険を伴う職業には就かないのが普通らしい。理由は知らぬが御者をやっているアルゴダが女だと知れれば、それはそれは奇異の視線で見られるだろう。今でさえ呪いの馬車と揶揄されているのだ。もし女と知れれば、その『呪い』は『未熟』という看板に張り変えられ、更なる揶揄を身に付けていただろう。


 客も好き好んで未熟な女の馬車に乗りたいとは思わぬだろうし、ともすれば下衆びた客の魔手が伸びることもあり得ない話ではない。確かに女を名乗ることで得られる利益は絶無といって良いだろう。


 一応男装への理解を得た我であったが、肝心な所は分からないままであった。どうしてアルゴダが御者をしているかについてである。どう考えても、こうして性を偽ってまで……散々に揶揄と嫌煙の中に居てまで御者をするのか。

 我はそれについて、続けてアルゴダに問いただした。が、アルゴダは俯いて答えない。唇は回答を拒否するように閉じられており、しまいにはリサが「色々あると思うから」と我の質問を取り下げた。


 我としては無回答に不服であったが、この質問に関しては答えを求める理由がない。あくまでも個人的な疑問なのだ。故に我は質問の矛先を下ろし、ため息を吐いた。


「……取り敢えず、理解はした。したが……それとこれとは話が別である。我らは今夜、極寒を耐えねばならない。その問題は消えていないのだ」


「……そ、それは……分かってるんすけど」


「……」


 アルゴダは女である。女であるが、だからといって寒さは避けてくれない。今夜を乗りきる案は依然としてそこにあるのだ。アルゴダに残された選択肢は二つ。自分の肩を抱いて寒さに耐え、一人で低体温にならぬことを祈るか、それとも我の腕に抱かれるかである。


 我も別にわざわざアルゴダを両腕に抱きたい等とは思っていない。むしろ避けたい上、心理的にも気分が悪い。だが、背に腹は変えられぬのだ。ここでアルゴダが体調を崩せば、間違いなく里への道が絶たれる。我らは二日と大金を無駄にして、アルゴダは噂の『呪い』が真性のものであるとからかいを受けるだろう。


 つまり、全くもって利益がない。聡明かつ合理的な思考を持つ我は、己の感情を排斥することができる。それがどれだけ心情的に忌避されるものであったとしても、己の利益に通ずるのならば躊躇う理由は無いのだ。

 感情を殺した我の声にアルゴダが揺れて、何故だかリサが我を見る。つんと責めるような目であるが、我にはその理由がとんと分からなかった。選択肢は与えているだろう。


 アルゴダが何故だか手揉みをしながら、上目遣いに我を見た。


「あの、えっとっすね……そ、そういえば、なんでリサさんはダメなんすか? 俺……私も一応女っす。その、立場が同じっていうか……なんならリサさんの方が近いんじゃ――」


「無理」


「……そういうことである」


「ず、ずるいっすよ……!」


 あまりにも堅牢なその二文字にアルゴダは悲壮の声を上げた。リサは憮然としており、我も事のなり行きを見ているのみだ。残されたアルゴダのみが困惑し――そんな混沌とした三者間に、ぶわりと暴力的な北風が吹いた。催促するような暴風にリサとアルゴダが小さく呻いて、我も顔をしかめる。心の臓まで凍りつくような風だ。天幕がなければ今頃とんでもないことになっていただろう。

 ちらりと見た外の景色は夜の様相を呈しており、暗くなっていく森はある種の原始的な恐怖感を孕んでいた。


 視線を戻すと、アルゴダも外を見ている。恐ろしく暗い森と、風に揺れてさざめく雪面が覗き、アルゴダが黙りこくる。流石のアルゴダも、天幕一つで森の中を一泊する経験は無かったのだろう。我は魔道具による余裕こそあれ、寒さ自体は堪えるものがあった。

 野性動物を警戒して灯りの一つも無い天幕の中で、アルゴダがじっと我を見た気がした。


 試すような視線に、我はさして反応をしない。変に気を張るのは我らしくないのだ。急速に暗闇を生んでいく天幕の中で、アルゴダが「せ」と(ども)った。我にとって暗闇は暗闇でなく、故に丸見えの首や耳を赤くするアルゴダの姿も用意に確認できた。


「背中……から、私が抱き付いても大丈夫っすか?」


「……それは無理である」


「え? そ、そんなの……もう、ほとんど選択肢なんて無いじゃないっすか」


 何故背中なのだろうか。顔が向き合わないからだろうか。もしくは自分が抱く側だからか? どちらにしても、我にとっては不可能な話である。そんなことをされれば、間違いなく尻尾がまずい。どうあがいても誤魔化せないのである。アルゴダは絶望した表情を浮かべたが、天幕を殴る風に心を押されたのか、諦めるように項垂れた。


 ……その顔は、我がしたい所である。元々この案には乗り気でないのだ。人間の男のように安い性欲は持ち合わせていないので、アルゴダと肌を触れ合わせようと何も感じるところはない。むしろ己の空間を侵犯されるかのような違和感さえあるのだ。


 我は誰にも気付かれぬようにため息を吐いて、ちびた携帯食料を取り出した。さて、夜が来る。寒々しい北の夜だ。雪は吹雪くし、空気は凍る。肉片と乾いたパンでも、無いよりはマシだろう。

 そうして我らは、狭い食卓を囲むことになった。



 ―――――――――――



「ぜ、絶対に変なところ触ったらダメっすからね?」


「理解している。軽く抱くだけだ」


「うぅ……簡単に言わないでほしいっす……私、全然男の人に触られたことなんて――」


 ごにょごにょとうるさい後半を聞き流して、我はちらりとリサを見た。視線の先のリサは安い寝袋にくるまっており、見た目には寒そうに見えぬが、僅かに見える顔はどこか不満そうである。どうやら早々に寝る腹積もりのようで、瞼は既に落ちていた。


 完全に夜の帳が降りた天幕の中、我の目の前で気配が動く。おっかなびっくりに体を縮めては、はっと後ろに引いた。言うまでもなくアルゴダである。その様子は狼に狩られる前の羊のようであり、なんとも言えない気分になる。


 我は鍛練の一つも出来ず、この一晩は焚き火代わりに座り込んでいるだけだ。アルゴダを抱き締めることへの不満は既に彼方へ置いてきた。暗闇の中をアルゴダの小さな吐息が流れて、僅かに我の首筋に触れた……ような気がする。

 慎重に、慎重に動く気配を――我はさしたる合図もせずに、さっと抱き締めた。胸中のアルゴダが声にならない声をあげて、全身を強張らせる。カチカチな体のアルゴダが我の服の襟を掴んだ。


「――っ! な、何か先に言ってくださいっす……!」


「言っても言わなくとも結果は変わらなかっただろう。ならば時間と手間の無駄である」


「と、取り敢えず正面はマジで無理っす! せ、背中でお願いするっすよ……!」


「……」


 アルゴダの体を反転させて、背中からその体を抱き締める。我は胡座を掻いており、組んだ足の上に乗るようにアルゴダがいた。両腕は服の上からでも柔らかな感触を得て、足からも幾らかの重さと柔らかさを感じる。それを確認しながら……我は寒いな、と思った。やはりであるが、夜の寒さは昼と別格である。先程から唸るような風に天幕が揺れているし、閉じた入り口から入り込む風だけで肺が痛い。魔道具が無ければ今頃冬眠を迎えた爬虫類そのままに、凍りついていたのかもしれぬ。


「あっ……暖かい……」


 体を固くしたままアルゴダが呟いた。暖かさを感じているのならばそれでいい。我はちらりとだけリサを見た。見るものが他に無かったのもあるが、自然と見てしまったのだ。リサはやはり眠ろうと瞼を下ろしており、呼吸にさしたる乱れはなかった。


 アルゴダが調整するように体を動かして、少しだけ密着の度合いが高まる。僅かではあるが線の細い体が我に押し付けられ、服を挟んで体の柔らかさが伝わってきた。続けて何か脈動するもの――心臓の鼓動がしっかりと服を挟んで伝わり、それは驚くほどの早鐘を打っていた。


 易々と緊張が伝わり、我は更に冷静になる。別に興奮する要素がないのである。我は生来性欲というものを意識したことは殆ど無く、それについては開拓班に居た頃から口々に面白がられていたことである。


 女に興味がないのか、と聞かれれば我は考えるでもなく、そうだな、と返した。そんな具合である。別に種族がどうとかを除いても、特段他者に何かを感じることは無かった。まあ、あの頃においては魔王様と仲間以外は我の視界に入って居なかったので、それも仕方がないと言える。

 本来の男女であれば多少は甘い空気になるのかもしれぬが、我が居る以上それはない。その上、状況が状況である。


 我は胸元のアルゴダの吐息を聞きながら、さっさと寝ればいいのだが、と思った。そうすれば意識を割かなくてもいいので気が楽である。


 しかし、そんな我の希望には沿わず、アルゴダは眠らなかった。三十分が過ぎ、一時間が過ぎ、それでも眠らなかった。心臓の鼓動は収まっていたが、それでも我のものよりは幾分か早い。恐らく緊張をしているのだろうと分かった。

 眠れぬのか、と我が小さく言うと、アルゴダは「すみません」と申し訳なさそうに言った。


「……暖かいっすけど……でもやっぱり、ちょっとだけ緊張しちゃって」


「気にするな。今の我のことはお前の中で焚き火程度に思っておけ」


 お前は明日に重要な役割があるのだから、眠らねばまずいだろう。そう続けると、アルゴダは申し訳なさそうに笑った。まあ、そう簡単に割りきれるものではないだろう、と我が思っていると、アルゴダがぼそりと呟いた。


「……腕、大きいっすね」


「体が大きいからな」


「……そうっすけど、筋肉が凄いっす」


「鍛えているのだ」


 こうして密着している以上、アルゴダは我が肉体の隆起を敏感に感じることが出来るだろう。自慢であるが、肉体美に関しては我の右に出るものはいないだろう。あらゆる者の頂点に立つべき完成された美なのだ。ここへ行き着くまでに大分傷や痣をつけてきたが、力を受け継ぐ段階でそれは消えてしまった。


 我の築いてきたものも同時に消えてしまった気になるが、むしろそれがいい。下らない負け傷など消えてしまった方がいい。


 我が己の肉体美について考えていると、(おもむろ)にアルゴダが口を開いた。


「お客さんって……その、不思議っすよね」


「……?」


「雰囲気は凄く怖いんすけど……でも、なんだかこうしてると……優しい人なんだなって思うんすよ」


「……」


「あ、変な意味じゃないっす。そこは勘違いしないで欲しいんすよ」


 優しい人、か。なんとも気持ちが悪い言葉なのだ。我に優しさなど似合わぬ。他人に優しくしたつもりも特にない。ライゼンやミストルティンの件に関しては……まあ、気紛れである。無償で助けてやろうなどとは思っていなかった。

 そう思っていると、アルゴダは少しだけ暗い声で呟く。


「それに比べたら、私はなんだか弱い人間な気がするんすよ。何の強みも無くて、つまらない人間みたいだなって……」


「……」


「男っぽくしようとしてこんな喋り方が癖になって、男っぽい服装だって慣れてきて……実は、名前なんかも、変えてたり……。でも、それでも全然仕事は上手くいかなくって……なんか、色々捨てただけ、みたいな気分なんすよ」


 アルゴダも、努力はしてきたのだろう。男として見られるように立ち振舞い、服装も言葉も……話によれば名前さえ偽っているという。我はその様子に、少しだけ親近感を覚えた。

 何もかもを偽るアルゴダは、されど報われずに立ち竦んでいる。陰口を散々に吐かれて、恐らく目標に近づけていない。我はその様子を見て……少しだけ、何かを言ってやろうと思った。


 ただの気紛れで――ああ、そうだ。アルゴダの言った『優しい人』の真似事でもしてみようと思ったのである。


「……人間など、皆一様に弱いものばかりだ」


「……そうなんすか?」


「そうである。指でつつけばすぐに崩れ、つつかなくとも内側から自壊する軟弱ばかり。放っておけば他人や自分の足を引っ張るような弱さが、人間にはある」


 我はそういったものを大勢見てきた。実際に体感してきた。故にその言葉には、自分でも驚くような実感が伴っていた。無言のアルゴダに、我は言う。


「人間は弱い生き物である。――だが、弱いからこその人間でもある。人間は弱いからこそ、身を寄せ合う。惨めに足掻くし、前進を止めようとしない。お互いを蹴落としあって、自爆して、考え続ける。お前の弱さは人間由来のものであるし、それを案ずることはない」


「……そうなんすかね」


「そうである。そうやって己に迷っているのは……実に人間らしい」


「……ふふ、まるでお客さんが人間じゃないみたいな言い方っすね」


「……」


 我は一瞬、肝が冷えた。冷えたが、腕の中のアルゴダは軽く笑うのみである。適当に言っただけの台詞なのだろう。我はなるべく自然な無言を返して、じっとアルゴダを抱いていた。アルゴダも少し安心したのか、体の強張りが柔くなっている。しかし、肝心なところはまだ固い。これはどうにも長丁場になるだろう、と我は内心愚痴を吐いて、焚き火の如く座り込んだ。

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