第十一話 魔王の証明
パーティーを組んで依頼を受ける事を店主に告げて、我らは一旦リサとエリーズの家に戻った。依頼の開始時刻が日の入りであったからだ。今の時刻は九時ごろといったところ。早めに起きて冒険者組合への道を往復したものの、対して時間が変わらぬので、本当に暇である。
料理の仕込みだなんだということをやるにもまだ早く、掃除位しかやることがないとリサが口を濁していた。日光の影響で若干暑くなってきた室内で、エリーズと二人椅子に座って待ちぼうけをする。
リサは台所や床の掃除をしており、その姿は当然様になっていた。とはいえ、それをじっと眺めていては反抗心たっぷりな視線と共に反撃の罵倒を食らうことになるので、ちらりと視界の隅に映る程度である。
あんまりにも暇なので、鍛練の一つでもしようかと思ったが……なんだか視線を集めそうで癪である。なので、同じく暇そうなエリーズに適当な話題を投げてみた。
「……お前らは、こういう暇をどうやって埋めているのだ」
「えー? ……うーん、普段ならお喋りとか武器の手入れとか……あと、本を読んだりお勉強かなぁ」
「何?」
勉強……だと? エリーズはすぐさま勉強って言うより教科書読んでるだけだから、と言葉を続けたが……なんとも羨ましい。このような女二人でさえ暇な時間に勉学に身を捧げられるのか。
いささか複雑な感情のままでいる我に、エリーズが何かを閃いたように口を開いたが、それよりも早く、台所からリサが我に声を掛けた。
一瞬我の中の何かが渦巻いて、どうしてかそれを止めようとしたが、理性がそれを拒む。不可思議な拮抗の果て、リサの言葉は放たれた。
「金髪」
「……なんだ」
「あんたが……本当に魔王だったとしてさ」
「その語りは我からすると頭を抱えたい物だが……なんだ」
「全然会話は出来るし、嫌味はしっかり返ってくるしで……結構、人間に甘いなって思ったんだけど。魔王っていったら、人類の天敵みたいな感じだし」
「……」
一瞬、心臓が大きく脈拍を打った。図星を突かれたとか、足元を掬われたとか、そういった言葉を踏み越えて、我の根源に驚くほど粗雑に踏み込んだ言葉だった。
衝撃に言葉を飲む我に、女二人は不思議そうな反応をしていたが、エリーズだけは我の様子の乱れに気付き、いち早く誰に向けるでもない言葉を放っていた。
「えーっと、まあ、答えるのか嫌だったら無視して良いんだよ? 別にリサも、変な意味で聞いた訳じゃないと思うし」
「……あ、うん。あたしもそのつもり。なんか変な気分になったなら……ごめん」
「……」
我は無言で頷いた。我に対して散々雑な扱いをしていた女二人が、ここに来て妙に優しくなるのが、傷口に優しく塩を塗られるようで苦々しかった。だが、それに対して不平を言う余裕すら、突然の言の刃によって刈り取られていたのだ。
考えれば、おかしなことではないのだ。散々我は己を魔王だと名乗った。実際に我は魔王であるし、行ってきた諸行も魔王に相応しい物だった。
そうだ、我はそういったことを積み重ねてきたのだ。人間など雑草のように踏み潰し、その命を砂糖の如く浪費してきた。町も都も纏めて焼いたし、刃向かうものには容赦をしなかった。
その我が……人に仇なす魔の王が、どうしてここまで人に馴染んでいるのか。今更聞かれるのが野暮なくらいな、そんな違和感だ。当たり前のように動いてきた今までが、『それ』から目を逸らしていただけだと知ると、途端に嘘臭く、格好悪く思えてきた。
だが、同時にどうしようもないのだ。我が生きるには人と馴染むことは必須であるし、我自身もその選択をした。ならば、それを脅かす違和感を無視することは、必然の事だった。
けれど、無視のできないそれらは形を成して――ほんの少しだけ、瞬きよりも早く、我の脳裏に懐かしい人影が過っては消えた。
「コルベルトさん」
「……何だ」
「良かったら、私がちょっとだけ文字を教えてあげようか?」
話を本筋に戻すようなエリーズの言葉に、我はゆっくりと頷いた。それを見たエリーズは優しい笑顔になって、椅子から立ち上がり、教科書を取りに二階へ上がっていった。
ほんの少しの時間を経て、一冊の本を片手にエリーズが戻ってきた。本の題名は勿論読めないが、なんだか古びた本だなという印象を受けた。
相変わらず無警戒な笑顔を浮かべたエリーズは、堂々と我の隣に座り込み、丁寧な手つきで本を開く。やはり埃臭いその本のページには、見覚えのない文字列が幾つも並び、その下に文字の意味を示すような絵が載っている。
「これでもお勉強は苦手じゃなかったから、頑張って教えるよ」
「……わかった」
学び、というものに実際に欠片ほどであるが触れてみて、我は自分がワクワクしていることに気がついた。先程の陰鬱な心持ちを押し退けて、好奇心が胸中を渦巻いているのだ。鮮明なそれにゆっくりと身を横たえると、嫌な気分も段々と収まっていった。
「……これはどう読むのだ? 炭鉱夫……か?」
「あ、それは煙突って読むよ」
「……道理で少し文字数が変だと思ったぞ」
「2つで一つの音を表す文字が出てくるときはね、前の文字に撥音か促音があるんだよ」
「まずその二つが読めんのだ」
「あはは、ごめんね。じゃあまず、そっちから覚えようか」
当然というか、思ったよりも文字の組み合わせは難しく、それを難なく隣で組み立てられるのが随分と敗北感を煽ってきていた。が、優秀な我ならば直ぐにでもこの女を抜き去って見せるであろう。白く細い指先が示した文字列を堂々と伝えた。
「ラクダ」
「犬だね」
……先は長そうだ。
――――――――――
数時間が過ぎ、簡単な単語ならば読めるようになった。我ながら驚異的な進化である。驚異的な進化である……のだが――如何せんそれをもってしても単語から文章へ変化されると頭が追い付かない。頑張って読んではみるのだが、途轍もなく壊滅的な文章が生まれるのだ。
「えーっと……これにしようか」
「ふむ、先程よりも単純な形であるな」
「そうだね。難しくはないと思う……よ?」
「……『太陽は海洋で美しさで衝撃だった』?」
「……『ターニャは海辺が綺麗でビックリしました』」
「うむ、七割は読めたな」
「凄い斬新な意訳だけどね……」
台所で料理を作っていたリサが何やら笑っている。おい、ぶちのめすぞ、と牽制を投げたが柳に風と押し流された。
とはいえ、我の向上心と叡知は止まる所を知らぬ。このまま続ければ、間違いなくこの世界の文字を習得するであろう。学び方さえ覚えれば、元の世界に帰ったとしても直ぐに文字を覚えられるはずだ。……まあ、それはまず神を根絶やしにしてからの話であるが。
台所からはリサの鼻唄と包丁の音。リビングではエリーズが渇いたページを捲る音と時計の針の音が、我の繊細な耳に響いている。それ以外は外から犬の鳴き声が聞こえてきたりするくらいで、驚くほど静かだ。
なんとか文字列を脳内で組み換え、最もマシな言葉に変換する。今の我の言語翻訳機は貧弱でおおよそ役に立たぬが、それでも最低限の情報を読み取ることが出来るのだ。それを頭で分析し、間違えた文脈が何処かを理解し、どうにか文章に落とし込む。
我らしくもない真剣な長考の末、なんとようやく一文を間違いなく読むことが出来た。
「『空が青い理由を、誰も説明できない』」
「おぉ! 正解だよ!」
「本当か!? ……これは最早この世界の言語を理解したということで間違いないであろう」
「流石に早くない? ……っと」
ようやく手に入れることが出来た正解に喜びを炸裂させていると、タイミング良くリサが料理を運んできた。テーブルのど真ん中に置かれたそれは、なんとも蠱惑的な香りを衣のように纏い、弾けて昇る白雲の一辺に凶悪な旨みを秘めていた。
「ちゃんと野菜も食べなさいよ……って、その様子じゃ大丈夫そうね」
「無論だ」
「リサー、お料理お疲れ様!」
リサは分厚い手袋のようなものを面倒そうに外して、柄のない地味な料理服を台所に戻しに行った。その後ろ姿はまさしく歴戦を越えし台所の猛者であり、やはり料理という戦場はあの女の独壇場だと見て良いだろう。別に競うつもりは微塵もないが、やはり一分野にて鍛え上げた技術は素人からすれば魔法のように見える。
戻ってきたリサは、ほんの一瞬硬直を見せて我の対面に座った。そして軽くため息を吐いて、自慢するような笑顔で言った。
「良いお肉が丁度あったから作ってみたわ。羊肉と香草を一緒に炒めただけなんだけどね。こっちは羊の骨を出汁に作った野菜のスープ……って、なんであたし説明してるんだろ」
リサはがしがしと自分の赤みがかった茶髪を掻いて、恥ずかしそうに言った。何処をどう見ても緊張しているようにしか見えぬのだが……恐らく、我が前日の料理を素直に褒めたから、次も大丈夫かと気を揉んでいるのだろう。
初い奴め。内心そう思っていると、無意識に浮かんだらしい表情にリサがなによ、と小言を言った。なんでもないと首を振って、目の前の料理を眺め……そして食事の開始を宣言した。
「では、戴こう」
「いただきまーす!」
「はい」
食べやすいように薄く切られた羊肉を一切れ木製のフォークで突き刺し、口元に運ぶ。そして、片手に付け合わせのパンを握りながら、大きく頬張った。
……うむ。
「美味い!」
「いつも通り美味しい!」
「……そう。って、なんかあたしの分無くなりそう。ささっと食べなきゃ」
「早い者勝ち!」
「……む。では我も、最速でいかせてもらおうか」
「あ、ホントに無くなりそう」
リサが大慌てでフォークとスプーンを構えたが、初速度は我ら二人が圧倒的に上である。あっという間に料理が量を減らしていく。スープも勿論の如く至上の味だ。全く、これほどの料理人がどうして砂漠の町で眠っているのだろうか。我は疑問でならない。
リサの予想通り、消滅の二文字を連想させる速度で料理が無くなった。少々惜しいが、舌の根には料理の味が染み付いている。十分満足だ。胃袋の温かさを手のひらで確かめながら、ほう、と軽いため息を吐くと、それをリサがなんとも言えない表情で見ていた。
「……なんだその顔は」
「え、別に」
「……成る程な。お前、喜んでいるのを必死で隠しているのであろう」
「別にそんなんじゃないって……」
自分の料理がこの我に絶賛されたことに喜びを感じているが、持ち前の性格ゆえに素直に発することが出来ない。その結果がなんとも言えぬ曖昧な表情、と。ああ、そう見ればなんとも健気な様子だ。
エリーズも肯定を表すようににこにこと笑っているし、これ間違いあるまい。我も同伴して高貴な笑顔をリサに向けると、何故だかため息を吐かれてしまった。
「はぁ……なんか、変に調子が狂うわ」
「ふむ。洗面所は台所の奥だぞ」
「知ってるから! それ以前にここあたしの家!」
「んふふ……」
「あぁ、もう……。あ、ちょっと二階に上がるから。……上がってきたら本気で頭に弓矢突き刺すからね!」
リサは何故だか不満たっぷりという表情をしていたが、それと同時に何かを思い出したようで、キツイ忠告を残して二階に上がっていった。その一連の行動がどうにもちぐはぐなので、例えようのない違和感だけが残った。
何か忘れ物か、と思ったが、それにしては変な雰囲気であった。一瞬で凍えるような、ゆっくりと目を覚ますような、歪な雰囲気。だが、我にも触れられたくない領域は存在する。先程あやつが無作法にそれを踏み越えたように、あの女にも何かあるのであろう。
であれば触れない。聞かない。ただ燦々と、我は魔王然として座り込む。ちらりと覗いたエリーズは、いつもの幼いと形容される笑顔とは全く別の……本当に全く異なる表情を浮かべていた。
その黒色の瞳には普段欠片ほども見せぬ怜悧が半目を開けており、唇が描く線は慈しむような円弧であった。
が、その表情を我が見ていることに気がつくと、直ぐ様それらは弛緩し、跡形も残さずに消えてしまった。
あまりにも意外なその顔の色に、我が静かな衝撃を受けていると、繊細な嗅覚が上から花の焼ける匂いを感じ取った。柔らかなそれを鼻腔に掠めて、我は静かに開いていた口を閉じた。
何があろうとも、我のやることは変わらぬ。今見たことも、感じたことも、全てその形のまま記憶するだけで、深くは考えない。
何か、大きな物が……この二人にはあるのだろう。それだけを浅く指先に掴んで、我はひたすらに黙し続けた。




