Walpurgisnacht #6
陽がのんびりと傾いて、最期はスライディングで滑り込むようにすっぽりと地平線に吸い込まれ終える頃、ようやく唐土は目を覚ました。
そこはもう、昼間でも薄暗いような裏路地ではなかった。体が木の実のようにこびりついた壁の側面でもなかった。
体を包んだバスローブの感触にぼやけた感覚を刺激され、次いで目に入った照明に意識が振るい立つ。
湿度の高そうな廃ビルだった。どこもかしこも廃れていて、解体作業が途中までされたような屋内は中途半端に散らばった瓦礫でいっぱいだった。
そこは五、六階の高さに相当する地点で、その階層にある五つの部屋のうち、二つで照明が照っていた。
砕かれたビルの外壁からはそのまま吹き抜けで外が見渡せ、陽が沈んだ街に溢れる光が目に余った。
周囲ではサイレンが鳴り響き、パトカーや消防車が街の中で広く活動しているようだった。
火事だろうか。
確かに数軒の家が燃えている。家というか、有象無象の建物。
丁度、七飯奈一に殺された裏路地があったあたりだ。
「ありゃ?」
まず、生きていることに驚くべきだろう。不思議と意識は平生通りで、五感や声帯はいつも通り働く。
「仕事熱心なのは結構だが、命を無駄にしてはいけない」
「先生」
「先に言っておくが、儂には君の身の回りで何が起きたのかは把握できていない。儂は傷が塞がれて瀕死になってた君をここに運んできただけだ。あの騒ぎに何が起因しているかまでは理解できておらんよ」
「猫カフェの付近の裏路地で、火事ですか…?」
「火事というか、大破壊とボヤの成長といったところか。まぁ、噂好きの奴がそろそろ来る頃じゃろうし、少し待ってみるものいいじゃろうなァ」
よく見ると、唐土の体には目に見えないほど小さく細い糸と縫い目による縫合跡があった。
何者かに緊急処置されてそのまま快方されたにしても、顔まで執拗に殴り潰されたというのに、縫合で命が繋ぎ留められるとは思えない。
「にゃーん。居た、居た、ここに居た。探したぜ、御両人。もともと静かな街じゃねぇが、いよいよな騒ぎ起こしやがってヨ」
「ガラデックス。何が起きた」
「俺もずっと店に居たんで詳しいところまではわからねぇがよ。そこのガキが人狼ちゃんに襲われて死んだってところで例のアイツの登場よ。謎のヒーローもとい大怪物がどこからか現れて、人狼と派手に殺りあったってよ。びっくりアニマルが仰天するくらいの激戦だったぜ。そんで周囲のウィッチが集めってその怪物を仕留めようってしてたところで人間たちが結構騒ぎ出したってんでお開きよ」
「その怪物が、自分を助けてくれたのかな…」
「さぁねぇ。つーかお前さん、てっきり死んだとばかり」
「自分としても、普通に死んだ気がする」
謎の怪物の襲来による人狼との激闘と唐土の襲来。
「なんにせよ、パペットも集まりよったためにここいらでぼちぼち衝突が起きとる。んん。かなりの大騒ぎじゃな。まさか唐土君にこんな面倒を押し付けることになるとは……」
「ああ、そうえいば、先生。人狼わかりました。七飯奈一って若い女性スタッフです」
「にゃはははは。してやられたりだなぁ、お前さん。たとえ人狼が特定できても、もう二度と店には入れねぇんじゃねぇかい?」
「そうじゃなぁ。まぁ特定できたのならもう唐土君に危険を貸してもらわんでも儂が片付ける」
「……いえ、僕が殺したいです。というか、僕にやらせてくださいよ、人狼殺し」
「んあ?」
「にゃふーん」
殺された恨み、というのもなんだか変な話だが、とにかく七飯を殺したくて殺したくて仕方がないのだ。
それこそ、ウィッチがパペットに一方的に襲撃されて憤慨して反攻を意識するのと同じようなものだろう。とはいえ、今回の唐土の襲撃はそもそも唐土が鯵ヶ沢の任によって人狼を特定して間接的に命を奪おうとしていたからこそ、まんまと裏路地に導かれてそこで殺されてしまったのだのだ。
確かに、何をされたというわけでもなかった七飯を鰺ヶ沢に殺させるのもなんだか理不尽であるような気もしていたが、今では状況も心境も一転して殺意に全欲望が向いているようなものだった。
勝手に騙されていいように殺されたのなら当然自業自得のようなものだが、自業自得の結果に対して怒りを抱いてはいけないという制約などありはしない。
「自分が人狼を殺します。やり方を教えてください」
「意気軒昂なのは非常に結構だが、無謀を勇気とはき違えないことだ。君のやる気が復讐心なのはよく理解できる。親の仇どころか、自分が一度殺された恨みだものな。そりゃあ儂だって殺したくなるわ」
「お願いします。殺らせてください」
「いかん。もう一度殺されるだけじゃ」
「そんな…」
「それよりもまず、君を救った反ウィッチの謎の存在を明らかにせねばならん。どうにもこの大騒ぎを経てさらにウィッチ共の結束と警戒が高まった。もう、正攻法では通用することはない。堂々と人狼の前に出ていけば今度は人前でも殺されるだろう。それくらい、パペットと反ウィッチに対する奴らなりの憎悪も昂っておる」
「ッ……」
「俺もあんまり賛成できねぇな」
「ウェリラっ」
「七飯は狙わない方が良い。別に忠告でも警告でもねぇけどヨ。もうただじゃ済まねぇ」
「でも……でもッ僕はどうしてもこの手で殺したいんだッ!」
それはどこか野生に似た衝動。憤りによる殺害衝動。少し経てば頭も冷えるだろうか。
いや、復讐心と嫉妬心は時間によっては鎮まらない。何かを傷つけ、壊して発散するしか人間は長い歴史の中でそれらに対処するすべを見つけ出すことはできなかったのだ。
「……じゃあせめて、僕もいかせてください。僕の目の前で殺してください」
「んん。気持ちはわかるが…やはり危険だ。なにしろ、あの裏路地は目も当てられんほどに瓦解されてしまっておる、あれほどのエネルギーでの対決を繰り広げる人狼は非常な力の持ち主だ。他のパペットとは訳が違うだろう。正直、儂でも勝てるかどうかの見込みがついておらんのだよ」
「にゃふふ。そーだろうな。人狼ちゃんは並みの怪事件そのものに匹敵するだけの存在だぜ。ヴァルプルギスの夜の儀式に参加したメンバーの中じゃあ二番手には来る強さだ。おまけに、実は情に厚いから知人が傷つくことを許さない。……残念だけど、お前さんらと人狼ちゃんがマジで殺り合うことになったら俺は人狼ちゃんに助太刀して媚売らせてもらうぜ」
風に吹かれるホスト顔のキジ白柄の頭髪を睨めつけ、鰺ヶ沢は葉巻を吹かし始める。
「クフフフ。なぁなぁ、アタシの出番じゃね?」
ウェリラの肩に腰を乗せ、足を組んで悠々と雑誌を読む女を皆が同時に視認した。
「んにゃ?」
「誰?」
疑問と同時に身構え、姿を消してその女を宙に浮かし落としたウェリラは間髪置かずに少し離れたところに出現する。
「濃昼止別。恐竜殺しのエンチャンター。インテリジェントでスピリチュアルなワイルドガール。好は褐色のムキムキ男子。趣味は盗撮。休日は人殺し。仕事は探偵。さてさて御愛嬌、無礼講ながらに助け合おうじゃありませんか!」
耳を揺らすような大声。火をつけた爆竹のような存在感。
結われたしっちゃかめっちゃかな桃色の頭髪が刺さる様に目に届き、渋谷に居ても場浮きしそうな派手派手しい衣装はウェリラとは比較にならなかった。
「ヤム子。流石にお前と組むくらいなら唐土君は儂が殺してやるよ」
「へ?」
「クへへへへッ。まぁまぁ、アジさん。ちょっといいお話をお持ちしたんですわ。ちょうどいい感じにウィッチたちを焚きつけて回ってるんでしょ?…ヴァルプルギスナハトに興味も糞もないけど、パペットとしてはホットケナイホットケナイ。だからさ、取引しましょうや」
一人カーニバルでもしているようにわさわさと衣装を揺らしながらあちこち行ったり来たりする濃昼止別を目で追いながら、唐土は注意を彼女に向ける。
「アジさんならわかると思うけど、この子、本気っしょ。割と止めるのハードル高い系ボーイやん。すげぇ野生のファンファーレが聞こえてきますね、ハイ。危険危険。止めるの無理ならさっさと人狼ぶっ殺してしまいにするのが健全な心身の育成に不可欠だと思うのよ」
「何故、曲者揃いのパペットの者らの中でヤム子だけにヴァルプルギスナハトというこの時期優先度トップの解決案件に対しての討伐依頼が下りないかの自覚はあるよな?……貴様はパペットに数えるには規格外だ。儂にとっては貴様こそが怪事件であって、依頼さえあれば率先して消したいような存在ではある」
「クフへへ……アンタに言えた義理かってね。まぁまぁ、そういう前口上は面倒なんで置いてさ、現実の話しましょ。アジさんだって正面から人狼ちゃんとやらに仕掛けて勝てるかわからんのでしょ?ならアタシとやった方がいいじゃん。わー簡単」
「自分的には、手段どうこうもありますが、出来る範囲で人狼をちゃんと殺したいです」
「へいへいフーフー!!……こりゃあもう案件成立したわ、OKでたわ」
「唐土君。こいつは問題児とか、そういう次元ではないぞ?」
「構いません」
「構わないってさ、アジさんより私の助っ人になった方がいんじゃね?」
「みんなして馬鹿だにゃー」
唐土はパーカーのポケットから輪ゴムで括った百万円を取り出す。
「百万じゃあなたを雇えませんかね?」
「雇えるし、アタシの部下になったら今回はタダでサポートに回ったげる。人狼をフルボッコだドンにしてあとはチミに丸投げよ。切り刻んでも良し屍姦しても良し。まーまー。すぐに契約とはいかないからさ、ちょっと試しにアタシと絡んでよ」
「唐土君」
やめろ。そう言われた気がした。
だが、唐土は既に歩き始めていた。目的地は自宅だが、目標は人狼だ。
散るように解散した先ほどの廃ビルに集まった珍妙な者らは各々の成すべきことをあの会合で再確認したようなものだった。
姿を消したウェリラは猫カフェに戻り、鰺ヶ沢は街の闇に溶けていった。
止別は唐土に連絡先を渡し、ボロボロのビルの中を徘徊するうちに消えていった。
「もしもし」
<< おやおやぁ、早い相談だねぇ。どうすんの、いつ殺んの? >>
「明日です。明日、カフェの開店と同時に正面から乗り込みます」
<< 殺意むんむんボーイだねぇ。そんなに殺されたのが悔しいのかな? >>
「ええ、許せません。じゃあ調整よろしくお願いします」
<< オッケー。じゃあ、明日ね。チミにパペットの世界ってやつを見せてあげるよん >>
★ ★ ★
「盛上ちゃん、盛上ちゃん」
「店長?…今日はオフの日ですよね。なにかあったんですか?」
「明日は店、休みにしましょ」
「えぇ!?…急ですね。明日って祝日ですよね。いつもなら稼ぎ時よっていつもの倍働くじゃないですか」
「いいのよ。有給ってことにしてくれないかしら」
「いいですよ。休みになるだけこちらも羽を伸ばさせて頂きます」
「稚内ちゃんにも伝えといてね。じゃ、もう今日の店も閉まってしまいましょうか」
「そーですね」
春とはいえ、陽が沈み切った頃合いではもう肌寒い風が街に吹き込んでいた。
店の外の窓ガラスから店内の後片付けに勤しむ盛上の様子を視界の淵に捉え、携帯端末を取り出してコール音を耳に当てる。
「明日、貴方たちは自分の家でゆっくりしてなさい。国民の祝日にとばっちりくらいたくわないでしょ」
<< いくら雲行きの読めないこの街の天気でも、明日は嵐になるってことくらい僕にもわかるよ >>
「うふふ」
<< 頑張ってね。…父さんも気を付けて >>
「ええ。いいわね。明日は絶対に外に出ちゃだめだからね」
<< うん。おやすみ >>
「ええ、おやすみなさい」