Walpurgisnacht #5
★ 五月五日日曜日
「昼前なのに結構食べるのね。明日からまた学校だろうし、夜も早く食べて早寝するつもり?」
湯気を上げるスープを啜り、膝の上で丸まっているウェリラを小突いて声を返す。
「明日は祝日ですよ。ゴールデンウィークも近いのでこの時期は休みが多くて助かります」
「あぁ、そっか。明日は休みかぁ。私は出勤だけどね」
七飯奈一はラテアートに数分間の時間を費やしていた。他の客の注文だが、唐土が七飯に先にスープを注文して以来、ずっと彼女は雑談の相手になってくれている。
無論、唐土己の目的はこの猫カフェに潜伏していると思われる人狼の特定。あたりを付けているのはこうして雑談の相手となっている七飯だが、まだ完全に限定するには時期尚早な故に常に店内に気を配っている。膝上で居眠りしているウェリラの存在も、そこかお守り染みていて以前ほどこの店を恐ろしく感じていなかった。
「そういえば、七飯さんってアルバイトじゃなくてちゃんとこの店で働いているんですか?」
「そうよぉ。私って大学いってないからさ。前も言ったけどそのウェリラと同じくらいの時期にこの店に来たんだよね。……唐土君はさ、この時間ある時期にちゃんと勉強しなきゃダメだよ」
「勉強はしないだけで得意ですよ」
「ふーん。じゃあゴールデンウィークは通い詰めてもらおうかな。あ、でも、彼女さんとかと予定あるかな、学生さんなら」
「自分、女ですよ?」
「ふぇ?」
「いや、女です。女子高生。んー。そんな判別つかない顔してますかね、自分」
「そうなの?本当に女の子?」
「はい。いや、嘘ですよ。男子です」
「なんなの!」
完成したラテを彼女は運びに出向く。
『にゃーん』
「どうしたの、ウェリラ」
『お前さん。本当はどっちだ?…ついてんのか、ついてねぇのか』
「ついてるよ。多分ね」
『おいおい、んー。ほんとどっちなんだ。面白れぇなぁ』
「それで、人狼ちゃんは今この店内にいるってことでいいのかな?」
『にゃーん。まぁ、いんじゃね』
「そう。自分に敵意とか、殺意はあるのかな…」
『昨日も言ったろう。わざわざ店内で殺しにくるようなことはねぇさ。何より俺が膝に乗ってんだからヨ』
「そういえば、君って強いの?……なんか先生と結構対等な感じだしてるよね」
『対等っていうかヨ。俺は一応ある意味アイツを討伐した側の存在に数えられるかならな。そりゃあ態度もデカくなるってもんだ。そうじゃなくてもあんな奴に尊敬できるところなんかありゃしねぇしな』
「ふぅん」
『つっても俺に戦闘性能は皆無だぜ。戦うとなっちゃ蚊ほどの役も立たねぇさ。五月蠅く鳴くが精々ってところヨ』
「弱いんかい」
『いやいや、人間。お前さんよか強いさ。それこそガキなんてワンパンだぜ。…だから気を付けろよ。人狼に目を付けられたらそれこそ俺でもワンパン出来るお前さんなんか死ぬしかねぇ』
「んー。どうなんだろう」
ふと覚えた不思議な感覚。
もし、七飯がこの店に潜む人狼だと確定したとして、唐土はそんな彼女を鰺ヶ沢に引き渡す形で処理してもらわなくてはいけないのだ。彼女に何をされたわけでもないというのに。
「さて、唐土君、ちゃん」
「なんですか。男なので君で良いんですよ」
「いや、またひっくり返されるかもわからないし」
「で、なんです」
「ちょっとバイトしてくれないかな?」
「バイト、ですか…?」
「そう。私が雇うからさ、報酬は後払いだけどぴょんちゃんを探してきてほしいの」
「ぴょんちゃんって例のウサギの」
「そう。この店、すごく見えにくいけどところどころに猫たちが店の奥の休憩スペースに移動するための出入り口があるのね。殆どの猫は暇つぶしとか好奇心でこっちの方にいてくれるけどた、疲れた猫とか眠たい猫は店の奥に引っ込むのね。で、その通路の一つが最近不調でそのまま外に出れちゃったりするんだけど、うちにいる猫はほっといても外には出ないけど、ぴょんちゃんが店の外に逃げちゃったみたいなのよ」
「あぁ、ウサギですもんね」
「普段ならぴょんちゃんものんびり屋さんだからずっとカフェの方にいるんだけど、さっきの間に珍しく店の奥に引っ込もうとして外に出っちゃったらしいの」
コンソメスープを飲み終えたという頃合いの良さもあり、唐土はその依頼を引き受けた。
「そういえば、自分ってまだぴょんちゃん見たことないんですけど、特徴とかありますか?」
「んー。白い」
「真っ白?」
「真っ白」
「耳は垂れてますか?」
「いや、まっすぐだよ。尻尾は丸い。雪玉みたい」
「わかりました。まぁ、犬や猫やカラスと見間違えないような見た目なら大丈夫でしょう」
ニューヨークでいうファーストアヴェニューとでもいえるこの街の一番街だが、この猫カフェの裏手には既にかなり網目の細かい裏路地が敷き詰められている。普段から大通りしか歩かないような一般人では少し不慣れで迷ってしまうような細かい路地が連なっているが、大抵の道のりが裏路地で構成されている近道至上主義の唐土には慣れたものだった。
とはいえ、広大な裏路地に対して目的物は大きいとはいえないウサギだ。
目を凝らさなければ見つけられないということはないのだが、それでもそれなりの注意を払う必要があるだろう。
「そういえば、ウェリラいる?」
返答はなかった。
いくら人間観察が好きと言っていたびっくりアニマルにしても、常に唐土と行動を共にする理由はない。
こんな差し込む光も疎らな裏路地をたった一人で探索するのはなかなかの不気味さを感じてならかった。
「……………しまった」
それから三十分ほど周囲をくまなく捜索しても、ぴょんちゃんらしき姿は影も形も見られなかった。
四十分を超えたあたりからポロりと零れ降りたその一言が、彼の心境を一挙に恐怖で彩った。
「もしかして、騙された?」
びっくりアニマルであるウェリラは噂好きというのが前提であるにしろ、唐土が初めて入店した際に早々に鰺ヶ沢の配下に属するものだと見抜き、観察をしていた。ウェリラはその後、多くのウィッチがパペットに対して警戒意識を一挙に強めてきているという話を鰺ヶ沢としていた。
果たしてウェリラが看破した自分の正体を人狼が暴いていないということがあるだろうか、いや、ない。そういった憂いが脳内に燃え上がるようで、心底の恐怖が心を蝕みだす。
もし、仮定通り人狼が七飯奈一であった場合、こうして彼女の頼みのままに人目につかない裏路地に放りこまれてしまったという今の唐土の状況は非常にまずい。ウェリラは店内にいるうち、彼が唐土の膝に寝ているうちには仕掛けてこないと言っていた。だが、今はそうじゃない。
「ふー……」
握りしめた拳に汗が滴る。
考えすぎだ。
そう思いたかった。
そんな唐土の眼前に飛び出してきたのは一匹の白い動物らしき何か。
言われていた特徴ががっちするお探しウサギのぴょんちゃんだった。
「あ……ああ!」
歓喜にも似た安堵。これまでの恐怖を掻き消さんばかりに唐土の中で杞憂であったという心の声の訴えが流れ込んでくる。ぴょんちゃん脱走は嘘ではなく、このバイトも罠ではなく本当のバイトとして存在するということになるだろう。
重たくなった足取りは軽くなり、一心不乱に白兎ぴょんちゃんに向けて迫る。
「唐土君。ごめんね」
歓喜に水を差すような冷やかな一言が、唐土を振り返らせる。
躓きそうになりながら、踵を返す。先に背後に向けて振り切れた顔はその眼の先に移る年若い猫カフェの女性店員の姿。
冷ややかというより、冷徹だった。
吹き上がった鮮血が破られた脇腹に花を添えるように煌やかに舞った。飛沫を上げる横っ腹を抑えながら、唐土は釣り上げられた鮎のようにのたうちまわった。
体が燃えるように熱く、視界は何をされずとも赤く色づく。
口に何かが溢れ、血だと気づくことには溺れたように呼吸もおぼつかなくなってしまっていた。
たった片腕で持ち上げられ、足が地面から離れた唐土の首筋に歯が立てられる。咥えるまでは優しくゆっくりと、牙が喉に減り込むと途端に激しく食らいつき、喉笛の半分が食い破られる。半月状に空いた風穴に春の午前の生暖かい風が通り過ぎ、血が噴き出るよりも先にその体躯は蹴りつけられてどことも分からぬ建物の壁に叩きつけられた。
子供の頃、名前も知らないような木の実を家の前の塀に投げつけて遊んだことがあった。投げつけた木の実はとても柔らかかったため、塀にぶつけられた実は弾けて朱色の血痕のような跡がそこら中に残されたものだった。
人間の体を即座に蹴り放つその一撃によって軽々と壁に叩きつけられた今の唐土にはその情景が思い出されてならなかった。さながら、今の自分は壁に叩きつけられたいつかの木の実のようだと。
そこからさらに執拗に顔を潰された。親の仇でも殴るかのようだった。
鋭い爪ともふもふと気持ちの良い体毛が相反した感触を与えながら腹を掻っ捌き、内臓を啜られる。腹が減っていたのか、それとも食人嗜好なのか、恨みなのか、気分なのか、儀式なのか、知る由もなかった。
肋骨が一思いに左右に捥がれると、心臓に手が伸ばされた。燃えるように体が熱い分、浸食してきた人狼の腕はどこか冷たい印象を受ける。もぎ取られた心臓はすぐには食べられなかった。匂いを嗅がれ、汚物のように、さながら遠い日の木の実のようにそれは胴体と同じように壁に叩きつけられて飛散した。
★ ★ ★
「死んだか。あーあ、つまらねぇ死に方しやがったね。まったくヨ」
サラリーマンがおずおずと差し出すキャットフードを食らうウェリラはどこか乾いた目で窓の外を眺めた。
びっくりアニマルの鼻にはどうしても溢れたばかりの鮮血の匂いというのは相当な距離を超えてたどり着いてしまう。男とも女とも判別のつかない不思議な匂いのする唐土の血ならばなおさらわかりやすい。人間は大量出血で十分に死ねる。醤油を一升瓶飲み干すと死ねるくらいに簡単だ。
「あらあら、可愛いわねぇ!!んー!!!良き」
店内に飛び込むように入店してきたオカマの歓声は絶叫と絶頂を体現しているようだった。
奇妙な縁だと遠目で思いながらも、バーガーショップの店主だったと思われるオカマを彼は目で追う。
すると獲物を狙う鷹の如き鋭い視線がウェリラのそれを重なった。
「あら」
「…………」
オカマは店内にいる様々な猫を踏まないようにその大柄の体をくねらせながら進み、あっという間にウェリラの体を持ち上げた。
「あらー。この前うちの店に来たホストずらみたいな柄ねぇ、チミ」
「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくりしていらしてください」
「あら、可愛い子ね。好」
「あ、は。ありがとうございます。お飲み物でも…」
「貴方、お名前は?…お友達になりましょうよ」
壊滅的に似合わないウインクに怯みながら、女スタッフは応じる。
「七飯奈一です。NN。覚えやすいでしょう」
「そうねぇ、ななちゃん。なちちゃん。どれがいいかしら。んーもう。この店気に入ったわ。猫ちゃんも店員さんもか~わ~い~い~!」
「あ、ありがとうございます」
「あ、注文は珈琲と林檎のタタンケーキをお願い」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
そそくさと厨房に引っ込もうとする七飯に対し、オカマはぴしゃりと声を投げる。
「あとちょっといいかしら?」
「なんでしょう?」
「唐土君っていう高校生っぽい子は来てないかしら?」
「……………さぁ、存じあげませんね」
「そう。ならいいわ。ケーキ待ってる」
不協和音でも響いてきそうな投げキッスを七飯に吹かすと、オカマは先程まで唐土が座っていたカウンター席に腰かけた。
「殺されたのかしらねぇ、唐土君」
ウェリラの眼を見て、オカマはそう尋ねた。