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PUPET - EXAMINATION  作者: ずちなしもの
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Walpurgisnacht #2


 存在すら知らなかった町の辺地の釣り堀に至った唐土は、鰺ヶ沢に促されるままに一本の釣り竿を携え、人口池にそれを投じた。


「ところで唐土君。君は狼人間と人狼の違いはわかるかな?」

「普通の学生がそんなことを知っているわけがないでしょう」

「なら説明しちゃるわ。よく聞け」


 二人で共同で使う小さなバケツの中で一匹の鮎が踊る。


「まずは狼人間から。…狼人間というのは先天的、または後天的な突然変異によって発生する人体異常であり、それ自体が人間とは違った別の生命体として壊変される事象そのものの事を指す。狼人間の方は俗に言う満月の夜に狼に変身して誰彼構わず食らいつき、食い殺すような獣人の方を示す。これはヘロドトスの『歴史』にあるネウロイ人の年一で狼に変身する者らやローマ帝国末期に見られた突然狼に変身してしまった者などが同様の存在とされている。地域や伝承によって性質や能力にそれなりの差はあり、ウルフマン、ヴァラウルフ、チカントロープ、ルーガルーと様々だが、満月などの外的要因がトリガーとなって狼系の獣に半身や全身を奪われて変身し、時間経過やボディの死などによってヒトの体に戻るというのが基本形としてある。こちらは一度変身してしまうと大抵の場合、多くの犠牲者を生む。家畜が襲われたり、建造物が破壊されたりされて大暴れするというのが普通だからだ。その分、その手の専門家の殺し屋の厄介になるまでの期間も短く済む。単純な話、大騒ぎを起こせば直ちに瞬殺されてしまうためにその個体数が増えていくということはないし、かえってわかりやすいし、獣化している状態ならわりと処分は容易い。だが、わかりやすい反面、銀の弾丸シルバーブレッドでないと外傷を負わなかったり、杭を心臓に突き刺さないと致命傷にならなかったりと、専門家でなければまず対処できないくらいに強いというのが厄介な点だな」


 鮎が三匹、五匹と連なっていく。


「対して人狼はな、宿主から宿主に対して感染する病であり、呪いであり、憑依された側と人狼が共存する一個体の直線上にある生命体だ。狼人間とは違い、それを宿してもヒトと違った存在に成り変わるということはない。その反面、その伝達条件が非常に緩く、映画にあるゾンビのように引っ掻かれて創傷を負ったり、噛みつかれたりするだけでその性質が憑依する場合もあるし、滅多にないことだが宿主の傍らに長時間おるだけで付与されることもある。……イメージとしてはこうじゃ。まず、人狼という特性と概念のエネルギーがまず根底としてあり、大本にある大宿主からその力が分け与えられる形でその性質と力が他者に付与されていくのさ。だから人狼の全ては一つの母体から分かたれた兄弟のようなもの、そしてその宿主が一人でもいる限り、無限に人狼は増えることが出来る。そこで、まず狼人間と大きく違う点で、狼人間より人狼が圧倒的に多い由縁となっているのが、そもそも人狼が自分が人狼だと自覚することがないことすらあるという点にある。狼人間がトリガーを切っ掛けに人格そのものを乗っ取って事を起こすのに対し、人狼はあくまで人狼として共同体のままだ。変身という過程を経て野生に靡かれたり揺すられたりすることもあるが、時間経過や体力の限界でヒトの姿に戻るということはあまりなく、自分の意思、つまりは任意で変身を行う場合が多い」


 唐土の竿が初めて揺れる。


「人狼のこの特徴には理由がある。まず、狼人間とはヒトの中に獣が混ざり、潜伏し、表裏一体としてスイッチのような感覚で別人格が表面上に現れる存在だ。対して、人狼とはヒトの中に人狼が憑依している状態そのものを指す。だからこれは制御不能の野生の塊が体に棲みついているわけではなく、先刻も言った通り、生命そのものを共同で運営しているということになる。人狼のエネルギーそのものが半霊体であることから、憑依されただけでそのものの人生が一挙に捻じ曲がるということもない。それ故、多くの人狼は人間社会の中で普遍的な民衆と変わらない生活を送ることも十分に可能。それはつまり、人狼の宿主が人狼の力を必要としていないような環境にあるからであり、目に見えない痣のようなもの程度でしかない。しかしその在り方は宿主が人狼の強い力を求めるかどうかで大きく変貌する。自分に対して仇なすものを傷つけたい、敵となり得るものを駆逐したい、そんな時、人は欲望のまま変身を辿る。人狼への変化はアルコール摂取のようなものじゃ。変身後は多少ハイになるし、高頻度で変身しすぎては身も心も持たない。変身状態で無茶を繰り返せばそのツケは必ず後に回ってくる。……ヒトの中に人狼という力の詰まった箱が常時置いてある状態が一生続き、それを開けるかどうかはその本人次第。だからわざわざ人外の力を酷使してまで問題を起こそうとする者は特に日本では少ないのじゃよ。その分、人狼の総体数はウナギ上りになってしまっておるがな…」


 釣り上げた鮎のうち、適当数選び、それを釣り堀内の飯処へと持ち込む。

 先ほどまで人口池を舞っていた鮎たちが体をくねらせて串に刺され、火鉢に並べられている様子は物静かだった。ぱちぱちと火の粉が舞うたびに、鰺ヶ沢は瞬きをした。


「まぁ、日本が少子高齢化にある現状からして、高齢の人狼も多い多い。狼人間ほど途轍もない力と体力の消耗がないと人狼とはいえ、変身すれば人なんて容易く殺せるだけの力は手に入るし、その分の体力消費は著しい。高齢者は変身するだけでもかなりの体力を奪われるし、そんな状態で大暴れするようなら当然、疲弊してその後の寿命に直接響くからのォ」


 塩が振られた鮎が香ばしく色づいていく。


「となると…日本には相当数の人狼がいるということになりますよね。その中で今回のヴァルプルギスの夜の儀式に関与した人狼を特定することって出来るんですか?」

「特定は出来んよ。人狼なんぞ世の中にいくらでもおる。じゃが、この街には少ないぜ」

「少ない?」

「というか、殆どおらん。それにはまぁ理由があってな。ヴァルプルギスナハトがこの街で行われる以上、それにはこの街が儀式を行う舞台として相応しいということがまず前提にある。…あまり言及は好ましくないから言わんがな、この街には一体の恐ろしい魔術師兼妖怪みたいな『人間』がおってな。そいつがおることによって魔性の類はいくらでもこの街にやってくるが、そいつの気分次第でそういった有象無象は殺されたり追放されたりする。とはいえ、それも神でも将軍でも国王でもないから、別に儂らは気にして行動しなくてはいけないということもないんだが…」

「はぁ…」

「中途半端な化生はこの街じゃあうまく馴染めないんだよ。特に自分が人狼かどうかの区別も出来ないような半端者は一癖も二癖もあるようなこの街の怪物たちの中ではうまくやっていけない」

 

 脂がのった肉厚な鮎に食らいつく。まずは腹周りから。


「じゃあ人狼自体はそう珍しくない存在だけど、この街の特性的にいてもそう多くはないし、言ってしまえばもうほぼある個人しかいないのだから探そうと思えばそう難しくないということですね」

「そうなるの。で、その目星をつけて貰っておいたんじゃが、ほれ」

 

 そこで手渡された一葉の写真と一枚の名刺。


「これは…?」

 

 名刺には前は於尋麻布おたずねまっぷ五十子いかっこと載せられている。名前の脇には職業でも示すかのように『於尋者おたずねもの』とあり、これが犯罪者等に適用される言葉なのか、情報屋の亜種のようなものなのかはわからなかった。


「五十子に関しては儂も姿を見たことはねぇし、実在するかもわからん。じゃが、一応はなんでも売買する商人のような存在として割と名は知られておる。多くの場合、取引では金と情報が交換されるな。五十子が気に入った事件なんかじゃ勝手に向こうから情報が送りつけられてきて、金を請求されることもある」

「はぁ」

「そいつがこれを送ってきたんじゃ」

「これは、猫カフェ?」

「儂はもとより探偵じゃなねぇし、標的を殺すだけの存在じゃからこういうヒントはありがたいんじゃが、事実、この猫カフェとやらが何を示したヒントなのかわからんのが問題よな。そして、儂の身なりは到底猫カフェに出向くには似つかわしくはない」

「自分に行け、と」

「ああ。期待しておるよ」

「あの、それって調査しているうちに人狼にバレて自分が殺されるなんてことは…」

「あり得るのぉ」

「……………」

「それでも、おどれはこの街に興味があるんじゃろ?」


 身の危険すら顧みない生命の原動力。

 知識を渇望し、興味を追求する。現実と非現実の壁すら意に介さない飽くなき探求心。

 事実、死屍累々を眼前に敷いてみても感じたのは恐怖よりも興味だった。

 偏屈し、ネジの緩んでしまった頭かもしれない。自分の本質がサイコパスに近いのかとも疑った。

 だが、そんな自分への不信よりもはるか上をいくのはこの怪事件に誰よりも深く首を突っ込みたいという野次馬根性なのだ。その探求心がどこより出でたものなのか、唐土自身、知っているような気さえする。どうしても思い出せない記憶の根底に根付いた何かが本来あるべき自分の何かを見つけたがっているように、とても他人事とは思えない儀式の事を想って凍った炎のように滾っているのだ。


「君が何故、昨晩あの場所に辿り着けたのか…怪事件そのものに介入する余地が生じたのか、それは儂にもまるでわからん。君も自分のことながら、その大事な所が理解できていない」

「知らないのは、怖いです」

「いや、忘れているだけという場合もある。事実、人は忘れることで自分を守るものだ」

「じゃあ、明日にでもその猫カフェに行ってみます。情報の交換はどこで行えばよろしいのでしょうか?」

「ほれ」

 

 手渡されたのは現金。帯でまとめられた百人ほどの福沢諭吉だった。


「手頃な機会を狙ってあのバーガーショップで落ち合おうぞ。儂は君が入店したらすぐに行けるようにする」

「そんなんで来れるもんなんですか?」

「儂は空を飛べるからな」

「そりゃあ、すごい」

「占い師じゃからな。君個人にピントを当てれば、店に入るタイミングくらいは見えるものよ。とはいっても、おどれが思うとるような未来視とはかなり趣が違うがな」

「空飛べるってのは?」

「すごく速く走れるってだけよ。転じて、飛ぶことも可能」

「やって見せてくれませんか?」

「良いが、せっかくだからもっと珍しいものを見せてくれよう」

「?」


 釣り堀より少し離れた、今時珍しいような雑木林に移動した鰺ヶ沢はいつもの調子でのっそりと立ち止まり、左手に収めた大湊を鞘から抜き放つ。


「いいかい唐土君。狼人間や人狼、それ以前に人間や神仏が扱うありとあらゆる特殊能力や超常現象には必ず『観測者』が必要となる。つまり、誰かがその力の行使を見ていてくれないと、味わってくれないとそもそも能力そのものは存在しないことになる。だってほら『誰もいない森の中で木を切り倒して音はなりましたか?』と質問しても『誰も観測できないので音がなったかはわかりません』が結論となってしまうだろう?」

「はぁ…」

「どんな力もそれが誰かに認識してもらなわなくては本当の意味での存在はできない。観測者の存在こそが万物に力を宿すのであって、誰もいない世界だとどんな神様でも何一つ成し遂げることは出来ない。創造主や造物主だって知り合いや家族がいたからついでに世界を創ったんじゃないか」

「はぁ…」

「ここは雑木林だけど、儂には唐土君、君のような観測者が常時付きまとっている。君がいなくても他の誰かが儂の傍にはいるから、なんなら空を飛ぶことも地下深くに潜ることも出来るのさ」

「いつもは誰と一緒にいるんですか?」

「それはそのうちに」


 抜き放たれた大湊が寂しそうに空を切っているのを見かねたように、鰺ヶ沢はそれを地面に突き刺した。

「つまりは心得と心持次第で大概のことは実現する。いかに非現実的でも、ヴァルプルギスナハトの儀式を目の当たりにした君にとってはそう驚きはないだろう」


 彼はなじるような目つきで土を掻っ捌いた。美しい軌跡と太刀筋で剣線を描き、それに沿って空が揺れる。揺らぎは薄緑色の靄となって巻きあがり、鰺ヶ沢の周囲に翠色の小規模の雷が渦を巻き始める。周辺の空気は軋むように張り詰め、プレッシャーのような圧力が四方に塊となって飛び交っているような感覚に陥った。

 雑木林が揺らめき騒ぎ出す。突風が烈風へと変わり、目も開けないくらいの風圧に一挙に押し飛ばされそうになった。

 指で地面を鷲掴みにし、靴の底から大地を感じるほどに両足に力を籠める。

 小規模にしても凄まじい風力をおよそゼロから生みだす。それが鯵ヶ原の能力だと思った。

 

 唐土の人生において、目を疑うような体験に遭遇したことはあまりなかった。象徴的な出来事としては昨夜のヴァルプルギスの夜の儀式の現場を見たということだが、今回のこの鰺ヶ沢の超能においても本来ならば目を疑うことが当然とされるような事象なのだろう。

 だが、不思議と唐土は迫り来る風圧以外ではその眼を遮られることはなかった。

 数度のまだたきを経て、すぐに眼前にあると思われる鰺ヶ沢の姿を探した。しかし、鰺ヶ沢はそこには存在せず、そこにあったのは戸愚呂を巻いた大蛇を纏うように体中に絡めている一匹のドラゴン。いや、イメージの基本としては限りなくドラゴンのような空想上の生物を喚起されるのだが、ゲームやファンタジー映画作品で見られるようなそれらとは少し違う。ワイバーンとも恐竜とも違う。単純に唐土になんらかの作品内でブーツを履いた二息歩行のドラゴンを拝謁した経験がないからそう思うのかもしれなかったのだが。


『儂が何に見える?』

「どこか、見覚えがあるような、ないような」

 二足で体を支えていた全長四メートルほどの竜が気怠そうに前屈姿勢をとった。小枝のように程い両腕でカンガルーが姿勢を落とした時のような姿勢と骨格を思わせるような様子で停止している。

『これは儂の第二の姿。むしろこちらの方が懐かしいような気さえする。まぁ、まだ他にもあるがな』

 

 そこでふと、唐土はゆっくりと瞼を閉じてみた。

 そして再び瞼を開けた時、そこに居たのは元の鰺ヶ沢鵜者だった。

 人間の姿の彼を見た時、さっき彼が言っていた観測者という言葉の特性が理解できた。


「自分が目を閉じるだけで竜は消え、貴方に戻る。突風や烈風はそれ自体によって否応なしに目を閉じさせてしまうからそれによる観測者の不在では能力は掻き消されない。しかし、面と向かい、見つめていた観測者の眼を世界からシャットダウンすることによって力は奪われる…」


 鯵ヶ沢はひたすら顔に似合っていないようなウインクを唐土に投じた。


「あの猫カフェで狼人間に出くわした時は目を閉じてしまえ。…それだけで命が助かるかもしれんよ」




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