Walpurgisnacht #1
★ 五月二日
俗にいう『ジャンクフード』という言葉の括りの中において、わりあいハンバーガーはその代表的な立ち位置にいながらもなかなかどうして理にかなった食べ物のようにも思われる。
確かに紛れもなくハンバーガーは高カロリー高塩分であり、高頻度で大量に摂取していては身を持ち崩すことは蓋然性が高い。そのうえ、店頭や作り手によるところが大きいのだが、添加物祭りを開催するにはかなりうってつけの迷宮と化していることも事実。
だが、それこそ場所と品質にもよるのだろうが、この不摂生の生産者たるハンバーガーは安いのだ。学生という収入が限定的な消費者において、簡易な手続きと僅かばかりの待ち時間を経た先にあるその強烈なうまみと暴力的な嗜好性の高さが複数角度から『手頃』と思われる商品はご都合主義の現代人にとってやはりニーズに応えていると言える。
「チーズレタスのMとコーラ……いや、珈琲を」
「唐土君、今日まだ木曜でしょ?学校はお休み?」
「いえ、体調不良で休んでます。それに食欲もあまりなくて…」
「バーガーショップに来てそれはないよ」
苦笑いを浮かべる店主から注文した商品を盆で受けとり、二人用の席に腰かける。ここは所謂全国に大量展開されているようなメジャーな企業の支店などではなく、個人経営で街角で経営されているバーガーショップだ。
西向きの窓に接した席からまだまだ陽の登りきらないような昼前の往来を眺める。都市部ではないにしろ、中規模の街や企業や店舗が連なっているこの辺では朝方の通勤通学ラッシュを除いても人々の往来は目に映える。
新鮮なレタスを食いちぎり、チーズが染み込んだパテとパンを一思いに咀嚼する。
ハンバーガーが理にかなっているという所はそう、過去において栄養不足や失調になりがちな不健康者において簡易にも野菜・肉・パンをという人体活動においてかなり重きのおかれる素材を同時供給してくれ、さらには食欲がない者に対して、また忙しい労働者に対して片手で握り、片手間で食べきってしまうというそのアクセスの単純さと明快さがあるからだ。おにぎりにしてもそうだが、やろうと思えば一口や十秒単位で食べきれてしまう。
昨夜の死屍累々の並んだ街路時はその店からそう離れてはいない。寧ろ感覚的にはとても近い部類にはいるだろう。徒歩五分から七分といったいわゆるご近所。
学生唐土己は静かに湯気の立った珈琲を呷る。家にあった新聞を机に拡げ、同時に自分の携帯電子端末のネットニュースをチェックする。主に意識を向けるのは大量殺人や春に行われる儀式について、ついでに昨夜の死屍累々が現状で事件として話題にあがっているかどうかだ。
まず、大量殺人やら怪しげな儀式などの情報は既にネット上に氾濫してしまっている、というのが素直な感想だった。特定の記事について探そうと思えば探せるのだが、やはりその信憑性を含めた情報としての価値が少しばかり薄いような印象を受けた。
そして昨夜の死屍累々についてだが、予想通りまったくといって良いほどなんの注目も着目もされていない状態だった。不思議なことに、目撃者はおらず情報の発信者もいないのだろう。あの空間がそれこそ儀式用に用意された結界的効力を有しているというのなら、それはそうと認識するより他にないのだが、これをゲームと言った鯵ヶ原からの細かい状況説明を一刻も早く得たいところだった。
「唐土君、最近どう?」
「どう、とは?」
「そうねぇ、学校のこととか、家のこととか、面白いこととか楽しいこととかないわけ」
オカマキャラにすっかり慣れた店主がそう言う。大柄で筋肉質でサングラスが似合いそうなむくつけきこの男を所見でオカマだと看破できるものはおそらく世界中を探してもなかなか見つかるものでもないだろう。
「そういえば、何か病気が流行ってますね。なんていう名前だったかな、流行型の感染症で…」
「あー、そうねぇ、最近多いわよねぇ」
「いつも学校は朝から騒がしいんですが、最近はめっきり。静かなことは良いんですが、閑散としても張り合いがなくて」
「うんうん。…それでどうよ、彼女さんは、ん?できたの?」
「店長、自分、女ですよ?」
「あら?前は男って言ってたじゃない」
「そうですね。その前は女って言いました。その前は男って言いましたけど」
「あら~、性別不詳ってなんか萌えるわね。いや、燃えるかしら」
「知りませんよ。そんなの」
古い木製の扉が開かれ、取り付けられたベルが鳴る。
やはり光の届く世界においては馴染んでいるとは言い難いその装い。鯵ヶ沢鶏者は左手に収まった太刀を丁寧に唐土の座す席の机の脇に立てかけ、重ったるい足取りでカウンターに向かった。木組みの天井を物珍しそうに眺めながら、接客に店主が当たろうとすると今度はメニュー表に物珍しそうに見入る。
陰鬱な調子で注文を終えた彼はのっそりとした歩調のまま、唐土の向かいの椅子に戻ってくる。
「慣れないものだねぇ、歳寄りにはなかなか馴染みのない料理じゃし」
「ハンバーガー自体が日本に入ってきたのは相当前ですよ。一応戦前から料理として提供されてましたし」
「ふむ。…ハンバーガーね。唐土君が一押しの店というのだからここで集まる予定にしたが、随分と人通りが多い道沿いにあるんだねぇ」
唐土はカップに残った僅かな珈琲から、大きな窓ガラスから覗ける人々の往来に目を移す。
「この店が平生から繁盛しているようなら、自分もそう何度も来たりしませんよ」
「確かに、客が我々のみというのも逆に心配よな」
「特に昼前からこうして談判を開くような客は皆無ですので、言葉に気を付ければ普通に談合も出来ます」
「んん。そのようじゃな」
「噂が伝搬したり、事件が報道されたりというのはその兆候すら感じられませんね。それは、例の『パペットの試験』において割と普通のことだったりするんですか?」
「うんにゃ、試験にそんな気の利いた配慮があるなんてのはねぇぜ。ただ、何らかの力が働いて人避けの効果が出ているというのなら、それはヴァルプルギスナハトの方に原因がある。まぁそも、本当に街路時を秘匿してぇってんならアタシらがあの場に行き着くことは出来ねぇってもんじゃ。儂はともかく、唐土君はおそらく辿り着くこともできやしねぇ」
「確かに、そうですね」
唐土は新聞を折りたたむ。
「さて、どこから説明するべきだか……んん。そうさな。儂は需要が発生した際にはこういった怪事件の解決を目的に据えた活動をしておるわけだが、怪事件を取り扱う解決屋のパペットはやはりそれなりの数がおる」
そこで鰺ヶ沢は眉を潜める。
「いや、違うな。解決するわけではない。怪事件を起こした困ったお客さんたちに足して接続するのであって、我々がそもそもその怪事件そのものを未然に防ごうと働いたり、事後処理に回ってやるという迷惑な役を引き受けることも無い。処理をするのは今回でいえばヴァルプルギスナハトに直接的に関与した複数のウィッチに対してのみであって、ヴァルプルギスナハトっていうのは奴らが同時多発的にやらかしたっていう事件の名に過ぎない」
「つまり、事件が起きようと起きまいと、事件を起こすような輩に対して排斥的な意思を持った活動をしていると?」
「んん。パペットも一枚岩ではないし、氏族でもなければ団体や組織でもない。大前提としてパペットというのはパペットの試験という歴史的な排他行動を元にして定義されたものであって、別段我々が自分らを抽象的に名乗る時に『俺はパペットや!』という風に名乗るものでもない。また、怪事件を起こした儀式の関係者に対して名乗っても、パペットという言葉自体を知らないという場合も多い。極東日本で歪曲してしまったヴァルプルギスナハトの儀式にしても、一般に生きる人間には知る由もない。パペットの試験はそれよりもさらにマイナーを極めた行事であり、先ほど言った通り、団結して事に当たろうという組織じゃない。だから人知れず怪事件の開催者たちを挫く本当の意味での暗殺者のようなものじゃ。その報酬の出どころはいずれ話すにしろ、我々パペットは一方的に事件の発生者を排斥するだけであって敵対しているわけでもない」
チーズレタスバーガーと珈琲が鰺ヶ沢の元に届く。珈琲を見て、『ああ、これか』のような表情を浮かべた彼はそれを音を立てて啜る。
「まぁ、ウィッチの方にもなんというかのぉ、儀式を起こすにしては共同体とか同士体とかという意識はてねでない。喩えるならば『お茶会』のようなノリじゃ。集まる時には集まり、それこそ百鬼夜行のような世界を瞬く間に生み出す。だが、解散すれば昨夜のように蜘蛛の子が散るように茶会の道具だけを残してお暇するというわけじゃ」
「殺すんですか、その太刀で?」
「ああ、殺すが方法はその時その時で違うとるわ。刀はなァ、儂個人が儀式を起こす時に使うのよ」
「百鬼夜行だの、ウィッチだのと言うのなら……どうなんでしょう?ウィッチたちは『非人間』とか『超能力者』とかそういう存在なんでしょうか?」
はむ、と見た目に反して女子のような小さな一口で鰺ヶ沢はバーガーを咥える。
「それに対して儂が決定的な発言をすることはできんよ。おるにはおるし、おらんには一人もおらん。それもまた好じゃ」
「また好ですか」
「おう。奴らをどんな存在かと定義するかは好の問題じゃ、魔法使いを科学者とた錬金術師とか、適当に大別しても概ね間違っちゃいないんじゃよ。ていうか、自分が何かを示すのに許可も権利も義務も生じやしない。心の中とか精神の中ならなおさらじゃ。だから貴様があっしの事を糞爺と思おうが師匠様と仰ごうがそこにさしたる問題は無かろう」
二人はどこか上の空といった調子でしばらく往来を眺める。しばらくといっても、ものの十数秒のことだ。
「だから極論、神や仏は『いて、いない』。幽霊や宇宙人も然り。超常も異常もそれをそうと思わなければ日常よ」
「なるほど…」
「されど、ここで大切になることは、そういう非日常に属する者たちと相対した際『いったい何なのか?』?とついどうしても疑問に思ってしまうということじゃ」
「それは…?」
「ヴァルプルギスナハトに関与したウィッチには人の形を思わせない異形や不定形な存在もあろう。それらに初めて見えた時、意識せずとも人はそれらを理解しようと働く。それが人の頭じゃ。だからこそ、そこに『わからない』が生まれ、もし彼奴らが我らに害をなさんとしていた時にはそこを付け込まれて叩き潰される。いやいや、叩き潰されるくらいならば後に酒でも飲み交わすに値する余地はあるのだがね、多くの場合、ウィッチは人より強い力を有している。言葉を換えれば先刻のおどれが言うたように超能力とさえ呼べるような力を利用して人を灰塵と化すことも、まぁよくある話だ」
「危険性は高い、と」
「まぁヴァルプルギスナハトを興した者らはそこまで気性が荒いというわけではないという話だった。じゃからこそ、手っ取り早く始末をつけることが求められる。事実、楽な相手ばかりという方がかえって急かされるから好かん。春時期になるとヴァルプルギスナハト関連の討伐依頼が殺到するが、儂はもとよりこういう多数が一挙に事を起こすような事件は好まんのだよ、何かと気配りする点が増えるだけじゃ」
唐土が人差し指を立てる。
「まずはウィッチたちの目星をつけるところだからですね」
「そうだな」
そこで鯵ヶ沢がにったりと笑む。そして、着物の懐より頭巾袋を徐に取り出す。
「だが、幸いなことにわかりやすい奴が一個体紛れ込んでいる。それがまず最初の討伐となる」
取り出したのは三葉の写真だった。それらは昨晩、鯵ヶ原が端末のカメラ機能に収めていたものらだった。三葉を丁寧に机の上に並べた彼は、右端から順にそれらを指さす。
「……さて唐土君。君にはこの亡骸たちに共通してどんな点が見受けられるかな?」
「体が食い破られて亡くなっていますね。…彼らは昨晩見た時もかなり目立ってました。単純に体をパクッとやられたのならかなり大型の肉食獣とか、そういう類になるんですかね。いや、ウィッチにカニバリズムの傾向があるならば獣の類とは言い切れませんがね…」
「そうさな。まぁ着眼点は良い良い。……ウィッチ共がカニバリズムで人を食らったり、人を殺してその亡骸を食らったりすることも確かに可能性としてはかなり高い方だ。別にそう考えることはおかしなことではないし、実際そういう事例もあった」
「…ということは、それとは別の何かですね」
「ああ」
奇妙な光景だった。駅も近い遊歩道を歩いているというのに、いくら平日とはいえ人気が無さすぎた。
バーガーショップを出た鰺ヶ沢は下駄の音と太刀の鍔をしきりに鳴らしている。並行して歩む唐土はマスクを付け、仮病を悟られないようにとサングラスをかけて変装をする。籠る吐息に煩わしさを感じ、そこでふと噎せ返りそうになった昨晩の犯行現場のエーデルワイスの香のことを思い出した。
「唐土君。獣が人を食らうとして、その亡骸はどんな風に残ると思う?」
「どんな風に残るかはわかりませんが、食べ始めるのはお腹周りからですかね」
「大概そうじゃな。腹周りは単純に食べやすく、草食動物の腸を食らえば半消化の草も一緒に摂取できる。内臓にはビタミンも多く、保存も効かないからなにとはなしにまずそこから食らいつくことが多い。そうなると、四肢の先までペロンと食べきるとしてもその優先度は腹周りほどではない。それイコール食べる順序で食べ残り安い部位の順位でもある」
「さっきの写真では二つ目の写真に五人の纏まった亡骸が映っていましたが、腹部から背中まで食い破られたものもあれば、腕や指単位で食い破られたものもありましたね、中には首だけ歯型を残して齧りとったものも…」
「そう。これから推察するに……いや、推察というか、これらは全部我々が奴らを追ううえで考え至る『妄想』ということになるのだが…。人食い共には『腹が減ったから食った』という意識はねェ。いや、そもそもヴァルプルギスナハトが儀式である点からして、『私怨』『物取り』『正当防衛』『殺人欲求の爆発』といった理由での殺人ではないのが前提じゃ。となると、野性的な本能として人を食ったというよりは、極めて理性的な嗜好性と蓋然性を以て、つまりは理由があって人を食ったということになる」
「ええ」
「だが、さっきの写真を見てわかることと言えば、やはり指や腕しか食われていないという亡骸が存在するということだ。つまりは食い殺すっていうこと自体が目的でないし、そもそも指しか喰らわれいない人間はそうすぐには死なない」
「なるほど……」
「おお、今の説明でわかったのか?」
「つまり『人を食い、傷つける』という行為自体に意味があり、それがすなわちヴァルプルギスの夜にその犯人が行うべきことであったというだけで『人を食い殺す』ということは最初から意識されていない。そしてそれが意識されていないということ自体がその犯人にその嗜好性を選択させるだけの知力が備わっている。さらに、ヒトの身を持ちながら人を食い破るだけの顎と咬合力を持ち合わせた存在となると…」
「んん『人狼』じゃなァ」