Walpurgisnacht #0
★ 五月一日 水曜日
右も左もむごたらしい。
ここと世間を隔てる帳はない。振り返ったところで薄氷ほどのヴェールすら見つけることは出来ないだろう。
噎せ返りそうになる程の華の香りが無ければ、きっと、ここは死臭が主張をする空間だったのだろうと思う。空の腹はあまりの異臭により、掻き立てられるような不快感を訴えている。
死屍累々を舐めるように見る壮年の紳士を眺めながら、他人と知人の折り合いが付ききらないようなその不審者から、顔を叛けるように眼下の焼死体に目を移す。焦げ臭いということはなく、やはり華の香りがその死体からも漂ってきている。空間に突発的に発生し、満ちた匂いというよりは、死体から徐々に立ち込めている時間的な、まるで定められた予定調和のようにゆっくりと仕立てられたような上品な異臭だった。
焼死体。刺殺体。絞殺体。
推理小説等で良く扱われる亡骸は幾つもあれど、あまり目立たなかった。表現は悪いかもしれないが、今の彼にとって、それ以外の異様死体。死屍累々たちの自己主張とも言えよう死に様こそが強すぎるように感じられたからだ。
人の体を留めていないようなぐちゃぐちゃな亡骸も多い。中には腹から背までを内臓ごと食い破られたものもある。眼球が刳り貫かれたり、頬が抉れたものもある。首から下が関節事に切断され、妙なオブジェに組み替えられて鎮座しているものもある。
「この香りはァ…なんじゃろうね?」
紳士が口を開く。年齢不詳だが、四十代後半か五十代後半。細身で長身。左手には常に太刀を握りしめ、何故か強風にも飛ばされないシルクハットを被っている無精髭だらけの男だ。常に破れかけた黒い浴衣を纏っているようなこの存在を紳士と定義するにはいくつかの疑問点と反対意見が出そうなものだが、それは唐土がこの男と初めて対面した時の紆余曲折にまで遡るため、ただの固有名詞的な様相だ。
「菊、じゃァなさそうよな」
口調、語尾、一人称から三人称までを気分で換える変人であり、追及してもいないのに自身の刀は刀工備前長船祐定の作の大湊祐定西門だと主張する彼の働く姿はこれまでついぞ見られなかったが、この死屍累々の巣くう薄暗い街路時がいよいよ彼の仕事初めを告げる出来事のようだった。
「唐土君。知っとるか?」
「ええ、エーデルワイスですよ」
「ほぅ。エーデルワイスと来たか、よう知っとうねぇ」
紳士はどこからか携帯電子端末を取り出し、その亡骸の群れを写真に収めていった。何しろ亡骸の数が多い。ここはもう陽も暮れて街灯がなくては黒に塗りつぶされているであろう薄暗い街路時であるのだが、一見しただけで五十を少し超えるくらいの数の亡骸がかなりの距離に渡って横たわっている。
「唐土君。今度から一眼レフを持ちあるくようにしちゃくれんかね?……スマホはどうにもなぁ」
「自分にはそんなもの買うだけの収入はありません。先生が自分で買ったらどうです」
「それが出来るようならおどれには頼んじゃおらんわい」
紳士は携帯電子端末を仕舞うと、右手で頬を撫で、左手に握りしめた大湊祐定西門をじっとりと見つめた。
「…にしても、あまり怯えんのな、あんまり綺麗な亡骸じゃないじゃろ?」
「これは、何なんですか?」
なんなんですか。という問いに対し、紳士は珍しく回答を思案しているようだった。普段からいろいろと勿体ぶった調子で話を進め、かつ、ヒントとアンサーを絶妙な具合で提供してくれるものだが、まだじっとりとした目つきで大湊祐定西門を見つめている。
「何、とはこれまた難解な問いかけよ。まぁ、消去法よな。おどれにはこれが遊園地やサーカスの会場には見えんじゃろ?…そう見える奴もおろうがね。儂はこれから時間かけてお前さんにいろんな説明をしていくつもりじゃが、まず、一つ大前提として知っておいてもらわんきゃならんこともある」
「…………」
「この世の中で物事を定義するんは結局のところ『好』じゃ。ヒトは自分の好きなように世界を括るし、そこに哲学やら化学やらは後回し。結局は善行も悪行も同じことじゃし、潔白も邪悪も大差はないことなんじゃ。故に、目下この死屍累々を生み出した者らにも彼らなりの好みがある」
「者ら…彼ら、ってことは集団や団体による犯行ということですか?」
「んん。今、『犯行』と言うたやろ?それは汝れが消去法という解釈に基づいて、この死屍累々を好で被害者と定義し、殺人事件というシチュエーションに絞り込んだ。それは危ないことだぜ?何せこの亡骸共が自分の口から『私たちは殺されました』と言ったわけじゃないからのぉ」
「死人に口なしですね、先生」
「そうよ。そうじゃよ。だってよぉ、推理力なんて結局は好と勘が事実に近いかどうかってところだけよ。いや、別に探偵気質マックスの推理オタクさんたちを下に見るわけじゃァありゃせんよ。でもまぁ、好と事実の間にはその個人によって『意味ある偶然の一致』が生じる場合もある。それをなんと言うか唐土君は知っとるかい?」
唐土君なのか、おどれなのか、お前さんなのか、汝れなのか、ひとまず置いておこうと唐土は思った。
「『シンクロニシティ』…精神解析においての用語でカール・グスタフ・ユングが提唱したんですよね。でもそれって探偵の推理力と共通する内容かと言われれば少し違う気もします。彼はシンクロニシティを、因果関係の伴わない精神内面と外界事象の符合という『事象一致』。観察者側が同時進行で認知できない知的範囲と時間を超えたところで生じる『遠隔的一致』。そして単純に未来の事象をなんらかの形で提示したりされたりする『未来予知』。これらが好という概念形態に接続していると?」
紳士は舌なめずりをする。理由は不明。
「それで納得するかどうかも好っちゅうことをアピールしたかっただけよ。まぁ、俺の説明にはぎょーさん好やらシンクロニシティやら出てくるからます話しておかんとなァ」
つまり、『これは何なんですか』という問いに対して、これを何を括るかは好の問題であって、わざわざ教えてやることでも限定してやることでもない、と言いたいのだろう。確かに、男がこの状況を殺人事件の殺人現場だと言えばそれが唐土にとっての概念の土台となるし、イコール事実という風に結びつくことが常だ。
「じゃあ、自分はこの空間を殺人現場と仮定し、犯人もまた存在する殺人事件だという風に認識することにしました」
「良し良し。アチキとおどれはなかなかものの考え方が似とるようで助かる。僕もまぁ、この状況が遊園地やサーカスの会場には思えんし、ここは殺害現場ってことで良いと思うぜ」
そこで紳士は大湊を鞘から抜く。白刃で街頭の光を跳ね返しつつ、鞘紐を腰に結い留める。
仄かに明滅している街灯に照らされた亡骸たちは沈黙を貫く。深呼吸するような間を以て口を開いた紳士の表情はどこか幼げで、秘密基地でも見繕ったばかりの少年のような輝きが孕まれているようでもあった。
「小生の名前は鯵ヶ沢鶏者。…魚の鯵、関ヶ原のヶ、択がサンズイになった沢。名は鶏の者で鶏者じゃ。職は占い師。占いはあまりやらんが昔は結構稼ぎがあったもんよ」
儂なのか、俺なのか、僕なのか、小生なのか、もうこの際気にもならない。襤褸雑巾のような着物を纏った太刀持ちの占い師が現代の往来を普段歩いているということにまず衝撃を受けるものだが、この異様な空間に、とりわけ非常識を搔き集めただけのような世界においてはどこか不思議と馴染んでいるようだった。
そんな鰺ヶ沢が顎をしゃくって何かを促そうとしたとき、唐土は自分の下の名を聞かれているということに気が付いた。
「自分は唐土己です。唐の土に己はそのまま一字。自分は学生です」
「んん。学生さんとはこれまた面妖なものよな。若いというだけで可能性という未知数を背負った厄介な有機物。人間の価値がゼロから数兆まで靡くこの世界においては、儂よりも面白い存在かもしれんなァ」
「占い師、と言いましたが、占いによってここに来たんですか?」
「ここ?」
「この殺人現場ですよ」
「先刻は便宜上で殺人現場って言ったが『現場』とは限らんだろう?……これが案外に重要なことでな。場所や空間が概念形態の象徴としか機能していない場合なんていくらでもあるのさ。特にこういった有象無象の死屍累々が転がっている状況はよ、宇宙人から見たら死体処理場か戦争の跡地なのか区別はつかないんじゃねぇのかい?」
「血の量も相当ですし、ここでザックリと切り刻まれたような死体も多いように見えますが……。ていうか宇宙人って」
「無論、おどれは人間でそれなりに頭の柔らかい学生さんだから、好でこのシチュエーションに検索と括りを設け、この場で死んだ死体が多そうだからここを殺人現場ってことにしたのは愚かでも間違いでもない。実際、ここが殺害現場だろうし、宇宙人は比喩として説得力は低い。だからこそ、お前さんには滑らかで柔軟な思考を頼みたい。いやいや、斜め上やぶっ飛んだ推察をするのは儂の存在意義だからのぉ、言葉を変えるとしたら、君にはつっこみと常識に基づいた指摘を期待したいところじゃ」
「ハぁ。いや、でも実際、殺した死体をこの一か所に集結させたっていう可能性も高いんじゃないかとも思いましたよ。宗教色というか、何らかの共通認識と芸術性。…拘りって言い換えられますかね、そんなものを感じます。それに、多分犯行を行った殺人鬼は複数いる」
「んん。複数か、そりゃ何故だい?」
「好ですよ。自分がそうだと思いたいからそう結論付けたんです。いやぁ、便利な言葉ですね、好って」
鯵ヶ沢は煙草から滅紫を浮かべて咳き込む。
ブーツの先で蹴とばした小石がはらわたが散乱している亡骸の一つに命中し、勢いがなくなった小石が止まった。
「先刻の問いかけの溝を応えるとするかね」
「溝、…?」
「ここは殺害現場じゃが、ただの殺人現場じゃァねェ。宗教色が強かったり儀式の様相を感じたのならそれは事実。ここはある儀式の一環として用意された特設空間。あぁ、だが…どうだろうな。これに名を付けるのならそれは大昔から一つしかないのだけれど、なにぶんゲームとしては参加者が少なすぎる。儀式と言っても、これは戮サイドの一方的な享楽という結論にも至るから、それを紐解こうとする者たちは本来ゲームの参加者にすらなり得ない……」
「儀式……」
「占い師とは言うが、今日五月一日に開かれる儀式と言えば、まぁ、知っているものなら知っとる」
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Walpurgisnacht ヴァルプルギスの夜
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冬を決別し、春の到来を告げる魔女の集会。とりわけサバトを司るとされる魔的存在の跋扈が開かれるとされる古代ケルトにまで遡る古い儀式の一つ。
「この名称としてある程度の祭式的側面と概念形態が構築されたのは……イングランドが七王国、ウェセックスのサクソンの王子聖リチャードの娘である聖ワルプルガにちなんで名が付けられた頃。ヴァルプルギスの夜にあたる五月一日は聖ワルプルガが没した779年二月二十五日より、彼女の聖遺物がアイヒシュテットに移された日とされている。まぁ、一説にはハドリアヌス二世が列聖された日ともされているがな。フィンランドの典礼暦なんかにはワルプルガの名前が載っていたりする」
滅紫が魔女の狂騒を描き出す。
「五月を祝うって風習は今のヨーロッパにもメイフィアなんかとして残っとる。まぁ、ヨーロッパの複数の風習や儀式が混ざったってこともあるんだがなァ……主神オーディンがルーン文字を得るために死んだ日を記念日として、キリスト教が跋扈する以前のノース人の『死者を囲い込むもの』という風習の色も濃い。儀式に見られるかがり火にも意味があって、光と太陽が戻るとされるメーデーの五月一日に通じている。さらに、ヴァイキングが春を祝う慣習を有していたことも相まって、複数の文化が交じり合ってヴァルプルギスナハトが浸透していった……」
大湊の切っ先でアスファルトに傷をつける。よくもまぁ歯がこぼれないものだった。
「まぁ、ヴァルプルギスの夜がゲーテさんの取り扱うようなほんわかしたようなものなら何の問題もないんだ。じゃが、事実としてはな、こうして亡骸が生れ落ちる結果になりよった。うん、単純な話、これを成して見せた連中には殺人という形式の他にもそれなりに意味と共通認識がありよる。その儀式というか、ゲームというか、それが『ヴァルプルギスの夜』ってことになる。だからのぉ、占い師というかそれ以前に、暦とかカレンダーとかだけでこの惨状の元に辿り着くことは容易い。そこでまた発生する問題ってのが儂の仕事になってくるわけよ」
「ヴァルプルギスの夜……」
「奴らにとっては勿論これは殺人に他ならないが、あくまで共通意識からなる『儀式』なんじゃ。じゃが、お前さんが所見でこの亡骸を見た感想としてある通り、一般市民ないし普通に生きている人間からすればこれは『事件』であり、紛れもない大量虐殺なのさ」
亡骸の群れを写真に収めた端末を取り出し、鰺ヶ沢はにったりと笑む。
「殺人事件の解決は探偵族の専売特許じゃねぇからのぉ。占い師にだってそれなりの道徳心と正義の心?みたいなものはそれなりにあってな。それを故に事の解決をするんじゃ。だが正義感を語らせてもらうに忍びないのは、そうさな、儂は単なる暇つぶしであり……五月一日に毎年開かれる行事の後片付けを報酬込みで楽しもうってところかの」
鰺ヶ沢は煙草に火をつける。先程吸っていたものはいつの間にか消えていた。
「これからはこの儀式の集会者たちを仮に『ウィッチ』と呼称するが、そのウィッチ共にとっては実際もう儀式は『終わっている』。儀式に扱われた人間たちはそっくり亡骸に化してるわけじゃからな。じゃが、儀式の開催は間違いなく今日なんじゃよな、それでもまぁ閑散としすぎというのはある。これじゃあ魑魅魍魎の跋扈と言っても引き際が良すぎるって思うじゃろ?」
「ヴァルプルギスの夜は五月一日と四月の末日に行われるというのが通例です。この亡骸が積み上げられたのは昨日ということはないでしょうか?……儀式自体は昨日に終わっていて、発見したのは今日五月一日ってことも考えられると思います」
「確かに、それもある。だが、こういう半端な事を談判の中に持ち込んで悪いんじゃが、儂にはこの空間そのものにウィッチたちの痕跡を感じ取ることが出来る。それをもとに考えればやはり儀式が開かれたのは今日ということになる」
「そうですか」
唐土はその言葉でどこか合点がいったような感じがした。占い師とは関係なく、今日に儀式が開かれるということを知っていたしても、イコールこの空間に辿り着けるという結論には至らないと先ほどは疑問を抱いたからだ。
「唐土君」
「はい?」
「おどれは男子か?女子か?」
「そんなに判別つき辛い見た目してますかね、自分」
「んん、声がな。顔も声も髪型も中性的ときた。制服ならわかりやすかろうが、あいにく、学生と耳にしたのも今日が初めてじゃし、以前に何度か顔と声を合わせた時も私服じゃったろうがよ」
「自分の性別はまた今度の論題ということにしましょう。それより、ヴァルプルギスの夜のこの儀式についていささかの興味が沸きました。捜査や調査、なさるんでしょう?……自分もお供させてくださいよ。こう見えて、頭はキレるほうです」
「んん。ずちなし者だねぇ、君も」
「……………」
鰺ヶ沢は風に靡く襤褸雑巾のような着物のうちからマフラーを取り出し、自分の首に巻き付ける。少し前から随分と風が強くなってきている。
「言い忘れていたが……この儀式には当然、事を起こすウィッチがいるわけだが、ゲームとして成り立つために解決者である『パペット』と呼ばれる我々のような役割の者たちが存在する。いや、そもパペットが先に世界中に存在していて、そういった解決者の側に今回のような事件が起きるためゲームが成り立ってしまうのだ。今回のヴァルプルギスの夜の一件に限らず、その他の有象無象の怪事件を解決するためにパペットが行動することを『パペットの試験』と呼ぶんじゃよ…」
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第一怪 【Walpurgisnacht】