遊戯
「やばいなぁ~今月これからどうしよう…」
パチンコ屋の休憩所で、美月は途方に暮れていた。
今日こそ、そう思って来たものの、全く当らず、持って来た3万円はあっという間になくなり
お財布の中は小銭だけになってしまった。
トボトボ帰る前に、ジュースでも飲もうと、販売機が並ぶ休憩所のソファに座っていた。
「何、負けちゃったの?」
美月の顔から察したのか、30代くらいの男性が声を掛けてきた。見知らぬ顔だった。
「あ・・・うん、ちょっとね」
ちょっとじゃなかった。今月の生活費、ここ数日で使い込んでしまったんだから・・・
フリーターで1人暮らしの美月にとっては、死活問題、これから次の給料日まで食費にだって困る。
「そっかー。まあ、負ける日もあるよね」
男はそう言いながら、缶コーヒーを飲んだ。
負ける日、じゃなくて、美月にしたら「負け続け」なんだけど。
美月の顔をじっと見ながら、男は何か考えているようだった。
(何だろう・・・援助交際でも誘われちゃう?)
一文無しになってしまった今、半ば自棄になったような気持ちで、美月は男の視線に晒されていた。
「じゃあさ~いくら負けたの?・・・3万?そっかー」
男はふと考える、そしてニコッと笑ってこんな話を持ちかけてきた。
「負けた分3万払うよ、プラス2万。それでもうひと勝負してみたら?」
そんな上手い話には、裏があるに決まってる・・・どうせその後にこう続くんでしょ
その代わりに、俺と・・・
美月が返答に躊躇っていると、男は更にこう言った。
「その代わりに、その後、俺のカットモデルになってくれない?」
カットモデル?よく美容院とかで募集しているアレ?
「カットモデルって・・・」
「ああ、俺さ~この近くに店持っててさ、今日は休みなんだけど、カットモデル探してるんだよね」
店持っているって、オーナー?そう言えば今日は火曜日、美容院関係はお休みなんだ。
「でも、カットモデルで、そんな大金、貰えるなんて・・・」
いざとなったら、脱げとか、やらせろとか言われたらいやだし
美月は、そんな事を考えながら、探るように男を見ていた。
でも、もしカットモデルだけなら・・・気持ち半分くらい傾いていた。
「普通はね、新人が練習のために頼むモデルなら、無料だけどさ」
とりあえず、条件として、スタイルはこちらが決めさせて貰う、後々の為に、写真、ビデオ撮影させて貰う
「それだけだよ、それで5万」
えっ・・・本当に?脱げとか、やらせろとか・・・言わないの?(しつこいっ)
「で、でも・・・」
さすがに口には出せないまま、返答に困っている美月を見て、男は笑った。
「ははは・・・もしかして、ヌード撮影とかされちゃうんじゃないかって疑ってる?」
図星だった。
「ないない、こっちの提案するスタイルに髪を切らせて貰うだけだよ。あと撮影、それだけ」
かなり心が傾いていた、今の美月にとっては、すごーく魅力的な話だった。
「じゃあ、OKね?・・・はい、じゃあこれは約束通り、3万と2万で5万円ね」
男は、財布からお金を出すと、美月に渡してきた。少しだけ躊躇ったものの、
目の前の福沢さん5人の魅力には勝てない、そのお金を受け取ってしまった。
男は野村、と名乗った。
「はい、これで商談成立ね、じゃあ、店に行く前に、もうひと勝負する?」
そうだ、さっきまでマイナス3万だったのに、今はプラス2万!プラスからのスタートだ。
(しかも・・・今月は美容院代も浮くし、もしかしてすごいラッキー?)
美月はそんな事を考えていた。
カットモデルの話はラッキーだったけど、パチンコのツキはとことん無い日だったようで
もうひと勝負、でも、美月はパッとせず、結局プラス分だった2万と更に1万使っても
大した当りが来ないまま、うんざりした気持ちで止めることになった。
野村は、隣の台で、そこそこ出していたけれど、美月の様子を察して、引き上げる事になった。
「まあ、パチンコのツキはなかったみたいだけど、髪切って、気持ち切り替えてよ」
店を出ると、野村は先に立って歩きながら、そんな事を言った。
店って、どこだろう、この辺には、何軒か美容院もあるけど・・・どこの店かなあ?
美月は野村の後ろに付いて歩きながら、少々ウキウキしていた。
お金は、大して減ってないし、これから美容院のオーナー直々にカットして貰える、
撮影は恥ずかしいけど、そんな経験も初めてだし、ちょっと楽しみ?
お財布がカラになって、途方に暮れていたさっきまでに比べたら、何てラッキーだったんだろう
そんな事を考えながら歩いていると、野村がある店の前で足を止めた。
ポケットから鍵を出し、店のドアの鍵を開ける・・・店の・・・
「あの、ここって・・・?」
「え?さっき言ったでしょ?店持ってるって、一応ここのオーナーなんだけど・・・」
野村が【本日休業】の札が掛かったドアを開けて、美月を中に招き入れるように背中を押した。
そして、今度は中から、ドアに鍵を掛けた。
「店って・・・美容院かと思ったんだけど・・・」
美月が恐る恐る口を開く
「あ、言わなかったっけ?理容店、床屋だよ、まあ、見ればわかるだろうけど・・・」
確かに、店の外には、電源が抜かれて、回っていない赤青白のサインポールがあったし
今いる店内は、どう見ても美容院ではなく、床屋だった。
「オーナーって言っても、親から譲り受けた店なんだけどさ」
野村はそう言いながら、あちこち動き回って、ビデオカメラを三脚にセットしたり準備を始めている。
美容院のカットモデルと、床屋のカットモデルじゃ、大違いだよ・・・
美月は、そんな事を考えながら、立ち尽くしていた。
でも、お金貰っちゃったし、今更止めるなんて言えない・・・そんな美月の心を見透かすように
「じゃあ、約束通り、カットモデルになって貰うよ。スタイルはこちらが決めさせて貰うから」
野村はきっぱりとそう言った。
・・・もう、そうするしかない、美月はまた、さっきと同じように途方に暮れた気持ちになった。
心なしか、野村の笑顔が、爽やかから、ちょっとニヤ付いたような笑顔に変わった気がする。
「さあ、始めよう。ここに座って」
あ、その前に、と美月はデジカメで前から、横から、後ろから、数枚写真を撮られた。
二つある理容イスのひとつ、美月は恐る恐るそのイスに座るしかなかった。
野村は、ビデオカメラを覗いて、調整をしている、美月がきちんと映るように、だろう。
座り心地は良かったけど、慣れていないし、これからどうなるのかわからなくて不安だった。
けど、首にタオルを巻かれ、お洒落とは程遠い、ただの白いカットクロスを巻かれて
支度はどんどん進んでいく。
手を出す所もないカットクロスは、首周りがきつく、美月は照る照る坊主のように見えた。
「さて、じゃあやらせて貰うよ」
野村が、美月の肩下の髪に手を伸ばし、霧吹きで濡らし始めた。
ビデオカメラが、赤いランプを点して、動いているのが見えた。
全体をしっとりと濡らし、くしでキレイに梳かす。
ど、どんな風にされちゃうんだろう・・・全く想像も付かないだけに、怖かった。
と思った次の瞬間、野村はハサミを構えた。
「ジョキ、ジョキ・・・」
「えっ・・・」
耳にかぶさっていたサイドの髪が、ちょうど耳半分くらい見えるくらいの長さで切られ始めた。
「動かないで」
野村の鋭い声が響く。そのままどんどん後ろに切り進められていく。
湿気を含んで、重くなった髪が、切られて、呆気なく落ちていく、床に落ちる音。
いきなり外気にさらされた耳が、驚きと恥ずかしさで赤くなっていった。
「そ、そんなにいきなり・・・」
ブロッキングもなく、いきなりジョキジョキと切られた事などなかった美月は
その短さより、スタイルより、まずその切り方に驚いていた。
野村は、美月の驚きの声には構わず、後ろの髪までそのラインでハサミを入れていった。
そして今度は反対側から、同じラインでサイドの髪を切り落としていく。
「バッサリやっちゃってるよ、気持ち良いでしょ」
気持ち良いのは、野村だけじゃないのだろうか、ニヤついたような笑顔を浮かべている。
あっという間に、変なおかっぱみたいなスタイルにされてしまった。
後ろは、横と同じラインで切られたみたいだけど、下の方の髪は長く残っている。
(どうしよう、こんなスタイル・・・)
不安になっている美月の後ろに立った野村は、今度は残っていた後ろの髪にハサミを入れる。
クシですくい上げるようにして、そこから出た髪を切る。カットが早い。
残っていた長い髪は切り落とされ、更にハサミが上に上に進んでいっている。
(か、刈り上げにされている・・・)
横と繋げて切ったラインまで、クシとハサミで刈り上げにされているようだった。
「刈り上げなんて、初めて?すごいよ、後でじっくり見せてやるから」
野村が、上ずったような声で言う。その息がうなじに触れたような気がした。
見たくない・・・刈り上げなんて・・・子供か、おっさんしかしないと思っていたし
自分の髪が、そんな風にされているなんて・・・
ハサミは動き続け、もう一度横のラインを整え、左右のバランスを見て更に短くされた。
手付かずで残っていた前髪に、クシが通され、額の真ん中くらいからハサミが入れられた。
「あっ・・・」
ジョキ、と髪を切る音、パサっ、と髪が落ちる音、
残ったのは、眉毛のかなり上でぱっつんと切られた前髪と、情けない顔をした自分だった。
「うん、良いね、刈り上げおかっぱ。可愛いじゃん」
野村が、その顔を覗き込むように言った。こいつ・・・変態?
そんな変わった髪型にさせて、嬉しがるような男がいるなんて、夢にも思わなかった美月は
ただただ驚いていた。同時に、とんでもない事になってしまったと思っていた。
(どうしよう、こんな変な髪型、恥ずかしい・・・)
最後の仕上げ、と言う感じで、丁寧に毛先を揃えて、後ろももう一度刈って
野村は、ようやくハサミを置いた。
カットクロスとタオルが外されて、洋服姿でイスに座っている美月が、鏡に映る。
情けないような顔に、耳の真ん中くらいで切り揃えられたおかっぱ。前髪も短い。
後ろは、見えないけど、真ん中くらいまで刈り上げにされている。
「さ、立って、写真撮らせて貰うから・・・」
さっき撮った時は、髪が長かったのに・・・今はその半分以上が切り落とされ、
見ると床のあちこちに、無残に落ちていた。20センチはある髪・・・
言われるままに、写真を撮られた。うつむかされて、うなじを撮っている。
怖くて触れなかったけど、野村に触るように言われ、そっと手をやる。
じょりじょりとした手触りに、一瞬びくっとする。こんなにされちゃったなんて・・・
「良いね~ほら、木村カエラみたいだよ」
野村がカメラを置きながらそう言った。
木村カエラちゃんの刈り上げとは、似ても似つかない気がする・・・
美月は泣きたいような気持ちだった。
けど、もうどうしようもない、悪いのは上手い話に乗ってしまった自分なんだから・・・
帰ろう、一刻も早く、ここから帰りたい・・・美月がカバンに手を伸ばそうとした時だった。
「じゃあ、続きやろうか、座って」
野村がそう言った。
え・・・終わりじゃないの?続きって・・・これ以上どうするって言うの?
「終わりなんて言ってないよ。まだまだやるから」
野村はもう一度、さっき座っていたイスに座るように促した。
もう、イヤだ・・・こんなに切られたのに・・・
「スタイルは、こちらで決めさせて貰うって約束だったよな」
そう言われて、もう良いでしょう、とは言えず、座るしかなかった。
もう一度、同じようにタオルとカットクロスが巻かれる。
「さて、じゃあ始めようか」
野村は後ろの棚から、バリカンを持って来た。美月は心臓がバクバクしていた。
「いや・・・いや・・・」
すがるように、野村の顔を見たが、全く相手にされなかった。
「うちは、床屋だからね~やっぱりこれを使わないと・・・」
本命登場、と言わんばかりに野村は嬉しそうに言った。
バリカンのコンセントを入れて、わざと美月の目の前に突き出し、スイッチを入れる。
ビィーーーンと電気カミソリのような音が響き渡った。
「これも初めて?だよね。じゃあ、衝撃の初体験だ・・・」
囁くように言ったあと、次の瞬間、覚悟して・・・と続ける。
覚悟って・・・美月が身体を固くしたその時、野村の大きな手が美月の後頭部をがっちり押さえた。
「えっ・・・うそ・・・」
仰け反ろうとしたけれど、野村の手が逆に、頭を前に押し返すに力を増す。
同時に、額の真ん中からバリカンが入れられた。
「いやーーーっ」
絞り出すような声だった。けれど、バリカンは額から短い前髪を刈り、
そのまま後ろに向かって一気に入れられてしまった。
呆気ないほど簡単に、髪を根本から刈り落とし、つむじの辺りで止まる。
刈られた髪は、押されるように動いていって、持ちこたえられなくなると下に落ちていった。
叫んだ後、続く声が出ないまま、美月は口を開けたまま呆然としていた。
鏡には、額の真ん中だけ、ざっくり刈られた部分がしっかり映っている。
「ほーら、刈っちゃった。もう諦めて貰うしかないなあ~坊主になるしかないよ」
野村は、バリカンを手に、嬉しそうに美月にそう言った。
自分が刈ったくせに、まるで他人事のように・・・
「坊主なんて・・・いや、聞いてない・・・」
「イヤって言われても、もうバリカン入れちゃったし、全部刈るしかないでしょう」
そして美月の了解は必要ないとばかりに、さっき刈ったその横にバリカンをあてる。
ジジジ・・・・
髪を刈る音がして、同時に髪が落ちて行く。
「伸ばすのは時間掛かるけど、これで刈ると一瞬だよな~」
手は動き続け、もう頭頂部の髪は、すっかり刈られて、そのまま横の髪を刈り始めていた。
もみ上げも、耳の上も、バリカンが通った後は、数ミリの髪しか残っていない。
後は後ろを残すだけ・・・前から見た美月は、もう丸坊主にしか見えない。
ハサミで刈り上げにされたうなじを、今度はバリカンが更に短く刈り上げにしていく。
残っていたおかっぱ部分に潜り込み、もうすっかり刈られた頭頂部と繋がる。
刈った部分を楽しむように、あいている左手で、野村は美月の頭をぐりぐりと触っていた。
手の平の温度を、地肌に感じる・・・美月は初めての感触に、身体を固くしていた。
(どうしよう、どうしよう・・・でも、もう、どうにもならない・・・)
もう諦めるしかなかった。夢であってほしいと願っても
目の前の鏡に映っている、自分の坊主頭は、現実だった。
「さて、じゃあ次はバリカンを替えて、もっとくりくりに刈ってあげるよ」
まるで美月の希望を叶えているみたいな言い方だったけど、反論する気力も残ってなかった。
小さめのバリカンに持ちかえられ、さっき数ミリだった髪を、更に短く刈る。
バリカンが通った後は、青白く見える。
「最後は、キレイに剃ってあげるよ」
野村は、バリカンで刈り残しがないように、丁寧に頭全体にバリカンを這わせている。
「ほら、パチンコメーカーのCMであったでしょ、女性が坊主になって、パチンコ玉に見立てるヤツ」
あれみたいになるよ、パチンコ好きだから、ちょうど良いだろう
美月は野村の言葉を遠くで聞いていた。
残ったお金で、カツラ買えるかな・・・
もう上手い話に乗るのは止めよう、いや、それより何よりパチンコは止めよう・・・
そんな事を考えながら、されるがままになっていた。