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舘家の三兄弟  作者: トウリン
博愛無私のお姫様

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エピローグ

「で、その流れから、どうしてお前が会社を立ち上げるって話が出てくるんだ?」

 電話回線の向こう側にいるのは友人岩崎一美(いわさき かずよし)で、声から察するに、いぶかしげに眉をひそめているに違いない。

 彼の疑問に、優人(ゆうと)は駅舎の壁に埋め込まれた時計に目を遣りながら答える。

「必要だからだ」

 時刻は十七時十五分。彼がここに着いてから、まだ十分しか経っていない。


 今日は唯香(ゆいか)と映画を観るため、この駅前で待ち合わせていた。

 この腕の中で彼女が涙を流したあの後から、こうやって、ボランティアとは関係のない時間を過ごすことが増えている。彼女から誘ってくれることはないが、少なくとも、優人の方から頼めば、応じてくれるのだ。


 唯香が来るまで、まだあと十五分ほどはある。それまでは、岩崎のらちもない話に付き合ってやってもいいだろう。

「将来的には、唯香さんはNGOの海外派遣とかも視野に入れているらしいから」

「……いや、だから、それとお前が会社作るってのが繋がらないんだが」

「彼女がそんな生活になるなら、金はあった方がいいだろう。日本と往復するにも、行った先で生活するにも、何にどれだけかかるか、正直判らないからな」

 辺鄙な土地に行かれたら交通手段が限られてしまうだろうし、行く場所によっては唯香の身辺警護も考えなければならなくなるかもしれない。彼女のことだから、紛争地域に行くとか言い出しかねない。色々情報を拾っていると、不安が募るばかりだ。

 優人としては安全な日本国内にとどまっていて欲しいところだが、現時点で、彼女の意思はかなり固まってしまっているらしいのだ。となると、現状彼にできることと言えば、どんな事態にも対応できるような力を持っておくことだ。今の世の中、その『力』は『金』だろう。


 短い沈黙の後、岩崎の疑わしげな声が。

「お前がヤル気出してるのは良いとして――それ、藤崎さんが日本から出て行ってからも別れないってことか? ていうか、何年付き合うつもりなんだよ。お前まだハタチだろ? これから、他に好きになる相手ができるかもしれないじゃないか」

「二十年生きてきて、こんなふうに感じたのは彼女だけだ。今後、また同じように想える相手が現れるとは思えない」

 優人は至極当然の理屈だと思ったが、岩崎にはそうではないらしい。しばしの沈黙ののち、ため息が耳に届いた。


「やっと現世の楽しみに目覚めたのかと思えば……他にいくらでも女はいるぞ? お前のツラと金があれば、より取り見取りだってのに。何なら、セッティングしてやるけど?」

 声だけでも、彼が心の底から惜しんでいるということがひしひしと伝わってくる。だが、いくらこの世に女性が溢れていても、優人にとって意味があるのはただ一人、唯香だけだ。

「興味ない」

 優人は一言で切り捨てた。

 振り返ってみれば、唯香と出逢うまで、彼にとって世界はモノクロのようなものだった。いや、今でもそれは変わらない。その味気のない世界の中で、奇妙なことに、彼女だけが色づいて見えるのだ。

 その唯一の色彩を、そう簡単には手放せない。


「そのうち、彼女と結婚するとか言い出しそうだよな」

 電話の向こうから聞こえてきた揶揄を含んだ岩崎のその声に、優人は眉をひそめる。

「おかしいか?」

 いずれは、そうするつもりだ。それがこれから先も唯香といるための一番確実な手だろうから。

 だが、しばしの沈黙ののち返ってきたのは、呆然というか、愕然というか、とにかく信じがたいと言わんばかりの唸り声だった。


「おかしいかって、そりゃ、お前」

 その先が、続かない。


 何をそんなに驚くことがあるのかと眉をひそめながら、優人は付け足す。

「彼女はまだ当分しがらみから抜け出せそうにないが、彼女の子どもは欲しいから、そうだな、三十になるまでには何とかしたいところだ」

「……もう何も言わねぇよ」

 岩崎がぼそりとそう言ったところで、改札の奥から優人の待ち人が現れる。


「彼女が来た。じゃぁな」

 返事を待たずに通話を終えて、優人は電話をポケットにしまった。そのタイミングで、キョロキョロと周りに目を走らせていた唯香が彼に気付く。


「お待たせしちゃいましたか?」

 改札を出て小走りで彼のもとまでやってきた唯香の息は、軽く弾んでいた。わずかな距離を駆けてきてくれたことが、妙に嬉しい。

「いえ、僕も十五分ほど前に着いたところです。友人と話をしていたので、待った気にもなりませんでした」

 優人の返事に、パッと唯香の顔がほころぶ。


 今の彼女が浮かべる笑顔は、『本物』だ。裏にあるものを疑う余地もない、本当の笑顔。

 優人は、束の間、それに見惚れる。

 唯香はこんなふうに楽しむだけの時間を彼と共に過ごすようになり、翳りのない笑みだけを見せるようになった。彼は、それが嬉しい。唯香が楽しく思ってくれることもさることながら、何よりも、彼女が楽しむことを受け入れるようになってくれたことが、だ。

 これは、大きな変化と言ってもいいのではないかと思う。


 そんな変化の他に、もう一つ、恐らく以前にはなかったであろうことがある。

 それは、涙、だ。

 唯香は時折、コロリと涙をこぼす。多分、優人といる時にだけ。

 最初に見た時には、正直、狼狽した。自分はいったい何をしでかしたのだろう、と。だが、唯香自身も涙の理由がわからないと言い、それからもふとした拍子に流涙は繰り返され――今はだいぶ減った。

 多分、ある種の自浄作用のようなものだったのだろう。あるいは、長い間身の内に閉じ込めていたものが、こぼれ出していたのかもしれない。

 涙が頬を伝うたび、彼女の表情は柔らかさを増していったから。

 初めこそ慌てたものの、今の優人は、その唯香の泣く姿が嫌いではなかった。そうなるのが自分の前でだけだということを知ってからは、特に。

 そんな独占欲というものも生まれて二十年にして初めて知ったもので、彼にはその心の動きが不思議で興味深い。多分、唯香といるとこれからもっと様々なことを――知識として得ることができない、様々なことを、知ることができるのだろう。


「優人さん?」

「ああ、すみません」

 優人はいぶかしげに覗き込んできた唯香にかぶりを振って、彼女を促す。

「まだ一時間ほどありますから、映画の前に少し何か食べましょうか。授業が終わって、そのまま来たのでしょう?」

「あ、うん……」

 頷いた唯香の背に手を添え、優人は最寄りのカフェに視線を巡らせた。ガラス越しに見える店内は、幸い、それほど混んでいなそうだ。


 店に入り、席に着き、優人の前にはコーヒーが、唯香の前には紅茶と軽食が置かれる。

 それらを口に運びながら、優人は柔らかな彼女の声に耳を傾けた。

「それでね、もうじき桜が咲くでしょう? そうしたら、外出できる子たちを連れて病院の隣の公園までお花見に行くんです」

「かなり人手が要りませんか?」

「うん。だから、この時だけは、部員全員に声をかけるんです。半分くらいは来てくれるから。新入生も入ると思うし」


 来年度、唯香は四年生になる。となると、彼女の忙しさも今よりもかなり増すはずだが。

(きっと、また、自分の時間は切り詰めるのだろうな)

 やれやれと思いながら、優人は彼女を見た。

「僕も手伝います。日程が決まったら教えてください」

 優人の言葉に、唯香が気遣わしげに眉根を寄せた。

「でも、優人さん、忙しいんですよね? ほら、お仕事の……」

「起業のことですか? 別に、大丈夫ですよ」

 そもそも、会社を興すこと自体が唯香の為なのだ。そのために彼女と逢う時間を減らすつもりは更々ない。

 だが、彼の答えを聞いても、唯香の表情はまだ晴れない。いや、暗いという訳ではないのだが、明らかに胸の内に思うところがある顔だ。


「唯香さん?」

 目顔で尋ねると、彼女はわずかなためらいを見せた後、口を開いた。

「えっと、優人さんって、ボランティア、もう興味を持てないって、はっきりしたんですよね?」

「そうですね」

「じゃあ、無理して手伝わなくてもいいんですよ? 優人さんは優人さんのことを優先してください」

「無理はしていません。ボランティアそのものには興味がなくとも、あなたの役には立ちたいので」

 当然のようにそう答えると、唯香の眉間のしわが深くなった。彼女は何やら考え込んでいるようだ。

(だが、何を?)

 優人は自分の台詞を振り返り、何がそんなに唯香を悩ませているのかと考えてみたが、思い当たることはない。


「僕は何かおかしいことを言いましたか?」

 彼女に負けず劣らず眉根を寄せて説明を待つ優人の前で、唯香は砂糖を入れたわけでもない紅茶を、スプーンでクルクルと掻き回している。

 しばらくそうしていた後、彼女は目を上げて優人を見た。


「わたしは、当分この生き方を変えられそうにないです。底にあるのは自己満足かもしれないけれど、やっぱり、そうやって作られてきたのが今のわたしだから」


 何を今さら、と優人は肩をすくめる。

「あなたの好きなようにやればいい」

(僕は、あなたが最終的にこの手の中に落ちてきてくれれば、それでいいから)

 別に、焦りはない。

 のんびりと構える優人の前で、彼とは裏腹に、唯香はやけに生真面目な顔をしていた。


「唯香さん?」

 呼びかけても、彼女はジッと紅茶を睨み付けている。何だろうと内心で眉をひそめた優人に、その眼が向けられた。


「あのね、まだ判らないけれど、今は、そうなるとは思えないのだけど、いつか、もういいか、と思える日が来るかもしれないなって」

 唯香がキュッと唇を噛んだ。

「最近は、そう思うことが……思えることが、あるの」

「そうですか」

 優人は彼女を見つめ、ただそれだけ答えた。

 彼としても、そうなることを望んでいる。唯香が自分を赦せる日が来ることを、多分、彼女自身よりも強く望んでいる。だが、彼女に変わることを強要する気はない。唯香自身が納得しながら、受け入れながら、変わっていってくれたら、それで良かった。


 頷いただけの優人に淡く微笑み、唯香は軽く首を傾げた。続いた彼女の言葉に、優人は目をしばたたかせる。自分の耳を疑って。


 だが、唯香は柔らかな笑みを刻んだ唇で、確かに言ったのだ。


「その時、優人さんが隣にいてくれると嬉しいな」


 と。


 花開くような、一点の曇りもない、まばゆい笑顔と共に。


 それを守る為ならば、彼女のその言葉を実現するためならば、どんなことでもできるだろう、そう、優人に確信させる笑顔だった。

 その言葉は曖昧で、字面の上では単なる唯香の『希望』だ。だが、彼女は確かに思いを声にして彼に伝えてきたのだ。その行為が、思いの強さを物語っているはずだ。


 唯香も、そう思っているのならば。


(僕は、それを実現させますから)

 たとえどれほど時間と労苦がかかろうとも。


 優人は唯香と目を合わせ、笑みを返す。滅多に見せない彼のその笑顔に、一瞬彼女は目をしばたたかせ、次いで、また、柔らかく顔をほころばせた。


ひとまず本編終了です。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


女の子たち視点のSSを書いてみたいな、とは思っているのですが。

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