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舘家の三兄弟  作者: トウリン
博愛無私のお姫様

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こぼれた想い

 十二月に入ったばかりの金曜日。

 突然、岩崎からメールが届いた。

 十一月末に誕生日を迎え、晴れて二十歳となった優人(ゆうと)のことを祝ってやるとの内容だ。

 待ち合わせたのは裏通りにあるバーで、いかにも、知る人ぞ知る、という口の店だった。検索してもネットには上がらないようなひっそりとした佇まいで、優人よりもたかだか数ヶ月早く成人しただけの岩崎が本来知っていようもないところだが。


(どうせ、成人前から出入りしていたのだろうな)

 高校時代、彼が煙草をふかしている姿を優人は目にしたことがある。そちらの方は医学部入学と共にやめたらしいが、きっと酒も同じころからやっていたに違いなかった。

 岩崎という男はかなりやりたい放題の(やから)で、女遊びも相当激しい。その上、別れ際はたいてい揉める。相手が勝手に離れて行く優人とは正反対で、冷めた岩崎に縋りつく女性の姿を、もう何度も目にしていた。

 対して優人はと言えば、女性云々だけでなく、酒や煙草といった嗜好品にもまったく興味がない。今日も誘いを断っても良かったが、先に唯香(ゆいか)のことで世話になったことがある手前、渋々ながら、ここまで足を運んできたのだ。


 優人は、一軒家の玄関にしか見えないドアを押し開ける。足を踏み入れてみると中はとても狭く、カウンター席しかない。それも四、五脚程度の椅子があるだけだった。そのうちの二脚が埋まっている。


「よう」

 客二人のうちの一人――岩崎が、優人に向けて片手を上げた。近寄った彼に隣の椅子を目で示し、座るように促す。

 優人が椅子の背に尻をつける前に、岩崎が訊いてくる。

「お前、酒飲んだことないだろ?」

「ない。今日も要らない」

「そう言うなって。何事も経験だろ? アルコールの体内での作用がうんたらかんたらとか言い出すなよ? どんな感じになるのかってのは、文字で読んだんじゃ解らないからな」

 したり顔の岩崎に、優人は肩をすくめた。

「解らなくても構わない」

 別に、一生口にしなければいいだけだ。


 だが、そう答えた優人に、岩崎は舌を鳴らしてかぶりを振った。

「お前が飲まなくても、周りの人間は飲むだろう? 特にボランティア部は結構飲みが多いしな」

 優人は唇を結んだ。

 確かに、今度のクリスマス会の後も居酒屋での打ち上げがあって、それに参加するかどうかを、今日、唯香に問われたばかりだ。


 優人の表情の変化を読み取って、岩崎が肩をすくめる。

「酔うというのがどういうものなのかを知っておくのも必要だって」


 確かに。

 唯香がベロベロに酔っぱらうほど酒を飲むとは思えないが、岩崎が言うようにアルコールの影響下にある状態を身を持って経験しておいた方が、彼女の状況を把握しやすくなるだろう。


「わかった、飲もう」

「よし、美味いの選んでやる」

 そう言うと、岩崎はバーテンダーに一言二言告げる。

 それからほどなくして優人の前に置かれたのは、黄白色の飲み物だった。グラスの縁には、何か白い結晶が付いている。グルリと付着しているから、多分、害のあるものではないのだろう。

「飲んでみろよ」

 促されて、優人はグラスを口に運んだ。白い結晶は塩で、中身はグレープフルーツジュースだ。少し妙な後味はあるが、ただの、グレープフルーツジュース。


 どうやら、岩崎にからかわれたらしい。


 飲み下し、文句を言おうと隣に目を向けようとした、その時。

 食道から胃の辺りがやけに温かくなってくる。


(これが、アルコールの効果か)

 なるほどと思いつつ、優人は残りを一気にあおった。


「あ、ちょっと待てよ、お前。それ、ウォッカ……まあ、いいか。どうだ?」

「普通に、うまいな」

「やっぱ、柑橘系が好みか。じゃ、次は――」

 岩崎がマスターに横文字の名前を言っている。覚えておいて、帰ってからどんな組成なのかを調べようと優人は思ったが、不意に浮遊感に襲われ目をしばたたかせる。


 何だろう、この、頭と身体が切り離されたような感覚は。脳の中に何かが詰まっているようだ。


「で、調子はどうだよ、ボランティア青年」

 眉をしかめて優人がカウンターの天板を睨みつけていると、突然、岩崎がそう訊いてきた。チェシャ猫さながらの笑みを浮かべて、面白がっていることを微塵も隠す気がない彼を、優人は横目で睨む。


「著変ない」

 言葉少なにそう答えると、岩崎はわざとらしく眉を上げた。

「おいおい、著変あり過ぎだろ? 何でも、毎日参加してるらしいじゃないか。そもそも、お前、俺の誘いにだって何度応じてくれたことがあったよ、このヒキコモリが」

「別に引きこもっているわけじゃない」

「それは、一ヶ月間陽の光を浴びたことがなかったことがある奴が吐ける台詞じゃないよな」

 岩崎がそんなことを言っている間に、また、優人の前にグラスが置かれた。


 今度は、赤い。

 試しに一口含んでみると、何か、酸味のある果物のジュースのようだった。

 グラスの中身はさして多くないから、三口ほどでほとんどなくなってしまう。


「ボランティア始めてもうひと月以上だろ? 楽しいか?」

「楽しい」

 スルリと、優人の口から一言こぼれ出た。驚くほどに滑らかに。

 束の間岩崎は目を丸くし、愉快そうな顔になる。

「何が楽しいわけ?」

 その質問を受け取ると同時に答えが優人の頭の中に浮かび、また、それがそのまま声になった。


「藤崎さんといること。彼女は面白くて心地良い」

「へぇ」

「可能であれば一日中傍にいて欲しい」

 耳を通って脳に戻ってきたその言葉が、優人には、まるで他人のもののように思われた。

 自分の声だという認識はあるものの、なんというか、乖離している。


 オカシイ、と優人は思った。


 いつだって、彼は、色々と考えたうえで結論に至ったことを偽ることなく口に出してきていた。しかし、その常の言動と今のこれは、違う。

 今は、何というか、考えていることではなく、思っていること――身体の中に満ちていることが口を通って勝手に流れ出ている感じだ。普段の優人ならば、こんな自分を許容できないだろう。だが、これが酒の効果というものなのか、おかしいと思いつつも、想いがこぼれ出すことに欠片も抵抗感を抱かない。

 隣の岩崎は何かを堪えるような顔をしているが、優人はその表情の意味を考えることができなかった。

 手にしたグラスを口元に運ぼうとして、中身がないことに気付く。と、すかさず三杯目が出てきた。今度はサイダーか何かのように無色透明で気泡が立っている。想像していた甘みはなく、代わりレモンかライムの香りがした。さっぱりしていて、うまい。


「彼女は、面白い。僕のことを奇妙だとは思わないらしい。僕の言動をあんなふうに全面的に肯定する人は、初めてだ」

「俺も別にお前のことを変だとは思ってないぜ?」

「そうだな。君も変だ」

 至極真面目に頷くと、岩崎はこらえきれなかったと言わんばかりに噴き出した。優人が眉をひそめて彼を見遣ると、ヒラリと手を振ってよこす。

「いや、気にするな。で、お前は彼女のことどう思ってるんだ?」

「どう?」

「好きとか、可愛いとか」


 その台詞は、デジャヴを引き起こす。

 いつぞやそれを問われたとき、優人は答えを見いだせなかった。今も、良く判らない。


 しかし。


「彼女といると、みぞおちの辺りが温かくなる感じがする。それに、時々、痛い。彼女が笑っているのを見るのは心地良いが、たまに何故か苛立つときもある。逢う時間が近づくと気分が落ち着かなくなるし、別れた後は次に逢う時のことを考えている」

 つらつらと挙げてから、優人は眉間にしわを寄せた。

「こんなふうに感じるのは、どういうことなのだろう」

 岩崎は、片手で口元を覆っている。が、そこからはみ出た頬が引きつっているのが見て取れた。


「どういうことって、お前、それ……」

 彼は何かを取り繕うようにグラスの中身を一口含む。そうしてから、真面目な顔を優人に向けた。

「お前のそれはな、つまり――」


 優人は、彼のその台詞の続きを受け取ることができなかった。何故なら、唐突に猛烈な睡魔に襲われたからだ。


「眠い」

「え?」

「眠い」


 岩崎が何か声をかけてくるのが聞こえたが、それに応じられない。シャッターが下りるように、意識がブラックアウトする。


 ――次に優人が目を開けた時、彼は橘家の自宅のベッドの上で、(ほたる)の介抱を受けていたのだった。


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