想定外の言葉
クリスマス会の買い物は、オーナメントの買い足しや、衣装の小道具、そんなものだった。ボランティア部に毎年使っているものがあるにはあるが、点検してみるといくつか壊れているものもあり、その補充のための買い出しだ。
向かったのは病院近くの百均で、その店ではクリスマスフェアを開いている。そこで、大方のアイテムが手に入るだろう。イメージ通りのものが見つからなかった物は、適当に素材を仕入れて部室で作る予定だ。
まだ十一月だというのに鬱陶しいほどクリスマスソングをリピートしている店内で、唯香は喜色満面で優人を見上げてきた。
「こういう、ごちゃごちゃしたものって、見ていて楽しくないですか?」
クリスマスフェアコーナーから手芸素材コーナーに移り、そこで彼女が手に取ったものをしげしげと見つめ、優人は眉をひそめる。
「……安物だから、すぐに壊れるだろうなとしか思えない」
実際、手を入れている間に壊れてしまいそうだ。
思ったままのことを告げた優人に、彼女はアハハと笑う。
「確かに。ちょっと予備を買っておいた方がいいかも……って思っちゃうから、一個一個は安くても、結局、結構かかるんですよね」
無駄だと判ってるんですけどねぇと言いつつ、唯香はいかにも浮き立った様子で次から次へと小物を手に取っている。どうやら、本気で楽しんでいるらしい。
作りは荒いし、素材も粗末だ。安物買いの銭失い、全くコストパフォーマンスがいいとは思えないという考えは、変わらない。だが、優人は、彼女がこんな表情でいられるのなら、まあ、それなりに価値があるのかもしれないとも思った。
手芸コーナーを一通り見終わって、唯香は優人が持つ買い物かごの中を検める。
「もうちょっと、何か欲しい気が……他の売り場も見ていいですか?」
「構わないです」
「時間、だいじょうぶですか?」
「時間?」
言われて時計を見ると、店に入ってから一時間近く経っていた。
(いつの間に)
そう思ったことに、優人は驚く。
彼は、自分が立てたスケジュールに従って、無駄やミスがないように動くのが常だった。だから、『いつの間にか』や『気付かないうちに』ということは、まず経験したことがない。
「あの、優人さん?」
時計を見つめたまま固まっている優人に、唯香がためらいがちに声をかけてきた。
ハタと横を見下ろせば、彼女は気遣わしげな面持ちをしている。
「やっぱり、もう帰りましょうか? 必要なものはだいたい揃ったし」
「ああ、いや、別に大丈夫です」
「そうですか?」
「はい」
優人が頷くと、曇っていた唯香の顔が晴れ上がる。と、それが光の筋となって、彼の中に射し込んできたような感じがした。思わず目をしばたたかせた優人をよそに、彼女が首を巡らせる。
「だったら、入口の方から一通り回ってみませんか?」
そうなると、かなりの時間を要するだろうが、その分、彼女と過ごすことになる。
「判りました」
「じゃあ、行きましょう」
優人の返事に唯香は嬉しそうに顔を輝かせ、先に立って歩き出した。
店の中にはガーデニングコーナーやら文具コーナーやら衛生用品コーナーやらがあって、どの棚にも、用途も良く判らないような細々したものが詰め込まれている。
唯香について順々にそれらを回っていくうち、やがて、やけにキラキラしい場所にたどり着いた。どうやら、化粧品コーナーらしい。
化粧に使う道具だけでなく、化粧品そのものも数多く置いてある。
「これ、何かに使えないかな」
様々な色のマニキュアが並ぶ棚を覗き込む唯香の隣に立って同じものに目を向けた優人は、眉をひそめた。
(こんな安物を肌につけても大丈夫なのか?)
うっかりすると、爪が溶けてしまいそうだ。
ふと心配になって、彼は唯香の横顔に目を走らせた。一見化粧っ気がないが、彼女もこの品々を使っているのだろうか。
棚に手を伸ばした唯香の指先にある爪は綺麗な桜色をしていて、滑らかだ。不意にそれに触れてみたい衝動に駆られ、優人は反射的に手を握り締める。
優人も流石にそれは不適切なことだと判断できたから実行には移さなかったが、その爪に、ここに並んでいるような代物を付けて欲しくはないと思った。
思ってから、眉をひそめる。
(どうして、僕はそんなことを……?)
彼が内心で首を傾げた時、横合いから姦しい声がかけられた。
「あれ、優人?」
女性の声だ。
その方向に目を向けると、三、四人の女性の集団がいた。年のころは、優人たちと同じくらいか。
(誰だ?)
正直、優人はヒトの顔を覚えるのが苦手だ。記憶力は長けているはずであるにも拘らず、人の顔となると途端にその力が発揮されなくなる。特に、目の前の連中のように、化粧で似たような顔にされ、似たような髪型にされると、さっぱり区別がつかない。
優人が眉をひそめると、相手の女性は彼以上の渋面になった。
「え、ちょっと待ってよ、覚えてないの? 小野美希、高校んときに付き合ったでしょ!?」
小野と名乗った女性の台詞に、まるでお笑い番組の合いの手のように、取り巻く面々が声を上げる。
「わ、マジ、元カノのこと覚えてないとか、あり得ないよね」
「ね!」
甲高い声は、店のBGMよりも騒々しい。
その騒音の中、名前を聞いて、優人は相手のことを思い出した。確かに、高校二年生の春に二週間ほど『付き合った』記憶がある。三度断ったが彼女に受け入れられず、面倒になって応じたのだ。当初は小野も上機嫌で、毎日のように彼女の友人に引き合わされていたが、何故か日に日に不機嫌になっていき、最終的には「全然面白くない」と言って離れていった。
小野はチラリと唯香に目を走らせて嗤う。
「その人、彼女? ねぇ、そいつ、詰まらない奴でしょ。見た目いいけど、中身は超残念っていうか」
はあ、うんざり、と言わんばかりに小野が声を上げると、周りの女性がクスクスと笑った。
「全然、解ってないんだよね。空気読めないっていうか。せっかく付き合ってあげたのに、ダメダメだったの。三日で飽きちゃったよ」
――どうやら、彼女の中では優人の方から望んだことになっているらしい。
この状況に、優人は困惑する。彼女の記憶違いに対してではない。そもそも、彼女が声をかけてきたことに対して、だ。言うなれば、道ですれ違った相手から親友面されたようなものだ。
正直、たった二週間の付き合いで、今となっては真っ赤な他人でしかない彼女がこうやって声をかけてきた理由が判らないし、長々話しかけてくる理由も判らない。
小野の意図が読めなくて優人が口をつぐんでいると、隣で、声が上がった。
「そんなことないですよ」
唯香、だ。
絶えず浮かんでいる笑みを消して、彼女は真っ直ぐに小野を見つめている。そうして、続けた。
「空気読めないって、どういうことですか? 優人さんの、どういうところがそうなんですか?」
静かな口調で首を傾げた唯香に、小野は少しばかり怯んだ素振りを見せる。
「え、だってそいつって、いちいち言わなきゃわかんないでしょ? いわゆるコミュ障ってやつ? こっちから言わないとお昼ご飯は独りでさっさと食べちゃうし、日直だから先帰っていいよとか言うと、マジでそのまま帰っちゃうの」
付き合ってるのにそれっておかしくない? と周りを振り返ると、取り巻き連はうんうんと頷いた。
が、そこで唯香はさらに眉をひそめる。
「それ、そんなにオカシイことですか? エスパーじゃないんだから、思ってることって、伝えようとしないと伝わりませんよね。だから、言葉があるんでしょう? 言ってもいないことをしてくれないって怒るのって、なんか違うと思います」
「付き合ってたら、普通、ご飯一緒に食べたりとか、帰っていいよって言われたって待ってるものでしょ。そんなの、暗黙の了解って奴じゃない」
そんなことも判らないのかと言わんばかりに嗤った小野に、唯香が淡々と返す。
「それって、何も言わなくてもあなたの望むとおりにできるっていうことが、『コミュニケーションが取れる』っていうことですか?」
それまで冗長だった小野が、グッと言葉に詰まった。勢いづいていた他の女性陣も、気まずそうにしている。
その話の中心にいる優人はと言えば、ただただ、唯香を見つめることしかできなかった――小野たちに強い眼差しを注ぐ、彼女を。
唯香は、相手のことを何でもふわりと微笑みながら受け入れるだけの人なのかと思っていたのだ。
いつもの彼女は博愛主義者そのもので、優人には愚かしく感じるほどに、誰にでも分け隔てなく親切で優しい。患者から理不尽に八つ当たりされても笑って受け止め、腹が立たないのかと尋ねた優人に「何に?」と問い返してくる始末だ。
そんな彼女がニコリともせずに反駁していることも、そして、その言葉の内容も、想定外だった。これほど全面的に優人の側に回った者は、今までいない。一番の理解者であった母ですら、時に彼のことを持て余していたというのに。
目を逸らせずにいる優人の隣で、唯香が更に続ける。
「言葉にしないことは伝わらないし、言葉にしてしまったことは……その言葉通り、伝わってしまうものでしょう?」
そう言ったとき、唯香の顔には優人がこれまで何度か目にしたことがある翳りが浮かんでいた。居並ぶ過去からの糾弾者よりも、そちらの方が気にかかる。
だが、優人が触れる前に唯香はそれを払拭し、顔を上げ、真っ直ぐに小野たちを見た。
「わたしは、言葉と気持ちをちゃんと一致させている優人さんは――そうできている優人さんは、すごいと思いますし、一緒にいて安心できます」
きっぱりとそう言った唯香に、小野は今にも舌打ちせんばかりになる。
「何よ、いい子ぶって。もういいよ、行こ」
言葉は強気だが、口調は弱々しい。
その捨て台詞を最後に、小野たちは踵を返して足早に去って行く。
「変な人たちでしたね」
彼女達を見送った唯香は優人を見上げて笑ったが、多分、一般的には、彼女の方がよほど『変な人』だ。
感じた通りにそう言ったら、唯香はまた笑うのだろうか。
(きっと、そうなのだろう)
その笑顔を見たいと思いつつ、優人はその言葉を口には出さなかった。代わりに、商品棚へと目を移す。
「他に、必要なものは?」
頭に浮かんだことを発するのをためらったのは、初めてのことだった。




