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舘家の三兄弟  作者: トウリン
博愛無私のお姫様

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いつでも、誰にでも

 十一月もあと数日となったその日、十二月に予定している小児科病棟クリスマス会の準備のため、優人(ゆうと)唯香(ゆいか)と買い出しに行く予定になっていた。

 ボランティア部のメンバーは十数人はいるはずなのに、こういった雑用は、だいたい彼女が受け持っている。はっきり言って、他の連中は医者が絡んでくる場面に出てくるくらいだ。

 以前にそれを指摘した時、唯香は「別にいいんだよ」と笑っていた。

 優人としては釈然としないが、彼女がいいというなら、彼に口出しできることはない。代わりに手を出すだけだ。


 待ち合わせの時間に間に合うように家を出たところで、病棟から部室に運ぶものがあるとのメールが唯香から届く。当初は大学の部室の方で落ち合うことになっていたが、優人は、聖人(まさと)の勤務先であり、唯香のボランティア先でもある病院に進路を変えた。


 病院に着くと、もう何度か足を踏み入れたことがある小児科病棟のナースステーションを目指してエレベーターに乗り込んだ。

 ここの病院のエレベーターは、車椅子が乗ったりすることも考慮しているのか、一般的なものよりも少し広めだ。だが、内装は普通のものと大差ない。それに、病院の中は、よく、消毒薬の臭いとか、独特の臭いがあるなど言われるが、院内の空気にはそれすらない。ホテルか何かにでもいるようだ。


 その中に居て、ふと、優人は、『あの時』はどうだっただろうなと思った。

 今でこそここに頻繁に出入りしているが、病気知らずの優人は、医療機関と呼ばれるものに数えるほどしか足を踏み入れたことがなかった。

 唯一の記憶は母が事故で亡くなった時のもので、もう十年近く前のことになるにも拘らず、それは至極鮮明だった。


 この病院は患者の気分を明るくする目的もあってか、彩りも照明も華やかだ。

 だが、優人の記憶の底に残っている病院の風景は、違う。


 多分そこが霊安室だったからだろう。

 薄暗く、冷ややかで、白と黒しかない室内。

 線香の香りが微かに漂い、とにかく、静かだった。


 父と兄の聖人は最初に救急外来の方に行ったらしかったが、賢人(けんと)と優人が赴いたのは、地下にある、閉鎖的な小部屋だった。

 その部屋で、父は糸が切れた操り人形のように隅に置かれたパイプ椅子にへたり込み、ワァワァと泣きじゃくる賢人のことは、聖人が懸命になだめようとしていたのを覚えている。


 優人はと言えば、ただ、仕方がない、と思っただけだ。

 兄のように泣く代わりに、ジッと立ちすくむ彼に心配そうな顔を向けた聖人に小さくかぶりを振って、ただひたすら母を見つめた。


 泣いて戻るのならば、いくらでも泣く。だが、そうではない。どれだけ泣いても、死んだものは戻らない。


 そう思ったから、とにかく母の顔を見つめていた。蒼褪めたその顔は記憶に残すにはあまり向いていないものだったろうが、それでも、その姿も母のものだ。


 明るい笑顔は、写真や動画でいくらでも振り返ることができる。

 だが、この母は、恐らく二度と見ることができない。

 だから、いっそう深く、脳裏に刻み込んだ。


 自分について、多くのことが他人にとっては理解不能なように、多分、この思考も一般的ではないのだろう。死に顔なんて、好き好んで覚えておくものではない、と。しかし、優人にしてみれば、大事な人のことでいらない部分などないと思うのだ。


 この年に至るまで、優人は、そんなふうに自分の考え方や行動が他人に理解されないことを、不思議に思ったことも、残念に思ったこともない――理解されたいと思ったことも。

 ただ、最近、もしかして理解されているのかもしれないと、思うことが時々ある。

 そう感じた時の感覚を、どう表現したら良いのか優人には判らない。強いて言うなら、真冬に、思いがけず陽だまりに逢着したような、とでも表せようか。

 その感覚をもたらすのは、今のところ一人きりだ。

 そして、その一人が与えるその感覚は馴染みのないものだったから、優人は、このままその人の傍にいてもいいものなのか、それとも、距離を取るべきなのか、決めかねていた。距離を取れば、これまで通りの自分でいられるが、傍に居続ければ、自分の中の何かが変わってしまうような気がしたから。


 エレベーターが止まり、小児科病棟がある階に着く。

 優人は小さく息をつき、箱から出た。

 ナースステーションは、エレベーターを降りてすぐそこにある。看護師とも顔馴染みになりつつあるので、優人は気後れすることなくそこに向かった。

 と、カウンターの前に立つ一組の男女に気付き、足を止める。


 兄の聖人と、唯香だ。


 何やら楽しそうに笑い合っている。


 優人は、彼女のその笑顔を観察した。

 それは、いつもと変わらない、翳の欠片も見いだせないもの。

 今、目の前で繰り広げられているように、彼女は誰にでも同じように、分け隔てなく笑いかける。


 その明るい笑顔を見ている優人の脳裏を、小さな声がよぎる。

(僕が幾度か垣間見たことがある微かな陰りに気付いた者は、他にいるのだろうか)


 もしもそれが彼だけが知っていることなのならば、これからも、他の者には見せて欲しくないと思った。


 兄たちは、好きな女性の笑顔が欲しいと言う。自分の前で笑ってくれる彼女たちを見るのが幸せなのだと。

 だが、優人は、誰にでも与えられる笑顔よりも、その暗い顔こそ、欲しいと思った。


(つまり自分は、彼女に恋愛感情を抱いているという訳ではないということなのだろう)

 ただ、他の者たちとは違う唯香に興味を抱いているだけで。


 優人が自分の中にわだかまる慣れない感情の動きをそう結論付けたとき、言葉を交わしている二人に動きが出る。


 佇む彼に気付いたのは唯香の方で、彼女は聖人に向けていた笑顔のままで彼に手を振ってよこす。

「あ、優人さん。こっちこっち」

 優人が足を進めて近寄ると、兄はニヤニヤと嫌な笑いを浮かべていた。

「お前、クリスマス会を手伝うんだって? サンタの格好とかやるのか?」

「しない。僕の仕事は裏方だ」

 表舞台に立つのは、看護師の筈だ。

 淡々と答えた優人に、聖人はこの上なく残念そうにかぶりを振る。

「何だよ、見てみたかったのに。聞いてよ、藤崎さん。こいつ、家でイベントやってもてんで冷めていてね。ああ、そうだ。上の弟は小学校中学年くらいまでサンタのことを信じてたんだけど、こいつは幼稚園のクリスマス会で、あれは親がプレゼントを運んでいるんだとか言っちゃってね」

「あはは。そんな感じがします。なんか、騙されてくれなそう」

「そうなんだよ。なんでも、サンタが存在しない根拠を五個くらい挙げて断言したらしいよ。舘家の笑い話のうちの一つだ。じゃあ、俺は行くから。準備頑張って。優人も少しは楽しめよ」

 そう言うと、聖人は片手をヒラリと振って去って行った。


 彼の背が廊下の向こうに消えてから、唯香が首をかしげて優人を見上げてくる。

「なんか、子どもの頃から優人さんは優人さんだったんですね。ブレないなぁ」

「可愛げがない子どもだとよく言われた」

「可愛げ? でも、みんながみんな、無邪気で信じやすくなくてもいいんじゃないですか? それに、子どもってすぐに『何で?』って言ってくるでしょう? 優人さんは、そこを突き詰めるタイプだったんですよね、きっと」

 そこで唯香はクスリと笑う。

「確かに、大人からしたら可愛くないかもですけど。でも、お話したら、面白いですよ。実際、今も面白いですし」


「面白い?」

 優人は自分への評価として初めて耳にするその表現に、眉根を寄せた。そんな彼に、彼女は頷く。

「はい。面白いし、一緒にいるのは楽しいです。あ、こういう言い方、失礼ですか?」

 優人を見上げて、唯香の顔が曇った。


『面白い』も『楽しい』も、ついぞ言われたことがない。その逆の言葉なら、しょっちゅうあるが。


 戸惑いながら、彼は首を横に振る。

「いや……」

「良かった。わたしの口が過ぎたら、ちゃんと言ってくださいね」

 唯香の顔が一転輝き、笑顔の花が咲く。

「じゃあ、行きましょうか。あんまり遅くなると、閉まっちゃう店が出てきますよ」

「ああ」

 短く頷いただけの優人に彼女はまた笑いかけ、先に立って歩き出した。


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