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舘家の三兄弟  作者: トウリン
博愛無私のお姫様

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三度《みたび》の遭遇

 統計ソフトの使い方を聖人(まさと)に教えてから二週間ほどが経った頃、再び、優人(ゆうと)は彼から頼まれた――今度は、ファイリングソフトの扱い方を教えてくれ、と。

 ソフトの名称を聞いた優人は眉をひそめる。

 それはごくごくメジャーな、どれほどパソコンに不慣れな者でも扱えるように設計されたものだったからだ。


「そんなの、説明書を見れば解かるだろう」

「読んでる時間がないんだよ。別に、一から教えろとは言わないよ。ただ、雛型を作っているときにいつでも質問できるように、少しの間居て欲しいだけだから」

 無駄なことをと渋る優人に、用がない間は好きなことをしていていいから、と聖人は笑った。


 結局押し切られて、その週末の日曜。

 普段、滅多に動き出すことのない朝の十時に、優人は聖人の勤務先の医局に立っていた。


「その辺で寛いでいてくれよ」

 優人にそう言い置いて聖人がパソコンをいじりだしたのは良いものの、案の定、サルでも解かると評判のそのソフトに、質問など出ようはずがない。

 午前中は全く声がかからず、終了する。

「そろそろ昼飯にしよう」

 十二時を少し回ったところで、伸びをしながら聖人がそう言った。彼は横から紙袋を取り出し、掲げて見せる。

(ほたる)が二人分作ってくれてるから、中庭ででも食べよう」

「ここじゃダメなのか?」

 優人は眉間にしわを寄せて訊いた。

 また戻ってくるというのに、わざわざ四階分を移動するなど面倒だ。

 だが、聖人は天井まで本やら何やらが詰まった本棚で四方を囲まれた部屋の中を見回して眉を上げる。

「ここで? 外の方が気分がいいだろ。片づけるのも面倒だし」

 言いながら彼が顎をしゃくって示したのは、部屋の一画、隅に置かれた応接セットだ。そこにはソファとテーブルがあるものの、どちらにも雑誌やコピー用紙などがうず高く積まれている。

 医者というものは片付け能力が著しく欠けているのか、ここのメンバーがそうなだけなのか、はっきり言って、医局の中は不潔ではないゴミ屋敷状態だった。

 もちろん聖人の机の上も散らかり放題で、食べ物を広げる場所はない。舘家の彼の部屋が片付いているのは、蛍の甲斐甲斐しさの賜物なのかもしれなかった。


「……行こう」

 ため息混じりに答えた優人に聖人はニヤリと笑い、先に立って部屋を出る。

 中庭に出た聖人は目の前のベンチが空いているにも拘らず、わざわざ中央付近にまで行ってそこに陣取った。ベンチは五、六人が座れそうなもので、二人が座った上に蛍お手製の弁当を広げてもまだ、充分にスペースがある。

 タッパーを開けてみると、蛍は二人が作業しながらでも食べやすいようにと考えてくれたのか、少し小ぶりのサンドウィッチが詰まっていた。保温ボトルにはコーヒーも入っている。


 聖人と交わす言葉も特にないので、優人は午前中に読んでいた医学雑誌の内容を頭の中で反芻しながら黙々とサンドウィッチを口に運んだ。そんなふうにしているとき、優人は完全に外界から遮断される。機械的に栄養摂取をするだけだから、味も感じない。


 優人が記憶の中の雑誌を半分ほど読み進めた時、隣に座っている聖人が何かを言った。それは誰かに向けて放った言葉のようで、第三者からの返事がある。


「いいんですか?」

 その声に、優人は瞬時に現世に引き戻された。思わず、目をしばたたかせる。

 と同時に視界に入ってきたのは、ジーンズに包まれた脚だ。彼はそこから視線を上げていく。

 いつの間にこの場に現れたのか、そこに立っているのは藤崎唯香(ふじさき ゆいか)だった。


「でも……お邪魔じゃないですか?」

 彼女はチラリと聖人の隣に座る優人に目を走らせてきた。何かの許可を求めているようだが、どういう話の流れなのか皆目見当もつかない彼は、無言でその視線を受け止めるしかない。

 そんな優人の方へヒラヒラと手を振って、彼の代わりに聖人が答える。

「構わない。こいつは存在していてもいないようなものだから。いいから、座って。そいつ、放っておいたら生身の人間とひと月話さなくても平気でいるから、ちょっと相手してやってよ」

 聖人の言葉にクスリと笑った唯香の手には、コンビニの袋がある。透けて見える中身はサンドウィッチと飲み物のようだ。


 つまり、唯香も昼食を摂りにここに来て、聖人が同席するように誘った、ということだろうか。


「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 そう言った彼女は小首をかしげてベンチを見、ストンと優人の隣に腰を下ろした。何故こちらに、と思ったが、見れば聖人はベンチの端に座っていて、優人の側しか空いていなかった。

「お邪魔します」

 ニコッと笑って優人に向けて会釈をし、唯香はコンビニ袋を探る。取り出したサンドウィッチを頬張る彼女をしばし見つめてしまってから、そうしている自分に眉をしかめて彼も食事に戻った。


 兄と赤の他人に挟まれた、奇妙な構図だ。

 そのせいか、思索に戻れない。


 食べることしかすることがないという状況に眉間にしわを刻んだまま、優人は蛍お手製のサンドウィッチを口に運んだ。

 そうやって外界に意識を残していると、さっきまで気付いていなかったことに気付く。それは、彼らの前を通り過ぎながら、会釈をしていく人々の姿だ。

 初めは医者である聖人へのものかと思ったが、半分くらいは優人の左隣にいる人物――藤崎唯香に向けたものだった。聖人への会釈は微妙にお義理感があるのに比べ、唯香に対しては笑顔と声掛けが伴っている。彼女の方も、一人一人に愛想よく応えていた。

 今もわざわざ立ち止まって唯香に話しかけてきた医者らしき男に、彼女はにこやかに応じている。


(誰にでも笑いかけるのか)

 二人の遣り取りを横目で見ながら、優人はそんなことを思った。

 奇妙なことに、今の唯香の笑顔は見ていて不快な気がする。

 どうしてそんなふうに感じるのかと眉根を寄せた優人の前で、医者は唯香に手を振って立ち去って行った。彼がいなくなると、不思議なほどに不快感が和らいだ。


 この感覚の揺らぎは何なのだろうと内心首をかしげる優人を通り越して、聖人が唯香に話しかける。

「今日もボランティア?」

「はい」

「昼を食べてるってことは、この後も?」

「学校がお休みなので」

「一日居るのか? 精が出るね。偉いな」

「いえ……」

 聖人の称賛の言葉に小さくかぶりを振って、唯香は微笑んだ。

 そう、確かに、彼女の口元に浮かんだのは笑みだった。

 しかし、優人はその笑顔に眉をひそめる。


 笑っているのに、笑っていない――彼には、何故かそんなふうに感じられたからだ。


(どうして、そんなふうに思った?)

 自問しても、答えが出ない。


 優人は、その状況が不満だった。

 彼にとって、全ての事象には理由があり、答えがあるものであるべきだった。にも拘らず、ここ最近、しばしば不可解なことに遭遇している。それらはどれも、今彼の横に座っている女性に関連していることだった。


 彼女のことを知れば、この落ち着かなさが改善するに違いない。

 だが、自分は、いったい何を知りたいのだろう。


 優人は、最初に頭に思い浮かんだ疑問を吟味することなく口にする。

「どうして、病院ボランティアを?」

 唐突な彼の問いに、唯香は束の間目をしばたたかせ、そして微笑んだ。

「喜んでもらえるから、かな」

「喜んで? 誰に?」

「患者さんとか、看護婦さんとか」

「でも、赤の他人でしょう?」

「え? ええ、まあ、そうですね」

「それが嬉しいんですか?」

 眉根を寄せている優人に、唯香が首をかしげる。

「誰かに必要とされるって、嬉しくないですか?」


 優人は肯けなかった。

 彼とて人並みの感覚は持っているから、親しい人が喜べば嬉しいと思うし、他人に嫌な思いをさせるべきではないと思う程度の社会性は持っている。が、自分と縁もゆかりもない誰かに良い思いをさせたいと思うほどの社交性は持っていなかった。

 だが、共感はできなくても、理解はできる。唯香にとって他人が喜ぶことは嬉しいことで、だからボランティアをするのだということならば、それなりに彼女にとってはメリットがあるということだ。


 それなら、解かる。


 つまり。


「自己満足か」

 納得できた優人だったが、その台詞を言い終えるか否かというタイミングで後ろ頭をはたかれる。

「痛いな」

 横を向いて叩いた手の主――兄を睨み付けると、優人以上に鋭い眼差しが返ってきた。

「ったく、お前なぁ。悪いね、藤崎さん。こいつはちょっと口が不自由だから」

「僕の構音機能は正常だ」


 聖人に反論してから優人は隣の唯香に目を移す。

 どうせ能天気な笑顔が返ってくるのだろうと思っていたが、彼女は視線を落として口をつぐんでいた。


 その反応が想定外のものだったせいか、唯香のその様子を目にした瞬間、優人は狼狽に近いものを抱く。何か声をかけるべきだと認識するも、その言葉が見つからない。


 優人が黙り込んでいると、聖人が動いた。

「藤崎さん?」

 聖人の呼びかけに、彼女がハッと顔を上げる。

「あ、すみません、何ですか?」

「いや、だから、こいつが失礼なことを――」

「え、いえ、そんなことないです。あ、わたし、もう行かないと」

 そう言って、彼女は跳ねるように立ち上がった。そうして聖人、次いで優人に勢いよく頭を下げると、二人の反応など見もせずに駆け去って行く。


(何なんだ、いったい)

 いささか唐突な唯香の退場に、優人の中には新たなしこりが生まれてしまった。


 憮然として彼女が姿を消した病院棟のガラス戸を優人が見つめていると、聖人が渋い声を投げてくる。

「お前があんなこと言うから、彼女怒らしちまったじゃないか。ったく、俺がせっかく……」

「怒らせた?」

 ブツブツと続いた聖人の愚痴を無視して、優人は、その言葉を繰り返した。


 聖人が言うように優人の台詞が失礼であったのならば、唯香の顔にあるのは怒りや不快であるべきだった。


(でも、あれは……)

 怒りでも、不快さでもない。

 そうは見えなかった。


 優人と話した者は何故か怒って離れていくのが常だ。そうならないのは家族か一握りの友人くらいのもので。

 だから、その表情なら、解かる。


(強いて言うなら――驚き、か?)

 あるいは、それに近いもの。

 優人が見る限り、唯香の表情には浮かんでいたのはその感情だった。

 それは、読み取れた。


(だが、何故、彼女はあんな顔をしたんだ?)


 さっぱり、解からない。


 疑問を解消してすっきりするはずだったというのに、今の遣り取りで、優人は、むしろそれまで以上のモヤモヤを胸の内に抱え込むことになった。


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