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舘家の三兄弟  作者: トウリン
博愛無私のお姫様

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46/69

理解できない

 優人(ゆうと)聖人(まさと)の指導のために組んだ時間は、一日二時間を三日間、計六時間だ。今日はその三日目になる。これまでの二日間であらかた終わっているから、後はまとめと確認というところだ。

 が、優人が乗るバスが病院に着く少し前、聖人からメールが入り、急患で抜けられないので三十分ほど待って欲しいと言ってきた。


 今日の分はもうやってもやらなくてもいいような内容だから、何なら、なしにしてもいい。


 そう返信してみたが、メールを確認する暇がないのか応答がない。そうこうするうちに、バスは病院に着いてしまった。

 病院の玄関前に立ち、優人は思案する。

 この四十七分間を、どうするか。

 今からどこか他のところに行くほどの時間はない。が、聖人がいない状態で部外者が医局に居るわけにもいくまい。

 無難なのは中庭もどきでネットでも見ることか。

 日の短い秋とは言え、暗くなるにはまだもう少し間がある。三十分やそこら、スマホの画面くらい見ていられるだろう。


 方針が決まった優人は売店で缶コーヒーを仕入れ、中庭へ向かった。

 古びてはいるが座れないほど汚れているわけではないベンチに腰を下ろし、電子書籍のサイトを開く。購入したきり放置していたものがいくつかあったから、丁度いい。集中すると優人はしばしば時間を忘れてしまうため、十七時二十分にアラームをセットしてから、画面に目を落とす。

 足早に行き交う人たちをよそに、じきに優人は文字を追うことにのめり込んでいった。


 やがて一冊読み終えようかというところまで来たとき、不意に声がかけられる。


「あの、こんにちは?」

 一度集中すると外部のことをシャットアウトしてしまう優人の耳に、その弾むような声は不思議なほどにスルリと入り込んできた。

(誰だ?)

 いぶかしみながら顔を上げると、正面に女性が一人立っていた。その顔に、見覚えがあるような気はする。


 何も言わずに記憶を手繰っていた優人の前で、女性の表情がわずかに曇った。

「あ、スミマセン。覚えてないですよね。えっと、一昨日、あっちの方で絵を取ってもらったんですけど」

 そう言って、彼女は右手の方を指さした。

「……ああ」

 思い出した。あの、何だか判別がつかない下手な絵か。

 わずかに変わった優人の表情に、女性もホッと頬を緩めて微笑む。

「あの時はありがとうございました。どうやっても取れなくて、困ってたんです。あ、わたし、藤崎唯香(ふじさき ゆいか)っていいます」

 そう言って、彼女は軽く首をかしげて優人を見つめてきた。彼もその藤崎唯香と名乗った女性を見返す。


 そして、数秒の間。


 それを置いてから、唯香が目をしばたたかせた。

「あの、お名前伺ってもいいですか?」

「……舘優人です」

 今の間は彼が名乗るのを待っていたのかと思いつつ答えると、唯香の顔がパッと明るくなった。

「舘って――もしかして、舘先生のご家族さんですか?」

 何だか違和感があるが、ここで『先生』と呼ばれる者がいるとすれば、それは兄のことなのだろう。

「舘聖人なら兄です」

「やっぱり。舘って、珍しい苗字ですもんね」

 そう言っている間も、ニコニコと、彼女は笑みを絶やさない。何がそんなに楽しいのかと思いながら見上げていると、唯香のその笑みがわずかに褪せた。


「あの、ご迷惑、ですか?」

「いや、別に」

 淡々と優人はかぶりを振った。どうせすることはないし、本を読んでいるのも暇つぶしだ。邪魔されたのは事実だが、迷惑というほどではない。

 しかし、どういう訳か、優人と話をする者は三人に一人はこの手のことを訊いてくる。そして、今のように彼が答えると、二人に一人は憤りながら去って行く。別に彼としては意識して不愛想にしているつもりはないのだが、どうやら相手にとっては不快な応答になるらしい。


 この女性も同じように立ち去るのかと思ったら、そうではなかった。

 優人の返事を聞いた瞬間、二日前と同じ、光を放つような笑顔になる。


「良かった!」


 束の間、彼は息を詰めた。


 優人に馴れ馴れしく笑いかけてくる者は、今までにも腐るほどいた。だが、何かを含んでいるようなそれらに、何かを感じたことはない。

 しかし、この藤崎唯香という女性の笑顔はあまりに開けっぴろげなせいか、妙に優人を落ち着かない気分にさせる。


 気圧されたように口をつぐんでいる彼の前で、唯香は続ける。

「あの絵は、小児科に入院してる子が描いたんです。でも、窓から落ちちゃって、取れなかったらどうしようかと思ってました」

「……」

 優人はどうして入院中の子どもが描いた絵を彼女が持っていたのだろうという疑問を抱いたが、そこでセットしておいたアラームが鳴る。と、唯香はバネが弾けたようにピョコンと背筋を伸ばした。


「あ、お電話みたいですね。じゃあ、ホントに、この間はありがとうございました」

 またニコリ、ペコリと頭を下げて、唯香は優人の反応を待つことなく身軽く走り去っていった。


 彼女が病院の中へ入っていくのまで見送ってしまってから、優人は我に返った。半ば呆けていた自分に気付いてムッと眉をしかめてから立ち上がり、医局へと歩き出す。

 あまりに馴染みのないノリだったせいか、必要がないものは覚えようとしない優人の脳にも彼女の印象が色濃く残ってしまったようだ。いつもなら人と相対しても別れた瞬間すっぱり切り替わるのに、なかなかそうならない。


 それは医局に着いて、聖人にソフトの使い方を教え始め、終わる段になっても、続いていたようだ。


「じゃ、三日間、ありがとうな」

 別れ際、兄にそう言われたとき、ほとんど反射のように、問いが優人の口を衝いて出ていた。

「兄さん、藤崎唯香って人、知っているか?」

「え?」

 優人の台詞にパソコンに向かっていた聖人が振り返り、目をしばたたかせる。面食らっている彼に気まずくなって、優人はかぶりを振った。

「いや、何でもない。じゃあ」

 部屋を出ようとする優人を、我に返った聖人が慌てた様子で引き留める。

「ちょっと待てって。藤崎唯香な。ああ、病院ボランティアやってる看護学部の子だろ?」


 看護学部。


 そして。


「――病院ボランティア?」

「俺はまだ研修医だろ? イベントがあると結構駆り出されるんだよ。そういう時には、病院ボランティアとも色々やるから」


 ボランティアということは、タダ働きをしているということか。


 だが。


(どうして、ボランティアなんだ?)

 ――バイトではなく。

 働くことに時間を費やすならば、見合った賃金を得られるバイトにすべきではないのだろうか。


 正直、優人にはボランティアという概念自体が理解不能だ。その役割を求める側はしみったれにもほどがあるし、それに応じる側は自分を安売りしているというものではなかろうか。


 眉間にしわを寄せている優人に、聖人がにやりと笑う。

「で、何だって彼女のことなんて訊いてきたんだ? どこで会った?」

「別に。あっちの方が兄さんのことを知っているようだったから訊いただけ」

 こともなげにそう答えたが、聖人は切り上げようとしなかった。

「だから、何で俺の話が出たんだ? どこで何してて会ったんだよ? それにお前が他人に興味持つとか、滅多にないことじゃないか」

「興味というほどじゃない」

「お前なぁ……」

 呆れたような残念そうな、聖人の声。

 彼は腕を組んで優人をしげしげと見る。


「お前も、もう少し外に興味を持ってみればいいのに」

「持っているさ」

 優人は肩をすくめてそう答えた。

 物事を知ることは好きだ。そして、見聞きしたもの、読んだものは、たいてい一度で頭に入る。医学のことしか知らない兄よりも、優人の方が遥かに幅広い知識を持っているはずだ。


 しかし、そんな弟を聖人は苦笑混じりに見返した。

「そういうんじゃなくってさ。……まあ、いいや」

 何かを言いかけた聖人は途中でやめてかぶりを振った。

「ああ、そうだ。今日は遅くなりそうだから蛍に言っておいてくれよ」

「わかった」

 うなずく優人の頭の中に、それを聞いたときの彼女の反応が思い浮かぶ。言葉には出さないが、聖人に逢えない時の蛍は、見るからに落胆するのだ。ほとんど毎日会っているのだから、別に一日や二日くらいどうでもいいだろうにと、優人は思うのだが。

 とはいえ、夜に彼女と電話ができなかったときの賢人(けんと)も似たような感じになるから、きっと、蛍だけが特殊なわけではないのだろう。


 優人には、そんな彼らの感覚が解からない。


 ――正直、誰かの存在一つに左右される気分など、解かりたいとも思わなかった。


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