舘家の団欒
それは夕食の席でのことだった。
その日は珍しいことに最近めっきり帰りが遅くなった長兄聖人もいて、男ばかりの舘家の腹の世話をしてくれている隣家の幼馴染み蛍はいつもの五割増しは浮き立った様子で、甲斐甲斐しく動いていた。
舘家の食卓のメンバーは、父の勝之、長男の聖人、次男の賢人、末子の優人、そして蛍――それで全員だ。一家の働き手である勝之と聖人は食卓でのんびり構え、蛍が作る料理を賢人と優人が運んでいく。夕飯のメニューは豚の生姜焼きにたっぷりの野菜炒め、ほうれんそうのお浸しにわかめときのこの味噌汁で、一汁三菜が実にバランスよく整えられていた。毎度のことながら、蛍の料理の腕前は、下手な専業主婦の上を行く。
皆席に着き、料理に手を伸ばし始めたところで、聖人が優人に話を振ってくる。
「なあ、優人」
呼ばれて彼は兄に目を向けた。
「お前、パソコン得意だろ?」
「それなりに」
「データの統計処理の仕方教えてくれないか? 説明読んでみてもよく解らないんだ」
困り顔の聖人をチラリと見て、優人は答える。
「3TBの外付けハード」
聖人の眉間にしわが寄った。
「それ、いくらするんだ?」
「ピンキリ。一万くらいの奴でいい」
「『でいい』って、ちょっとぼったくりじゃないか?」
「一時間で覚えられるなら32GBのUSB二本にまけとく」
優人の代案に聖人はしばし黙考し、ため息をついた。
「外付けハードでいい」
二人の話のけりが着いたところで、蛍が首をかしげる。
「何の話?」
それに答えたのは二人の遣り取りを聞いている素振りなど全く見せずに料理を平らげていた賢人だ。彼はニヤリと笑う。
「授業料だよな。優人はがめついからさぁ。兄弟でもバッチリ巻き上げるんだよな」
「労働に報酬を求めるのは当然のことだろう」
兄の揶揄に優人は肩をすくめ、淡々とそう答えた。その言葉に、勝之ものんびりした声で言う。
「そう言えば、僕のパソコンをセットするときはちょっと高めのマウスだったなぁ」
「お前、親父からも搾り取ってるのかよ」
呆れたと言わんばかりの賢人の視線を、優人は冷やかに跳ね返した。
「家賃と生活費は入れているからな」
その返事に、この家唯一の居候である賢人は口をつぐんだ。それを一瞥し、優人は食事に戻る。
別に、優人は金に困っているわけではないし、特に欲しいとも思っていない。三年ほど前に手を出したトレーディングで、向こう十年は余裕で遊んで暮らせる金を稼いだからだ。更にそれを無難な投資に回していて、今の日本経済状況のままなら、多分死ぬまで働かなくても生きていける。優人が高校を卒業して一年以上が経ったが、衣食住というつまらないものの為に身を粉にする必要がない彼は、進学も就職も選ばず、その日その日に思いついたことをして過ごしていた。
そんな生活だから、優人には金も時間も有り余っている。
だが、彼は、労働には相応の対価を支払うべきだというのが信条だった。たとえ相手が血縁者でも優人が時間を消費するのは事実だし、たとえ相手が血縁者であっても、彼の時間そして知識の価値は変わらない。
やれやれと顔を見合わせる兄二人の間で、蛍が眉根を寄せた。
「でも、前に、わたしの調べもの手伝ってくれたよね?」
「蛍はいつも食事を作ったり掃除をしたりしてくれるだろう? 僕の借りの方が大きい」
だから、何かあればいつでも言ってくれと続けた優人に、彼女は唇を尖らせた。
「別に、いいよ。わたしが好きでやってるんだし」
「自分のスキルに自信があるならタダ働きはやめておけよ」
至極真面目に優人がそう言うと、解ってないなと賢人が声を上げる。
「蛍が本当に食べさせたいのは、兄貴なんだよな。オレたちはついで、オマケなの」
「そんなことないよ!」
蛍は猛然と賢人に食って掛かったが、その顔は真っ赤だ。
「何だよ、照れるなよ。ホントのことだろ? ま、オレだって、雛姫が食べてくれるなら毎日だって彼女のところに通っちゃうんだけどな」
両手を胸に当てて深々とため息をついた賢人に、優人は冷やかな眼差しを投げる。
「行けばいいじゃないか」
その方が家の中が静かでいい。
本音はそこの優人の台詞に、賢人は芝居がかった仕草でかぶりを振った。
「お婿に行きたいのはやまやまなんだけどな、雛姫んとこには超強力な小舅がいるんだよな」
その声には、かなり切実な気持ちがこもっていた。まあ、五年近くもお預けを喰らっていれば、そうなるのも当然か。
賢人は、二十を超えたにも拘らず未だに彼女と清い仲であることを、しばしば嘆いている。その理由の一つが、年の離れた彼女の兄らしかった。その人物が事あるごとに邪魔に入ってくるのだという。とんだコブ付きに惚れ込んだものだ。
だが、そんな彼女を選び、諦めないのは賢人自身だ。
「もっと手軽な相手がいるだろうに」
優人はボソリとつぶやいた。
客観的に見て、賢人はモテる。実際、今の彼女と付き合い始めるまでは、かなり無節操に遊んでいたはずだ。今の彼女ほどではないとしても、見栄えのいい女性は他にいくらでもいるだろう。
面倒な相手に拘る理由が、優人には解らない。
それをそのまま伝えると、賢人からはまるで紫の蛙か何かでも見つけたかのような眼差しが返ってきた。どうやら同意は得られないらしいと、優人は肩をすくめて食事に戻る。所詮、兄の人生だ。どう進み、何を選ぼうが優人には関係ない。
目の前の副菜を右回りで順々に口に運ぶ彼に、蛍をチラリと見てから聖人がつぶやく。
「……お前にも、そのうち解かるといいけどな」
優人は箸を持つ手を止め、兄を見た。
「何が?」
軽く首を傾げた聖人は優人を見返し、言う。
「俺たちが感じているものが、だよ」
曖昧にそう答えて、聖人が隣に座る蛍に目を向け微笑んだ。彼のその眼にも、反射のように笑い返した蛍の眼にも、温かな光がある。
その様を束の間眺め、優人はまた食事に手を伸ばした。
「僕には必要ない」
淡々と答えた末弟に、兄二人は苦笑を交わして食事に戻った。




